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魔法使いと呪われた王女様

作者: 平瀬ほづみ

 昔々あるところに、とても大きくて豊かな国がありました。その国の王様には五人の王女様がいてそれぞれをとてもかわいがっていました。王様は王女様たちが嫁入り先で困らないように莫大な持参金をつけてあげることにしました。王女さまたちは持参金を使って嫁ぎ先を豊かにしていきました。


 そして今日、ついに王様の五番目の王女様、フロリカ姫が隣国のミザール王子に嫁ぎます。

 フロリカ様は長い金色の髪の毛に晴れ渡った空のような美しい青色の瞳、ミルク色の頬にバラ色の唇の大変美しい王女様でした。ミザール王子はフロリカ姫がお妃様になることを大変喜びました。

 けれど、ミザール王子には秘密がありました。

 実は……。


***


 天高く馬肥える秋の午後。


 ドンドンドン!


 派手にドアを叩く音に、シルルは「ふがっ」と変な声をあげて目を覚ました。


 ドンドンドン!


 再びすごい音がする。

 そんなに力いっぱい叩かれたらドアが壊れてしまうではないか。


 今は何時ごろだろう。

 まあどうでもいいか。


 ボリボリ頭をかきながらドアの鍵を外す。シルルが開ける前にドアがバンと開き、ぞろぞろとこの国の兵士たちがシルルの部屋に入ってきた。


「なんだおまえ、こんな昼間から寝ていたのか」


 その中で一番えらそうな年かさの兵士がシルルを見て言う。

 赤い髪の毛はぼさぼさ、緑色の瞳は今起きたばかりでまだ眠たそう、しかも着ているのは薄汚れたシャツとズボン。


「いつ寝ようと僕の自由でしょ」

「真っ暗森の魔法使いとはおまえのことか」

「たぶん僕のことでしょうね」


 答えた瞬間、年かさの兵士が背後の兵士に合図をし、背後の兵士がブンッとシルルの前に何を差し出す。

 バケツだった。

 なんだそりゃ、と思って中を覗き込んだら、大きなカエルと目が合った。


「隣の大国から嫁いでこられたフロリカ姫だ」

「……カエルに見えますが」

「そう。昨日、我が国のミザール王子との結婚後に魔女が乗り込んできて、あろうことかフロリカ姫をカエルにしてしまったのだ」

「……魔女……」

「そこで真っ暗森の魔法使い、おまえがこの森の一部を不法占拠して勝手に私物化していることには目をつむってやるから、フロリカ姫にかけられたこの魔女の呪いを解け、というのがミザール王子からのお達しだ」

「すげーウエメセっすね」

「口答えするな。おまえだってまだ死にたくないだろうが」


 シルルが感心してみせたら、その態度が横柄に見えたのだろう、年かさの兵士が凄んできた。

 何を言っているんだろう、こいつ。

 人間に魔法使いが殺せるわけがないだろうに。

 シルルの冷めた視線に気が付いたのか、


「ひと月後に隣国の国王が様子を見に来る。それまでに呪いを解いておくように」


 年かさの兵士はそう言うとバケツを置き、部下を引き連れて出て行った。


「……勝手だなあ」


 アホくさ。そう思いつつバケツを見下ろすと、その中でちょこんと座っているカエルと目が合った。

 大きく口を開き、閉じる。

 また大きく口を開き……はっとしたように閉じる。


「もしかして君は女の子かな」


 シルルはしゃがみこんでバケツを覗き込んだ。

 大きなカエルがうんうんと頷く。

 メスのカエルは鳴けないのだ。声を出す器官がない。だからこのカエルは鳴かない。

 バケツに手を伸ばし、カエルを抱き上げるようにして持ち上げる。

 なかなかずっしり重たいカエルだった。子犬ほどの大きさがある。

 シルルはカエルを見つめた。


「……確かに、君はもともと人間だったみたいだね。ずいぶん古くて強固でやっかいな呪いがかけられている。この気配、覚えがあるなぁ……。君に魔法をかけたのは、ボン、キュッ、ボン、バーンみたいな、セクシーダイナマイト魔女じゃなかった?」


 シルルの問いかけに、カエルがうんうんと頷く。


「そっかあ……君に魔法をかけたのはトリスかあ……」


 シルルは大きくため息をついた。

 魔女トリスのことはよく知っている。シルルを魔法使いに変えたのはトリスだからだ。正確にはトリスの魔力を与えられた、使い魔である。


「たぶん君は何も悪いことはしていないんだろうね。名前は……えーと、フロリカだっけ」


 シルルの確認に、カエルがうんうんと頷く。


「かわいそうに。トリスなら呪いを解けるんだけど、性悪だからたぶん解いてはくれないね。トリスの呪いを解く方法……あるかな……探さないとね」


 シルルの言葉に、カエルがぷるぷると震えた。

 シルルはトリスの使い魔、つまりトリスより下位の存在なので、トリスの魔法を力づくで破ることはできない。

 トリスが呪いを解くか、この呪いの正しい解き方を見つけるかのどちらかでなければこのかわいそうなお姫様は人間に戻れない。

 トリスの所在は知らない。気まぐれな師匠は大切な薬草畑をシルルに預けたまま、何年も音信不通にすることが珍しくなかった。


 魔女は人間よりも遥かに長く生きる。時間感覚も人間よりずっと長大だ。

 トリスが生まれつき魔女だということは知っているが、いつからこの世にいるのかシルルは知らない。ただシルル自身はもともと人間だった。だからトリスの時間感覚が人間とは異なると知っている。

 トリスを頼っていてはこのかわいそうな王女様は人間に戻る前に寿命が尽きる。

 シルルがなんとかするしかない。


「まあとりあえず、君の食べるものと、寝るところを確保しよう。カエルだから……虫でいいのかな」


 沼に行けばそれなりに大きな虫を捕まえることができるな、と思ったが、カエルがぶんぶんと首を振るので、やめることにした。


「僕と同じほうがよさそうだね」


 カエルが頷く。

 この反応、意識はまだ人間だ。

 ならなおのこと、急いだほうがいい。動物に変えられたままでいると、その人の意識はだんだん動物に近付いていき、いずれは消えてしまう。

 王女様は本物のカエルになる。

 別に放置してもいいけど、そうするとあの兵士たちがやってきて薬草畑を荒らすだろう。それは癪だ。


 それに。

 シルルはしみじみとカエルを見つめた。

 大きな目がかわいらしい。手にしたカエルからは混乱と心細さが伝わる。

 身に覚えがある感情なだけに、無視もできない。


 ――面倒なことになったなー。


***


 まずは現状把握からだ。

 幸いなことにカエルの中身はまだ人間だったころの記憶も鮮明なお姫様。問題は、シルルにカエルの意識を読み取るほどの高い魔力がないこと。


「君に何が起きたか聞いてもいい?」


 カエルを膝の上に置いて、その背中に右手を置き、シルルはフロリカにたずねた。


「君は結婚式の後にカエルにされたんだよね。その時のことを思い出せるかな」


 シルルの言葉にカエルが頷く。

 口をぱくぱくする。

 言葉で説明しようとしているのだろう。人間だった頃の名残りだ。

 手のひらを通じてフロリカの記憶が伝わる。




 場所は寝室だ。

 目の前には端正な顔立ちの青年がいる。こちらを見て微笑んでいる。フロリカは緊張しているようだ。


 ――結婚式後って、まさか初夜で……?


