第23話 旅立ちの夜に
凄まじい破裂音は後から襲ってきた爆風によって吹き飛ばされ、静寂だけが残る。
閑静な星空の下、月明かりに照らされるのは瓦礫の山と、抉り上げられた庭の土。
かつて冒険者を夢に見た少年少女達の学び舎として名高かった「モリアーティ邸」の面影はどこにもなく、あるのは見るも無惨な瓦礫。
辛うじて面影が残っているとするならば、中央に聳え立っていた塔に取り付けられた、大きな時計だけだろうか。
そんな瓦礫の山の頂上に、爆散した教授の胴体が落ちていた。
「あ……あり得ぬ……こんな、こんなこと……」
実に運の良い男だ。爆散して獣の肉体を失い、胴体だけになっているのに。
教授はうめき声を挙げ、瓦礫の山を這って降っていく。
「認めぬ。我輩は認めぬぞ。まだチャンスが残っている筈……我が主はまだ近くに……」
ボソボソと呟きながら、教授はどこか別の場所を目指して這い回る。
しかし彼の前に立ち塞がったリタさんは、地面に剣を突き刺して叫んだ。
「観念なさい、モリアーティ教授! アンタの悪行もここまでよ!」
「退け……我輩の計画を、こんな所で終わらせるワケには行かぬのだ……」
言うと教授は弱々しく右手を挙げ、リタさんに向けて闇魔法を放とうとした。
右手に闇の魔力が集まり、闇よりも黒い物質が生まれる。
しかしそれは途中でパッ、と儚く崩れ、何も起こらずに終わった。
「教授、自分でももう魔力がないこと、分かっているでしょう?」
タオさんは言いながら、リタさんの横から顔を出す。
その表情はどこか悲しそうで、だがどこか穏やかそうにも見えた。
教授もタオさんの指摘に俯き、うつ伏せの状態で嗤った。
「裏切り者が……! 今まで我輩が育ててやった恩を、忘れたか!」
なんとも恩着せがましい常套句。だが実際、教授はタオさんの父親代わりであったことに変わりは無い。
タオさんもそれを自覚しているからだろう。一瞬、後ろめたい表情を浮かべ、口ごもった。
――だがすぐに顔を上げて、言った。
「さっきも言いましたけど、教授に育ててもらったこと、先生として色んなことを教えてくれたこと、とても感謝しています」
「タオちゃん……」
「でもボクは、尊敬していたあなただからこそ、全うに罪を償って欲しかった!」
目に涙を浮かべながら、タオさんは言葉を紡ぐ。
「ボクの故郷を滅ぼしたことも、純粋な生徒達を利用したことも、全部全部全うに償ってもらうために! そして償って、優しい教授として生まれ変わって欲しかったから!」
最後は大粒の涙を流し、言い切ったタオさんは涙を拭いながら教授の前に跪いた。
そしてそっと手を取りながら、優しい声色で言った。
「まだやり直せる。教授、罪を償いましょう」
俺はただ2人の様子を、眺めることしかできなかった。
というか、魔力を使いすぎて俺も瀕死の状態だったので、動くことすらままならない状態だった。
するとその時、教授は微かに笑って、タオの手を振り払った。
「罪を償う、だと? 笑わせるな」
教授は呟くように言うと両手で体を起き上がらせて、叫ぶように言った。
その表情は不気味な笑みを浮かべ、図らずも背筋がゾクッとした。
「我輩はもうじき死ぬ、貴様等がどんな制裁を加えようとも、地獄行きは確定しているだろう」
「な、何が言いたいの?」
リタさんは咄嗟に教授の首に剣を突きつけ、動きを制限する。
魔力が枯渇していて弱っているとはいえ、『罪過の仮面』とやらの能力を得たのだ。
何か怪しげな隠しダネを持っていても不思議じゃない。
だが教授は意外にも大人しく、ニヤリと不気味な笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。
「だがこれで終わりではない。我輩が死のうと、今宵の戦いで貴様等は“我々”に喧嘩を売ったことになる」
「喧嘩……?」
リタさんが問う。すると教授は遺言でも遺すかのように、顔を上げて言った。
「我ら『イレイザー』の計画は始まったばかり。その邪魔をした貴様等は、始末されるまで永遠に追われる身となるだろう……」
イレイザー? 訊いたこともない組織の名を口にして、教授は吐血した。
そろそろ教授も限界か。しかしこのまま死なせるワケにも行かなかった。
「なるほどなぁ。そのイレイザーって言うのが、教授のバックにいる組織か……」
千鳥足になりながらも立ち上がって、俺は教授のもとに歩み寄る。
そして教授の体にそっと両手をかざし、回復魔法を発動した。
「エリック、何してるのよ! コイツは――」
「分かってるさ。けれど教授には、まだ死なれちゃ困る」
ただのお節介焼きかもしれない。理解されないかもしれない。
自分の命を狙った、そしてタオさんの故郷を滅ぼした極悪人を、助けようと言うのだから。
だが極悪人だからと見殺しにするなんてことは、俺にはできなかった。
「ここで死なれたら、それこそタオさんの思いが無駄になっちまう」
「ボクの、思い?」
「罪を償う。ソイツは必ずしも、死んで償うことが全てじゃあないだろう?」
どうせ死んだ所で地獄行きは確定だろう。
地獄で、今まで犯してきた罪を清算することになる。
