救済官アリエルと、第二の人生について
微睡む静謐、未だ何も無い場所、無と言う漆黒。
感覚と自意識だけが広がる其処には、眠る様な暗黒が広がっていた。
西宮誠二郎として生きたかつての私は、死んだ。
重篤な身体外傷を衝突事故で受けた私の身体は、駆け付けた救急隊員によって病院に搬送された後、2時間後に死亡した。
最期の記憶として鮮明に思い浮かんでいるのは心拍停止を示す機械的な高音だけ。それだけが私の耳に届いた唯一の音だった。
さて。そうして死んだは良いが、今の状態の感覚と言うのは中々に奇妙だ。
今まで私は脳と肉体を介して世界を触覚していた。目で見て手で触り、耳で聴いて鼻で香る。五体と五感、これらを通じて世界の形という物を知った気になっていた訳だ。
だが今の私はと言うと、脳も無ければ肉体も無い。辺りを見渡す瞳もないし、匂いを香る鼻も、聞き耳を立てる耳さえ無い。
五体と五感の全てを奪われた状態。そうだと言うのに、私はこうして現在進行形で思考を働かせ、無という名の暗黒を感覚として知覚している訳だ。
これがいわゆる魂と言うやつなのだとすると、ここはやっぱり地獄とか天国とかそう言う感じの場所なのだろうか。死後の世界のイメージが全く無いのでそういうあやふやな感じにしか捉えられないが、まさか考える事はできるのに何も起こらないなんて風になるんだとしたら、まさしく真性の地獄である。
「(生きていても地獄だったのに、まさか死んでも地獄とはな……トホ……)」
泣きっ面に蜂、と言うか死に体に獄と言った感じの絶望感が思考を伝った、その時だった。
完全なる無の暗闇の内に、迸る光の一端が映る。
それらは光芒として私の輪郭の周りを呑み込み、気付けば辺り一帯は、穏やかな午後の陽射しのような色調に包まれていた。
もう無い瞳孔がキュッとなる感じを憶えていると、不意にどこかから靴音が聞こえて来るのが分かった。
コツン、コツン、コツン。
高尚な靴の音。そう形容されるような、優雅で気品のある、一定のリズムで鳴る心地良い音が、光の奥から鳴り響いている。
「……悔恨堪える魂よ、よくぞココまで辿り着きました」
コツン、コツン、コツン。
その足音の主が自身に迫ってくるにつれて、世界が深く、より深く解像されていくのが、分かる。
光の光芒だと思っていたものは、正しくは世界の外延で、地面は光を内に溢れさせている水面だった。
辺り一体には白い羽根が舞い散っていて、一面の空を青すぎる青が覆っている。
そこは、まさにフィクションで喩えられる天国と相違ない造形の、楽園の様な場所だった。
「私の名は救済官アリエル。貴方の御魂が私を映し出す事を赦します」
希望の風が吹き荒み、舞っていた白い羽根達が幾つもの壁のようになって視界を遮った。バタバタと音を立てて空へと舞い上がり、羽根は青い天井の彼方へと呑み込まれていく。
……そうして目の前に立っていたのは、『完全な美少女』だった。
齢15から16を想像させる穏やかな起伏の身体に、虹の虹彩を堪える美しいシルクの薄ドレス。舞うような浅い希望色を映し出す素直な流れの髪は腰ほどまで伸びている。瞳はプラチナやパールを思わせる宝石の様で、見る者全員が魅了されてしまうような黄金比の尊顔が光相まって眩しく輝いている。
総じて、『完全な美少女』。幼少期に会っていたらきっと人生めちゃくちゃにされていたんだろうなと言うレベルの、人外に近い美貌の持ち主が、目の前に現れていた。
「あっ…………、あ………」
私は声を失った。いわゆる可愛らしい女の子と言うのを私が指す場合、その非モテ歴の長さ故に、ハードルが激低くなりがちである。だがこれはきっと、全人類、全人種、どんな人間が彼女を見ても、これ以上の美貌は存在しないと言うであろう。
余りにも完成された、人の身には許されていない美貌。そう表現して尚妥当と言わざるを負えない無窮の美しさが、其処にはあった。
ちなみに本小説初めての私のセリフがコレである。
その美に威圧されている事を見知ってなのか、彼女はクスッと笑い、後ろで手を組んで上半身をこちらへ突き出した。あどけなさを残す夏の所作だと思った。
「西宮誠二郎さん。今生における貴方の人生は終了しました。本来ならば貴方の魂は輪廻の輪に還り、長い浄化の旅の後に微生物となる予定だったのですが……」
「同じタイミングで亡くなった方達の中で、貴方が最も悔恨に溢れた情けない人生を送っていたので、こうして救済官である私が、貴方の魂を救済せんと呼び出した訳なのです」
朗々とした口調でそう告げる彼女は、“なのです“と言い切った後にニコッと笑い掛けてくれた。
やばいッ!こいつ可愛すぎるッ!!さっきニコッて笑い掛けてくれた瞬間に心がガシッと掴まれて恋に落ちそうになった!!!!いやもう半分落ちてる!!こいつヤバすぎる!!!!生きる沼か!!?!?!?
