影に溶ける街
エリオットは気がつくと、見知らぬ街に立っていた。灰色の建物が並び、街全体を覆うように薄い霧が漂っている。どこからか鐘の音が響くが、誰の姿も見当たらない。
自分がどうしてここにいるのかも分からない。エリオットは混乱しながらも、仕方なく静かな街を彷徨った。しかし何日経っても、街の出口は見つからなかった。
それどころか、誰かに会うことすらなかった。建物の中には家具が揃っているが、住人の痕跡はない。街は不気味なほど静かで、誰かと話したいという思いが日に日に強くなっていく。
ある夜、エリオットは異変に気づいた。ランプの光に照らされた自分の影が、微妙に揺れている。風もないはずなのに、影が勝手に動いているのだ。
「……どうなってるんだ?」
不安を覚えながら影を見つめると、それはふと、エリオットに向かって動いた。そして、暗がりから低く甘い声が響いた。
「寂しいか?」
エリオットは驚いて椅子から転げ落ちた。影が喋っている。
「お前……誰だ……?」
「誰でもいいだろう?お前が一人で苦しんでいるのを見かねて、声をかけたんだ。」
その声は、どこか優しい響きを持っていた。エリオットは警戒しつつも、ふと胸の奥が温かくなるのを感じた。ずっと誰とも会話をしていなかったからだ。
それからというもの、影はエリオットに話しかけ続けた。どんな些細なことでも聞いてくれるし、気の利いた返事をしてくれる。
「今日はどうだった?」
「何もなかった。でも、お前と話すのは楽しい。」
影は笑ったような声を上げた。
「お前が孤独なのは分かってる。私がいるから安心しろ。」
最初は不安だったエリオットだが、次第に影との会話が日常になり、欠かせないものになっていった。寂しい夜も、恐ろしいほど静かな街も、影が一緒にいてくれることで耐えられる。エリオットは気づけば、影を「友」として受け入れていた。
しかし、影は次第にエリオットに奇妙なことを囁くようになった。
「お前はいずれこの街を出て行くつもりか?」
「いや、俺にはお前しかいない。この街を出る気なんてない。」
その言葉を聞くと、影は満足したように笑った。そして、こう続ける。
「じゃあ、もっと近くに来い。お前と一つになりたい。」
エリオットはその言葉に戸惑いを覚えながらも、孤独から逃れられるなら、と次第に影に寄り添っていく。影の中に手を伸ばし、触れる感覚すらも心地よく思えてきた。
影は深く甘い声で囁き続けた。
「もっと、もっとお前を感じたい……お前もそう思っているだろう?」
エリオットはすっかり影に依存していた。影がいなければ生きていけないと感じていた。
そしてある日、エリオットは完全に影に飲み込まれた。
最後に聞こえた影の声は、これまでと変わらない優しい調子だった。
「これでいいんだ。もうお前は孤独じゃない。ずっと一緒だ。」
その後、街の石畳には一つの濃い影だけが残されていた。