第14話 威を借る狸の恥さらし
もうコイツとは仲間でも何でもない。
ソイツはきっとイヲカルも同じだろう。
イヲカルの身長は200センチ以上ある。その上、全身筋肉の鎧で覆われている。
「じゃあ、俺から先に殴らせてもらうわァ!」
早速イヲカルは有無を言わさず腕を大きく引いて、飛びかかってきた。
刹那、丸太のように太い拳が地面に炸裂し、床が崩壊する。
「チッ、相変わらず逃げ足だけは速いなァ」
「お陰様で、俺も素早さだけならお前達とタメ張れるようにはなったよ」
これがイヲカルの最大にして最強の武器。
ミノタウロスのように図体のデカい敵は、基本的に動きが鈍い。それは人間も同じ。
しかしイヲカルは筋力・攻撃力だけでなく、素早さにも特化している。
見た目だけで“鈍そう”と判断した相手を、刹那の大拳で沈めるパワープレイ。
それがイヲカルのやり方だ。
もしこれが初見だったら、俺もコイツを侮って攻撃を食らっていただろう。
「畜生、コケにしやがってェ! ぶちのめしてやるァ!」
イヲカルは続けて、豪腕を振りかざす。
俺は風の流れを読んで攻撃を見切り、イヲカルの足下に視線を落とした。
よく見れば奴の足は、ガニ股のように開いている。
――まるでそこを通過してください、と言っているように。
「……変わらないな、その癖も」
「何だとォ!」
俺の言葉に怒りを覚えたイヲカルは、左拳を奥へ引いて勢いよく打ち込んだ。
その瞬間、俺はイヲカルに向かって突進し、拳とキスをするスレスレの所でスライディングをした。
「なっ、消えた……ッ!」
「お前は確かに、腕っ節だけは強い。けれど、それを突破された後の対策がない」
イヲカルの癖、それは戦闘時に少しガニ股になることだ。
今回の場合、イヲカルの相手は160センチ前後の男――俺。
背の低い相手に攻撃を当てる時、普段よりもより腰を落とす必要がある。
200センチ以上もあるが故に、腰を落とした時に股が開いてしまうのだ。
「後ろががら空きなんだよ、イヲカルッ!」
背後に回り込んだ俺は、すかさずテーブルだった木片を掴み、イヲカルの膝に思い切り振りかざした。
木片はバキッと音を立てて折れるが、イヲカルは衝撃で膝を曲げ、ガクンと態勢を崩した。
俺はすかさず両手を地面に付け、近くに転がっていた木片に回復魔法をかけた。
やがてそれは一瞬にして若い木となってイヲカルに巻き付いた。
「小賢しい真似をォ!」
だがイヲカルは筋肉を膨張させ、身体に巻き付いた木を吹き飛ばした。
そして振り返ると同時に、再び拳を放ってきた。
「くっ!」
これは避けきれないッ! 俺はすかさず両手を身体の前で交差して、拳を防ぐ。
瞬間、両腕に隕石が落ちてきたような衝撃が走る。
骨は一瞬にして粉々になり、腕どころか肋骨の感覚までなくなった。
「がはぁっ!」
殴り飛ばされた俺は、冒険者達の波の上を飛んで、やがてクエストボードの隣に背を打ち付けた。
「え、エリックさんッ!」
ドレスの少女が、思わず声を挙げた。けれどその声は、一瞬意識の闇に消え去りかける。
目の前が真っ暗になった。もしかして、死んだか……?