 その時、寝室の窓ガラスが砕け散り、突風が吹きこんできた。

 フロリカが振り向くとそこに露出度の高い服を着た、セクシーな女性が立っていた。長い黒髪、赤い瞳、とがった耳……一目見ただけで人間ではないことがわかる。

 トリスだ。


 ――師匠を見るのは何十年ぶりかな。お姫様の記憶を通して見ることになるとは思わなかった。


 トリスが青年に何か言う。青年が言い返す。会話までは聞き取れない。シルルの魔力の限界だ。それでもフロリカの不安がどんどん高まってくるのは痛いほど伝わる。二人の言い争いが激しさを増し、フロリカは怯え始める。


 トリスがフロリカに顔を向ける。薄暗い寝室にあってトリスの赤い目はやけによく見えた。縦長の瞳孔が開き、フロリカに手をかざす。

 何かがフロリカの体を突き抜ける。呼吸が止まりそうな衝撃にフロリカは悲鳴を上げて倒れる。

 気が付くと魔女はいなくなっており、優しげにこちらを見ていた青年が顔を歪めてフロリカを見下ろしていた。


 フロリカは何が起きているのかわからない。青年に近付こうとしたら何か叫ばれこっちに来るなというゼスチャーをされた。優しかった青年は汚らしいものを見る目つきに変わっていた。

 すぐに人が呼ばれる。フロリカは大勢の人に囲まれた。全員が自分を汚らしいものを見る目付きで見下ろしている。

 フロリカはわけがわからない。ただただ混乱し怯えていた。




「だいたいわかった」


 シルルは嫌なことを思い出してぷるぷる震えるフロリカの背中を優しくなでた。


「必ず君をもとの姿に戻してあげる。でもあいつの元には返したくないなぁ」


 目の前でフロリカがカエルに変えられたのを見ていたはずなのに、なんであんなに侮蔑的な態度が取れるのだろう。シルルにはわからなかった。たぶんよっぽどカエルが嫌いなんだろう。


「よかった、僕はカエルが嫌いじゃない」


 だからカエルを押し付けられても平気。

 そういう意味で呟いたつもりだが、それを聞いたフロリカの心にふわっと安堵の色が広がるのがてのひらを通じて伝わってきた。


「こわかったね」


 シルルはフロリカを抱き上げて顔を覗き込んだ。

 大きな目をしている。


「もうすぐ日が暮れる。このあたりはけっこう気温が下がるんだ。お風呂に入れてあげるね。それから食事だ。おなかいっぱいにして、あたたかくしてお休み。何も心配はいらないよ。君に呪いをかけた魔女は幸いにして僕の知り合いだからね」


 安心させるように言うと、カエルが大きく口を開いた。

 喜んでいるらしい。


 そのあとシルルはカエルをゆであがらない程度のお湯につけて温め、タオルでふいてやったあと、自分のために用意していた肉団子いりのスープとパンをテーブルの上に置き、カエルもまたテーブルの上に置いた。中身は王女なので、床上では失礼だと思ったのだ。


 おなかがすいていたらしく、カエルはすぐにスープにとりかかったが、残念なことにスープはべちゃべちゃとこぼし、パンは一度口に入れてから皿に戻していた。

 パンを食べなかったので少し足りなかったのか、カエルがシルルのスープ皿を見ていたので、シルルは自分のぶんのスープをカエルに差し出した。


 シルルのスープを半分ほど食べたところでカエルが満足したらしいので、皿を下げて汚れたカエルとテーブルを拭く。

 カエルが満足そうに口を開けたり閉めたりする。


 しばらくしたら眠そうに目を閉じたので、シルルは用意したバスケットにタオルを敷き詰め、カエルを入れてやった。


 いつもはだらだら夜更かしし、夜明け近くになって眠るというスタイルだが、同居人ができてしまったのでそれではイカンなと思う。カエルがおなかをすかせる。この生活力皆無のカエルはちょっとでも放置したらすぐに弱るだろう。それにこのカエルは鳴かない。シルルが気を付けていなければ異変にも気付けない。


 ――ちゃんと夜寝て朝起きる生活をしよう。


 シルルはカエルが寝ているバスケットを抱えて寝室に行き、ベッドサイドにバスケットを置いてベッドにもぐりこんだ。

 午後遅くまでだらだら寝ていたので果たして眠れるだろうかと思ったが、カーテン開けっ放しの窓の外、ちかちかと輝く星を見ていたら眠気がやってきた。


***


 森の朝は夏場でもひんやりする。秋も深まってきている現在ならなおのことだ。あとひと月もすれば霜が降り、そこから半月ほどで雪が降り始めるだろう。

 カーテンを閉めていないため、朝日がシルルを直撃して目が覚めた。

 外で鳥が鳴いている。

 空気がひんやりしている。

 一日ごとに深まっていく秋を感じる。

 ひんやりといえば、なんだか胸のあたりがひんやりするような? 濡れている?


 ――雨漏り……?


