第22話 野望の果て
やっとの思いで教授を追い詰め、遂に厄介だった四枚の羽を斬り落とすことに成功した。
これで俺達の土俵――地上戦へ持っていくことができるようになった。
『おのれ小癪なァ! このゴミ虫共がァァァァァ! 屠る、屠り去るッ! 確実に、一匹残らず屠ってくれるわァァァァァ!』
激昂した教授は獣の胴体を大きく動かし、前脚の爪を展開した。
その鋭さは極限まで研ぎ澄まされた剣のよう。闇魔法を纏ったそれは月明かりに反射して黒い光沢を放ち、根元からはドクドクと真っ赤な血が溢れ出している。
恐らく生え際の肉すら断ち切ってしまうほどの切れ味なのだろう。
「相手も本気のようですね……でも、この程度では怯んだりしませんよッ!」
「そうよ! 羽をもぎ取った今、勝機は確かに私達の方にあるッ!」
「ここまでボロボロになりながら立ち向かって、見るも無惨な怪我だなぁ」
俺達がやったことだが、タオさんの反撃に加えてリタさんによる羽切断。
これほどに“回復”しがいのある傷は初めてだ。強敵を目の前にして、心の奥底からゾワゾワとした感情が湧き上がってくる。
これが武者震いか。恐らくラトヌスの奴らも、強敵を前にした時にこんな気持ちを味わっていたに違いない。
「リタさん、タオさん! 前戦は2人に任せた! 俺はオッサンが可哀想だから、少し回復してやるよ」
「――成程。それなら言われなくても、私が直々に相手してやるわよ!」
「合点承知です! エリックさん、ぶちかましてやってください!」
そう言葉を交すと、俺達は二手に分かれて行動を開始した。
俺は一旦前戦から退き、ひたすらに逃げる。そして、あえてリタさんとタオさんに教授を押し付ける。
一方リタさんとタオさんは俺と逆方向に走り、教授に真っ向から立ち向かう。
『逃げたか雑魚め! だが良い、貴様等ウジ虫二匹ッ! この傲慢なる剣爪で斬り殺してくれるッ!』
「できるものならやってみろ! デカいだけのクソジジイ!」
「そんな即興で生み出した武器ごときにやられるほど、一番弟子は甘くないですよ!」
2人は教授を煽り、攻撃させようと誘う。
案の定教授は怒りに任せて前脚を振り上げ、2人目掛けて爪を振り下ろす。
しかし2人は左右に避け、タオさんは闇魔法で反撃を与える。
「《ギガ・ドゥンケル》!」
『効かぬ効かぬッ! その程度の豆粒、痛くも痒くもないわッ!』
教授は叫びながら、続けて横に前脚を凪ぐ。
タオさんは間一髪で飛び上がって回避したが、しかし狙いを失った前脚は空を斬り、そのまま瓦礫の山へと飛んで行く。
瞬間、斬り裂かれた瓦礫は野菜を切るかのように、スパッと小気味良い音を立てて分断された。
そして教授は闇魔法で斬り裂いた瓦礫を動かし、リタさん達に目掛けて投げつけた。
地上戦に持ち込んだとはいえ、獣と人間の身体は健在。そう上手く弱体化はしてくれない。
俺はその様子を眺めながら、何とか教授の死角に潜り込んで行く。
一見すれば教授からそそくさと逃げ出した弱者に見えるだろう。
と言うか、若い2人に較べて俺は剣術もダメだし、回復魔法以外に魔法の才能がまるでない。実際の所本当に『弱者』だ。
だが慌てる必要などない。団体戦に於いて、意外にも輝くのは『弱者の一手』なのだ。
「どうか耐え抜いてくれ、2人とも」
そうしている間に、リタさんは投げつけられた瓦礫を剣で弾きながら、教授の攻撃を避け続けていた。
「くっ! なかなかしぶといわね……」
現状教授の本体は獣の前脚で守護されている。
本体を叩くにしても、真っ正面からとなれば必然的に前脚の爪攻撃を攻略する以外に道はない。
そして怒りで目の前が見えない教授は今、リタさんとタオさんの相手に集中するので手一杯。
「まだまだこんなものじゃないですよ! 《ギガドゥンケル・レイン》ッ!」
タオさんは叫び、迫り来る前脚目掛けて闇の槍を連発する。
続けてリタさんも氷を纏わせた剣で前脚の攻撃を防ぐ。
『まだ抵抗するか! エリックが逃げた今、貴様等など簡単に細切れにできるわッ!』
まずい、押され始めてきた。
だが慌てるなエリック、2人を信じるんだ。
そしてあと少し、もう少し時間が稼げれば、目的地に辿り着く。
俺は教授の背後から回り込んで、獣の尻に向かって突っ走る。
叫びたいのを必死に我慢して突っ走り、右腕に回復魔法をかける。
やがて過剰に回復した右腕は急激に肥大化し、巨人のような腕に成長した。
「喰らえッ! 《ギガドゥンケル・ノヴァ》ッ!」
そしてタオさんが闇の爆発魔法を発動したのと同時に、肥大化した右腕で地面を殴った。
