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3.名無し

 それから数時間フィーネさんとその店でお茶をしながら過ごし、次第に混み始めた店を逃げるようにして外に出る。陽が沈みかけて、夕焼け色に染まる街を見ながらまた中央区へと向かった。屯所に行けば昼間とは違う男の人が対応してくれたが、態度は少し変わるだけで対応自体はあまり変わらなかった。この王都は人権を持たない人には冷たいらしい。そんなことを思う。

 以前の世界でも実際の所、痴漢や暴漢に対して警察官の対応はあまりよくない、なんて噂を何度か耳にしたことはある。だから、この世界はその態度があからさまなだけで、以前と大差ないのかもしれない。けれど、以前は以前で私自身そんなに関わってきたわけじゃないから、そんな曖昧な考えを固定したくない。

 以前の記憶があるのは幸いなことだけど、こうして以前と比べてしまうのはちょっとよくない気がする。人は堕落を覚えるもので、この幼い体では実際良いも悪いもわからないはずなのに、記憶があるせいで悪いと決めつけてしまいがちな気がする。せめて、先入観に捕らわれて決めつけることはしないようにしよう。


「残念だが、その子の捜索願いはきていないね」


「そうかい。邪魔したね」


 抑揚のない声でそう返したフィーネさんは私の手を取って屯所を後にした。

 昼間と同じように少し歩いたところで彼女は立ち止まる。視線を感じたので顔を上げれば、翡翠色の綺麗な目がまっすぐに向けられていた。


「あんた、これからどうしたいんだい?」


 結局、私は迷子なのか、人攫いにあったのか、それとも捨てられたのか。わからないままだ。その状態で親が名乗り出てくるまで待つ、なんて非現実的だろう。自分という存在が生き延びるにはどうするのか選択しなければならない。

 子供じゃなければ、ここでどうにか職を見つけて生活すると言えただろう。多少不便さはあっても、軽い計算ならできるし、ちょっとした仕事くらいならできなくないはずだ。だけど、以前の記憶があっても、この体は幼い。どんなに頑張っても、生き延びるのは難しい。

 ならば、決断しなければならない。誰を巻き込むか。


「……孤児院とか、そういうのはあるんでしょうか?」


「あるよ。ここは王都だ。人が多い分、それだけ貧富の差も激しい。小さな村だったら無かったかもしれないけど、この王都ではいくつかあるはずだ」


「それなら、そこに預けてもらっても、いいです。でも、我がままを言っていいのでしたら、私は……」


 ここの孤児院にいれば、その分本当の両親と会う可能性は高まるだろう。親戚でもないフィーネさんにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないし、きっとそれがいい。

 だけど、そう考えただけでドッと不安が押し寄せてくる。山の中をやみくもに歩いていたあの時以上の不安に、体が竦んでしまった。


「私は、フィーネさんに、お世話になりたい、です」


 声が震えてしまう。こんな我がまま、本当なら言ってしまってはいけない。

 あの状態になって初めて会ったのがフィーネさんで、ただ彼女がいい人だっただけ。それだけの縁で、彼女と一緒にいたいと願うのはとても傲慢で、とても浅はかで、とても身勝手な考えだと思う。ただ彼女を困らせるだけというのはわかっていた。

 だけど、それでも、この王都にいるのは不安だった。ロッテさんみたいにいい人もいることはわかるけど、屯所の人みたいな人も混ざっている。人がいっぱいいるということは、それだけ善悪に溢れているということ。人付き合いが苦手な方とはいわないけれど、この世界のことを全然知らないうちにこんなにも大きな場所にいたいとは思えなかった。

 でも、やっぱり言うべきじゃなかったかもしれない。だって、フィーネさんに面倒な子だと思われるのは、とても嫌だ。


「私の所には、何もないよ」


「家がありますし、山だから自然がいっぱいです。水だってあるし、お肉だって、動物を捕まえれば手に入りますよね?」


「……はは、確かにそうだ。私はそうして生きてきたからね。あんた、よくわかってるじゃないか」


「それに、フィーネさんがいます。きっと、何処に行っても誰かに迷惑をかけるのはわかってるんです。だから……、それなら、フィーネさんがいい」


 ギュッと、握られている手に力を込めれば、彼女は目を大きく見開いた。暫く無言で見つめ合っていたが、やがて折れたように彼女は膝を折って視線を合わせた。私からはこれ以上何も言わない。ただ黙って彼女を見つめていれば、頭を抱えるようにして抱き締められた。


