第20話 タオの決断
魔力を吸い取られながらも、俺は必死にリタさんを回復し続けた。
魔力とは人間の生命力から生まれるものでもある。もし魔力がなくなれば、今度は生命力を代わりに消費してしまう。
とどのつまり、このままではリタさんが死ぬ。
それだけは絶対に嫌だ。
エゴと言われようと構わない。たとえ俺が死のうと、彼女だけは絶対に守る。そう決めたんだ。
けれど――
「ぐぅ……がはっ……!」
遂に俺の魔力が底を尽きたらしい。ここから先は、生命力を削る戦いだ。
その初期症状で、口から血が溢れ出す。この錆びた鉄みたいな味だけは、未だに慣れない。
「エリック……もう、やめて……このままじゃエリックが……」
「嫌だ! 俺が死んでも、リタさんだけは……ッ!」
吐血した俺を心配し、リタさんは必死に言う。
その苦しそうでも、優しい表情を向ける彼女の顔は、どこかジェリカにそっくりだった。
嫌だなあ。どうしていつも俺は、周りに助けられてばっかりなんだろう。
仲間を助けることだけが俺の生きがい、回復術師の存在意義なのに。どうしていつも――
「フフフ……無駄なことを。自分が助からないことくらい、分かるはずだろう?」
教授は不敵な笑みを浮かべながら、儀式を続ける。
やがて巨大な魔法陣の奥から、悪魔の角のようなものが見えてきた。
このままでは『罪過ノ仮面』とやらが復活してしまう。
手も足も出せないまま、俺達は教授を止めることもできずに死ぬ。
結局、最悪な運命に変わりはない。
折角ジョバンニ達に助けられたこの命、リタさんのために捨てることもできずに、無碍に散っていくんだ。
「ごめん……リタ……さん……」
俺は完全に諦めていた。ここから助かる方法などないのだと。
――その時だった。
「ねえ、教授」
側で俺達を見張っていたタオさんが、教授に声をかけた。
「どうしたタオ。我輩が今忙しいのが見えないのか?」
養子であり1番弟子であるタオにさえ、無関心な態度。教授は素っ気ない返事をする。
だがタオは気にせず、教授に訊いた。
「……もしかして、教授だったんですか?」
「何が言いたい? 要点は簡潔に纏めろと教えたはずだぞ?」
「ボクの故郷を襲ったのは――教授だったんですか?」
タオは不安げな表情を浮かべながらも、鋭い視線を教授に向けていた。
その時、俺は彼の言っていることをすぐに思い出した。
『ボクが幼い頃、ノワールの里は裏組織の人間達によって滅ぼされましたから』
故郷を滅ぼされ、そして独り生き残ったタオを見つけた教授が、養子に引き入れた。
とても出来過ぎた、とても都合のいいタオさんの過去。
その謎が今、やっと理解できた。
教授は振り返ると、まるでタオと俺が抱いていた疑問に答えるように、ため息交じりに言った。
「これだから、勘のいい小童は困る」
「じゃ、じゃあ……」
「そうさタオ。お前の故郷を襲わせたのは、この我輩だ」
何の悪びれる様子もなく、教授は答えた。
そして、言葉を紡ぐように教授は里を滅ぼした理由も語った。
「あの里の人間は代々、闇魔法の才覚に恵まれた者が生まれたそうだ。その中でもタオ、お前は幼い頃から闇魔法の才能を持っていた」
大臣選の演説でもするかのように、激しく抑揚を付けながら教授は語る。
そしてタオさんの方を振り返りながら、不気味な笑みを浮かべて叫んだ。
「それを知った我輩は考えたッ! その闇魔法の才能を磨き上げ我が物とすれば、いずれ我が優秀な右腕になるとッ! それはもう、欲しくて欲しくてたまらなかったッ!」
最早隠す気もない。教授は昂ぶる感情のままに叫びながら締めくくる。
「だから我が組織のエージェント達を向かわせ、貴様以外の住民を皆殺しにした。そして我輩が貴様を助けたと思わせ、今日まで育ててきたのだよ!」
人の心なんてない。これが、モリアーティ教授の本性だ。
それを知ったタオさんは両手を強く握りしめ、教授を睨んだ。
リタさんもまた、教授の本性にショックを受けた表情をしていた。が、すぐに怒りの感情が強くなり、血反吐と一緒に言葉を吐いた。
「バカみたい、こんなクソ野郎のことを推してたなんて」
全くその通りだ。
「たったそれだけのために、お前はタオさんから家族を、そして大切な故郷を奪ったのか……ッ!」
「酷い……教授、ボクは信じていたのに……」
失望、怒り、様々な負の感情が芽生えては消えていく。
それでも周りにいる生徒達は、教授の本性を前にしても微動だにしなかった。
頭の機械に洗脳されているからだろう。
とその時、タオさんの背後にも構成員が現われた。その手には、彼らと同じバイザーがあった。
「タオさん! 後ろッ!」
俺はすぐさま叫んだ。がしかし、遅かった。
タオさんは強制的にバイザーを取り付けられ、ピーッと嫌な音を響かせた。
「う、ううっ……!」
タオさんは膝を付き、必死にバイザーを取ろうともがく。
だがバイザーはタオさんの頭に張り付いているのか、どれだけ引っ張ろうとも取れなかった。
その間も洗脳は進み、タオさんの動きが段々と鈍くなっていく。
「あ……ああ……」