凄まじい衝撃と音が夜空にこだまして、俺は右腕をバネに飛び上がった。
『無駄な足掻きを――』
「っと。そいつはどうかな、オッサン」
教授の背中に着地した俺は、ニヤリと笑みを浮かべながら言ってやった。
案の定教授の背中は2人の技でズタボロになり、そこかしこに深い傷が付いていた。
「痛々しい背中だなぁ。長年回復術師をやっているが、こんな満身創痍な背中は見たことがない」
『貴様、逃げた筈では――』
「なわけ。あんな未来ある若者2人を置いて、夢も希望も未来もないようなオッサンが逃げるかよ」
言うと俺は教授の背中に両手をかざし、魔力を解放した。
「可哀想だから治してやるよ、この傷」
見るも無惨な生々しい傷跡。羽の付け根に関しては、噴水のように血が溢れ出してやがる。
まあしかし――
「最も、俺もボロボロで手加減とかできねえから。回復のしすぎで爆散してもらうがな」
言うと俺は更に魔力を解放した。水をせき止めているダムを、一気に解放するように、俺の命を削る勢いで魔力を注ぎ込む。
すると一瞬、教授の傷が回復して逆に元気になってしまったが、すぐに異変は起きた。
『や、やめろッ! これ以上我輩を回復させるなァァァァァァァァァァァ!』
異変に気付いた教授は叫び、背中の俺を振り落とそうと暴れる。
だが、リタさんとタオさんがそれを許さない。
「今がチャンスだッ! 《テラドゥンケル・カッター》ッ!」
「喰らうが良いわ! 《フリズ・ストラッシュ》ッ!」
俺に標的を変えたが故に、前脚の防壁がなくなった。
そのチャンスを逃すまいと、2人も有り余る魔力を解放し、教授の本体へ渾身の一撃を放つ。
焦りに焦った教授はそれを防げず、そのまま2人の攻撃を喰らった。
『ぐ、グオォォォォォォォォォ!』
弱者の一手。強敵は自ずと自分にとって『脅威』になり得る相手に集中するものだ。
そして力を持たない弱者は、自ずとその『脅威』の枠から外れ、眼中から外れる。
だが眼中になくなったからこそ、できることがある。
強者が予想だにしない奇想天外な一手を打つことで、形成を逆転させるチャンスが生まれるのだ。
たとえそれが微力なものだったとしても、俺とリタさんとタオさん、3人の知恵が合わさった瞬間に大きな転機が訪れる。
「もっとだ! もっと回復させてやるよォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!」
俺は雄叫びを挙げ、自らの生命力を魔力に変換させながら、教授の回復を続けた。
やがて過剰に行き届いた生命力は教授の体内で飽和し、まず羽の付け根から異変が発生した。
『な、何だこれはァァァァァ! 我輩の羽が、肉の塊にィィィィィ!』
羽があった場所の傷は肉の塊になったグニグニと蠢き、無数の風船がギチギチに詰め込まれたように、膨らんで行く。
次に教授の前脚。剣の爪によって傷付けられた爪の間から肉の塊が現われ、爪を圧迫し始める。
やがて肉の塊だったそれらは限界まで膨らみ、やがて――
――バァンッ! バァンッ! 真っ赤な鮮血の花火を打ち上げて、次々と破裂した。
『ギヤァァァァァァァァァァァ! 傷口がァァァァァァ! グォァァァァァァァァァ!』
そしてラストスパートに突入だ。
「このまま爆発しやがれェェェェェェェェェ!」
俺は全ての魔力を注ぎ込む一心で両腕に力を込め、教授の回復と併行して両腕にも回復魔法をかけた。
すると俺の腕も、先程より弱々しいながらも風船のように大きくなっていった。
そして、肥大化した両腕を大きく振り上げて飛び上がると、
「なんとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
両腕を大きく振り上げて、握り込んだ両拳を思い切り教授の背中に叩き付けた。
すると次の瞬間、殴られた衝撃で教授の肉体は一瞬にしてひしゃげ、体内で飽和していた生命力が胴体と後ろ足の方へ急速に移動した。
その姿は真ん中を握り潰された犬のバルーンアートのように、異様な姿だった。
そして――
『お、の、れェェェェェェ! このウジ虫共めがァァァァァァァァァ!』
教授は痛々しい断末魔を挙げて――
爆散した。
「わっ!」
「きゃあっ!」
一瞬だった。
突然パッと教授の肉体が消えたかと思うと、真っ赤な閃光が走り、爆風が襲いかかってきた。
その後から「ドゴォォォォォォォンッ!」という凄まじい爆音が鳴り響き、地上に真っ赤な花が咲いた。
耳がキーンとする。しかし耳鳴りもすぐに解消され、やがて屋敷跡に静寂が走った。
かくして俺達は、教授を倒したのだった。