 ピンポイントに自分の胸元だけ濡らす雨漏りなんてあるだろうか。音で気付くだろう。だいたい昨日はきれいな夜空で雨の気配はなかった。自分で自分にツッコミを入れながらぼんやり目を開けると、布団の中、横向きに寝ている自分の胸元に何かがいるのが見えた。

 布団をめくってみると、カエルがいた。

 カエルは目を閉じて寝ている。

 濡れている気がしたのは、カエルのひんやりした体のせいだった。


「……なんで?」


 寝ぼけたまま思わず呟いてしまう。

 しばらくカエルを見つめているうちに、寒かったからか、と思い至る。

 カエルは自分で体温を作り出せない。温かいものに寄り添わなくては寒さをしのげない。


 ――湯たんぽがいるなぁ……。


 カエルとの生活は何かと大変だ。

 シルルはカエルの背中を撫でてやった。

 感情は伝わってこない。夢も見ずにぐっすり寝ているらしい。


 シルルは元人間だ。

 ここではないどこか、遠い国に生まれた。


 父親は幼いうちに病没しており、母親と二人で暮らしていた。母は近所の農家の手伝いをして生計を立てていた。生活は苦しかったが、あんたは学校を出ないとだめだ、と母はシルルを地元の学校に通わせてくれた。学校では勉強を頑張ったおかげでとても優秀な成績で卒業できた。母を楽させたくて、地元の学校を出たあとは士官学校に通った。士官学校では平民出身ということでずいぶんいじめられたが、持前の勤勉さと明るい性格で乗りきった。面倒くさかったが、誰に対してもニコニコしていてよかった。


 士官学校を出てしばらくして戦争が始まった。

 当然、シルルも駆り出された。


 戦争は熾烈を極めた。補給路が断たれ、味方からの応援がないままジャングルの中をさまよった。戦友たちがどんどん飢えと病で死んでいく。敵は、敵国の軍隊ではなかった。

 どうして自分が生き残れたのかわからない。

 やがて戦争は祖国の敗戦によって幕を閉じた。祖国は負けたがシルルは生き残った。

 ようやくの思いでたどりついた祖国はどこもかしこもすっかり焼野原になっていた。もっとも怖かったのが、鉄道で通りかかった、とある地方都市だ。

 そこは地方の中核都市で、とても大きな都市だった。

 それなのに、何もないのだ。

 文字通り何もない、焼野原。


 あの見事な街並みは、大勢の人は、どこへ?


 そうしてたどりついた故郷は、敵国によって地形すら変形するほど激しい攻撃を加えられていた。

 子どものころ駆け回った山野も、友達の家も、通った学び舎もない。すべて破壊され焼け落ちていた。

 もちろんシルルの家も。

 生き残っている人たちに聞いてまわった。母を知りませんか。ここに住んでいたんです。


「ああ、**さんね」

「かわいそうにね」

「戦争が始まってから**の軍需工場に働きに行くようになって」

「新型爆弾に」

「何もかもが」


 僕はどうして生き残ってしまったんだろう。

 なんのために遠い異国で戦い、たくさんの戦友を見送り、ようやく家に帰ってきたのに……


 手元には戦争中ずっと携帯していた拳銃。弾は自害用に一発だけ残してある。

 どこを撃てば死ねるかよく知っている。

 何度も戦友たちの自害を手伝ってきた。

 生きて虜囚の辱めを受けず。兵士たちはそう叩き込まれていたから、動けなくなったら意識があるうちに自害。

 それが自分たちの最期の作戦行動。


「このまま死にたい?」


 その時、声をかけてきたのがトリスだった。

 きれいな顔、長い黒髪、赤い瞳の真ん中の瞳孔は縦長。耳はとんがっている。何より服装が、胸元と腰に布切れを巻き付けているだけのような煽情的なもの。娼婦ですらもう少しまともな服を着るだろう。


「へえ、あなた、きれいな顔をしてる。私の好みだわ」


 こいつどこから出てきたんだ、とは思ったが、何もかもどうでもよかった。


「このまま死ぬのなら私にあなたをちょうだいな。うまく使ってあげる」

「……僕はもう誰かに都合よく使われるのはいやだ……」

「だったら止めないけど」

「……」

「止めないけど、あなたがいることで救われる人がいるの、私は知っている。あなたがいなくなったら、その人も救われない」


 トリスは地面に倒れ込んで動かなくなっているシルルの手から拳銃を抜き去り、うつろな目をするシルルに語りかける。


「決めるなら早く決めて。あなたの魂が消えてしまったら、私にはもうどうすることもできない」

「……その人は、僕がいないと泣くかな……?」

「たぶんね」

「なら、その人のためにもう少しだけ」


 微妙に急所を外れ、即死できなかったのは自分の弱さだと思う。

 その弱さがトリスを招いたのだ。


 結局、トリスの血を与えられて使い魔にされ、祖国から遠く離れたこの地に連れて来られたあげく、トリスだけが育てられる特殊な薬草の畑の管理人をさせられている。薬草の扱いは任されているので、勝手に加工して町で売っている。それで救われた人は多いだろう。このために人間ならざる者にされたんだろうか、意外に地味だけど。


 トリスの薬草は、トリスがこの土地に特別な魔法をかけているから育つのであって、よその地では育たない。シルルはその魔法を知らない。

 使い魔にされた最初の三十年程度はトリスから魔法について学んだが、「もう私に教えられるものはないわ。あとは一人で頑張って」と姿を消して以降は数十年に一度見かけたらいいくらいの頻度でしかトリスに出くわさない。


 使い魔から自我を消して奴隷のように使役する魔女が多い中、トリスのシルルの扱いは寛大ではあるが、シルルはこの土地から離れられないのでどっちがいいんだろうかと思うことはある。


 ――カエルの中身は女の子なんだから、これじゃダメだよなー。


 カエルを潰さないように布団から出たところで、シルルは自分を見下ろした。よれよれのシャツにズボン。はっきりいって昨日と同じ服装だ。別に人に会う予定もないし、ということでシルルは基本的に常に部屋着姿だった。


 とりあえず湯を浴びるか、と浴室に向かう。

 脱衣所の鏡に映る自分に、「あー」と変な声を出す。

 髪の毛はぼさぼさで無精ひげだらけ。部屋着も何日目かわからないのでヨレヨレで実に薄汚い。魔法使いには見えない。昨日の兵士が変な顔をしたのはこのせいか。魔法使いらしくローブ姿で出迎えていたら態度が違っただろうか。もう手遅れだけど。


 ひげをそり長い髪の毛を後ろでまとめる。一人暮らし歴が長いため着替えは常に寝室で行うから、着替えを持ってくるのを忘れた。


 いつもなら全裸で歩き回るが、カエルの中身は女の子。一応気を遣って腰にタオルを巻いて寝室に戻り、クローゼットをあさっていたら背後からごそごそ音がすることに気付いた。