「負けたよ、あんたには。そこまではっきり言われたら仕方ないねえ」


「……いて、いいんですか?」


「ああ、いいよ。定期的に王都にも連れて行ってあげるよ。あんたのこと、探している可能性はまだ無くなったわけじゃないからねえ」


 優しい声に嬉しくなった。さっきまであった不安なんてあっという間に消えて、じんわりとした暖かい気持ちが全身を巡る。

 この人が、私を見つけてくれてよかった。こんないい人に拾われてよかった。自分の運の良さを褒めながら、小さな腕を伸ばして彼女にしがみつくように抱き着いた。






 夕飯もロッテさんのところで食べることになった。ハンバーグみたいなのは美味しかったけど、どうせならこの世界の別のメニューも食べてみたいので、今度はフィーネさんと同じものが食べたいと言ってご飯を待つ。


「え? じゃあフィーネさんがその子預かるのかい?」


「ああ、そういうことにしたよ」


「こりゃあすごいことになったねえ。明日晴れるといいけど」


 惚けたように驚愕を露わにするロッテさんにフィーネさんはどういうことだいと低い声で嗜める。その気軽いやり取りがまるで親子のようで、思わず笑ってしまった。取って置きのお店と言っていたけど、ご飯が美味しい以前に、おそらくはロッテさんがフィーネさんのお気に入りなんだろうな。


「かあさーん! もうふろ入れちまっていい?」


「いいけど、火おこせるの? あんた」


「おこせるって言ってるだろ! あれ、フィーネばあちゃんじゃん! すげーひさしぶり!」


 まだお客がいるというのに気にした様子もなく顔を出したのは私より少し大きな男の子だった。以前の世界なら見慣れているさらりとした黒い髪とガラスのような綺麗な緑の瞳をした彼は、大きな瞳を輝かせて駆け寄ってくる。ロッテさんの態度からしてこの子がテオなのだろう。


「子供の成長は早いねえ。随分でかくなったじゃないか」


「あたりまえだろ! あったの半年くらいまえだぞ!」


 見るからにむくれているテオにフィーネさんはまるでおもちゃで遊ぶような無邪気な顔で頭を軽く叩いて宥めた。そんな扱いにも不満そうな表情を向けながらも、ふと視線が私の方に向いた。ロッテさんと同じく、フィーネさんが誰かといるのが珍しいのだろう。


「だれ?」


「昨日山で拾った子だよ。今日から私のところで暮らすんだ」


「ふぅん。じゃあなかまだな! オレ、テオドールってんだ。おまえは?」


 明るく笑ってくれるこの子は、ロッテさんの息子らしくとても元気で心根が優しい子なんだろう。ただフィーネさんといるというだけで仲間だなんて言ってくれるんだから。嬉しくて笑って言葉を返そうと思ったけれど、名前を聞かれると困る。記憶がないからこの体の名前を知らない。唯一知っているのは以前の名前だ。けれど、それも思い付きで付けたという意味で口にしたくもない。以前の名前は、嫌いだった。


「えっと……」


「何だよ、言えねーの?」


「テオ、その子は記憶がないのよ。自分の名前もわからないの」


 ロッテさんが周囲には聞こえないようにこっそりと口にしてくれた。私を気遣ってここでは言いたくないという空気を出してくれている。子供相手でも考えてくれるとてもいい人だ。テオは驚いたように声を上げてポカンとした表情を私に向ける。記憶喪失の子なんてそうそう出会うことはないだろう。そんな奴いるのかなんて表情で言っていた。その顔がちょっと間抜けで面白いな、なんて見つめていたら、彼は少し大きな声で口にした。


「じゃあ、〝名無し〟じゃねーか!」


 シン、と店が静かになる。まるでテレビの電源を切ったかのような静けさに私は驚いた。どうしてこんな空気になるのか。フィーネさん達だけならまだしも、他のお客さんも気まずそうにこちらを見ながら口を閉ざしていた。そんな静寂を破ったのは顔を真っ赤にしたロッテさんだ。


「あんた何を言ってるの! そんな言葉、言うんじゃありません!」


 ビリビリと肌に突き刺さるような怒声に私もテオも身を竦ませる。穏やかな彼女がここまで怒るなんて。お客さん相手には気を付けているのかな、とも思ったけど、テオも信じられないとばかりにロッテさんを見つめていたからかなり珍しいのだろう。確かに、名無しという響きはよくないけど、それでも彼女がこんなにも怒るなんて、何かこの言い方に意味があるのだろうか。


「え、あ……」


「どうしてそんな事言うの! この子に失礼でしょ! 謝りなさい!」


「ロッテ、落ち着きなよ」


「いいえ、フィーネさん。こればかりは駄目よ! ちゃんと教えてやらないと!」


 固くも落ち着いた声音でどうにかロッテさんを宥めようとしたフィーネさんにも、彼女は聞く耳を持たずにただただテオを睨んでいた。テオは未だに状況が理解できないというように顔を青くして視線を彷徨わせている。それは、何か言葉を探すものの、言葉が出てこないようで、まるで今の私と同じような心情に思えた。

 もしかして、と思う。ロッテさんにとって〝名無し〟とはきっとよくない言い回しなのだろう。きっと、身分的によくない人を抽象的に表す、そんな感じの。だからきっと彼女は怒っている。そして、それで怒れる彼女は、きっとテオにそんな言葉を教えたりしない。

