1. 女神レイア
「り―――……、涼――……、涼夜――……、涼夜くん……」
誰かが俺の名前を呼んでいる。俺は一体どうなってしまったのだろう。
温かいのに冷たくもあり、液体とも気体ともとれる不思議な物質が周りにあるのを感じる。どうやら俺自身も身体は存在しておらず魂や意識……。少なくとも俺の中にある何か一部のものだけの状態のようだ。
俺は周りの様子を確認しようと目を開いた。が、視界は真っ暗なままで、閉じている時と全く状況が変わらない。身体がないから、視覚も存在していないということなのだろうか?
とりあえず、ここが病院ではないということだけは確実だろう。病院なら、まずこんな意味不明なことにはならないはず。
それに、さっき俺を呼んでいた謎の声。病院で俺のことを涼夜くんと呼ぶのはいつもの看護師さんしかいないはずなのに、さっきの声はあの看護師さんではない全く聞き覚えのないものだった。
色々考えているうちに、先程俺の名前を呼んできたのと同じ声がまた話しかけてくる。
「どうやらお目覚めのようですね。ようこそお越し下さいました。お待ちしていましたよ」
「誰?」
気づいた時には反射的に口が動き、そう尋ねていた。これには驚きを隠せない。人と接することが苦手な俺が自ら誰かと会話しようとするなんて。
「そういえばまだでしたね。私の名前はレイア、女神レイアといいます」
声がそう答えたかと思うと、目を開いても闇に閉ざされていた視界がどんどん光に包み込まれていく。
と同時に、こちらに向かってほほ笑む翠色の巻き髪、宝石のような輝きを放つ紅い瞳を持った女性が目の前に姿を現した。その女性は白い服というか、布というか、神話、古代人……。そう、それこそ神様が身に着けていそうな綺麗な衣装を着ている。
凄い綺麗だな。って、今さらっと女神って言ったよね。なんで俺の前に女神様が? あ、ということは、そうか、この人が本当に女神様なら俺って――
「会っていきなりなのにこんなことを聞くのもおかしいと思うんですけど、俺って死んでますよね?」
俺の口はまた自然に動いていた。そういう問題なのかという気がしなくもないけど、もしかしたら相手が人じゃなくて女神様だから何ともないということなのだろうか?
「はい。完璧に紛れもなく亡くなっていますよ」
女神様はきっぱりと断言する。何も別にそこまで言い切らなくても……。
でも、俺がなんとなくでも死期の訪れを感じたのはあっていたらしい。あの時はまだちょっぴりそうじゃないかもしれないと思っていた部分もあったけど、ああいうのを感じることもあるんだな。
なんて感心していると、女神様はさらに続けてこう口を開く。
「先程も亡くなっていると述べたようにここは死後の世界です。正確には死後の魂が訪れる場所ですが。ただ、今重要なのはここがどこなのか、どういう場所なのかということではありません。私がどうしてあなたをここに呼んだのかということです」
俺が魂だけの状態なのもまさかの正解だったらしい。それはともかく、女神様が俺をここに呼んだ理由って何なのだろう?
「理由を申し上げる前に。ひとつ確認しておきたいことがあります」
「確認しておきたいこと? なんでしょうか?」
もう死んでいるのに、この期に及んで俺に確認したいことなんて――
「あなたはできるなら前世より幸せで恵まれた人生を送ってみたい、と望んでいる。これは間違いありませんか?」
「幸せで恵まれ……。え? 女神様がどうしてそれを?」
「その反応からすると、どうやらあっているようですね」
あまりに予想外な確認に、思わず俺は女神様に質問を質問で返してしまった。
確かに間違ってはいない。女神様の言ったことは死ぬ間際の俺の願いとそっくり一致している。
「では、早速にはなりますが理由をお教えしましょう。実は、私は後悔を持ったまま亡くなったあなたに新たな生を与え、また一から新たに人生を歩んでもらいたいと考えています。身勝手なお願いをしているのは十分承知の上。もしよければお受けいただけませんか?」
女神様は俺の質問には答えず、理由を述べた。
新たな生に一から新たに人生を歩む、ってどういうことだろう。そもそもお願いの内容がよく分からない問題が俺の中で発生してしまっている。
「あ、あの、女神様。受けるかどうか以前に、俺結局何をするのかいまいちよく理解できてないんですけど……」
「あ、えっと、つまるところ転生して欲しいというお願いなのですが……。これなら分かりますか?」
「え? あ、転生、なるほど?」
転生、ということは、別の人物として生まれ変わって異世界に行くあれだよね? いや、異世界とは限らないか。転生って本当に実在するんだ。ずっとラノベとか漫画とかアニメの世界の中だけのものだと思っていた。
って、冷静に考えている場合じゃなくて、転生!?
俺が幸せで恵まれた人生を送ってみたいと願ったのは確かだけど……。流石に叶えてくれる人が現れるなんて考えていなかった。これは、どうするべきなのだろうか?
「お受けいただけますか?」
女神様は、こうして俺が無理だと思っていた最後の願いを叶えようとしてくれているのだ。もちろん不安や恐怖がないと言えばそれは嘘になってしまう。が、もしやらなかった時にそんな気持ちよりも後悔の方が大きくなってしまう気がする。
「お願い受けさせていただきます。是非俺にやらせてください」
心に決めた。やってみよう。
「あなたならそう言って下さると信じていました。お受けいただいたこと、感謝します」
「いえ、こちらこそチャンスを与えてくれてありがとうございます」
「では、後回しにすると忘れてしまいそうなので、これだけ先に伝えておきましょうか」
女神様は何かを思い出したらしく、ポンと手を打ってこう続ける。
「転生後の話にはなってしまうのですが、今回は私から無理に転生をお願いしたので、特別に私の名前を呟いていただければ三回まであなたの手助けをできます。使わないかもしれませんが、覚えておいてもらえればいつかお役に立てるかもしれません」
「あ、あの、女神様」
「今度はどうしました? 何かありましたか?」
手助けをしてもらえるなら、転生前に何とかしておきたいことがある。もしこれがどうにかならなかったら、また同じような人生の繰り返しになりかねない。
「俺、その、前世に色々あったせいで人と接するのが怖くて。もし可能なら、一回目としてこれをどうにかしてもらうことって……」
「なるほど、そのことでしたか。もちろん色々あったことも存じ上げています。そうですね、では、今回は初回サービスでカウントなしで転生と同時に克服できているようにしておきましょうか」
「え、いいんですか?」
「もちろんです。お願いを受けていただいたお礼と言っては何ですが。それに、こんなところで一回目を使ってしまうのは勿体ないですからね」
まさかカウントなしでとは思っていなかったが、叶えてもらえてとてもありがたい。これでとりあえず誰かと対面することに関しては安心してよさそうだ。
女神様は嬉しそうにする俺を見つめ、また静かに微笑む。
「そろそろ転生を始めましょうか」
女神様の姿が目の前から消える。代わりに複雑な模様で描かれた大きな魔方陣が突然足元に現れ、白い光を放ち始める。時間が経つとともに魔方陣の放つ光はより強くなり、周囲の景色をぼやかしていく。
「涼夜くん、あなたの新たな人生が素敵なものとなることを――」
女神様の言葉が白い光の中でも途切れ途切れに聞こえてくる。
これも女神様が起こしたものなのか、俺は強くなる光の中で急激な眠気に襲われ、視界が闇に閉ざされていった。