第2話 子犬の少女と出会った高校初日
声をかけてきたのは、俺と同い年くらいの、少し茶色がかったゆるふわウェーブした髪がおしゃれ可愛い女の子だった。
上はTシャツにパーカー、下はプリーツスカートにスパッツという犬の散歩にちょうどよさそうな服装をしている。
ピースケと呼ばれた子犬を俺から受け取った少女は、
「助けていただき本当にありがとうございました! 急に大きな犬に吠えられてビックリして逃げちゃって。まだ小さいんだから、わたしが気を付けないといけなかったのに。ごめんね、ピースケ」
そう言って俺とピースケに頭を下げた。
うん、素直ないい子みたいだな。
「ちゃんと分かってるならいいよ。今回は無事でよかったってことで」
「あの、お礼を――」
「いいよ別にお礼なんて」
俺は礼なんてされるような、そんなたいそうな人間じゃないからな。
幼馴染に振られただけの、ただの哀れなミジンコなんだから……。
「でもでも助けていただいて――あれ? えっと、あなたって、広瀬くんだよね?」
「なんで俺の名前を――」
「なんでって同じクラスじゃん? 今日会ったでしょ? あ、もしかして一卵性の兄弟だったり?」
「いや普通の一人っ子だよ」
「じゃあやっぱり広瀬くんだよね。ねぇねぇ、わたし蓮池春香。一緒のクラスなんだけど覚えてないかな?」
「えっと……ごめん覚えてない。今日はその、ずっと考えごとをしてたから……」
「あ、だから一人でずっと静かだったんだね。うつむいたまま誰とも話さないから気になってたんだ」
「心配かけて悪かったな」
「なんで広瀬くんが謝るの? むしろ広瀬くんはピースケを助けてくれた恩人なのに。ほんとありがとうね! すごく、その、カッコよかったし……白馬の王子様みたいで――ってなにを言わせるのかな!?」
「俺はなにも言わせてねーよ……」
冤罪も甚だしい。
「なにかお礼でも――」
「だからお礼はいいってば。ピースケが無事でよかったよ。おいピースケ、優しいご主人様にもう迷惑かけちゃいけないぞ? ビックリしても、勝手に逃げるんじゃないぞ?」
言いながら俺が頭を優しくなでてやると、蓮池さんの腕の中でピースケが嬉しそうに目を細めた。
それ見る蓮池さんがすごく嬉しそうでいて、俺はずっともやついていた心がなぜか少しだけ、晴れやかになった気がしたのだった。
ピースケをあやす蓮池さんをしばらく眺めてから、
「じゃあ俺はそろそろ帰るから――」
俺はそう切り出した。
「あれ? 広瀬くんって家こっちなの? っていうか、なんでまだ制服なの?」
「ちょっと寄り道しててな……俺んちはすぐそこなんだ。このまま道なりに行った先に川があるだろ? あれ渡ってすぐのところ。もろ川沿い。ちなみに大雨の後は凄くうるさい」
「わ、奇っ遇! わたしの家、あの川のこっち側の川沿いなんだ。雨の後は川の音がすごいよね、ゴゴゴゴ!って感じで」
「あれ? ってことは俺んちと目と鼻の先じゃないか。俺、蓮池さんのこと全然知らなかったんだけど」
「あの川が小中学校の学区の境目だから、今まで接点がなかったんだね、きっと」
「みたいだな……」
俺の家は川を挟んで東側の学区の、西の端。
そして蓮池さんの家は西側の学区の、東の端だったというわけだ。
中学生にとって学区が違えば接点がない――どころか世界が違うといっても過言じゃない。
「じゃあ途中まで一緒に帰ろうよ?」
「え、ああ、うん」
俺が断るとは微塵も思っていないのか、ピースケを下ろして歩き始めた蓮池さんの、その隣に並ぶようにして俺も歩き出す。
「蓮池さんは――」
「春香でいいよ? みんなそう呼ぶし」
「え、そ、そう……? じゃあ……春香」
俺は物心ついた時には千夏という幼馴染がいたため、女の子を下の名前で呼ぶことにそこまでの抵抗はない。
ただそれでも。
初対面の女子を下の名前で呼ぶとなると、さすがに少し気後れしなくもなかった。
微妙なお年頃というやつだ。
しかも、
「なーに、こーへい」
「え?」
俺も蓮池さん――春香から、下の名前で呼ばれてしまったのだ。
「えっ、て……あ、その反応! もしかしてわたしのことは名前で呼んでも、俺を名前で呼ぶのは許さないぜ、的な? 実は亭主関白タイプ?」
「まさかそんな。いきなり名前で呼ばれたからビックリしただけ。あと亭主関白はちょっとなにか違うと思う」
「そうかなぁ?」
とまぁ、そんな感じで気さくに話しかけてくる春香とおしゃべりしているうちに、
「あ、わたしの家ここだから」
『蓮池』の表札がかかった一軒家の前に、俺たちはいた。
「うわ、マジでご近所だな。ちなみに俺の家はあそこだ。川を挟んだちょうど向かいの、2階に布団を干してる家」
「すごっ、ほんと川を挟んだ向かい側じゃん!? すごい偶然!」
「だろ? 俺もビックリしたよ」
「えへへ、じゃあこれからよろしくね、お向かいさん」
「え? ああ、うん、確かに川を挟んだお向かいさんか」
「それと、早く布団を入れないと湿気ちゃうよ?」
「思ったよりも寄り道しすぎてさ……帰ったらすぐ入れる」
「うん、そーしなよ。でもこーへいの元気が出たみたいで良かった。何があったか知らないけど、話をして少しは気が晴れた?」
「あ――」
言われて俺は、今の自分が暗い気持ちをほとんど感じていないことに、今更ながらに気が付いた。
むしろ今の気持ちを表すなら――「楽しい」だった。
そんな俺を見てニッコリ笑って春香が言った。
「元気になったみたいで良かった。じゃあまた明日、学校でね」
「うん、また明日――」
「ばいばい! こーへい!」
「ばいばい――」
春香みたいな女の子と知り合えたんだ、少しだけ高校生活を頑張ってもいいかな――。
春香のステキな笑顔に魅せられた俺は、胸の中にわずかな高鳴りを感じながら、そんなことを思っていた。
こうして俺の高校生活は、不思議な縁と共に幕を開けたのだった――。
ちなみに。
春香のいう「みんな」が「女子のみんな」であることを、俺はすぐに知ることになる。