 顔を向けたらカエルが布団からもぞもぞと這い出すところだった。


「やあ、おはよう」


 振り向いて声をかけた瞬間、タオルがほどけて足元に落ちる。普段は腰タオルなんてしないから結び方が甘かったようだ。

 カエルが驚いたように飛んで、勢いよく床に落ちる。

 そのままどたどたとカエルは寝室の隅に逃げ込んでしまった。


「いやー、申し訳ない。次からちゃんと着替えを持って湯を浴びるよ」


 カエルの中身は間違いなく女の子だな、と思いながらシルルはこっちに背中を向けたままのカエルに詫びた。


***


 本日は週に二度の商売の日である。


「君が元気出そうなものを買ってくるから、おとなしく待っていてね。いちおう、スープはここに出しておくね」


 シルルは皿になみなみと昨日の残りのスープを入れ、今日売るつもりの薬草を持つと、カエルを置いて家の外に出た。

 玄関には鍵をかけたし、家の周りにはしっかり結界が張ってある。

 シルル不在時には家が見えなくなる便利な結界だ。これで人も訪ねてこない。この結界を破れるのはトリスだけだが、まあトリスが来ることはないだろう。

 魔法を使って森の出口まで跳ぶ。タイパ大切。

 だがそこから商売をする町中までは徒歩だ。


 シルルは赤い髪の毛に緑色の瞳、耳も丸い。一見すると人間にしか見えない。というより、元の姿のまま変化していない。見た目はおそらく人間の自分が死んだときの年齢のままで固定されているのだと思う。

 けれど魔法を使う時は、目が赤くなる。

 トリスは違う。彼女はずっと赤い目をしているし、耳もとんがっている。


 生まれつきの魔女と、魔女に血を与えられた使い魔の違いなんだろう。

 人間のふりをしている使い魔からは魔力を感じないので、おそらく魔女であっても見破ることはできない。

 見た目が変わらないので、商売をする場所は定期的に変えている。


 寒くなってきているので、体を温める効用がある薬草や、あかぎれの薬などがよく売れた。

 昼前にはすべて売り切れたので露店をたたみ、シルルは散髪屋を覗いた。


「いらっしゃいませー」

「髪の毛を切ってほしいんだ。伸びすぎちゃって……自分で切ると変になるから」

「いいッスよ。もしかしてお見合いが近いとか?」


 若い男性がわざわざお金を出して身だしなみを調えるのだ、理由があるに違いないと店主がニコニコ聞いてくる。


「そんな感じ。……あ、ねえ、隣国から王女様が嫁いできた話を聞いた?」


 店主に促されて大きな鏡の前のイスに座りながら、シルルが聞く。


「ああ、聞いたよ。この国ではどこでもその話で持ちきりさ」

「僕は山奥に暮らしているからそういう話に疎くて。どんな王女様なの? 髪は何色? 目は?」

「すごくきれいな人だそうだよ。金色の髪の毛に、真っ青な瞳でね……」


 店主がまるで見てきたかのように語る。エンタメに飢えている人々にとって王女の嫁入りはかっこうのネタのようだ。

 シルルは話し好きな店主と、あとから入ってきた常連客からたっぷり「隣国から嫁いできた王女」の情報を仕入れた。半分くらいは「ほんまか」と思う内容だったが、金色の髪の毛をしているというのはたぶん本当。


 ――金髪なのかー。


 カエルは土色だけど、と思いながら、さっぱりした髪の毛を揺らして他の露店を除く。

 きれいな意匠の髪留めが目についた。


 ――金髪に似合いそうだな。


 シルルはその髪留めを手に取った。




 秋の日はつるべ落とし。日暮れが早い。

 町を出たのは夕方になる前だったが、徒歩で森まで移動したせいで、森の中はタイパ優先で魔法を使ったものの帰宅した時にはすでにあたりは暗くなっていた。


「ただいま!」


 玄関をあけて真っ暗な家に声をかけると、すぐにドタンドタンという音が聞こえてきた。

 大きなカエルが急いで跳んでくる。最後は大ジャンプをしてシルルに飛びついた。


「遅くなってごめんねー! おいしいものたくさん買ってきたんだ、まずはごはんにしようね」


 カエルを抱きかかえたまま魔法で家中のランプを灯して歩き、居間のテーブルの上にカエルを置く。


「そうそう、フロリカは金髪だって町の人が言っていたんだ。それを信じて髪留めを買ってきたよ」


 シルルは袋の中から買い求めた髪留めをカエルに差し出した。


「おまじない。人間に戻れるようにね」


 カエルの前に置くと、カエルが大きな手でぺたぺたと髪留めを触った。それからシルルを見て口をぱくぱくさせ、その次にはテーブルの上をぴょんぴょんと跳ね跳んだ。

 声が出せなくてもフロリカの考えていることはちゃんとわかる。

 かわいいなあと思う。


 ――早く元に戻す方法を探さなきゃな……。


 大喜びしているフロリカを見ながら、シルルは内心で溜息をついた。


 ――気が進まないけど、時間もないし、しかたがない。




 その日の夜。


「これは湯たんぽ」


 シルルはフロリカに布で包んだ湯たんぽをみせた。陶器の入れ物に熱湯を注ぎ、布でくるんだものである。


「これをフロリカのベッドに入れておくからね。これから、僕は時々夜中に出かけるけど、フロリカは気にしないで寝てね」


 フロリカが頷く。

 バスケットの中に湯たんぽを入れ、その上からタオルを敷く。


「明け方には戻るよ。いい子にしていてね」


 フロリカを撫でると、フロリカは気持ちよさそうに目を細めた。


 そのあと、シルルは魔法使いらしく黒いローブを羽織った。

 シルルはトリスから多くの血を与えられているため、強い魔力を持っている。だが制御が下手くそという欠点がある。生まれつきの魔法使いではないから、このあたりはしかたがないらしい。魔力の制御を助けるためのイヤーカフも着ける。


「それじゃ、行ってきます。おやすみ、フロリカ」


 フロリカをバスケットに入れ、掛け布団がわりのタオルを一枚かけ、シルルは魔法で灯した明かりをすべて消した。

 そしてフロリカに声をかけると、ほうきを手に玄関から出ていく。

 窓から飛び出さないのは、窓では戸締りができないから。

 しっかり玄関に鍵をかけると、シルルはほうきにまたがって空に飛びあがった。


 魔女狩りがあってからこっち、魔女の姿はずいぶん減ってしまったとトリスは言っていた。

 その残り少ない魔女がどこらあたりにいるかというと、戦場だ。

 大きな戦場ほど、魔女の数が増える。

 どちらの陣営も魔女を雇うからだ。


 魔女は個人事業主なので、単独で行動することが多いが組合もある。

 人付き合いがド下手くそなトリスは、ほかの魔女に会いたくないという理由で戦場には顔を出さないし組合にも属していないから、果たしてトリスの呪いの解き方を知る魔女が戦場にいるのかどうか。

 そもそも、使い魔の自分を魔女が相手にしてくれるかどうか。

 しかし手がかりはそこにしかない。

 だから行くしかない。


 戦場は遠い。

 戦地についたら転移用の魔法陣を設置しなければ。でも今日は場所がわからないからひたすら空を移動だ。

 今、どのあたりで戦争が起きているかくらいは知っている。

 この世界も戦争だらけだ。

 胸に残る傷跡がずきずきする。手が滑って急所を外してしまった。自害もまともにできないのかと嘆いたあの夜から、いったいどれくらいの年月が過ぎたのだろう。数えていないからまったくわからない。


***


 戦場は兵士だけでなく魔女も殺気立っている。

 戦争に関係ない使い魔風情を相手にする魔女は少ない。たまに現れても「トリスの使い魔なんだ?」と鼻で笑われるから、トリスの仲間受けは最悪のようだ。

 夜になるたびにいろんな戦場を駆け巡り、可能な限り魔女に接触した。

 だがなんの成果も得られない。


 時間がたつほど、フロリカの反応が鈍くなり、最初の頃のように喜んだり、口をぱくぱくさせたりすることが減ってきている。

 触れても以前ほど感情の揺れを感じない。


 ――そんなに早く、この呪いはフロリカをカエルにしてしまうのか?