けれど、ここで彼が死ねば『イレイザー』に関することも、その後に起こる『イレイザー』関連の事件の謎も迷宮入りする可能性がある。
「後は警備隊の仕事だ。俺達にできることは、全部やり切ったさ」
2人に言い聞かせるように言って、俺は回復させた教授の両腕を後ろ手に回した。
そして近くに生えていた雑草の根を急成長させて、できるだけ堅牢な根の縄を作り、教授を拘束した。
すると丁度いいタイミングで、遠くから鐘の音が聞こえてきた。
「この音、やばいわエリック! 警備隊が来るわ!」
「この状況、最悪ボク達が屋敷を破壊したことにされちゃいますよ!」
タオさんの言う通り、教授の裏のカオを知る人間は限られている。
世間から見れば教授は皆が憧れる『冒険者の父』。一方どこの馬の骨とも知れない俺達は、モリアーティ邸を襲撃したならず者。
状況が状況なだけに、俺達が犯人にされかねない。
「確かにヤバいね。それじゃあ2人とも、逃げるか!」
俺は顔を上げて元気よく叫ぶと、教授を拘束した縄がほどけないのを確認して、そのまま逃げ出した。
「あっ! ちょっと待ちなさいよエリック!」
「リタさん、早く行きましょ!」
後からリタさんとタオさんもついてくる。
そうして俺達はモリアーティ邸を後にし、夜の闇へと姿を消した。
やがて街へ戻り、完全に俺達の知らぬ所になった頃、国の警備隊達が現着した。
後に知ることとなるが、今回のモリアーティ邸襲撃事件によって、教授の様々な悪行が世間に露呈することとなった。
それは俺達がこの目で目撃し、モリアーティ教授の口から語られたものが殆どだった。
しかし不思議なことに、教授の遺体が発見されることはなかった。
そう。俺達はまだ知らなかった。
――教授の語る『イレイザー』という組織が、彼を凌ぐ恐ろしい組織であることを。
***
エリック達が逃げてから数刻が経過してすぐのことだった。
「おのれエリック・サーガイン……! 貴様だけは、貴様だけは必ずこの手で……!」
エリックによって拘束された教授は恨み節を垂れながら、残存していた魔力を駆使して縄を解こうと奮闘していた。
しかし一連の激闘で疲弊した上に、老体である教授は身動き一つ取れず、魔法も不発に終わるばかりだった。
それでも必死に足掻く姿は、かつて『冒険者の父』と呼ばれていた面影もなく、まるで芋虫のように滑稽なものに見えた。
『おやおやモリアーティ教授。派手にやられたみたいですねぇ』
その時、一迅の風と共に若い男の声が聞こえてきた。
教授が振り返ると、そこには黒いローブを纏った怪しい青年が立っていた。
胸の位置には、怪しげな紋章が刺繍されており、それに気付いた教授は声を張り上げた。
「おお、良いところに来た! 頼む、この縄を解いてくれ!」
しかしローブの男は教授を助けるどころか、拘束された様子を見て愉しそうに笑っていた。
『何を勘違いしているんですか、教授?』
「おい、早くしろ! でないと警備隊に捕縛される……!」
『その心配は要りませんよ。アナタが捕縛されることはない、しかし解放されることもない』
男はそう言うと、教授の頭にそっと右手をかざした。
次の瞬間、男の右手に巨大な口が現われ、トゲのような歯をむき出しにした。
『ワタシはアナタを始末しに来たのですよ。跡形もなく、アナタの骨すら残さずに』
「な、何だって⁉」
『どなたか知りませんが、アナタは敗北した。とどのつまり、お相手は我々の存在に気付いてしまった。この落とし前は高くつく』
男は教授を追い詰めるように言いながら、ゆっくりと右手を近付ける。
その度に右手に現われた化け物の口は大きく開き、ダラダラとヨダレを垂らす。
「や、やめろ! やめてくれ!」
『それに今の状態じゃあ、死ぬのも時間の問題だ。なれば今ここで始末しようと同じでしょう?』
「頼む! 我輩を解放してくれ! 我輩のような実力者を失うのは、イレイザーにとっても大きな損失になるはずだ!」
教授は必死になって叫ぶ。年甲斐もなく涙を流し、何度も命乞いをする。
だがローブの男に、彼の言葉は届かなかった。
『アナタのような実力者なんて、腐るほどいる。そもそもの最初から、アナタは我が組織にとって“生贄”のようなものだったんだよ』
「や、やめろォォォォォォォォ――――――」
教授は叫んだ。
しかし彼の叫び声を遮って、男は右手を教授の頭に密着させた。
次の瞬間、教授の頭はゆっくりと男の右手の中に消えていった。
バキッ、ゴキュ、ゴリッ。生々しく、痛々しい音を奏でながら、教授の体は右手の中に消えていく。
すり潰し、骨を砕き、圧縮して。教授の体は男の右手に取り込まれていく。
やがて胴体も全て取り込まれて、教授の肉体は完全に取り込まれてしまった。
『さて、エリック・サーガイン、だっけ。面倒だけど、我々のことを知ったからには始末するしかない、か』
再び静寂に包まれた屋敷跡の前で、男は呟く。
そして夜空を見守る月を見上げて、鼻歌を歌いながら彼もまた、夜の闇に消えていった。
次回、最終回ッ!
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