「……痛い……」
いや、まだ痛みはある。両腕と肋、背中が痛くて痛くてたまらない。
折れた骨が内臓に食い込んでいるみたいだ。
痛みは生きている証拠とよく言ったものだけれど、こんな痛みはご所望じゃあない。
いっそ負傷した部位全部斬り落としてしまった方が楽になるんじゃあないだろうか。
いや、それじゃあ戦えなくなっちまうじゃあないか。
それこそイヲカルに目を付けられた女の子は、守れない。
「何だ何だ、呆気ねえなァ? やっぱりお前を追放して正解だったみてェだなァ?」
本当に、その通りだ。俺は、弱い。
だからこそ俺は、肉の壁として陰から仲間をサポートしていた。
正直、俺は自分が死のうがどうなろうが知ったことではなかった。
けれど、そのせいで誰かを守れないなんて結末だけは、絶対に嫌だ。
「《テラ・ヒール》……」
今にも死にそうな身体に回復魔法をかけながら、俺はゆっくりと立ち上がった。
「あァん?」
「まだ終わっちゃないよ、イヲカル。この程度の傷なら、一瞬で癒やせるさ」
相変わらず、身体の中で骨が蠢く感覚は未だに慣れないでいる。
しかしまあ、これが治っているという証拠になるから別にいいけれど。
「ありがとなイヲカル、お陰で大体分かってきた」
そう言うと俺は、そっと完治した右腕に触れた。
次の瞬間、まるでこの瞬間を待っていましたと言わんばかりに、【ウィンドウ】が現われた。
『スキルの進化を確認。【筋力増強】を獲得しました』
最初はただデカい肉塊になるだけだった俺の腕。
しかし魔力を右腕に送り込む度に、その右腕は見る見るうちに筋肉質な豪腕へと育っていく。
水風船の中に水を注ぎ込んでいくように。七面鳥の腹に野菜を詰め込んでいくかのように。
「な、なんだアイツ? 腕が、だんだんと……」
「攻撃力を上げる魔法? でも、あんなことって」
あるわけがない。物理的に筋肉を急成長させるなんて芸当は、まずあり得ない。
――今、この時までは。
「て、テメェ! 何なんだその腕はァ!」
「分かんねえよなあ、イヲカル。俺も、正直分からない」
今さっき手に入れたばかりの能力だから。が、しかしだ。
コイツはデカくなっても俺の腕。動かし方くらいは他の誰よりも熟知している。
「ありがとなイヲカル、お前の技――使わせてもらうよ」
「ッ⁉」
瞬間、俺は地面を蹴り上げ、テーブルという浮島を次々と経由しながら、右腕を大きく振りかぶった。
「は、速ぇ……! あんな腕で……ッ!」
丸太のような腕に対して、俺の左半身はそのまま。端から見れば、俺は化け物だったかもしれない。
けれど、その不格好な感じがいい!
やがてイヲカルの目の前まで近付いた俺は、大きく振りかぶっていた拳を突き出した。
「食らえッ! 見様見真似・《流星拳》ッ!」
「しゃらくせェ! うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
イヲカルも負けじと、拳を放って来た。
俺と相手の拳が衝突し、激しい風が巻き起こる。
間からはバチバチと火花が飛び散り、圧力と摩擦熱によって、炎が噴き上がる。
まさに互角。たったの一瞬で、イヲカルの腕力に追い付いてしまった。
否、もっと行ける!
「魔力出力――最大ッ!」
丸太のようになった右腕に左手を当て、更に魔力を注ぎ込んだ。
すると腕は更に太くなり、より筋肉質になった。
いやむしろ、筋肉が腕の皮膚を突き破った。
「なっ、化け物か……⁉」
「なんとォォォォォォ――――――ッ!」
驚くのも無理はない。が、その一瞬の隙を見逃さず、俺は右拳に力を込めた。
結果――
「グハァァァァァァァ!」
イヲカルの巨体は無惨にも殴り飛ばされ、地面にその大きな背中を打ち付けた。
「う、嘘だ……このオレ様が、負けるなんて……ッ!」
大きな身体をガクガクと震わせながら、イヲカルは天井を仰ぐ。
俺の記憶上、イヲカルが人間との喧嘩や力比べに負けたことは一度もなかった。
イヲカル不敗伝説は、俺に敗北したことで幕を閉じた。そんな伝説あるか知らないけれど。
とにかく、俺は勝った。勝ってしまった。
「く、くそォ……エリックのくせに……!」
そう言いながらイヲカルは歯を食い縛る。相当俺に負けたことが悔しいのだろう。
俺だって、勢いで喧嘩を売ってしまったけれど。まさか勝てるなんて思わなかった。
本当に死にかけたし。
「イヲカル、これで少しは酔いが覚めたか?」
「…………」
「お前の悪い癖だ。酒はほどほどにって、シリカの奴からもキツく言われてたろ?」
「フン、テメェに関係あるか」
「とにかく今日はもう帰れ、これ以上騒ぎを起こしたら、ラトヌスの奴らまで出禁にされるぞ」
俺は最後にそう言って、イヲカルに手を差し伸べた。
未だにコイツらのことを許せないのは事実、というのは器が小さすぎるだろうか?
