第一章 第三十七話「異形の存在」
巨大な影はゆっくりと霧の中からその全貌を現した。鋭い牙と、複数の赤い瞳がぎらりと光る。金属的な外殻を持ちながらも、獣のような動きでこちらを狙っている。
「……あれ、さっきの選択で失敗したってことか?」
俺は剣を握り直し、エリスと背中合わせになった。彼女も魔力を手に宿しながら小声で答える。
「失敗したって決めつけるのは早い。こういうの、単に試練の一部かもしれないでしょ。」
彼女の言葉に内心頷きながらも、俺は視線を敵から外さなかった。この空間での戦いは単純な腕力やスキルだけでは通じないことが多い。それを嫌というほど味わってきた。
異形の存在は、こちらを見据えると低い唸り声をあげる。体長は少なくとも俺たちの三倍以上。その動きは鈍重かと思いきや、次の瞬間には一直線に突進してきた。
「くっ……速い!」
俺たちは咄嗟に左右に飛び散り、間一髪で突進を避ける。敵の巨体が地面を抉るように走り抜け、衝撃で立ち込めた埃が視界を遮った。
「こういうときって、どうするんだっけ!?」
エリスの叫び声が聞こえる。だが俺も答えを持っていなかった。ただ本能的に、今の突進をまともに受ければひとたまりもないことだけは分かる。
「まず冷静になれ!こいつの動きを見極めるんだ!」
俺は周囲の霧と影の動きをじっくり観察する。異形の体は重そうだが、その突進は異常なほどの速度だ。それに……何かがおかしい。
「エリス!やつの足元を見てみろ!」
エリスもようやく気づいたのか、魔力を練って敵の足元に一筋の光を放つ。照らされた瞬間、異形の足跡が奇妙に薄れていくのが分かった。
「これ、まさか……実体が完全じゃない?」
彼女の声に、俺もまた確信を持った。この異形、まるで幻影と実体が混ざり合った存在のようだ。
「つまり、物理攻撃だけじゃ倒せないってことか。」
「魔法だけでもダメかもよ。こういうタイプの敵、どっちか片方だけだと無効化してくる可能性が高い。」
彼女の指摘に苦笑しながら、俺は剣に力を込める。こういう時こそ、俺たちの連携が試される。
「分かった。俺が囮になる。エリス、お前は魔法で後ろから援護してくれ。」
「了解。でも、無茶はしないでよね!」
エリスの声を背中に受けながら、俺は敵の正面に立つ。異形は再び唸り声を上げ、俺を標的と定めたようだ。
次の瞬間、再び突進が始まる。俺は剣を構え、ギリギリまで引きつけてから横へ飛びのく。同時に、エリスの魔力が光弾となって敵の背後を打ち据えた。
だが――
「効いてない……!」
魔力が直撃したにも関わらず、敵の動きに変化は見られない。かすかに体表が揺らいだだけだ。
「やっぱり片方じゃダメってことか……!」
俺は剣を振りかざし、次の突進を迎え撃つ覚悟を決めた。しかし、そのときふと気づいた。敵の動きが、さっきとは微妙に違っている。
「エリス、もう一回撃て!でも、今度は俺の剣とタイミングを合わせろ!」
彼女は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに頷いた。そして俺たちは、呼吸を合わせるように動き始めた。
異形が三度目の突進を仕掛けてきた瞬間、俺たちは同時に動いた。俺の剣が敵の正面に放たれると同時に、エリスの魔力が剣の周囲を包み込む。剣先が霧を裂き、光が敵の体に直撃する。
その瞬間、異形の体が激しく揺らぎ、赤い瞳が光を失った。そして、崩れるように霧の中へと消えていく。
「やった……のか?」
俺は肩で息をしながら、エリスの方を振り返る。彼女も膝をついて息を整えていた。
「分かんない……けど、今の手応えは本物だった気がする。」
異形の気配が完全に消えたことを確認し、俺たちはようやく安堵の息をついた。だが、この空間が完全に安全になったわけではない。
