変貌
「血を……血を、飲ませて……飲ませてよ……もう、四日も飲んでないよ……飲んでないんだよ、飲んでないんだよ、もう、喉、からからだよ……お腹、空いたよ……血を血を血を……飲ませてよぉおおオオオッ!」
ダッシュ。真っ直ぐ。一直線に。こちらに。標的に向かって。そこには一切無駄な動きがない、原始ともいえる美しさすら伴う純粋な、捕食行動だった。
「いいな」
思わず、言葉が口から零れた。
一秒すらかけず、目の前に獣が迫る。そこに――力をため込んでおいた下突きを、解放する。俗に言われるボクシングの、アッパーカットだ。
完璧なタイミングでアゴを、捉える。
「お前、いいな」
瞬間拳にかかった力は、過去味わったことのないものだった。Gにして表現できればいいが、それは知識がなかった。だから純粋に重さにして、おそらくは1トンちかいものがあったのではないか?
上腕二頭筋が、二倍近く膨れ上がる。全力を出すのは、いつぶりのことか。楽しくて愉しくて――仕方がないなあオイ!
「らァッ!!」
かち、上げた。獣はしかしそれでも勢いは完全には消しきれず、俺の上方角度にして五度ほどこちらに、跳ねあがっていった。
そのまま天井に、激突する。轟音。いや、爆発音といっていいか?
宮藤はそのまま、天井を突き破っていた。
「なにがあった?」「なにがあったの今史?」
その音と衝撃に、さすがに両親が一階から駆けあがってきて、放たれたドアからこちらを覗き込む。それに俺は――笑みは隠しきれず、振り返る。
「――――」
なにか言おうとした。
言葉はなにも出てこなかった。
「ああああああ!!」
真上から、化け物が襲いかかってきていたから。
「応っ! お前――さいっこうだなア!」
嬉々として、迎え撃つ。化け物は、右手を真っ直ぐに伸ばしていた。その爪が、笑えるくらい伸びていて、泣けるくらい鋭く尖っていた。今まで見せていたものとは、格が違う。あれは刺さればこの身体など簡単に貫通し、そして真っ二つに出来る代物であろうことは感覚でわかる。
だからそれを、避け――ることはせず、真っ直ぐに飛び込む。
「ぎっ!?」
驚いてる驚いてる。
もう愉しくて仕方なかった。俺は五本の爪で作られた弾幕――の中央に、真っ直ぐに飛び込んでいった。ギリギリのところで入ったため、顔の端々がザックザック切れる。参った、イイ男が台無しだ。明日から俺のイケ面見ることだけが生きがいの女子が泣いちゃうぜ。
「アハハハハハっ!」
笑いながら顔をべたっ、と相手の掌に押し付け、そのまま力任せに拳を、振りまわした。
直撃。この感触は、こめかみを完全に捉えた感触だった。さすが俺、当て感最高だぜ。
「きゃ、っ、くぅう……!」
化け物が、後ろに引く。それで自然掌が離れ、視界が戻る。化け物は叩かれた左こめかみを押さえ、床に着地し、そのままバックステップしていく。ヲイヲイ、まだこれからだろ? そんなつれない態度とんなよ?
ますます興奮するだろうが!
「アハハハハハハハハハっ!」
笑いながら、こっちも着地し、今度はこっちが突進する。化け物はまだ脳が揺れているらしく、足元おぼつかなく右手の爪を性懲りもなく繰り出してきた。二番煎じもカッコつかないし、避けるのも面倒だ。右足のつま先を跳ね上げ、前蹴りで化け物のその手首を蹴り飛ばす。
右腕は跳ね上がり、俺と彼女を阻む障壁はなにも無くなる。
もう限界だ。さぁ――?
「アハハハハ……ラァ!!」
ぴったりくっつき、首の裏に両手を回し、膝蹴りを腹にブチ込む。なにかがネジ、曲がるような感覚。というかこれはアバラ骨をへし折ったあれだ。おお、化け物にもアバラがあるのか? 発見だった。
「あっ、くぅ……っ!」
悲鳴が嬌声に聞こえるほど、心地いい。
さあ、もう離さないぜ? 今日はとことん、二人でイっちまおう――
「今史ッ!」
そこで。
唐突に、父に呼びかけられた。
「…………」
我に返る。というより、正気に戻る。決定的な隙といってよかったが、俺は1秒半ほど、呆然自失としていた。
反撃は、なかった。ダメージが深いためか、それとも他の理由か。その時の俺には、判断できなかった。
離れる。一足で。距離を、ステップを二回使って約四メートルほど。構えるが、宮藤は膝をつき、脇腹を抱えた。
さっきまでの狂態が、嘘のようだった。
俺の方は、もっと酷い状態だった。
「……今史?」
優しい母の声に、振り返ることが出来ない。頭を抱えたくなり、その欲求に従った。
「……兄じゃ?」
さらに呼びかけられた妹の声に、俺は堪らなくなって顔を伏せて頭でを抱えたまま、途中いた人を突き飛ばして、部屋から飛び出して階段を駆け下り、そのまま玄関まで突っ走ってドアを開けて出ようとして鍵がかかっていて激突して頭の上に星が舞ってくらんとしたけどなんとか持ち直して霞む視界で鍵を開けてチェーンはかかってないことを確認してドアを開けて、家から飛び出した。
そのまま道路を、駆けていった。あてなんて、無かった。
普段は気にもならない程度の小雨が、降っていた。