 それなら……。


「何してるの! 早く謝――」


「待って、おばさん」


 更に追い詰めるように声を荒げようとした彼女を、私が声を上げて止める。フィーネさんの言葉は無視したけれど、被害者である私の言葉には多少耳を傾ける余裕は残っていたようだ。ハッとして私の方に向き直った。


「ごめんね、この子があんなこと言って。気分が悪いでしょう?」


「ううん。だって、名前を覚えていないってことは、無いのと同じだもの。言い方はあれだけど、別に気にしてないよ。だって、私は、その言葉に何の意味があるか知らないもん」


 はっきりとどうしてそれが駄目なのかわからないと口にすれば、ロッテさんはハッとしたようにテオに視線を向けた。彼は一方的に怒鳴られながらも、自分が悪かったことだけは認識して、どうにか涙を目に溜めた状態で俯いていた。自分が悪いけど、悪い理由がわからない。だから泣くこともできず、謝ることもできず。半端なことをしないその姿勢は、子供ながらもすごいと思う。なかなかできないことだ。私が精神も同じ年くらいだったらきっと反射で謝っていただろう。


「テオ、貴方どこでその言葉を聞いたの?」


「東区に近いところにいたおとなが、口にしてた。教会のこと話してたから、あそこの、名まえもないままあずけられた子どものことをそうよんでるのかなって思って」


「……そう、そうなのね。ごめんなさい。意味を知っていて言ったのかと思って。悪いことだと知らなかったのね。怒鳴って悪かったわ」


 名無し。その言葉通り、名前が無い子のことをただそう呼んでいる。そう認識して、だけど使う場面がなかったからここぞとばかりに私に使った。子供ながらに単純な理由だったと気付いたロッテさんは、優しく謝りながらテオの頭を撫でた。

 そして、私にもわかるように名無しの意味を教えてくれた。親がいなかったり、職もなく、貧しい暮らしをする人たちのことを、庶民以下……人ではないという差別用語としてつけられたのが名無しらしい。孤児院に預けられている子供たちは実際のところきちんとその施設の人が保護者となるので、その言葉を使うには値しないのだが、何はともあれ家の無い子供を蔑む言葉なのは確かで、実際使ってはいけない言葉だ。だからテオが口にして思わず怒鳴ってしまったのだと。


「だからテオ。もうあの言葉は使っちゃダメよ。それは人のことを悪く言う時の言葉なの」


「……わかった。えっと、ごめんな?」


「ううん。気にしてないよ」


 理由を聞いたらきちんと反省して謝れる。やっぱりテオはいい子だ。ロッテさんの子供だけあると思う。まっすぐに私の顔を見て謝ってくれた彼に首を振って微笑めば、彼はちょっと照れくさかったのか顔を真っ赤にして俯いてしまった。その様子に何故かフィーネさんもロッテさんも顔を見合わせてニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべる。

 でも、名前が無いのは困るんだよねえ。そう思ってフィーネさんに視線を向ける。


「ねえ、私の名前、フィーネさんが付けてくれない?」


「そう来ると思ったよ。でもわたしゃあ名前を付けるセンスが無くてねえ……」


「そうだ、テオ、貴方が付けてみたら?」


「はあ?」


「そりゃあいい。付けてみなよ」


 まるで揶揄うように振られて、テオが不満そうに声を上げる。何故か恐る恐るという感じで私の方に視線を向けた。少し悩んでいるその顔はまだ若干赤くて、でも唸ってくれているということは、何だかんだ名前を付けようとしてくれるいるみたいだ。こんな小さな子供にいきなり名前を付けろだなんて無茶を言う。フィーネさんにって言ったのに、まさかその役目をテオに押し付けるとは思わなくて、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「……ティーナ」


「え?」


「おまえのなまえ! ティーナってのは、どうだ?」


ティーナ、ティーナ……かあ。なんだろう、すごいしっくりくる。可愛い過ぎない? って普段なら思うのに、まるで前からその名前で呼ばれていたような感覚だ。すごく心がホカホカして、ムズムズして、勝手に頬が緩んだ。嬉しい、この世界での名前だ。嬉しくてにんまりと笑って、何度も頷いた。


「うん、ティーナ! 可愛い名前! ありがとう!」


「……ッ、き、気に入ったなら、よかった」


「あらー、いい名前つけたじゃない。ティーナねえ。どこかで聞いたわねー」


「う、うるさい! お、オレ、風呂入れてくる!」


 未だに揶揄うような声をかける二人から逃げるようにテオは奥に引っ込んでしまった。折角名前を付けてくれた子と、ちゃんと友達になる前に別れてしまって寂しい。あーぁ、と不貞腐れた気持ちで水を飲んだ。

 そんな様子をフィーネさんが面白そうに見つめてくるから、居心地はとても悪かった。



 

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