 そもそもどうしてこんな呪いをトリスはフロリカにかけたのだろう。

 トリスが揉めていたのはこの国の王子、フロリカの夫、ミザールではないか。


 ――ひと月後にはフロリカの国から王様が様子を見にやってくるって言っていたよな。


 そのひと月後はもう目前だ。

 シルルは焦り始めていた。

 どうしよう。どうしたらいい。トリスがいれば解決する? 戦場に行くよりトリスを捜すほうが早い?

 だがトリスがどこにいるかなんてわからない。


 気温が下がり、明け方はいつ霜が降りてもおかしくない。寒いと動きが鈍るらしく、このところフロリカは湯たんぽを入れたバスケットでまどろんでいることが多い。

 バスケットの中には、髪留めが入っている。

 髪留めのほかにも、町で薬草を売るたびにシルルが買ってくる「フロリカのための」のリボンや、腕輪、指輪など小さな装飾品を、フロリカは大切そうにバスケットの中にしまっていた。


 いつか、それがフロリカにとってなんなのかわからなくなるのだろうか。

 その日は近いのだろうか。


***


 一方その頃、王宮では。

 予告していたより早く到着した隣国の国王を前に、ミザールが固まっていた。


「これはミザール王子。お久しぶりです。結婚式以来ですな?」


 親ばかで知られる隣国の国王は、娘の結婚式に出席していた。

 だから久しぶりと言っても三週間ぶりだから、実際は久しぶりというほどでもない。


「フロリカはどうしておりますか? 結婚式の翌日はほら、疲れているということで会うことができませんでしたからなー」


 フロリカをかわいがってくれたようで嬉しいですわ、と続けた国王に、ミザールは頷くしかなかった。

 初夜に魔女が現れて新妻をカエルにしてしまった記憶は未だに鮮明だ。




 魔女トリスは、令嬢の一人としてミザールの前に姿を現した。

 ミザールはこの国の第一王子ゆえに、いずれはこの国を継ぐことになる。

 だから厳しく育てられた。

 それは女性関係もそうだ。


 政略結婚が義務付けられている身ゆえに、極度に女性との接触を制限されて育てられた。しかし大人になるにつれて、社交が必要になる。女性をうまく扱えない。そもそも女心が理解できない。彼女たちの本音と建て前は本当にわかりにくい。そのせいで何度も失敗した。

 それはプライドの高いミザールにとっては屈辱的な出来事だった。

 かといって女性たちを遠ざけることはできない。

 そんな折にミザールの前に現れたのがトリスだ。


 魔女だとは知らなかった。明るく気さくで、女性に苦手意識があるミザールでも気軽に話せる相手。

 いいな、かわいいな。それに美しい。

 こういう娘を妻に迎えられたら楽しそうだ。

 そんな気持ちが、「この娘を妻に迎えたい」という気持ちに変わるのに時間はかからなかった。しかし同じ頃、ミザールに縁談が持ち上がる。

 隣国の第五王女との結婚だ。

 隣国は裕福な国ゆえに、持参金がとんでもない金額になる。


 持参金は妻固有の財産ゆえに、この国の予算に組み込むことはできないが、この国では「妻のものは夫のもの」にできる法律がある。

 第五王女の持参金を国の金にはできないが、個人の資産にはできるのだ。


 もちろんこれは、「王族同士の結婚」ゆえに「持参金は公共のものとして扱う」ものだったのだが、ミザールは曲解した。

 意に沿わない結婚をするのだから、この金は本当に好きな人に使うべきだ、と。


 そのことをトリスに伝えてしまったため、トリスは持参金がそっくり手に入ると思ったらしい。

 けれど、その持参金を持たずにフロリカはやってきた。

 なぜ。約束が違うではないか。

 これではトリスに嫌われてしまう。

 そして初夜、トリスが現れて「持参金はどこ」という話になったのだ。押し問答の末、トリスは手ぶらで嫁いできたフロリカに怒りを向ける。

 よりにもよってミザールが生理的に受け付けないカエルの姿にしてしまった。


 その時初めてミザールはトリスが魔女だったと知ったが、だからなんだというのだ。

 トリスが魔女だと知っても気持ちはまったく揺らがない。

 だからこの気持ちは本物だ。

 これこそが真実の愛だ。


 そんなわけで、ミザールにとってフロリカの存在はどうでもよかった。

 だがカエルにしたままでは外交問題になる。

 だから国のはずれの真っ暗森に住むという魔法使いに、ひと月以内にフロリカを人間に戻すよう指示したのに。

 ひと月が来る前に、フロリカの父親が再訪してしまった。


「しかしあの子も薄情でね。一度も手紙をよこさないんですよ。よっぽどこの国での生活が楽しいとみえる」


 国王が豪快に笑う。


「ところでフロリカはどこですかな?」

「フ……フロリカは、風邪をひいておりまして……」

「それはいけない! 見舞いに行かなくては」

「人に移してはいけないからと、部屋にこもっておりまして、夫である私も会えないんですよ!」


 フロリカ不在が知られたら大変だ。ミザールは愛娘の見舞いに向かおうとした国王の腕をつかんでその場に留めた。


「なんとなんと……。フロリカの症状はそんなに重いのですか。それは心配だ」

「我が国が誇る医師と薬師がついておりますので、大丈夫かと思います。ですが、人に会いたくないと申しておりますので、フロリカの気持ちを尊重していただければ……」

「それもそうだな」

「……ところで、陛下。こんな時に申し上げにくいのですが、フロリカの持参金はどこにあるのでしょう? 姫は手ぶらで嫁いできましたが、それはあまりにも非常識なのでは……」


 思い切って切り出してみたところ、国王は一瞬ぽかんとしたのち、豪快に笑い出した。


「伝え忘れておりましたかな? 持参金はすべてフロリカの口座に送金してあるので、あの子に頼んで出して出金されるとよい。金は賢く使えと常日頃から言い聞かせておるゆえ、あの子を説得できればいくらでも出してくれよう。わしは娘を信じているからのう」

「ふ……フロリカの口座に……」


 婚姻契約書を交わした際に見た持参金の金額は、相当なものだった。

 まさか丸ごとフロリカの手元にあるとは。


 ――あの魔法使い、何をしている!


