純粋な好意
「っ!?」
覚えがある。これは自分の部屋で味わったものと、同じ類のようだ。まるでアスファルトが、泥になったような――というより、なにも無くなったような感覚だった。
足をかけるところすら、無いような。
「っ、く、う……!」
「悪いな、少年との戦力差は重々承知しているからね。先に機動力を、奪わせてもらうわ」
左足は沈み続ける。なんとか脱出しようと試みるが、今度は踏ん張れるような感触すらない。だとすれば力の入れようもない。そうこうしているうちに腰まで浸かり、そのまま右足の足首まで、沈み込んでしまった。
そこでようやく鉄扉が開かれ、そこからチェックのスーツを着込んだカールした茶髪の、英国紳士が現れた。
「生田……」
「やあ少年、久しぶ――」
一秒も、かけなかったろう。
宮藤が一足で、生田に向かって飛びかかっていた。
無言で、右爪を振りおろしていた。
金属音がした。
「……ちぇ」
小さく呟き、宮藤は大きく飛び退き、俺の傍まで戻ってくる。というか、ほとんど着地に近かった。三メートルくらいは跳び上がっていたんではないか? しかしそれでもなお着地の際になんの音もさせず埃すら舞わなかったのは、ほとんど猫の所作に近いモノがあった。
見事だった。
「やるな……」
「? なにが?」
「いや……それで、いまのどうなったんだ?」
「どう考えてもアレが一般人のふみっきーに魔法でなんかしてきたからとりあえず一発切り裂いとこうと思ったんだけどなんかで弾かれて、ざーんねん」
「なるほど、とりあえずで切り裂かれるとは吸血鬼には手を出しちゃいけないな」
「そだねー」
楽しげだった。さっきまでの悲壮感というか張り詰めた感じは、欠片もなかった。まったく現金な女だ。というより、現金なのが女というものなのか? それより吸血鬼が現金なのか? 宮藤だからなのか?
「難しい問題だな……」
「? なんかふみっきーって、いっつも悩んでるよね?」
「いや、俺の周りの知り合い約一名がしょっちゅう問題を持ってきてくれてな」
「? たいへんだねー」
この空気読まない感じも、どの属性によるものなのか悩ましいところだった。
「――で、あんたはどういうつもりなんだ?」
視線を、向ける。身体が傾いだうえに身動き取れない状態というのがカッコつかなくて仕方なかったが、なんにせよ現状をどうにかしなくては。
生田は余裕の体で、胸元から一挺の拳銃を取り出した。
しかしその動作は、どこか緩慢さを秘めていた。
どこか様子が、おかしい。
「いやまったく、さすがは吸血鬼。おそろしい残酷さと、そして強靭な身体能力。恐れ入ったよ。というか純粋に、恐ろしいなまったく」
「ソウデスネ。ヤハリ吸血鬼ハ、アッテハナラナイモノデス」
その背中から。
最初の時のように奇怪な話し方をするチビが、現れた。
「おう、小海さん」
「…………」
残念ながら、返事はなかった。ただ無感情な瞳で、こちらを見つめていた。
というよりも、そこに意は一切見られなかった。いうなら、ただ顔をこちらに向けているだけ、といった感じか。
なにかカラクリが、あるのだろう。魔法といった、そういう超常現象を引き起こすからカラクリが。
「もう、俺と話すつもりはないのか?」
「だって少年、もう動けないだろう?」
なるほど、戦力外通告か。だからこその、会話だったのだろう。
生田も小海も、見ているのは――視界に収めているのは、宮藤ひとりだった。
それはそれなりの、それは屈辱だった。
生田は銃を反対側の手で弄びながら、
「さて……なんとお呼びしたらよろしいですかな? クディア嬢? エミリターゼ姫? それともクディア=エミリタ――」
「宮藤でいいよ」
仁王立ちプラス腕を組み、可愛らしく頭を傾げて笑顔で、宮藤は答えた。それは生田の在り方を上回る、余裕の体だった。
「もしくはえりりんでも? どちらでも、お好きな方を」
そこに込められたのは、純粋な好意。
それは、恐ろしい事実だった。これだけ露骨な悪意を向けられてなお、そこに反感や負の感情が一切現れないというのは。それはふたつの可能性が考えられた。
ひとつは感情が壊れた生き物であるケース。
もうひとつは、絶対的優位から見下ろしているというケース。
赤子がどれほど本気の怒りを向けようが、親からすれば可愛いモノだ。宮藤の場合は、後者の可能性がまず考えられた。前者に関しては、残念ながらまだハッキリとは断言できないが。
「では、えりりんと呼ばさせていだきます」
二コリ、と笑う生田。こいつもまた、喰わせ者だった。そのキャラ設定のせいで丁寧語がキチンと出来ていなくて、呼ばせていただきますが呼ば"さ"せていただきますになってるし。
生田は拳銃で――なぜか俺の方に狙いをつけて、
「えりりんは、この街にはなにをしにいらしたのでしたかな?」
「ひとを探しに」
「もう、一年は滞在してますよね?」
「そうだね」
「探しびとは、見つかりましたかな?」
「みつかってないよ?」
「ナンニンコロシタ?」




