第一章 第五話「結界の先で出会うものたち」
今年の秋は秋刀魚を食べ損ないました…
結界を抜けた俺たちを待っていたのは、これまでとはまったく違う風景だった。先ほどまでの荒野とは打って変わって、目の前に広がるのは無数の歪んだ建築物群だった。塔のように見えるものもあれば、空中に浮かぶ円環や、透明な壁に囲まれた小部屋のようなものまである。どれも理屈では説明のつかない形状をしている。
「ここが“フラグメント街”よ。この世界の中でも特に複雑なデータが集まる場所なの。」
エリスが周囲を見渡しながら説明する。その表情はいつものような余裕ではなく、どこか慎重さが滲んでいた。
「なんだよここは…。建物ってより、バグった3Dモデルみたいだぞ。」
俺が呆然と呟くと、エリスは小さく笑った。「そう見えるかもしれないけど、この街には大切な役割があるの。ここでは“欠片”が集まるの。」
「欠片?」
「うん。この世界を構成する重要なデータが集積する場所。それを形にしたのがこのフラグメント街なの。だけど…」
エリスが視線を鋭くする。
「ここは危険でもあるわ。ルールが曖昧な分、悪意を持つ存在も入り込みやすいの。」
その言葉に、俺の背筋が少し寒くなる。この世界では物理法則が曖昧だからこそ、何が起きてもおかしくないということだろう。慎重に歩を進めながら、俺は周囲を見渡した。遠くの建物群の影に、何かが動いている気配がある。
「エリス、誰かいるのか?」
俺が警戒しながら尋ねると、エリスは小さく頷いた。
「多分ね。でも、ここにいるのはみんな“欠片”を求めて集まる人たち。私たちが何かしない限り、そう簡単に襲ってくることはないわ。」
そう言われても、俺は気が抜けなかった。だが、先ほどエリスから受け取った“可能性の結晶”がポケットの中で温かさを保っている。それが、なぜか安心感を与えてくれる。
突然、近くの空間が揺らいだ。歪む空気の中から現れたのは、人間のような姿をした二人組だった。だが、よく見ると、彼らの体は半透明で、内部には複雑な幾何学模様が輝いている。
「これはまた珍しい来訪者だな。」
そのうちの一人が口を開いた。背の高いその男の顔には仮面のような模様が浮かび上がっている。もう一人は小柄な女性で、鋭い目つきが印象的だ。
「お前たちは誰だ?」
俺が警戒心を剥き出しにすると、背の高い男が肩をすくめた。「俺たちはただの“住人”さ。この街に住み着いているだけだ。」
「でも、その“ただの”住人がわざわざ近づいてくるなんて珍しいわね。」
エリスが一歩前に出て、冷静に相手を見据える。
「へえ、鋭いな。そこの坊や、ずいぶんと珍しい“結晶”を持っているじゃないか。それを少し見せてくれないか?」
背の高い男が俺を指差す。その目は、明らかに結晶に興味を持っているようだった。
「これは渡さない。お前たちが何者であろうと関係ない。」
俺が即答すると、男は肩を揺らして笑った。「まあまあ、そう噛みつくなよ。ただ興味があっただけさ。」
小柄な女性が一歩前に出て、じっと俺を見つめる。「ねえ、その結晶、本当に“使える”の?」
「え?」
唐突な問いに、俺は戸惑った。エリスがすぐに割って入る。
「もちろん、使えるわ。だけど、使うには“条件”があるの。」
「条件?」俺が尋ねると、エリスは頷く。
「そう。この結晶は、持ち主が本当に必要だと感じたときにだけ力を発揮するの。」
「ふうん。」
女性は少し不満げな表情を見せた。
「ま、いいわ。それじゃあ、あなたたちがここで何を探しているのか聞かせてくれる?」
俺たちは短く自分たちの目的を話した。異世界に来たばかりの俺が、ここで“何か”を探しているということ。男はそれを聞いて、意味ありげに笑った。
「そうか。だったら、この街で“欠片”を見つける必要があるな。」
「欠片を?」
男が指差す方向には、不規則な形をした塔が見える。
「あそこに行ってみろ。きっとお前たちが探しているものがある。」
俺とエリスは顔を見合わせた。危険かもしれないが、避けて通れる道ではなさそうだ。
「分かった。ありがとう、住人さんたち。」
そう答え、俺たちは塔に向かって歩き出した。