 いまだに連絡がないのは、フロリカを元に戻せていないからなのか?

 たかがカエルに変えられる魔法だぞ。


 ――ええい、あの魔法使いはだめだ。報酬が高くつくが、別の魔女に頼むか。暗証番号さえわかれば……。


 そうすればフロリカの持参金は引き出し放題。トリスがほしいものも買い放題だ。きっとトリスも喜ぶ。




 その日のうちにミザールは「森にでる害獣退治」という名目で兵士を引き連れ、真っ暗森に向かった。

 フロリカを取り返すために。


***


「やばいですってフロリカさんんんん……」


 シルルは、テーブルの上を歩いていた小さな蜘蛛にぱっと舌を伸ばして口に入れたフロリカの口をこじあけ、蜘蛛をつまみ出した。


「あなたは気高き王女殿下ですよ。蜘蛛なんて食べちゃだめです」


 シルルの腕を抜け出し、フロリカはぴょんぴょん移動すると、テーブルから飛び降りた。

 シルルはその動きを目で追っていた。


 もうすぐ期限である一か月がくる。季節は晩秋になり、外はすっかり寒い。寒がりフロリカのために、シルルは早々に暖炉に火を入れて室内を温かくしていた。


 フロリカは今でもシルルが出したスープを食べ、バスケットの中で眠るが、スープの具はシルルがスプーンで与えてやらなくてはならない。前のように自分で舌先を伸ばして食べるということをしなくなった。バスケットは寝床として認識しているが、中にしまい込んでいた髪留めや装飾品は外に放り出してしまった。ベッドの中にあると寝心地が悪いらしい。


 最近では、室内を歩く蜘蛛や小さな虫を見つけると、とって食べているようだ。

 フロリカとしての意識がだいぶ薄れて、カエルになってきている証拠だ。


 触れても以前ほどはっきりした感情を読み取れない。喜怒哀楽程度はわかる。あとは、眠気と空腹もわかる。

 それでも名を呼べばシルルのもとに跳んでくるし、外出から戻ればシルルの帰りを待ちわびている様子が見られるので、完全にフロリカの意識が消えたとは思っていない。……いや、正直なところ、よくわからない。もともとカエルにそれだけの知能があるのかもしれないし。

 フロリカを戻す手がかりはまったくないままである。


 ――トリス、魔女に嫌われすぎなんだよ……。


 過去何かとんでもないことをやらかし、魔女界隈からハブられているらしいことは把握できたが、それがなんなのかまでは怖くて聞き出せなかった。

 もっとも、魔女は拗らせた性格の持ち主が多いから、トリスに限らず、ぼっちで行動中の魔女はそれなりにいるようだ。

 つまりこの一か月でわかったことは、「トリスはぼっち」ということだった。

 そんなこと、ずーっと前から知っている。


 ――ああああ、お手上げだよもう……。


 ぺったん、ぺったんと音をさせて居間の床を移動していくフロリカを見ながら、シルルは深くため息をついた。

 人間に戻してあげたかった。

 でももう人間だった頃の記憶もないみたいだ。

 記憶がないのなら、このままカエルとして生涯を終えても問題ないかな、という気になってきた。


 ――記憶がなくなっても、ペットとしてフロリカはかわいいしなぁ……。


 でもフロリカの金色の髪の毛は見てみたかったなぁと思う。

 あの髪飾りはきっと似合う。


 それはそれとして、問題は、この国の兵士たちが近いうちに乗り込んでくることだ。


 ――畑を荒らされたらいやだなあ。


***


 晩秋の夜。


 ドンドンドン!


 派手にドアを叩く音に、シルルはスープを温める手を止めた。


 ドンドンドン!


 再びすごい音がする。

 玄関の鍵を開けると、勝手に来訪者がドアを開けて中にずかずかと入り込んできた。


「おまえが真っ暗森の魔法使いか」


 シルルに一瞥をくれると、そのままずんずんと奥に入っていく。その男には見覚えがあった。ミザールだ。

 ミザールは軍服姿で腰に帯剣している。

 その後ろからぞろぞろと武装した兵士たちが何人もシルルの小屋に入ってきた。

 そのうちの一人と目が合う。いつぞやの年かさの男だった。

 前はここまで武装していなかった。今日は完全に戦闘態勢だ。

 マジかよとシルルはげんなりした。

 物騒すぎる。

 人の家を壊す気満々ではないか。


「フロリカはどこにいる」

「そんなことより、何用ですか。こんな時間に」

「口を慎め」


 年かさの男が剣を抜きシルルの首筋に向けながら言い放つ。


「もう一度聞く。フロリカはどこだ。まさか死なせたり、外に逃がしたりはしていないよな?」

「していませんよ。そこにいます。居間のテーブルの上に。ですが」


 シルルはふわりと姿を消すと、サッと居間のテーブルの前に姿を現した。

 フロリカを庇うように立ち、かすかにミザールに対して嘲りの笑みを浮かべる。


「あなたにフロリカは返しません」

「フロリカは俺の妻だぞ」


 ミザールがシルルを睨む。


「音沙汰がないということは、どうせカエルのままなんだろ。まあ別にそれでもいいが、最後に一度くらいは口がきける魔法をかけられないか? そうすれば別の魔女を雇わなくて済む」


 別の魔女だと?

 みんなが知っている魔法ならともかく、オリジナル要素が高くなる呪いに関しては、本人しか対処できない。それが呪いというものだ。


「別の魔女に頼ったって解決しませんよ」

「だがおまえよりはマシかもしれないだろう?」

「ミザール殿下。あなたがトリスに魅入られたせいで、こんなくっだらない事態になったという自覚はおありで?」

「なっ!?」


 ミザールの顔色が変わる。

 なるほど、これはミザールの秘密なのか。


「あの魔女が何を要求したのかは知りませんが、あなたが隙を見せたから魔女はあなたにつけこんだのです。何度でも追い払う機会はあったはずだ」

「う、うるさい!」

「逆にフロリカに非がありますか? 王女に伴侶を選ぶ権限はありませんからね。ただ親の指示に従っただけなのに、なぜカエルにされなくてはならなかったんですか? ミザール殿下がトリスと関わったせいでしょう」

