01_2025年6月某日
起きるのが、つらい。毎朝のことだ。だが、今日はとくにひどかった。できることならば、このまま眠ったままでいたい。いや、いっそ永遠に眠ってしまいたい——と、そんなことを考えている自分が、いっそ滑稽で、笑えてくる。
午前五時三十分。目覚ましのベルは、まるで地獄の使いのように鳴り響いた。私は怠く、重たく、どうしようもないこの肉体をずるずると床に下ろし、ベッドから這い出た。あと十五分早く起きればよいのだが、そんなことはもう、何年も前から実行できた試しがない。根性などというものを、私は母のお腹の中に忘れてきたのだろう。
窓の外は、薄暗く、雨がしとしと降っている。梅雨に入ったらしい。今年もまた、湿った憂鬱がやってきた。誰にも歓迎されず、誰にも呼ばれていないというのに、奴は必ずやってくる。律儀でけっこう、私はそういうところだけ、嫌いではない。
傘をさして駅へ向かう。汗が背中を、首筋を、額を伝う。蒸し暑さは、皮膚の裏側にまでじんわり染みこんできて、まるでこの世が生温い風呂の中に沈んでいるような心地だ。ワイシャツが肌に張り付き、私は、ひどく不快だった。
電車は定刻通りに来た。人間という生きものの中で、唯一信用できるのは、この定刻の電車くらいではなかろうか。私は、我先にと乗り込んで、空いた席を確保する。そうしなければ、今日という一日を乗り切る自信がまるで持てなかった。
私は思った。
この電車に乗る無数の人間たちは、本当にこの生活に納得しているのだろうか。毎朝、五時半に起き、眠い目をこすりながら出勤することに、何かしらの意味を見出しているのだろうか。
少なくとも、私は納得していない。断じて。私は今の仕事が好きではないし、やりがいもない。ましてや、将来に希望など、あるはずがない。
いつか辞めてやるつもりでいる。家から近い職場に転職するか、あるいは在宅ワークだって悪くない。自分の時間を、自分の意志で使える生活。それだけが、いまの私の唯一の希望だ。
昼食はコンビニで済ませた。
サラダチキンとおにぎり。立ち食い。たった五分。生きるとは、かくも粗末な行為である。
それでも私は、歯は丁寧に磨く。歯間ブラシまで使って、滑稽なほど几帳面に。口腔内の健康が、人生最後の矜持であるかのように。
午後も、気の抜けたソーダのような仕事が続いた。無気力は、もはや私の正体である。やる気などという高尚なものは、最初から持ち合わせていなかった。
やらねばならぬから、やっている。ただそれだけだ。
帰りの電車では、物語の構想を考える。私は物書きを夢見る者である。現実では成し得ぬ幸福を、物語の中にだけ見つけようとしているのだ。
今、温めているのは、異世界転生もの。二十七歳のOLが、事故で命を落とし、女神の慈悲で別の世界に生まれ変わるというお話。陳腐だと笑われるかもしれない。
けれど、私が描きたいのは、ただの冒険ではない。愛なのだ。愛の力で、孤独を制す。そんな物語。
幸福な結末を迎えることが、創作における私の唯一の義務であると、そう信じている。現実には救いがないからこそ、せめて物語の中だけは、甘くて温かい夢を見たいのだ。
帰宅後の夕飯は、納豆とインスタントのみそ汁。風呂に入り、今期のアニメを観た。アニメから得るインスピレーションも、決して馬鹿にはできない。
本当はそろそろ寝るべきだが、私は眠気が限界に達するまでベッドには入らない。朝が来るのが、怖いのだ。
私は、明日という怪物が、いつか私を喰い尽くしてしまうのではないかと、そんな妄想にすら囚われている。
それでも、私は、生きている。
いや、正確には、生きてしまっている。