第15話 それでも私は教授を愛す
タオさんと出会うのは、これで3度目だろうか。
女の子は顔を見合わせる度に姿が変わる、とシリカは口癖のように言っていたけれど。
1度目は普通の服装で。2度目は怪盗団のラバースーツ姿で。
そして3度目は、髪型とネコ耳の有無も変わって、ドレス姿で。
「それでお兄さん、この後は暇ですかぁ?」
しかも彼女――彼は風俗嬢のように、俺にすり寄って来る。
短い期間とはいえ顔見知りだから、何だか複雑な気分になる。
と言うか、ネコ耳があるのも含めて心が締め付けられる……。
「ねえお兄さん、そのために私を助けたんでしょう?」
「そ、それは……いや、そんなつもりじゃなくって……」
元身内の暴走を止めただけ、なのだけれど……
顔が近い、それに可愛い!
丸みを帯びた輪郭、パッチリとしていて捨て猫のように俺を見上げる目……そしてこの積極的な感じ……ッ!
「はいはい、色仕掛けもそこまで! エリック、オッサンのくせに純粋なんだから!」
「リタさん、一言余計……」
言いながら、リタさんはタオさんのネコ耳を引っ張りながら、食堂の空いている椅子に座らせた。
「ちょ、ちょっとやめてください! 耳は、敏感だから……」
「何バカ言ってんの! アンタ獣人族じゃないでしょ! この耳だって、付け耳とかでしょどうせ!」
「だ、だからって耳引っ張らないでください~! 普通に痛いですからこれ!」
タオさんは頭を押さえながら、必死に抵抗をする。
と言うか、タオさんの耳って本物なのか?
「それよりも、アンタ」
と、騒がしいのも程々に、リタさんは続けた。
「始末しに来たって言うなら、やめておきなさい」
「えっ?」
タオさんが、始末しに来た……⁉
一瞬緊張が走る。がしかし、タオさんは目を丸くして驚き、慌てて弁解した。
「ちちち、違います違います! ボクはただ、偵察のためにその……あっ」
「本当にそうかしらねぇ? 怪盗団の一員をそう簡単に信じられないわ」
リタさんの言葉に、タオさんはしゅん、と項垂れる。
無理もない。彼は怪盗団――モリアーティ教授の部下。
しかもあの時、最悪教授に見つかってしまったかもしれない。
けれど、タオさんの言葉に嘘はない。その証拠に、彼の目は真っ直ぐと見据えている。
「リタさん、大丈夫だ。この子の言ってることは本当だ」
「けどそんな簡単には信じられないわよ! 教授だってきっと、私達のことを始末するつもりよ」
――信じていたのに。
最後にそう締めくくって、リタさんは拳を強く握り込んだ。
「リタさん……」
やっぱり、そう簡単に気持ちが変わることはないか。
いくらやけ食いをしようと、ストレスを発散して気持ちを落ち着かせようとしても、心に刻まれた傷が治ることなはい。
回復術で治すことも、自然治癒を待つこともできない。
心の傷は一生残り続ける。それを、長い時間を掛けて縫い合わせることで、初めて立ち直れる。
イヤ、立ち直った“フリ”ができる。
あとは気の持ち様、とはよく言ったものだけれど。そう簡単に脳天気なバカになれるのなら、この世にトラウマなんて言葉は生まれていない。
「あーもう、考えるだけでなんかイライラする! 店主さん、パフェちょうだい!」
「り、リタさん。追加で頼まれると流石に俺の財布が……」
「何言ってんのよ、食後のデザートで頼んだじゃない!」
あ、そういえば2話くらい前に頼んでいたっけか。しかも3個も。
「なんかリタさん、荒れてますね……」
明らかに不機嫌なリタさんを前に、タオさんはこっそりと俺に言った。
「まあ、しょうがないよ。俺もリタさんも、見ちまったからさ」
「やっぱり、お二人だったんですね」
知られていたか。
タオさんは静かに呟き、両手を膝の上に置いた。こうして見ると、本当にお淑やかな女の子にしか見えない。
けれど教授との会話を聞くに、彼は男だ。
「ま、あれだけ盛大に構成員送り込まれたら、気付かない方が無理よね」
「だね。タオさんに気付かれているのなら、隠す必要はないか」
そうして俺は、あの時モリアーティ邸で見た一部始終のこと。そして、その後構成員に襲われたことを全て打ち明けた。
「そう、だったんですね……。確かリタさん、教授の大ファンでしたね」
「だからこそ、かな。あんな裏の顔を見てしまったから」
その間、リタさんはずっと虚空を見つめては、「パフェまだかしら」と魂を取り戻したように呟いていた。
俺も、その気持ちは痛い程に理解出来る。
不幸自慢ではないが、俺も同じ経験を何度もしているから。だからこそ、心の傷がうずく。
「ってか、それよりも! アンタ、確かタオって言ったわよね?」
「は、はい。ボク、タオ・シルヴァディって言います」
「教授に助けて貰ったとか言ってたけど、アレ本当なの?」
魂を取り戻したリタさんは、突然思い出したかのようにテーブルから身を乗り出して訊く。
「本当です、あの日お二人に話したことは全部。神に誓って、本当です」
嘘は吐いていない。だからこそ、何かが引っかかる。
リタさんもその違和感に気付いているからこそ、質問したのだろう。
「だとしても、どうしてあんな暴力ジジイの言いなりになるのよ! 今までもそうやって教育とか言って、暴力振られてたんでしょ?」
タオさんは、その質問にゆっくりと首を縦に振った。
「けれどそれは、全部ボクが悪いから。エリックさん達に捕まったのも、ボクが油断したせいですから……」
そう続けて、タオさんは笑った。乾いた笑いだった。