失礼、非モテ男子の悪癖が露呈してしまったようだ。お見苦しい所をお見せしてしまった。だが読者諸賢、その苦々しい表情を浮かべるのは少し待ってほしい。悪書もまた、きっと薬足り得ることもある。
私の魂の生き様を見て、皆様も今生に凄まじい悔恨を抱くが良い。
ああ怨嗟が先走ってしまった。何が薬だ、毒を喰らえ毒を。
「救済……って言うと……何を……されるんですか?」
自身より一回りも二回りも丈の小さい女の子に敬語を使うのも何気に屈辱的だが、こんな見るからに超常な相手にタメ口を聞けるほど据わった精神は持ち合わせていない。同級生のハイカーストにさえ敬語だったのに。
アリエルを名乗る救済官?は私の質問を快く受領してくださったようで、変わらず朗々とした声色で言葉を続けた。
「はい、私たち救済官の行う執行はいわゆる“転生“と呼ばれるものです。救済官それぞれの管轄する世界に救済対象者の御魂を降ろし、その世界に存在する一個人として人生をもう一度やり直させてあげるんです」
「救済対象者は総じて西宮さんのように“最も悔恨を抱きながら死んだ人”達なので、その恨み辛みを十全に解消できるように、転生支援も行っています。以前に転生された方ですと『全ての魔法を一番上手に扱えるようになる』『一番の大金持ちに必ずなれる』『最強の剣士になる』と言った具合の転生支援が多かったですね」
「い、一番の大金持ちに……」
アリエルの口から話される内容は、いかにも現実離れしている内容で、余りにも都合が良い、夢の様な内容だった。
漫画や神話でも良く「○○の転生」的な奴が出てくる事はあるが、そう言うのは宗教やら何やらの色が濃いイメージがある。修行した高名なお坊さんとか、神に愛された教祖とか、そう言う選ばれた一部の人間だけが第二の生を与えられるみたいな。
つまり現実的に起こり得ない事態、有り体に言えばそう感じていたこと。それが目の前でこうも繰り広げられている。
これは……現実だよな。現実だって割り切って、良いんだよな。
どうしても報われなかった私に与えられた最後の蜘蛛の糸。人生と言う迷宮、ルッキズムと言うミノタウロスに襲われていた私の前に現れた、アリアドネの糸。そう解釈して良いんだな?
もしこれが意識困憊中の心象だったのだとしても、別に構わない。こちとら救ってもらえるなら生きてようが死んでようか関係無いのだ。それならいっそ現実なのだと割り切って、第二の生を十分に謳歌する方が断然良いに決まっている。
私の心中は固かった。これを現実なのだと深く捉え、今目の前に起こっている不可解な現状の全てを受け止めるだけの度胸を心に堪えた。これによって、絶世の美少女たるアリエルと相対する事さえも可能となった。
「……アリエル、救済官アリエル。」
「へっ?」
さっきまでフワフワしていた御魂が突然筋骨隆々バリの超絶決意を宿したのだ、アリエルが素っ頓狂な声を上げるのも不自然では無い。一拍押された彼女を余所目に私は続ける。
「その支援はどれぐらい受けられて、どれぐらい自由なものなんだ?」
「あ、えっと……一応ちょっとした制限があって……御魂の格を人間以上に押し上げる、つまり神や上位生物の物に変える事は出来ません。あくまで人の範疇、人としての生の中で転生支援を行います」
「全部盛りみたいな転生支援を受けた人はいるのか?」
「一応『魔法も剣術も人格も見た目も地位も最高峰』みたいな方は居ましたが、転生して一週間で満足しちゃって、輪廻の輪に立ち返ってしまいました」
「そうか……」
クツクツ、そんな音を喉で鳴らしながら、私は笑った。
甘い、その男は余りにも甘すぎる。
おおよそ与えられた才能を使って派手に遊んでいたら大衆に目を付けられ、様々な形で頼りにされたが、最終的に搾取関係に陥ると踏み、面倒になって潔く輪廻する事を選んだのだろう。
人の身で出来ることには限りがある。彼の諸葛亮孔明が「アイツは何でも出来るけど一人しか居ない」と評されたように、いくら無限大の才覚があってもそれを100%発揮出来るとは限らないのだ。
私は違う。その男とは、悔いのレベルも格も違うのだ。
日常を満たしていた透明なルッキズム、容姿至上主義社会の中で、常に鬱屈を覚えていた私の悔恨とは、まるで格が違う!