しかし、イヲカルは俺の手を払いのけて立ち上がった。
「フンッ。今回ばかりはテメェに勝ちを譲ってやるよ、エリック」
「そいつはどうも」
俺は言葉を返す。
イヲカルは大きな身体を引き摺りながら出入り口へと向かい、俺を振り返って言った。
「次会った時は、必ず殺してやる。覚えてろ」
血反吐と一緒に捨て台詞を吐き捨てて、イヲカルはギルド酒場を後にした。
これにて一件落着かしらん? とは言い難い現状に、改めて血の気が引いてくる。
床にはイヲカルの作った凹みが無数にでき、テーブルや椅子はバラバラに砕け散っている。
だと言うのに周りの飲兵衛共は――
「ヒューヒュー! やるなあ兄ちゃん!」
「ナイスファイト!」
「兄ちゃん、どこ所属なんだ?」
こちらはこちらでお祭り騒ぎ。レフェリーを気取った爺さんまでが乱入して、俺の右腕を持ち上げる。
「やめてください、俺はただ――」
あれ? 気が付くと俺の右腕は元の細い腕に戻っていた。
無理矢理過剰回復させた後遺症か、腕の感覚がぎこちないけれど。
皮膚から何まで、今まで通りの腕に戻っていた。
「あっ! それよりあの子は――!」
「あ、あのっ……」
すっかり忘れていた! と思いきや、床に倒れていたテーブルの陰から、少女はひょこっと顔を出した。
頭のネコ耳も相まって、本当に黒猫にしか見えない。
「さっきは助けてくれてありがとう、ございます」
「い、いやお礼はいいよ。アイツ、一応身内だったからつい……」
「とんでもないです! まさか、また助けてもらえるなんて思わなくて……ハッ」
「また……?」
彼女と会ったのは、今回が初めてだけれど。
少女はビクンと身体を跳ねさせて、両手で口を塞いでいる。
そういえば戦っていた時にも、ふと違和感を覚えた。
『――エリックさん!』
この子、どうして俺の名前を? イヲカルとの話から名前を知ったとしても、こんな咄嗟に出るものだろうか?
「ちょっとちょっと、どうしたのよエリック? 早くしないと料理冷めちゃうわよ?」
考え込んでいるとそこに、痺れを切らしたリタさんがやって来た。手には食べかけのチャーハンの皿を持っている。
「あれ、その子……うん?」
少女と目が合った瞬間、リタさんの目が鋭くなった。
そうして数秒間、無言の間が続く中でリタさんは少女の全身を観察する。
まるで透視能力で、患者の骨や内臓の病気を探知するかのように、慎重に。
「なるほど、変装をしてエリックのことを始末しに来たって所かしら?」
リタさんのチェックが終わると、彼女は唐突に言い出した。
「始末?」
「いくらネコ耳生やそうが髪型を変えようが、エリックならまだしも私の目は誤魔化せないわよ!」
一言余計だ!
……とツッコミたかったが、リタさんが指を突き付けたその瞬間、少女はドキリと身体を震わせた。
しかし言われてみれば確かに、髪型の差異やネコ耳の有無があるだけで、面影はある。
本当に、この数日よく出会う。奇妙な運命で繋がっているんじゃあないかと疑ってしまうほどに。
「やっぱり、本当の女性には敵わないですね。流石は、教授の大ファンです」
「じゃあまさか、アンタは――タオさん!」
少女――もとい少年・タオさんは少し含みを持った笑みを浮かべた。
「昨日ぶりですね、お二人とも」