不気味な住人たちとのやりとりを終え、俺たちは指示された塔へ向かって歩き出した。足元の道は、まるで液体のように波打ち、形を変える。歩けば歩くほど、周囲の建物も歪み、どんどん奇妙な形状になっていく。
「エリス、本当にここで“欠片”とやらが見つかるのか?」
俺が疑問を口にすると、エリスは少し考え込んだ後に答えた。「可能性は高いわ。でも、この街では、ただ目的地に向かうだけではダメ。試されることが多いの。」
「試される…って具体的には?」
「それは、進んでみないと分からないわ。けど、この街のルールに従わないと進むことはできないのよ。」
その“ルール”という言葉が妙に引っかかる。この異世界で感じたことは何度もあるが、どうも俺には「世界が用意した仕掛け」に踊らされているような気がしてならない。だが、今は考えたところで答えが出るわけでもない。
やがて目の前に、高さ百メートルほどはありそうな歪な塔が現れた。その表面は鏡のように反射する素材で覆われており、近づくと自分の姿がいくつにも分裂して映り込む。
「うわ、気持ち悪いな…。」
「ここが目的地ね。でも、どうやって中に入るのかしら。」
エリスが塔をじっと見つめる。触れると危険なのか、それとも特定の方法でしか入れないのか、確証が持てない。俺たちが迷っていると、塔の表面に何かが浮かび上がってきた。まるで画面のノイズが形を成すように、文字のようなものが現れる。
《ここに入る資格がある者は、問答に答えよ》
「問答?」俺が呟くと、エリスが頷いた。
「フラグメント街にある施設では、こういう“問い”を通じて、入る者を選別することが多いわ。」
その瞬間、さらに詳細な文章が表示される。
《次の問いに答えよ:
すべての答えを知るために、何を手にするべきか?》
「なんだこれ…哲学的な質問か?」俺は頭をかきながら考えるが、ピンとくるものがない。何を手にするべきか、と言われても、この世界には手に入れたいものが多すぎる。
「落ち着いて、智也。この世界では、言葉や意識が鍵になるわ。あなたが感じたことを、そのまま言葉にしてみて。」
エリスの助言に従い、俺は目を閉じて考えた。すべての答えを知るために…?それは、知識、理解、あるいは…「信じる力」なのかもしれない。
目を開け、俺は塔に向かって言葉を放った。
「“可能性”だ。」
しばらくの沈黙の後、塔が微かに震え、入り口らしき扉が現れた。どうやら正解だったらしい。
「やるじゃない、智也。」
エリスが満足そうに微笑む。それを見て、俺は少し誇らしい気持ちになったが、次の瞬間、塔の内部から冷たい風が吹き抜け、背筋が凍りついた。
「入るのはいいけど…これ、何が待ってるんだ?」
「行ってみないと分からないわ。」
エリスはそう言うと、迷うことなく一歩を踏み出した。俺もその後を追う。
塔の中は、外から見た以上に異様な空間だった。壁や天井は不規則に歪み、床には無数の浮遊する光の球が漂っている。それぞれの球体には、何かしらのシンボルが描かれているが、その意味は分からない。
「エリス、これ、触っても大丈夫なのか?」
「うーん、やめておいたほうがいいわね。この街のルールに従っていない行動を取ると、罰を受ける可能性があるから。」
その言葉を聞いて、俺は慎重に足元だけを見ながら進むことにした。すると、突然、前方に巨大な光の柱が現れた。柱の中心には、人型をした何かが浮かんでいる。
「これが…“欠片”か?」
俺が呟くと、その人型がゆっくりと動き出し、こちらに視線を向けた。いや、“視線”と感じたのは俺の錯覚かもしれない。何せ、その顔には目も鼻も口もないのだから。
「訪問者よ、ここに来た目的を示せ。」
人型の声が頭の中に直接響く。問いの内容はシンプルだが、その声には妙な圧力がある。
「俺たちは、この街の“欠片”を手に入れるために来た。」
俺が答えると、人型は少しだけ首を傾けたように見えた。そして次の瞬間、強烈な光が周囲を包み込んだのだった。
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