「おまえに何がわかる!」


 ミザールが腰につけていた鞘からすらりと剣を抜く。


「俺だって伴侶を選ぶ権限はない!」


 いきなり切ってかかられる。

 シルルは魔力を集めて盾を作り、ミザールの剣を弾いた。


「トリスへの感情のことなら、それはトリスによって操作されたものだ」

「そんなわけがない!」


 シルルの盾に腹を立てたミザールが何度も何度もシルルに斬りかかる。


「おまえに何がわかる! おまえに何が!」


 ミザールがシルルに足払いを入れる。

 シルルがバランスを崩して派手に床に倒れこんだ隙に、ミザールがテーブルの上にいたフロリカをつかんで後方に待機していた兵士たちに向かって投げた。


「足止めしておけ」


 ミザールの指示に兵士たちが剣を抜いて構える。

 そうこうしているうちにミザールとカエルを持った兵士は小屋の外へと出ていった。


「魔法使いは死なないと聞いたことがあるのですが、本当ですかな? 試す価値はあると思いますね」


 すぐそばからそんな声がした。目を向けると、年かさのあの男が冷たい目でシルルを見ている。


「戦場での魔女は本当に厄介です。魔法使いや魔女など、この世から一人残らず消えてほしいものですな」


 剣が振り上げられる。

 シルルの目が緑色から一瞬で真っ赤に染まった。縦長の瞳孔が開く。


***


 魔力が炸裂し、爆発する。

 一瞬にして小屋の窓ガラスが粉々に吹き飛ぶ。

 ちょうど外に出ていたミザールは爆風によって吹き飛ばされ、何メートルも先の地面にたたきつけられた。

 ミザールが目を上げると、外に待機させていた兵士たちのほとんどがなぎ倒されていた。


 ドア吹き飛んでしまった玄関から、黒いローブをまとった男が出てくる。暗がりの中でもはっきりとわかる、炎のように赤い髪の毛と血のように赤い瞳。まっすぐこちらを見ている。


「化け物が!」


 ミザールが立ち上がるよりも前に魔法使いがとびかかってくる。

 体勢を立て直していないミザールは襲い掛かるシルルの腹を力いっぱい蹴り飛ばした。

 シルルが派手に飛ぶ。

 少しはダメージを入れられたか。

 魔法を使われたら勝ち目がない。ミザールは地面に転がって呻いているシルルを尻目に、フロリカを捜した。カエルは気持ち悪いが、持ち帰らなくては暗証番号がわからない。

 フロリカはミザールの近くに倒れている兵士の一人が抱えていた。


 生きているのか?


 近づいて足先で蹴り飛ばしてみると、ぴくぴくと腹が動いた。

 元が美人なだけに、こんな気持ち悪い姿にされたら自分なら死を選ぶと思うが、フロリカ王女は違うらしい。

 それとも頭の中身までカエルになり果てて、王女のプライドもなくしているのかもしれない。

 かがんでカエルの右脚をつまみ上げた時だった。


「フロリカを返せ」


 脇腹に衝撃が走る。シルルがミザールの脇腹に剣を突き立てていた。

 幸いなるかな、軍服の下に着ていた防刃ベストのおかげで致命傷にはほど遠い。だが、痛い。

 倒れていた兵士の剣を拝借したらしい。


「残念だな、魔法使い。カエルは道連れだ」


 ミザールはカエルの脚を掴んで振り上げ、力いっぱい振り下ろした。

 シルルの注意がカエルに向く。

 その隙にミザールは短剣を抜くと、シルルの腹に突き刺した。

 自分とは違い、シルルは下に何も着ていないようだ。手に切り裂かれる肉の感触が伝わってきた。


「詰めが甘いぞ、魔法使い」


 崩れ落ちるシルルに吐き捨てた時。

 べちゃっと、何かがミザールの目を狙って飛んできた。

 突然のことに驚いてカエルを手放す。

 はっとした時にはもう、カエルはミザールの手を離れ、ぴょんぴょんと腹を抱えてうずくまる魔法使いのもとに跳んでいった。

 どうやらカエルの長い舌がミザールの目を狙ったらしかった。


 なんということだ。気持ち悪い。

 大急ぎで目をこする。

 カエルの唾液が目に入る。

 焼けつくように痛い。なんだこれは。

 痛くてもっとこする。

 痛みが激しくなる。


「なんだこれは!」


***


 ぺたぺたと何かが頬に触れる。

 シルルが目を開けると、フロリカが舌を伸ばしてシルルの頬を叩いていた。


「ああ……無事だったんだね」


 よかったあ、とシルルは呟いた。

 ああだけどおなかが痛い。刺されてしまったんだ。こんな傷程度、と思ったけれど、どうやら毒が塗ってあったらしくて焼けるように痛い。魔法使いは確かに死ににくい。死なないわけではない。でも傷をおったら痛いし、しばらくは動けない。


 どうしよう。まわりにまだ武装兵士はたくさんいる。面倒な王子様もたいしたけがじゃないからすぐに動き出す。

 フロリカを連れて逃げなくちゃいけないのに体が動かない。


『あなたがいることで救われる人がいるの』


 こんな時にトリスの言葉を思い出す。

 ああだけど、僕はフロリカを救えなかった。

 救えなかったんですよ、師匠。あなたの呪いは強固すぎて、手がかりがまったくないんだ。

 僕はフロリカを人間に戻してあげたかった。

 僕も自分の力で誰かを救いたかった。

 どこにいるんですか師匠。

 フロリカを元に戻してあげてください。この子は何も悪くない。

 あなたは何も悪くない人間をいじめるタイプじゃないでしょうに…………。


 呼吸が苦しくなってきて、シルルはその場に倒れ込んだ。仰向けになると、星空がいっぱいに広がっているのが見えた。


「きれいだな……」


 近くでミザールが「いたい、いたい」と騒いでいる。けがをしているらしいが、あれだけ元気に騒いでいるなら別に致命傷でもないのだろう。

 フロリカはどこにいるんだろう、と顔を動かしたら、わりと近くにいた。こっちを見つめている。


「大丈夫だよ、フロリカ。ちゃんと元に戻してあげるから」


 手を伸ばしてフロリカに触れると、フロリカが悲しんでいるのが伝わってきた。

 ああ、まだ人の心を失っていない。間に合う。まだ間に合う。

 フロリカが跳んでやってくる。シルルの顔にひんやりした大きな顔を押し付ける。体が震えている。


 ――泣いているのかな。声が出せないのはつらいね。


 そんなことを思っていたら、不意にフロリカの舌先が伸びてきてシルルの唇を撫でた。

 ぺたぺた。

 くすぐったかった。

 なんと、これがシルルのファーストキスだ。

 ファーストキスの相手がカエルなんて、この世界広しといえどそういないだろう。

 傷がここまで痛くなかったら、フロリカを抱き上げてぎゅーってしあげるんだけどな。残念ながら、猛烈に刺された箇所が痛いので無理だ。


「……ルさま」


 おや?


