第一章 第三十一話「空間」
柔らかな光に包まれた空間に足を踏み入れた俺たちの目の前には、これまでの陰鬱な景色とはまったく異なる光景が広がっていた。
一面に広がる鮮やかな草原。頭上には青空が広がり、雲一つない空が澄んでいる。風が優しく肌を撫で、花々がかすかに香る。だが、俺たちの胸中には安堵どころか、むしろ不安の影がちらついていた。
「智也、これ……本当に現実なの?」
エリスが不安そうに問いかける。彼女の目は草原の奥に広がる景色を警戒していた。
「ああ、何かがおかしい。この空間だけ妙に平和すぎる。警戒は怠るな。」
俺は慎重に周囲を見渡しながら答えた。これまでの試練が全て緊張感に満ちたものだっただけに、この静けさが逆に不気味に思える。
二人で歩き出すと、遠くに一軒の小さな家が見えてきた。古びた木造の家は、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている。だが、近づくにつれて異様さが際立ってきた。
「これ……住んでいる人がいるのかしら?」
エリスが扉の前で足を止める。その声には警戒と好奇心が入り混じっていた。
「確かめるしかない。だが慎重にな。」
俺が頷きながら扉に手を伸ばすと、その瞬間、不意に扉が自動で開いた。中からは暖かな光が溢れ、招き入れるように揺らめいている。
「これは……罠の臭いがするな。」
「でも、進むしかないわね。後戻りできる場所じゃないもの。」
エリスの言葉に同意し、俺たちは意を決して家の中へと足を踏み入れた。
内部は意外にも質素で、まるで誰かが暮らしているかのような生活感があった。テーブルには湯気の立つお茶が置かれており、壁には古びた絵画や棚に収められた本が並んでいる。
「誰かいますか?」
エリスが声を上げるが、返事はない。だが、その静けさが妙に心を落ち着かせた。
俺たちが部屋を探索していると、机の上に開かれた本に目が留まった。表紙には何の文字もなく、古びた革装でできている。
「これ、何かの手がかりかもしれない。」
俺が本を手に取ろうとした瞬間、家全体が微かに揺れた。そして、どこからともなく響く低い声が俺たちを包む。
「求める者よ、その覚悟を示せ。」
声は低く厳かで、まるでこの空間全体が語りかけているかのようだった。
「覚悟……示せって?」
エリスが戸惑いを見せる中、突然本の中からまばゆい光が溢れ出し、俺たちを包み込む。その光の中で俺たちは気を失った。
気がつくと、俺たちは再び見知らぬ場所に立っていた。そこは先ほどの草原とはまったく違う、霧に包まれた湿地帯だった。
「また別の試練か……」
俺は疲れた表情で周囲を見渡す。だが、次の瞬間、何かが水面を揺らす音が聞こえた。
「智也、気をつけて……何かがいる!」
エリスが叫ぶと同時に、霧の中から巨大な影が姿を現した。それは蛇のような体を持ちながらも、異様に鋭い牙と無数の目を持つ異形の生物だった。
「これが……守護者なのか?」
その問いに答えるかのように、生物が低く唸り声を上げ、鋭い牙をむき出しにして俺たちに襲いかかってきた。
俺たちは即座に散開し、エリスは魔力を込めた矢を放つ。しかし、矢は霧に紛れて敵に届く前に消えてしまった。
「くそっ、霧が邪魔で狙えない!」
エリスが苛立ちながら叫ぶ。俺も剣を握りしめながら、敵の動きを目で追うが、霧に阻まれて姿を捉えることができない。
「これじゃあ、闇雲に攻撃しても無駄だ……何か方法があるはずだ!」
俺は必死に周囲を観察しながら、過去の試練の中で得た知識を総動員して突破口を探した。
そしてふと気づいた。この霧がただの霧ではないことに。敵が動くたびに霧が微妙に流れる方向を変えている――まるで生物が空気を操っているかのように。
「エリス!霧の動きを見ろ!奴のいる方向を示してる!」
