6.初めての魔物
さっきの川の中にいた何かが急に飛び出して襲ってこないか不安になり、水辺から少し離れた崖の上を歩いて行く。
何も起こらなければ、まるで日本の山を歩いているようだ。
そこら中に魔物が闊歩していると思っていたが、どうやらそういうわけでも無いようで、小鳥の囀りは聞こえるものの、その他の獣や魔物の気配は無い。
このまま魔物に遭わずに村が見つかれば良いんだけどな...
人がいればなんとかなると思いしばらく歩いていると、森の側から太い唸り声のようなものが聞こえてきた。
(!いよいよ魔物のお出ましか⁉︎)
俺は咄嗟に身を屈め、声のした方に目を向けると、そこには四足歩行の猪のような獣がこちらに背を向け何かを威嚇していた。
(あれが魔物か?普通の動物のように見えるし思ったより大きくないな)
後ろ向きになっているので、背後からそのまま剣で切りつければそのまま倒せそうではあるが、猪の前方にも何かがいるのは間違いない。
怯えるように威嚇を続けていることから、あの猪よりは格上の存在がその先にいるのだろう。
俺は身を屈めたまま近くの木の陰に身を隠し、警戒しながら様子を伺う。
見える範囲には猪以外何もいない。緊張しつつ猪の前方を注視していると、それは森の奥から悠然と姿を現した。
深い茶色の毛に覆われた狼のような魔物だ。大人の象かという程の大きさと、それが醸し出す雰囲気から、明らかに魔物であることが分かる。
獲物を見据える獰猛な黄色い眼を持ち、ほほの奥まで裂けた口からは鋭い牙が見え、力強さを兼ね備えたしなやかな脚には大きな爪が生えている。
森の木達が移動の邪魔になりそうなものだが、それらを器用に避けながら何も障害物が無いかのような動きで近づいて来る。巨体であるにも関わらず土の上を音も無く歩き、リズミカルに体を揺らしながら、あっという間に猪の前まで迫ってきた。
ガッ!
「ブキィッ!」
猪が堪らず逃げようと方向を変えた刹那、肺から無理やり空気を押し出されたような苦しみの鳴き声と共に猪が真横に吹き飛ばされ、いくつもの細い木をへし折りながら地面に転がる。
前脚で薙ぎ払われたのか、猪は一瞬痙攣した後、動かなくなった。即死だ。狼の魔物は獲物を口に咥え去って行く。巣に持ち帰り食べるのだろうか?
あまりの出来事に身体を硬直させたまま木の陰からその様子を見ていた俺は、魔物が猪だけで満足し、この場を去ることに安堵した。
しかし、安心した直後、魔物が口に猪を咥えたまま、ふいに後ろを振り向き、俺と目が合う。
(まずい!)
一瞬にして背筋が凍る。
猫は目を合わせると敵とみなし、襲ってくると聞いたことがある。目を逸らすんだ!
内心ではそう思いつつも、鋭く光る二つの眼光から目を離すことができない。
次第に息遣いが粗くなり、心臓が激しく鼓動する。
高い場所に立って下を見た時のように足に力が入らなくなり、木に支えられていなければ立っている事すら出来ない。
殺される...。転生初日にして、いきなりこんな形でエルモナル人生が終わるとは...。
病院で寝ていた時にも感じたことのなかった死というものを、俺は生まれて初めて感じ、そして...覚悟した。
何秒間目が合っていたのだろう...。狼の魔物はフンッと軽く鼻を鳴らし、そのままそこから去って行った。
...助かった。思わずその場に座り込む。手と足が震えしばらく動くこともできなそうだ。
...あんなのと戦うのか...?いくら最強の肉体を持っていたとしても、とても勝てるとは思えない。
右手に持つ剣がやけに小さく見えた。
「マッドフィールド!」
突然女性の声が森に響く。
驚いたせいか体に力が入り動けるようになる。
「ファイアアロー!」
間髪を入れずに男性の気合の入った声がした。
「グアァッ!グオォッ!」
さっきの狼だろうか。獣が苦しむ大きな声が聞こえる。
俺が急ぎ声のする方へ向かうと、顔に火のついた巨大な狼と対峙する3人の冒険者の姿があった。
「シンディ!フィールド効果の切れ目に注意しろ!」
「分かってる!アンタこそ攻撃の手を緩めないでよ!」
「任せておけ!飛燕!」
「ギャッ!」
男が横薙ぎに振った剣から青白い光の斬撃が飛び出し、狼の両前脚に命中する。狼の足元は柔らかな泥状になっており、脚を取られている上に斬撃を受け、前のめりに倒れ込む。
「よーし。トドメいくよー。バッシュはもう少し離れててねー」
ローブを羽織り、杖を持った3人目の男がそう言い、飛燕を飛ばした男がバックステップを踏み狼と距離を取る。
「ウォータカッター!」
男の杖の先の空間が僅かに揺らいだように見えたと思った次の瞬間、何もない空中に綺麗な水が湧き出した。浮いたままのその水の塊は薄く伸ばされ、円盤状に高速回転するカッターへとその姿を変えた。
水でできたカッターは、風切り音を立てながら吸い込まれるように狼に向かう。
そして動きを封じられた狼は、声をあげる事無くその巨大な首を落とされ絶命したのであった。