第一章 第三十五話「木の紋様」
洞窟を抜けた先に待っていたのは、一面に霧が立ち込めた森だった。湿った空気が肌にまとわりつき、薄暗い光が木々の間から差し込む。俺たちは互いに言葉を交わすことなく、足元を注意深く見つめながら歩を進めた。
霧は異様なまでに濃く、十メートル先さえ見通せない。木々のざわめきや小動物の気配すらなく、息をするたびに胸が押しつぶされるような不快感を覚える。
「ここ、何かがおかしい。」
エリスが周囲を警戒するように目を細める。彼女の手にはすでに魔力の光が宿り、いつでも攻撃できるよう準備されている。その姿を見て、俺も剣の柄を握り直した。
「確かに。静かすぎる。まるで何かに見られているみたいだ……」
言い終わる前に、どこからか鈍い音が響いた。まるで重い何かが地面に倒れ込んだような音。その方向に目を凝らすが、霧が邪魔をして何も見えない。
「待て、動くな。」
俺はエリスを手で制し、音の発生源を探ろうとした。その瞬間、足元に異変を感じた。苔に覆われた地面が柔らかく沈み、何かがうごめく感触が伝わってくる。
「……下だ!」
叫ぶと同時に跳び退る。直後、地面から無数の黒い触手のようなものが飛び出し、俺たちがいた場所を埋め尽くした。それはまるで生き物のようにうねり、俺たちを捕えようと伸びてくる。
「何なの、これ!」
エリスが叫びながら魔力の刃を放つ。しかし、触手は攻撃を受けてもまるでダメージを受けた様子がない。それどころか、切られた部分が再生してさらに増殖していく。
「効かないのか……!」
俺は剣を振り下ろして触手を切り裂くが、同じように再生する光景に歯噛みする。このままでは埒が明かない。俺たちは霧と触手に追い詰められていく。
「待てよ……これは普通の敵じゃない。霧も触手も、この空間そのものが敵なんだ。」
俺は戦いの中で思考を巡らせる。目の前の触手に攻撃しても無意味なのは明らかだ。それが本体ではないなら、本体はどこにあるのか。
「エリス、この霧の中心を探すぞ! そこに本体がいるはずだ!」
「中心……分かった。でも、この霧じゃ方向が分からないわ。」
「任せろ。」
俺は懐から小型の魔石を取り出す。それは微かに輝き、空気中の魔力を感知することができる簡易的な道具だ。魔石を握りしめて集中すると、わずかだが特定の方向から強い魔力を感じ取ることができた。
「こっちだ。ついて来い!」
エリスと共に触手を避けながら森を駆け抜ける。霧はさらに濃くなり、足元の地面は不気味なほど柔らかくなっていく。触手の動きも激しくなり、俺たちの進路を阻むように絡みついてくる。
やがて森の奥にたどり着くと、そこには異様な光景が広がっていた。中心に鎮座しているのは巨大な木。その幹はねじれ、無数の目のような模様が浮かび上がっている。その根元から霧が発生し、触手のように地面を這っている。
「これが本体か……!」
俺は剣を握りしめながら木を睨む。エリスも隣で魔力を高め、戦闘態勢を取る。しかし、その時、木が低く唸るような音を発した。次の瞬間、霧が渦を巻き、俺たちを飲み込もうと襲いかかってきた。
「やばい、避けろ!」
俺たちは何とか霧の渦から逃れるが、その間にも木の根が地面を突き破り、俺たちに迫ってくる。
「どうすれば……この木を倒せばいいの?」
エリスが息を切らしながら尋ねる。俺は木を見つめ、考えを巡らせる。この木そのものを破壊するには、根本的な何かを見つけなければならない。しかし、手がかりはまだ見つかっていない。
「おそらく、霧を生み出している力の源があるはずだ。それを探すしかない!」
そう言う俺の視線は、木の幹の一部に奇妙な紋様を見つけていた。それが答えなのか、それともさらなる罠なのかは分からない。ただ、今は進むしか道はない。