俺の叫びにエリスが反応し、集中して霧の動きを見始める。
「わかった!智也、左よ!」
彼女の指示を受けて俺は全力で剣を振るい、敵に向かって突進する。霧の中から鋭い爪が現れ、俺の攻撃を迎え撃つが、その瞬間、エリスが狙いを定めて矢を放った。
矢は見事に敵の一つの目を貫き、その影が苦痛の叫びを上げる。
「よし、効いてる!この調子だ!」
俺たちは連携を深めながら、次第に敵の動きを封じていく。
俺たちは目の前の異形の守護者に翻弄されながらも、徐々に戦いの糸口を掴みつつあった。だが、それは決して容易なことではなかった。
「エリス、右だ!避けろ!」
俺の叫びにエリスが飛び退く。直後、霧の中から飛び出してきた蛇の尾が彼女のいた場所を鋭く薙ぎ払った。
「反応が速すぎる……くそっ!」
俺は息を切らしながら剣を構える。この守護者の動きには、まるで俺たちの意図を読んでいるかのような異様な精度があった。
「智也、この霧のせいで魔法の威力が減衰してるわ。普通ならもっと効果があるはずなのに……」
エリスの苛立ちが声に滲む。彼女の矢や魔力の刃は確かに命中しているが、そのダメージは期待したほどの効果を発揮していない。
「この霧、単なる障害物じゃないな……奴自身の一部かもしれない。」
俺はそう結論づけ、次の一手を考える。だが、その間にも守護者は攻撃の手を緩めない。
「くそっ、どうする!?どこを狙えば倒せるんだ!」
焦りが募る中、ふと俺の目に霧の流れが映った。その動きには微妙な規則性があり、まるで何かに向かって集まっているように見える。
「エリス、霧の動きをよく見てくれ!奴の中心に何かあるはずだ!」
俺の言葉に彼女も霧を凝視する。
「……わかった、智也!あの影、少しだけ霧の流れが違う場所があるわ!」
エリスが指さした先には、霧の中心部にうっすらとした輝きが見えた。そこが奴の本体である可能性が高い。
「よし、一か八かだ!俺が奴の気を引くから、全力でそこを狙え!」
「……わかった。無茶はしないでよ。」
エリスの声には微かな不安が滲んでいる。それでも、俺たちは動かざるを得ない状況だった。
俺は剣を握りしめ、守護者に向かって全力で突進した。鋭い爪が俺の剣を弾き、尾が地面をえぐる。攻撃をかわしながら、俺はひたすら奴の注意を引き続けた。
「今だ、エリス!」
俺が叫ぶと同時に、彼女の放った矢が霧を切り裂き、光の中心に向かって飛んでいった。
だが、次の瞬間、予想外の事態が起こった。霧が急激に収束し、矢を弾き飛ばしたのだ。
「くそっ、ダメなのか!?」
俺は呆然とするが、エリスがすぐに叫んだ。
「違う、もう一度やって!あれ、完全に防ぎきれていないわ!」
俺たちは再び連携を取り、攻撃を繰り返した。エリスの矢が霧を少しずつ裂き、俺の剣が隙を突いて本体に近づく。
「ここだ……!」
渾身の力を込めて剣を振り下ろすと、守護者は苦痛の叫び声を上げ、その巨体が崩れ落ちた。
霧が消え、静寂が訪れる。俺たちは息を切らしながらも、互いに無事を確認し合った。
「終わったのか?」
「……まだわからないわ。でも、一応進めるようになったみたい。」
エリスが指差した先には、新たな道が現れていた。
だが、道を進む俺たちの心中には、達成感以上に不安が募っていた。この空間の仕組み、そして敵の意図。それらが何を意味するのか、まだ全貌が掴めないままだったからだ。
「智也、この空間……試練というよりも、何かを知ってもらうために作られている気がするわ。」
エリスの言葉に俺は頷く。
「そうだな。まるで何かを見せようとしているような……でも、まだそれが何なのかがわからない。」
俺たちは次の試練に備えながら、この異世界の真実を探り続けるしかなかった。
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