「シルルさま! しっかりなさって!」


 どういうわけか、目の前に絶世の美女が見える。

 めっちゃ泣いている。真っ青な瞳、金色の髪の毛。


 おやおや…………?


「シルルさま、死なないで。いま、手当を……」

「任せなさいな!」


 場違いなほど明るい声が聞こえた。

 はあ? と思って頭を動かしたら、すぐ近くにトリスが立っていた。


「……出たな、性悪女」

「今度はおまえをカエルにしてやろうか」

「ごめんなさい」

「弟子ちゃんはフロリカ王女に感謝することね」


 トリスがちょいちょいと指先を動かすと、腹の痛みがすーっと消えていった。


 体を起こすと、すぐ目の前に金髪碧眼の美女が泣き顔のまま座り込んでいる。

 瞳の色にそっくりな、濃い青色のドレスをまとっていた。


「よかった、カエルは何も着ていなかったから、素っ裸で人間に戻ったらどうしようかと。……初めまして? フロリカ王女」


 シルルの声に、フロリカは感極まっているのか、何も答えられないらしい。ただ涙をこぼしながら、首をふるふると振るだけだ。


「で、何があったんですか。これはいったい」

「古今東西、呪いというのは真実の愛で解けるものなのよ」

「……」

「弟子ちゃんを人間に戻すには、これしか方法がなかったのよね」

「…………は?」

「私、前に言ったわよね。あなたがいることで救われる人がいるって」


 トリスの言葉に、何百年前の話だよとシルルは呻いた。


「王女様はひどい目にあわせちゃったけど、あなたも変な男と添い遂げずに済むんだから結果オーライだよね。問題は」


 トリスはいたい、いたいと目を押さえて騒いでいるミザールに目をやった。


「彼のことは私が責任もって連れ帰るわね。利用させてもらった手前、何かで穴埋めしとかなきゃいけないけど、何がいいかしらねー。やっぱり真実の愛かしら」

「……師匠」


 何から聞けばいいのかわからないが、


「全部、師匠が仕組んだんですか」


 睨みつけたら、にぱっと笑われた。


「許さねえッ」


 人がどれほど苦労したと思っているんだ。

 立ち上がり、魔力を放とうとしたが何も起こらない。


「何してるの、あなたはもう人間なんだから、人間らしく暮らしなさいな!」


 HAHAHA、と高らかに笑って飛びのき、トリスが指を鳴らす。

 あたりにいた兵士、そしてミザールの姿が消えた。

 そしてシルルが吹き飛ばしたはずの小屋も元通りだ。


 シルルは試しに何か魔法を使ってみようとした。

 魔力は感じられなかった。

 自分のてのひらをじっと見つめる。

 魔法がない。

 困った。


「……僕、明日からどうやって稼げばいいんだ……?」


 薬草自体は別に魔力がなくても育てられるが、そもそもこの畑自体が魔女のものだ。

 魔女と関係が切れた今、薬草を売って生計を立てていくわけにはいかない。


「あのう……」


 困り果てているシルルに、フロリカが声をかける。


「私、父から山ほど持参金をもらっていて、信頼できる人になら預けてもいいと言われているんです」

「……うん」

「それ、ミザール殿下ではなくてもいいんだそうです。相手を見極めてからでいいと。ミザール殿下との結婚はいつでも白紙撤回できるからと」

「…………うん?」

「もともとこの結婚は、こちらの国からの強い要望で実現したもので、私も父もあまり乗り気ではなかったのです。でも瑕疵が何もない方なのでお断りができず」

「……うん」

「つまり……」


 フロリカが肩をすくめる。


「結婚してから相手を見極めておいでと言われていた結婚でした」

「…………政略結婚って、撤回できないんじゃないの?」

「普通は。でも私の場合は、国力の差がだいぶありますので、私の要望が通りやすいのです。無理にこの国と縁づかなくても、お姉様たちが大国に嫁いで連合を作ってくださっておりますし」

「……」

「なので」

「……」

「私……」


 困った顔をするフロリカににじり寄ると、シルルはフロリカをがばっと抱き締めた。

 フロリカが腕の中であわてる。


「師匠が言うには、古今東西、呪いというのは真実の愛で解けるものらしいね。僕にかかっていた使い魔の呪いも解けた。使い魔って呪いだったんだ、知らなかったよ。フロリカ王女にかかっていたカエル化の呪いも解けた。ということは、僕たちは相思相愛ということでいいのかな」


 シルルの言葉に、フロリカが腕の中で小さく「はい」と頷いた。


「こちらに来てからずっと、シルルさまが優しくしてくださって。シルルさまのお気遣いが嬉しくて。私……私は、シルルさまのことが……」


***


 昔々あるところに、とても大きくて豊かな国がありました。その国の王様には五人の王女様がいてそれぞれをとてもかわいがっていました。王様は王女様たちが嫁入り先で困らないように莫大な持参金をつけてあげることにしました。王女さまたちは持参金を使って嫁ぎ先を豊かにしていきました。


 王様の五番目の王女様、フロリカ姫はミザール殿下ではなく、元魔法使いのもとに嫁ぎ、今は真っ暗森の片隅にある小屋で薬草を育てながら暮らしています。フロリカ姫が、ここでの暮らしを望んだのです。

 薬草畑は魔女が元魔法使いとフロリカ姫への結婚祝いとしてプレゼントしました。

 本当は薬草を売らなくても暮らしていけるくらい、フロリカ姫の持参金がたっぷりあるのですが、二人はそのお金のほとんどを戦争で傷ついた人たちのために使ったそうです。


 フロリカ姫の金色の長い髪の毛には、元魔法使いからもらったという髪飾りが飾られ、今日もきらきらと輝いています。


 ミザール殿下は魔女トリスによって「獣害退治」の兵士とともにお城に送り返され、隣国の王様に発見されます。

 そして後日、フロリカ王女から詳細な報告を受け取った隣国の王様によって結婚を解消され、さらには隣国の王様を怒らせた罰としてこの国の王様からも叱られ、王位継承権を剥奪。王位は、弟君が継ぐことになりました。

 ただしミザール殿下はよく弟君を助け、晩年は名宰相と称えられました。また素敵な令嬢とめぐりあってよき夫、よき父親としても知られました。


 魔女トリスは……


 いいえ、これ以上は語りますまい。


トリス「今宵も濃い目のハイボールをキメるッ!」


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どうぞよろしくお願いいたします(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ᵖᵉᵏᵒ

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