第12話 裏社会の大皇帝
楽しい時間が過ぎるのは早い。あれからリタさんとカフェで談笑をしていたら、既に空が暖かいオレンジ色に焼けていた。
これから夜になって、俺達は深淵を覗くことになる。
そして深淵もまた、こちらを覗いていることだろう。
「そろそろ薬ができた頃じゃない? 取りに行きましょ」
リタさんは手にしていたコーヒーカップをそっとソーサーに戻し、席を立った。
俺はそれを引き留めて、リタさんに質問をした。
「なあ、リタさん。本当にいいのか……?」
「何よ今更、不安なことでもあるの?」
「いや、不安とかじゃあない。リタさんの実力は確かに凄いし、信頼もしてる。けれど……」
チャンスは今しかない。きっとこれは、リタさんにとって大きなショックにもなりかねないから。
そして何より、リタさんを巻き込まないためにも。彼女の本心が知りたかった。
「もしかしたら、俺達が想像している以上にヤバいものが出てくるかもしれない。それでもリタさんは、俺と一緒に来てくれるのか……?」
「なんだ、そんなこと」
リタさんはため息を吐き、背中を向けたまま言った。
「まるで私に来るなって、そう言いたそうに聞こえるけど?」
ヤバい、バレた。けれどそれが本音だった。
リタさんには死んで欲しくないから。
それにできれば、杞憂であって欲しいけれど。教授の深淵を覗いて欲しくなかった。
しかしリタさんは責めるようなことはせず、俺を振り返って笑った。
「信頼してるなら、もっと頼りなさいよ。私だって、それくらいのリスクも覚悟の上よ」
彼女の目はとても澄んでいて、夕焼けを反射したその目には炎が宿っていた。
覚悟の炎。その言葉には、嘘も建前もない。
純粋な、彼女の心の底にある本音だった。
「そうだよね。それが聞けて良かったよ」
「全くの愚問だったわ」
俺を信じろとか、偉そうなことを言っていた筈なのに。
なんでもかんでも不安に捉える杞憂癖は、俺の悪い癖だ。
「さ、しんみりしたのはもういいでしょ。さっさと薬貰って、件の作戦とやらを始めるわよ」
「ありがとう、リタさん」
急がば回れ、善は急げ。誰が言ったか知らないが、俺はその言葉に肖って席を立った。
そしてお互いを信じるために、そっと握手を交した。
***
「遅かったじゃないかゼシカや。ほれ、薬はもうできておるぞ」
薬屋に入って早速、婆さんは緑色の液体が入った小瓶を出した。
「これが導きの薬?」
「ああ。これくらいあれば、大切なものはすぐにでも見つかるはずじゃろう」
儂の薬は絶対じゃ。自信満々な様子で、婆さんはそう続けた。
「ありがとう! だってエリックさん、早速使ってみましょ!」
「お、おう。それじゃあ婆さん、また来るよ」
リタさんが話を振った瞬間、婆さんの針みたいに鋭い視線が向いた気がしたが、まあ気のせいだろう。
また頭を殴られないうちに、俺達はすぐに薬屋から出た。
「ふう。しっかし結構取ってきた筈なのにこれだけしか作れないのか」
「ホント、薬って不思議よねぇ。でもこの匂い、ちょっと落ち着くかも」
言うとリタさんは小瓶のコルクを抜き、その匂いを嗅いだ。
確かに花特有の甘い香りがする。しかもハーブ系のように、鼻腔や喉がスースーとしてくる。
恐らく効果を高めるために、ミチビキ草のエキスを極限まで濃縮したのだろう。
効果は絶対、しかしこれ苦いんだろうなあ……。
「良薬口に苦しとも言うし、早速飲んでみま――」
「いいや待った。今回コイツは飲まない」
「ええ~? まさかエリックさん、薬とか苦手? 回復術師なのに?」
「回復術師は関係ない、苦いもんは苦いし、苦手なもんは苦手だ」
正直、苦い薬は大嫌いだ。できることなら飲みたくない。
それに本来の導きの薬の用途は飲み薬、リタさんの使い方が正しい。
「でもミチビキ草のエキスには、もう一つ使い道があるんだ」
「前にも言ってたけど、勿体ぶらずに早く言いなさいよ」
「ソイツは逆に、かけたものを持ち主のもとに返す効果もある」
そう告げて、俺は徐にあるアイテムを取り出した。
昨晩タオさんを解放したあの時、彼女から採取しておいたとびっきりのアイテムが。
「コイツに薬をかけて、タオさんの居場所を突き止めるんだ」
「それって、髪の毛?」
「ああ、昨日タオさんを解放するどさくさに紛れてな。頭皮を回復させながら髪を抜いた」
黒く艶のある、キューティクル抜群な髪の毛。
そこに札のようにした白い紙を取り付けた、追跡用のアイテムだ。
「持ち主のもとに返すとは言っても、全部が全部勝手に帰ってくれるワケじゃあない。ある程度軽くないと、意味が無い」
だから、この使い方をする人は非常に少ない。
いても行方不明者を探す時や、探偵が少し使う程度だ。
「なるほど、髪の毛の持ち主を探ることで、怪盗団の親玉を突き止めるってことね」
