借り
ぬれ鼠となっておずおずと喋る宮藤は、どこか憐れだった。辛くても助けを求めることも出来ず、本音も晒せず、常に怯え、そして差し出された手を掴むことも出来ない。
ふと、
「おまえ、何のために生きてんだ?」
疑問が口を、ついていた。
「…………え?」
雨は、もはやカーテンのように世界を覆い尽していた。それは宮藤の姿をすら、霞ませるものだった。聞こえているのかいないのか。それはそんな疑いをすら抱かせる声だった。
だから、やめた。
「いや、なんでもない。だからとりあえずどうでもいいから、吸え。それでお前の問題は、解決されるんだろ?」
「……いや、いーよ。いまお腹、空いてないし」
そうか。まあ実際食事は済ませたばかりだしな。俺は右腕をひっこめ、改めて両手で水戸を背負いなおした。この雨、さすがに水戸が風邪引かないか気になるところではあった。
宮藤は俯き、表情が見えなかった。
見せなかった。
その心は、未だに開かれていないということなのだろうか?
「お前、これからどうするんだ?」
「……うん」
「うんじゃわかんねーよ。どうするんだ? 場所バレしてるし、もうこの街から出てくのか?」
「……うん」
「出るんだな。じゃあもうお別れだな。短かったが、まあ達者でやれよ」
言って、歩き出し、宮藤の目の前から隣をすり抜け、家に向かう。
他意はなかった。ただ去るというなら、追わないという精神に基づいているだけの話だった。
「今史は、」
門柱を越える直前、囁き声が聞こえた。
無視することも出来た。もう関係ないと。
なぜそう考えたのか、自分自身わからなかった。
「なんだ?」
「なんでそんなこと、言ってくれんの?」
雨音が、遥か遠くの出来ごとに思えた。
「借りがあるからな」
「借りがなかったら、言ってくんなかったの?」
「そんな仮定の話は、意味がないな」
どれだけもしもを重ねようが、俺たちが生きているのは今この瞬間だけだ。あの時ああ蹴っていれば、殴っていれば。闘いが終わったたあとに出来るのは悔やむことではなく、次そうしないよう戒めとして心に刻むだけだ。
「――今史」
「なんだ?」
いちいち律義に訊き返してやる自分が、らしくないとかむしろらしいとか、色々考えていた。背中の水戸のことが気にかかる。寒い想いしてるだろうし、風邪でも引いたら大変だ。これ、二回目だな。それくらい大事なことだということだ。
「ふみっきーはぁ……」
「ふざけてるのか、お前?」
振り返る。玄関から、改めて宮藤の方に。
正面から。
少し、気圧された。
宮藤は真っ直ぐに、純粋に、こちらの目を見つめてきた。
「ボクのこと、どう思う?」
なにも見つけられない。
瞳の奥の感情も、逆にガチガチに固める無表情も、そして意図も。そこにあるのはどこまでも――俺が脅威に感じる、自然体だった。
不意打ちだった。それが一番厄介だった。対策が、立てにくい。
「――わるくない」
一秒に満ちるか否か口を開けてためて、そう答えていた。悪くない。その答え自体、そう悪くないものだった。
無難だ。
「好き?」
「アホか」
思わず返答。そんなわけないし、思ってても答えられるわけがない。そんなガラじゃない。
「ふみっきー」
「だからお前ふざけてんのか?」
「目、見てよ」
やられた。
どっくん、と心臓が脈打った。暴れた。不意打ちで、心の一番やわく油断しているところを突かれた。手先が痺れた様な錯覚に陥った。なんとか水戸を、力を込めて支える。
「……なんだ?」
一秒くらいかけて、顔をあげて目を合わせた。どくんどくん、と心臓がやかましい。これだけびしょびしょに濡れて、どしゃ降りのシャワーに晒されてるっていうのに、身体が熱い。
なんだっていうんだ、まったく。
「ふみっきー」
「だからなんだ? 目は見てやったぞ?」
「ふみっきー。答えて」
その言い回しと、囁くような口調は反則だと思った。気圧される。なんとか踏ん張る。プライドに、かけて。
「ふみっきーは、ボクのこと、好き?」
「既に答えたはずだ。悪くはない」
「ボクと一緒に、生きてくれるの?」
「なんだそれは? 出来の悪いプロポーズのつもりか?」
「そうかも」
そこでなぜ、妖艶に微笑む。
「ボクは、好きだよ」
唾を、呑み込んだ。一緒に口周りの雨水も。特有の、臭みがあった。
「初めて、言ったよ。初めて、思ったよ? ボク、ふみっきーのこと、好きだよ」
なにかが脳をガンガンと鳴らしていた。これが警鐘というやつなのだろうか? マズイと、引き返せと全身全霊で体中に伝えている。
一顧だにしない。
「俺が、好きだって?」
「うん」
「なんで……というか、どこがと聞くべきなのか?」
「ふみっきー、優しいよ」
「そうか?」
「うん。こんなボクの話、ちゃんと聞いてくれた。こんなボクのこと、色々考えてくれた」
下唇を、軽く噛んだ。
「こんなボクって、なんだ?」
「こんなボクだよ」