「それでも、教授はボクの面倒を見てくれました。ボクにとっては、親の代わりみたいなものですから」
「親の代わりだからって殴っていい理由にはならないわよ!」
リタさんの言う通りだ。
いくら親だからと言って、子を殴っていい理由にはならない。
そりゃあ時と場合によれば、殴ってでも厳しく躾をする必要のある時だってある。
けれどタオさんの――彼の罪はどう考えても、殴るほどのものじゃあない。
「でもボクは、教授の期待に応えないといけないんです。それができない罰です」
「そんなことはない。タオさん、君は君だ」
そう気休めにしかならない言葉しか吐けない自分が、悔しくて仕方がない。
それにタオさんの元気が、目に見えてない。
光のない、虚ろな目をして下を向いている。さっきから、俺達と目を合わせているような感じもしない。
「タオさんは、本当に教授のために頑張りたいのかい?」
「はい……。ボクのことを拾ってくれたのも、ボクの魔法の才能を褒めてくれたのも、教授だけでしたから。だからボクは、教授のためにこの命を使うって決めたんです」
その言葉には、魂がこもっていた。
命を捨てる覚悟。誰かのために、命の恩人のために全てを尽くしたい。
彼の想いは最早、俺達の言葉の力だけでは引き離すことはできないのだろう。
けれど――
「悪いことは言わない。タオさん、もうあの人のことは忘れて、旅に出るんだ」
「は? え? ちょっとエリック、なんなの急に?」
リタさんは唐突な展開に目を丸くして驚いた。無理もない。
それにタオさんも、口をぽかんと開けて、やっと俺の目を見てくれた。
「今の君は、モリアーティ教授に依存しすぎているんだ。その証拠に、どれだけ酷い仕打ちをされても逃げようと考えていない」
DVと同じだ。酷い仕打ちをされて心身が弱っているのに、離れることができない。
今のタオさんが、まさにそれなのだ。
「でも、そんな簡単に言わないでくださいよ。離れるにも、ボクにはその環境もお金もないですし……」
「いいや、君ならもう冒険者としてやって行ける」
博物館で彼と対峙した時、俺の感性が間違っていなければ。
「君の闇魔法は強力だった。特に重力魔法は、熟練の魔法使いでさえ完全に操ることが難しいんだ」
「それじゃあエリック、この前のアレって普通ならどれくらい凄いことなの?」
「俺は回復以外からっきしだからアレだけど、あの時のレベルは上級魔法使いでも会得までに5年かかる」
あくまで魔法の参考書情報だから、諸説はあるけれど。
その点からしても、タオさんの持つ能力は非常に高い。
「言い出しっぺは俺だ、フォローもケアも全部俺がやる。だから――」
「いえ、いいです」
俺の言葉を遮って、タオさんは首を横に振った。
「エリックさんも、それにリタさんもボクのことを心配してくれているのは、感謝しています。さっきの言葉も、とても嬉しかったです」
「じゃあどうして――」
「無理なんですよ」
ドレスのスカートをぎゅっと握りしめ、彼は言葉を詰まらせながらも呟いた。
「教授に逆らった人間は――二度と外の光を拝めない」
「それは、どういう意味なんだ?」
「そのままの意味です。だから悪いことは言いません、二人とも今のうちに、この街から出て行ってください!」
タオさんは叫ぶように声を上げ、そのまま勢いよく立ち上がった。
あまりの迫力に圧倒されつつも、俺は静かに口を開く。
何故なら――彼の両目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていたから。
「教授は既に、二人があの場にいたことを知覚している。いつどこで、教授やボクの仲間が殺しに来るか分かりません」
「タオさん……」
「だからこそ、こんなに優しいお二人が殺される所は、見たくないんです」
タオさんはそのまま、涙を袖で拭いて、言葉を続けた。
「今から3日後には、この街はきっと地図から消えることになる。それまでには、出て行ってください」
最後にそう言い残して、タオさんは食堂を後にする。
3日後、そのあまりに近すぎる時間に、俺達は戸惑いを隠せなかった。
一体教授は何を考えているのか。それは一切分からないけれど、胸の中がゾワゾワとする。
あの日――モリアーティ教授と初めて握手を交した時に感じた、違和感のようなものが……。
「タオさん!」
「あっ、エリック!」
気が付いた頃には、既に俺の身体は動いていた。
考えるよりも行動してしまうこの癖もまた、俺の悪い癖なのだろう。
けれどどうしても知りたかった。そのためにも、タオさんをこのまま見失うワケにも行かなかった。
「きゃっ! なな、何ですか! もう話せることは何も――」
「いいや、頼むお願いだ! 教授は3日後に、何をするつもりなんだ!」
「やめてください、話しても、どうせ無駄です……!」
タオさんは叫びながら、必死に抵抗する。
それでも俺は彼の腕を離さなかった。
「教えてくれ、俺達にだけでも!」
「ああもう、しつこい……!」
言うとタオさんは一瞬大人しくなったかと思うと、大きく息を吸い込んだ。
そして、勢いよく叫んだ。
「イヤアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!! 痴漢よおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!!」
3日後に一体何が起こるのか、痴漢認定されたエリックはどうなるのかッ!
次回もお楽しみにッ!




