夜がやってきた
一瞬、自分が思ったのかと思った。
どういうカラクリか、宮藤は俺の脳に直接語りかけてきた。
「……なにが、だっ?」
なんとかかんとか肺に酸素を送り込み、そこから声を吐きだす。無理したせいで、全身のダメージは倍加していた。ついでに噛み千切られた肩から頭から頬から流れる血は、止まる気配も見せないし。まったく、これじゃあ――
【くるな……くるな……くる、なァ!】
お前にとっては、血の滴る激厚レアステーキにでも見えてんのかね?
「っ……なに強がってんだ、お前?」
膝を抱えたいつもの姿勢のまま、宮藤は震えだした。親指らしき輪郭を、口らしき空洞に入れ、ガチガチと開け閉めする。もう手を掲げたり、プレッシャーをかけただけじゃ止まらないと悟ったのか。だったら、飲めばいいものを。
どうしてそこまで、我慢する?
ずりっ、ずりっ、と這って近づき、俺は宮藤の目の前まで迫った。そしてニヤリと笑い、頬の血を拭い、
「飲めよ、お前? 腹、減ってんだろうが? 意地張ってる場合じゃ、ねぇだろ? お前もうすぐ――」
もうすぐ?
もうすぐ、なんだっていうんだ?
そこで不可解なことに、気づいた。
なぜ宮藤は、再生しないんだ? 昼間だった、絶好調に。最初に会った日と同じように。なにか他に制約でもあるのか? そういえば今の時刻は? 不意に気になり振り返り、ちょうど公園の真ん中にある足の高い時計に目をやる。6時まえ。空は青から、薄ら紅くなりつつあった。
陽が、墜ちている。
だからなんだということはない。ただ宮藤が、普通の人間に近くなるというだけの話。生田から聞いたのは、そういう話だった。
だがなぜか。
予兆みたいな、ものがあった。
「宮藤……?」
【う……うぅ、う……!】
宮藤は、戦っていた。なにかと、必死に。それがなにかは、その時の俺にはわからなかった。ただ、考えていた。俺がこうしてここに来たのは、果たして正解だったのか、間違いだったのかと。
「くど――」
陽が、堕ちた。
夜が、やってきた。
そして、
【あ、ぁあ"……あああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
バリっ、と宮藤の真っ黒な"外殻"が、割れた。
そして中から――ながい白髪の、同色ともいえるワンピース姿の、金色の瞳を持った少女が、現れた。
「――――」
一瞬、呆気にとられた。誰なのか、わからなかったからだ。まるで別人のような風貌と、雰囲気だった。
純粋を結晶化して固めたような、そんな無邪気な雰囲気。
それはいわゆる、人間らしさが決定的に欠如している在り方だった。初めて遭遇した時により近いかったが、これは――
「……お前は、"なんだ"?」
誰だといわなかったのは、本能が察していたためだろうか。
その宮藤のようなナニカは、その辺を弾むようにスキップしながら、今こちらに気づいたように視線だけを向けて、
「……やあ」
「よぉ」
「あは」
「楽しそうだな?」
「あははははははは」
「会話は、無理か?」
「で、なんかよー?」
「質問に、答えてもらえるか?」
「わたしは、クディア=エミリターゼだよ」
ふたつ、引っかかる言葉を投げかけられた。宮藤の一人称は、ボクだった。そしてこのナニカは、自身の名前をそのまま名乗った。
いや。
果たして、宮藤愛里菜という名前は本当に偽名だったのか?
「クディア、か。それでクディアは、いったいどこから来たんだ?」
「わたしは、あの世から来たよー」
なにをバカな。
「……なにしに、きたんだ?」
「遊ぶためー」
きゃっきゃきゃっきゃと、クディアは辺りを跳ねまわっている。そこに意図や狙いは読めない、というより無いように見受けられる。まるで見たままの、子供だった。
「あは」
右手を遠くの鉄棒に、真一文字に振った。
鉄棒は強風にでも煽られた竹のようにしなり、耐え切れず根元からバギリと折れ、そのまま向こうに吹き飛ばされた。
あれが人の首だったらと思うと、考えたくもなかった。
反対側を見ると、未だ白身を帯びた満月が、その存在を少しづつ主張し始めていた。突然変異と、生田は言っていた。夜になると弱くなる吸血鬼なんて、いるわけがない。
「宮藤……」
「クディアだってば」
そして無邪気に――一足飛びに、クディアはこちらとの間合いをゼロにした。眼前に迫る、その嬉々とした表情と、金色の瞳。その顔だけが、宮藤だった時の名残だった。
ぺろ、とクディアは俺の肩から流れる血を、舐めとった。
あれだけ拒否していた行為を、躊躇いも無く。
「あー、美味しい血を持ってるねお兄ちゃん、もっと舐めていーい?」
「いいぞ?」
ぺろぺろぺろと、まるで犬猫かなにかのようだった。そこに宮藤らしさの、欠片も無い。
クディアは許可なく、さらに俺の頭部から流れる血も舐め始めた。文字通り、体に吸収するような勢いだった。触ると、既に肩の血は、消え失せていた。
「……うまいか?」
「おいしー」