真相を教えても、洗脳して自我を消せばいい。そうすることで、タオという闇魔法最強の人形が手に入る。
きっとそれが、教授の考えなのだろう。だからあえて、ここで全てを打ち明けた。
「この……クソ野郎がァァァァァァァァァァァァァ!」
刹那、俺の中で何かが切れた。
叫ぶと同時に近くの構成員を殴り飛ばし、そのまま教授に殴りかかっていた。
イヲカル譲りの見様見真似の武術。だが、案の定それは教授の魔法の前では歯が立たなかった。
教授は右手を前に出し、空間を少しだけ押すように、俺を吹き飛ばした。
魔力が尽きた俺の肉体は限界を迎えており、背中から倒れたと同時に、口からまた大量の血が噴き出した。
そうして、タオさんの洗脳も完了し、彼は抵抗するのをやめていた。
「…………」
「フフ、フハハハハ! これで我輩の計画は完成したッ! 最高の傀儡、最高の手駒達、そして最強の魔力が我が物となったッ!」
全てが教授の思うままに進んでしまった。
誰も彼を止められない。
洗脳されたタオさんはゆっくりと教授のもとへ向かい、悪魔の顕現する様を横で見物する。
「さあタオよ、最後の仕上げだ。お前の闇魔法を、ここに放つのだ!」
「ダメ! タオちゃん、アンタはそれでいいの? 目を覚ましなさいよ!」
リタさんは声を枯らしながら、タオさんに向けて叫んだ。
だが、何も起こらない。何も、起こらなかった。
既に、タオさんの人格は消えている。俺達の知っている彼は最早、どこにもいなかった。
タオさんは教授に言われるがまま、右手を魔法陣へ向け、そこへ魔力を集中させる。
「……………………」
自我がないから、言葉を発することもない。
いくら声をかけようと、消えてしまった彼の人格を呼び戻すことは不可能だった。
タオさんの右手からは無数の黒いオーラが溢れ出し、やがてそれは収束し、手に収まる程度の黒い大陽のような姿となる。
「さあ! やれ、タオッ!」
興奮した様子で、教授は指示を出す。
――と、その時。
「教授、ごめんなさい」
タオさんは小さく呟くと、右手を教授の方に向け、闇魔法を解き放った。
魔法は教授の腹に当たると同時に炸裂し、衝撃波を放った。
意表を突かれた教授は木製の人形のように軽々と吹き飛ばされ、壁に衝突する。
それによって、俺達を蝕んでいた足下の魔法陣が消えた。
「タオ……さん……?」
「アンタ、もしかして……」
俺とリタさんは立ち上がり、タオさんに声をかける。
すると彼は静かに顔を上げて、頭のバイザーを鷲掴みにして投げ捨てた。
バイザーはガシャン! と重厚な音を立てて壊れ、周囲に破損した部品が飛び散った。
そうして地面に墜ちた教授を振り返った彼の目には、確かに涙が浮かんでいた。
「タオ貴様……なぜ、洗脳されていない……ッ!」
教授は苦しそうな声で訊き、タオさんを睨む。
腹には闇魔法によって風穴が開けられ、道を絶たれ、行き場を失った血がダラダラと溢れ出している。
しかしタオは真っ直ぐと、その行いが正しい選択であると確信した目で答えた。
「ボクは教授のことを尊敬していたし、本当の父親みたいに愛していました。だから、今までボクの意思で教授のために尽くしてきました。でも――」
タオさんはそこでふっと口を噤んだ。
暫しの葛藤があった。しかし次の瞬間、タオさんは強い意志を持って叫んだ。
「どんな理由があっても、何も知らない人を利用して、犠牲にするなんて間違ってる!」
「タオちゃん……」
タオさんは続けて、言葉を紡ぐ。
「それに、エリックさん達は、こんなボクなんかのためにここまで来てくれた。そんな優しい2人を見殺しにするなんて、ボクにはできません」
彼は決意に満ちた表情で、俺達の方を見て言った。
その目を見た俺は、彼に負けないくらいの強い意志を持って肯いた。
「それが貴様の答えか、タオ……ここまで育ててやった恩も忘れて……」
「ここまで育ててくれたことは、感謝しています。けれど、教授のために多くの人が犠牲になるのなら、ボクは今日この時をもってここを卒業します」
恩を仇で返す結果になろうと、タオさんの決意は変わらない。
教授はタオさんの言葉を咀嚼し、空洞になった腹に視線を落とすように俯いた。
「モリアーティ教授、これでもう分かったでしょう。アンタの野望は、ここで終わったんだ」
「さあ、観念してさっさと投降しなさい! このクソジジイ!」
リタさんは剣先を教授に向けて、自然に毒を吐きつけた。
――しかしその時、教授の口角が僅かに上がった。
「っ!」
刹那の悪寒。冷たい指で背筋をなぞられるような感覚が、俺を襲った。
「我輩の野望が終わっただと? 否、まだ終わっておらぬわッ!」
教授はおぼつかない足取りで立ち上がると、不気味な笑みを浮かべて両手を広げた。
するとその体はゆっくりと宙に舞い上がり、魔法陣のもとへと吸い寄せられていく。
「裏切り者のせいで不完全だが、『罪過ノ仮面』は確かに降臨なさった!」
「何だって!」
「タオ、そして哀れな男エリックよ! 貴様らが使えなくなろうと、この我輩自身が贄となれば良いだけのことッ! まだ我輩の野望は、終わっていないのだッ!」