「そういうこと。それじゃあ早速薬をかけて」
「分かったわ」
リタさんは肯き、早速掌に載せていた髪の毛に薬を垂らした。
すると髪の毛はふわりと宙に浮かび、ゆっくりと空中を漂いはじめた。
「始まったか。リタさん、追うよ!」
「え、ええ!」
髪の毛はまるで水中を自由自在に泳ぎ回る魚のように漂い、主を目指して進んでいく。
そういえば、ある地域では海で育ってから生まれ故郷の川に帰る習性を持った魚がいると聞いたことがある。
けれどそれが何の魚だったかは覚えていない。
***
閑話休題。
空を泳ぐ髪の毛を追いかけること数十分、やがてそれはとある施設の中へと入っていった。
「こ、ここは……?」
黒鉄色の鉄柵によって隔絶された先、果たしてそこには大豪邸があった。
中央に大時計が仕込まれた塔が建ち、そこから両サイドに広がるように、赤煉瓦の壁が築かれている。
その豪邸の頭に載った屋根は黒く、全体的に見ても落ち着いた印象があった。
家主は相当な大金持ちなのだろうが、しかし嫌味な大富豪とは違って嫌な感情はない。
居心地がいい。初めて来た筈なのに、まるで実家に戻って来たような安心感がある。
言わずもがな、ここは俺の家ではない。そもそも両親はそこまで裕福ではなかった。
「ここ、モリアーティ教授の冒険者塾じゃない……!」
「何だって⁉ あのオッサン、自分の邸宅を塾にしてたのか⁉」
「まあ家が家だもの。けれどこの感じ……」
そこまで言って、リタさんはブルブルと体を震わせた。
夜なのもあって気温は低いが、それとは違う何かがある。
「リタさんも感じるか、この違和感……」
一見、普通の塾兼教授の邸宅。実家のような安心感のある、大人しい家。
しかしそんな安らぎ溢れる空間には似つかわしくない、恐怖が渦巻いている。
ここまで来て、体が詮索することを拒絶する。
「それでも、ここまで来たんだから!」
「……ああ、足踏みはナシだ。行こう、リタさん」
少なくとも、髪の毛はここに主がいることを示している。
ならば行くしかない! 俺は恐怖を踏み潰し、鉄柵の前に芽生えていたツルに触れた。
無限回復によって急成長したツルは鉄柵に絡みつき、やがて周りの壁や柵をも巻き込んで向こう側へと回り込んだ。
「これで行けるはずだ。くれぐれも、慎重にな」
「言われなくとも、大事な所でドジは踏まないわ」
言うようになったなぁ。そんなことを思いながら、ツルを登ってモリアーティ邸に侵入した。
そこからは時間との勝負だった。
二人で音を殺して邸宅の壁まで向かい、豪邸の外周を時計回りに巡りながら、タオさんを探した。
「……どう、いた?」
「ダメだ、ここにはいない」
しかし邸宅の広さを舐めてかかっていた。
大きな屋敷ということはつまり、たくさんの部屋が設置されているということだ。
その中からタオさんのいる部屋を探すとなれば、それは至難の業だった。
それでも諦めずに捜索を続け、そして見つけた。
「いた、モリアーティ教授も一緒だ」
場所は入り口扉の向こう側、塾長室だった。
一体何の話をしているのか、教授はアンティークの机の前で腕を組み、タオさんと密談を交していた。
しかも俺達の予想は不幸にも当たっていた。
タオさんは博物館で出会った時と同じような、ラバースーツに身を包んだ姿でそこに立っていた。
「本当だ、教授……」
「とりあえず身を隠すためだ。少しだけ、草を成長させる」
そっと足下に生えた草を成長させつつ、窓越しに聞こえてくる会話に耳を傾ける。
端から見れば、ストーカーだとか不審者のそれだった。
***
「タオ、どうして呼び出されたか分かるな?」
モリアーティ教授はアンティークな机の前で腕を組み、タオに訊いた。
塾長室ということもあってか、部屋には無数のトロフィーなどが飾られている。
右も左も、そこにあるのは黄金に輝いたトロフィー。とどのつまり、一等賞や金賞のものしか存在しない。
更に天井付近にはたくさんの書状が飾られ、シャンデリアの光に照らされたそれらは、部屋の中央に鎮座する男――モリアーティという男の素晴らしさを表現していた。
「だんまりか、この私を前にして」
「…………ごめん、なさい」
「謝罪はいい。自分の口で、言ってみろ」
椅子の背もたれから身を乗り出しつつ、教授はタオを詰める。
その様子はまるで、暴君に詰められる兵士のようで、とても心が苦しかった。
嫌でも自分の失態を受け入れなければいけない状況に、タオさんは過呼吸気味になっている。
「冒険者に捕まって、顔を見られました……ボクが、油断したせいで」
「話に聞いた通り、間違いはなさそうだな」
教授はため息交じりに言うと、ゆっくりと腰を上げ、タオに近付いた。
「でもこうして無事に、生きて――」
――パァンッ!