「俺が選ぶのは難しいから、アリエルのオススメする支援セットを頼みたい。より良いセカンドライフにしたいんだ」
私がそう言って彼女を見ると、アリエルは静かに微笑んで頷く。
「わかりました。では幾つかの才能支援と血統支援、それから因果律支援を行います。」
不意に景色が引き延ばされて、魂が後方に引き付けられる感覚がし始めた。新しい何処かに飛ばされてしまうような感覚だ。
不可解を受け入れた今の私にあるのは、約束された十全な環境での無双に思いを馳せるワクワク感ばかりである。今生で抱いた鬱憤、そのツケを思うがままに精算させ、今度こそ大往生を—————‥‥‥
「他の転生者の皆様は見慣れた前世の肉体のままが良いと良くおっしゃられるので、そちらも適用しておきま
「うわぁァァァァアアアアアアアアアああ前世と同じ肉体イイイエエエアオオオオ!!!!?」
「ひえぇええええっ!!?」
渾身の魂の大絶叫が辺りに乱反し、それに驚いたアリエルが転生を一時キャンセルする。背中を引いていた引力が失せたのを理解すると、無い肺に深く息を吸い込ませて、私は言葉を続けた。
「こんッッのバカ野郎ォッッッ!!!!前世と同じ見た目で最高の人生なんて訪れるわけねぇだろうが!!!!!!!!」
「ば、ばか……!?」
盛大な身振り手振りで溢れんばかりの必死さを演出し、決定的な存在差のあるアリエルを怯えさせる。不敬な奴だ、転生取り消し!となったとしても、前回の見た目で異世界に転送されるくらいなら大人しく微生物になる方が何十倍もマシである。
「大体、ちょっと思ってたがお前ッ、ルックス強者過ぎるだろ!!!なんだその完璧美少女振りは!!!現実世界にそのレベルの造形美は存在しねえんだよ!!!」
「んんんななななっ…………!!?」
「お前達が完成してる“美“なせいでッ!そこからかけ離れてる俺達がッ、人生でめちゃくちゃ割を食ったんだヨォッ!!!このスーパー美少女オリジン野郎が!!!!ちょっとやそっとの転生支援とやらだけでこの鬱憤が晴らされるか!!!」
「俺を、超最高の美少年として転生させろ!!生まれは農民だろうと平民だろうと構わない、見る人が目を引いて、女の子がすぐに惚れるような、完璧な美少年に!!!!」
「あと超可愛い幼馴染もセットで」
救済してくれようとしている神様相手に対する有り得ざる暴挙。救済史以来、これほどまでに貪欲に美少年化を所望した転生者は居るのだろうか。
暴言折り込みの啖呵、その不敬指数はもはや現実の王様相手なら処断確定レベルだが……
「……わ、かりました。美少年化と、可愛い幼馴染ですね……」
目線を逸らし、僅かに頬を赤らめながら、アリエルは要望を承諾した。それから間髪置かずに、再び転生が再開される。先程よりも強い引力が魂を引っ張る、楽園が引き伸ばされ、少しずつ暗闇に変わっていく。
何はともあれ、どうやらあの啖呵がアリエルの顰蹙を買う事は無かったらしい。となればもう、第二のセカンドライフは絶対的な成功とハーレムが約束されている!
「ありがとうアリエル様!第二の人生、楽しんでくるよ!!」
全然目を合わせてくれないが、もはや関係無し!
待ってろ美しき世界!待ってろ美貌ハイカースト!
美醜の観念に不当に縛られていた人生に、今おさらばする時だ!!フハハハハハハハハハハハ!!!!!!……
………………
「……完璧、美少女……可愛い……かわいい……」
「……………………別にバカとか、そんな事ないし」
異世界に転生するのは次になります。