木の幹に浮かぶ奇妙な紋様――それは異質でありながら、どこか見覚えがある形状だった。何かを思い出そうとするが、頭の中に霧がかかったようで、考えがまとまらない。それでも、今の状況ではこの紋様に賭けるしかない。
「エリス、あの紋様を狙うぞ。」
「え? 根元じゃなくて?」
「いや、あそこだ。どう見てもただの装飾じゃない。これまでの敵も、核心を隠そうとする動きがあったはずだろ?」
エリスは一瞬戸惑ったが、すぐに頷き、手に宿る魔力を高めた。
「分かった。なら私がまず注意を引く。紋様を狙えるタイミングを作るから、確実に仕留めて!」
「了解だ、頼んだ!」
エリスはすぐさま前に出て、霧の渦に向かって強烈な光の矢を放つ。目も眩むような閃光が霧を切り裂き、木の触手が激しくのたうつ。霧がわずかに薄くなり、木の根が動きを止めた一瞬――俺は全力で駆け出した。
紋様の前に立つと、その模様がわずかに光を帯びていることに気付いた。ただの絵ではない。魔法陣のような構造をしている。
「何だ、これは……」
紋様に触れると、頭の中に突然、断片的な映像が流れ込んでくる。過去なのか未来なのか、それともただの幻覚なのか判断はつかない。ただ、そこに映るのは無数の人々が苦しみ、倒れていく姿。そして木のような異形の存在がその中心で嘲笑うように佇んでいる。
「これが、この霧の正体……?」
理解する間もなく、背後から触手が襲いかかってきた。
「危ない!」
エリスの声と共に、触手が俺のすぐそばを掠める。その勢いで紋様から手を離してしまう。木の唸り声が再び響き渡り、霧が一層濃くなっていく。
「紋様に何かが隠されてるのは確かだ。でも、触っただけじゃ解けない!」
俺は距離を取ると、紋様を再び観察する。細かい線の配置、光の輝き方、すべてが意味を持っているように思えるが、その意味を解読する時間はなさそうだ。
「エリス、こいつを足止めしてくれ。その間に考える!」
「任せて! 早くしてよ!」
エリスは木の根や触手を次々と攻撃して注意を引き付ける。だが、それも長くは持たない。
俺は頭を振り、映像で見た断片を思い出す。それは、ある言葉と動きが繰り返されていたように感じた。
「動き……まさか、あの紋様はただ触れるだけじゃなく、ある動作をトリガーにする仕掛けか?」
紋様の中にある円と線の形状が頭に焼き付き、その模様を指でなぞるように動かしてみる。だが何も起こらない。
「違う……! 単純じゃない。触る順番か?」
焦りながらも冷静に観察を続ける。すると、紋様の端にわずかに光る点を見つけた。それは、順番を示すガイドのように見えた。
「これだ!」
点を基準に、指で紋様をなぞり始める。最初は慎重に、一つずつ順番を守るように。その瞬間、紋様全体が強烈に光り始めた。
「成功したか……!?」
木が激しく揺れ、霧が一瞬にして引いていく。その場に残されたのは、根元から崩れ落ちた巨大な木だけだった。
「やった……の?」
エリスが肩で息をしながら近寄ってくる。その目は警戒しつつも、どこか安堵の色を浮かべていた。
「ああ、多分な。でも……」
俺は木の残骸を見下ろし、複雑な感情を抱えた。これが敵の本体だったのか、それとも単なる仕掛けに過ぎないのか。映像に映った光景が何を意味していたのか、答えはまだ得られていない。
「これで終わりならいいけど、きっと違うよね。」
エリスの言葉に俺は頷く。確かに、これで全てが終わったとは思えない。むしろ、この異質な空間に潜む謎は、さらに深まったように感じられた。
「進むしかない。次が何であれ、逃げるわけにはいかないからな。」
そう呟きながら、俺たちは再び歩き出した。この先に待ち受けるものが何であれ、真実を求める旅はまだ終わらない。
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