タオさんの言葉を遮って、教授は彼女の頬に平手打ちをかました。
タオさんはへたり込んだ状態で、何が起きたのか分からないといった様子で自分の頬に手を当てる。
その目は丸くなり、瞳孔はブルブルと恐怖に震えていた。
「言い訳など無用。諜報員ともあろう者が、顔を見られるなど言語道断だ」
へたり込むタオさんに追い打ちをかけるように、教授は続ける。
「運良く逃がして貰えたから何だ、そんな甘いことを考えているから失敗をするのではないのか?」
「う、うう……」
「良いかタオ、この世は結果が全て。良い結果を出せなかった者に価値などないのだ。たとえそれが、息子だろうと変わらない」
息子……? じゃあまさかタオさんは、男ってことなのか⁉
唐突な真実の発覚に叫びそうになったが、何とか堪えて話を聞く。
「しかし過ぎたことは仕方が無い。タオ、お前は当分表での情報収集に勤しめ。次の任務からは貴様を外す」
「……っ! 承知……しました」
「お前には闇魔法と、男ながらも女らしい美貌にしか価値がないのだ。それを使って、我輩の役に立て」
「……イエス、ボス」
以上で、タオさんとの密談は終了した。
やはり親玉はモリアーティ教授だった。一体何が目的なのかは分からないが、しかし今の会話が全ての答えだった。
リタさんもさぞショックだったろう。
冒険者の父として名高い表の顔と打って変わって、パワハラ気質な裏の表情。
人間誰しも表と裏があると言うが、ここまで表裏に大きな差があってしまえば、それを知った時のショックは大きいだろう。
「リタさん、大丈夫……?」
「え、ええ。けれど教授が本当はあんな人だったなんて……」
相当堪えている。リタさんは跪いた状態で、頭を抱えた。
今見たものが、そこに広がっていた真実が嘘であると信じたいのだろう。
だが現実というものは、実に非情なものだった。
無感情で、人の事情などには無関心。
そしてそれは時に、無慈悲に純粋な心をズタズタに引き裂くことだってある。
「リタさん、目的は果たせた。今日はもう、帰ろう。そして、また少し休もう」
俺にしてやれるのは、この程度だった。
いくら無限に回復ができるとはいえ、心の傷だけは絶対に癒やすことができない。
何もしてやれない、何もできない自分が腹立たしいが、しかし人にはできる限界がある。
「立てるかい?」
「は、はい……。ごめんなさい、ちょっと、ショックで……」
大丈夫、大丈夫だから。
心の中でそう呟きながら、俺はリタさんの手を取り、そっと彼女の肩を担いだ。
そうして一歩踏み出した刹那、やってしまった。
――パキッ。
「あっ!」
足下に落ちていた枝を踏んでしまったのだ。
そして音が鳴るのとほぼ同時に、屋内から教授の叫び声が聞こえてきた。
「誰だッ! 総員、侵入者だ! 排除しろッ!」
「きゃあッ!」
この一瞬でリタさんのトラウマになってしまったらしい、リタさんは声に驚いて腰を抜かしてしまった。
しかしそうしている間に、怪盗団――もとい教授の諜報員達が接近して来る。
「まずい、リタさん、俺の背中に乗って!」
危機的状況の中、俺は後ろを振り返り、侵入した時と同じ方法で鉄柵の下に生えた草を回復させ、ツルのはしごを精製した。
それを必死で登り切り、なんとか鉄柵の頂上まで登ったその時、
――パヒュンッ!
「キャッ!」
リタさんの頭に、何かが命中した。
「リタさん!」
振り返ると、彼女のこめかみからドクドクと血が溢れ出しているのが見えた。
奴らの――諜報員の銃が当たった。
どうしよう、どうしよう、どうすれば良いのか分からず、気が動転する。
――否、そうしている間に捕まったら終わりだ。考えるよりも、まずは逃げるのが先だ。
リタさんの治療はその後、すぐに行えばいい。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
なりふり構っていられなかった。
俺は覚悟を決めて鉄柵から大ジャンプをして、夜の街に広がる闇の中へと姿を消した。
―――――――
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「……逃がしたか。すばしっこいネズミだな」
エリック達が逃げ出して数分後、教授は2人がいた現場を前に呟いた。
「しかし不思議だ。鉄柵に、こんなツルなどあったか? 魔力の痕跡を感じる……」
文字通り草の根を分けてネズミを捜索する教授。すると教授の足に何か硬いものが当たった。
「む? これは……」
教授は胸ポケットのハンカチを取って、足下の硬いものを拾う。
その正体は、女物の髪飾りだった。更に足下には、銃撃によって焼け落ちた銀髪の毛が落ちていた。
「ふむ、成程な」
リタ大ピンチッ⁉ あと一歩のところで……ッ!
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