「行こう、エリス。この先に何が待っているか分からないけど、もう後戻りはできない。」
彼女が微笑みながら立ち上がり、俺の隣に並ぶ。そして、俺たちは再び扉へと向かった。
扉の向こうに広がっていたのは、まるで別世界のような光景だった。先ほどまでの薄暗い霧の空間とは一転、天井は高く、壁一面には無数の文様が刻まれている。神秘的な光がゆらめき、空気そのものが緊張感を帯びていた。
「ここ……なんだか、今までの場所と違う気がする。」
エリスが周囲を見回しながら呟く。俺も同じ印象を受けていた。この空間には異質な力が満ちている。それは敵意というより、試されているような感覚だった。
「油断するな。たぶん、ここが本番だ。」
俺の言葉に、エリスは小さく頷いた。
中央に進むと、石造りの台座があり、その上に一本の杖が置かれていた。黒と金で装飾されたそれは、明らかにただの道具ではない。
「これが……次の試練の鍵か?」
慎重に杖に近づき、触れようとしたその瞬間、台座の周囲に輝く魔法陣が現れた。同時に、空間全体が震えるような音を発する。
「罠か!?それとも何かが始まるのか!」
エリスが身構え、俺も剣を握り直す。だが敵が出てくる様子はなく、代わりに目の前の魔法陣が次々と光を放ち、宙に浮かび上がった。それらが合わさると、やがて一つの立体的な形状――何かの文字列のようなものを形成する。
「……暗号か?」
俺は剣を下ろし、目の前に浮かぶそれを観察した。意味のある文字列のようだが、全体が複雑な幾何学模様で覆われていて、直接読むことはできない。
「これ、ただの文章じゃないね。仕掛けがある……たぶん。」
エリスが杖を軽く掲げ、魔力をその文字列に注ぎ込む。しかし、何も変化は起こらなかった。
「やっぱり力技じゃダメか。……ってことは、これは謎解きか?」
「謎解き、ね。確かに、この空間の雰囲気からしてあり得る。」
俺たちは文字列の意味を読み解こうと試みた。だが、それは単純なパズルではなかった。視点を変え、見る角度を変えても模様が混ざり合い、正解には辿り着けない。
「ちょっと待って。これ、単純な暗号解読だけじゃなくて……この空間全体が鍵になってるんじゃない?」
エリスの言葉にハッとして周囲を見回す。壁に刻まれた文様、台座の形状、そして足元にある床の模様。それらが目の前の文字列と不思議な一致を見せていることに気づいた。
「確かに……これ、全部繋がってる。」
俺たちは手分けしてそれぞれの文様を観察し始めた。壁に描かれた模様には、どこか物語性を感じさせるシーンが刻まれている。台座には、幾何学的なパターンが描かれていて、よく見ると光を放っている部分がある。
「この光、順番に繋げれば……!」
俺がひらめいた瞬間、エリスも同時に気づいたらしく、互いに顔を見合わせる。
「たぶん、これだ!」
俺たちは光の順番に合わせて杖を回転させた。杖の先端が魔法陣と共鳴するように輝き始め、ついに目の前の文字列が解読される。
「――正しき者よ、次の扉を開け。」
その声と共に、目の前の壁が静かに崩れ、新たな道が現れた。
「これで次に進める……ってことか。」
エリスは肩で息をしながらも、達成感に満ちた笑顔を浮かべている。
だが、俺の胸には一抹の不安が残っていた。この空間の試練が、ただの謎解きで終わるとは思えない。奥にはもっと厳しい――そして恐ろしい何かが待っている気がしてならなかった。
「行こう、エリス。時間をかけすぎると、罠が再起動するかもしれない。」
彼女も同意し、俺たちは新たな道へと足を踏み入れた。暗闇の中、かすかな光が遠くに見え、それが次の試練の場所であることを直感的に悟った。
ここから先は、さらに厳しい戦いと謎が待ち受けているに違いない。
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