ツンツン銀髪男
とりあえず、聞きたいことを聞き終えたので質問を打ち切り、制服についた埃をはたき落とす。女生徒は俺のその反応に両手を背中で組み、ウキウキした様子で上目づかいに、
「で? ね、ね、どう? 付き合ってくれる? ボクと恋人に、なってくれますかぁ?」
「ああ悪い、パスだ」
「…………へ?」
女生徒の呆気にとられたような顔を最後に、背を向ける。付き合うだとか、恋人だとか、ずいぶん呑気な会話になったものだ。もう空気も完全に違っていて、殺気どころか妙な気配すらなくなっている。心配は無用だろう。もう時間の無駄もいいところだった。
文字通り、付き合いきれないな。
「あ、あのお……?」
「他を当たってくれ。じゃあな」
屋上をあとにする時、ちょうど予鈴が鳴った。五時限目には、なんとか間に合いそうだった。
追いかけてくるかと思った。だけどその可能性はせいぜい30%ぐらいのものだと思っていた。一応気配は探っていたが、案の定無事にひとりで教室に戻ることが出来た。そのまま学友との挨拶もそこそこに、窓際の自分の席へと移動する。
着席して、頬杖をつく。校庭に目をやりながら、なんとも妙なことが起こったなと一人思った。
「……ふぅ」
ひと息。なんだかんだいって、全身が硬直していた。無理もない。文字通りほとんど殺し合いに近いことをやったのだ。筋肉も限界まで酷使しているし、精神の緊張度合も半端ではなかった。二度やりたいとは思えないものだった。試合の感覚に近いだろう。
反撃がこないことが、逆に不気味で嫌だったくらいだ。
「……なんだったんだろうな、アレって」
ぼそぼそと一人呟いてしまう。自分の悪い癖だと思う。考えごとがあると独り言に走ってしまう。昔からよく注意されたが、なかなか治らない。
だがまぁ、治す気があるかといえば微妙なところだったが。
「怖いっていうか、不気味っていうのが一番合ってるか。だけどまぁ、可愛いっていえば実際可愛い――」
「誰が可愛いって?」
呟きが、誰かの耳に届いていた。それも、厄介な部類の人間の耳に。
「――――」
だからじっと、窓から視線を外さなかった。面倒なことこの上ない。やり過ごすに限るといったところだ。
非難の声が、飛んでくる。
「って、ヲイ! ふみっきー、ふみっきー!」
「楽しそうだな、出席番号1番赤貝幸人」
割って入ってきた教師の声に、安堵する。助かった。これでこのやかましい男も退散してくれるだろう。安心して、振り返る。
「を。ふみっきーやっとこっち向いたな」
と思ったら、ぜんぜん気にもしていなかった。いつものように天真爛漫に笑って、こっちに手なんか振っていた。
そのトレードマークともいえるツンツン銀髪の頭には、担任の手ががっつりと鷲掴みになっていた。
「やーやーふみっきー、じゃあこれからオレと愉しげな親友同士の会話を楽しもうぜー」
「あ・か・が・い、ゆきと……聞いているかお前? 教師だぞ? 担任だぞ? それがいま、授業を授けてやってるんだぞ?」
「ふみっきー、今日の昼休み教室にいなかったよな? どこいってたのん? この前は中庭で見かけたけど、今日は中庭にもいなかったよな? どこいってんの? たまにはオレと、ガールズハントとしけこもうぜー?」
「お前……俺をなめてるな? なめてるんだろ? お前教師であるおれを、なめてるんだろうっ!」
「ていうか、なに? その可愛かったって女の子って? だれ? どこで知り合ったの? オレにも紹介してよー」
「赤貝幸人――――――――ッ! お前廊下に出ろやー!!」
「…………」
俺はそれを頬杖ついたまま、乾いた瞳で見つめていた。相変わらず、どうしようもない男だった。人の話を聞かず、かつ自分の話しかしない。というかそれは既に会話ですらないような?
俺はそのままフイ、と視線を窓に戻した。平和だった。ちちち、と小鳥まで鳴いている。名前は知らないが、風情なのは間違いなかった。
世は事もなし、というのは間違いなかった。事実視線を戻せば、既に授業は滞りなく始まっていた。みな、先ほどの騒動などあってなかったかのような面持ちだ。まあ何人かは笑いを噛み殺しているし、担任のこみかみは引き攣っていたが。そして幸人の姿は既になく、そして廊下の向こうで見つけたそいつはバカじゃないかと思うくらい楽しげに手を振っていたが。
まったく理解に苦しむ存在だった。
改めて、授業にでも集中しようかと思った。シャーペンを手に取り、板書を――
そこで、景色が歪んだ。
「…………」
慣れ親しんだ日常が、音を立てて壊れたのを聞いた。もう周囲の風景もチョークの音もシャーペンの音も、こちらまで届かない。なにもかも、違っていた。
なにげなく握った、シャープペンシル。
そこから赤い赤い血が、垂れていた。
「…………っ」
ぐらり、と世界が傾く。シャーペンを、机の上に取り落とした。カタン、という音。それは耳に、長く遠く反響していく。指先が、赤く濡れていた。なぜ俺は手を洗わなかったのだろうと思った。
それは無意識に、現実を拒否していたということなのだろうか?
指先に、あの子の眼球を指し潰した感触が、残っていた。
「おいふみっきー、帰ろうぜー」
声に、我に返る。気がつけば、辺りは暗い赤に塗りつぶされていた。夕暮時だ。どうやらぼんやりしている間に、世界は放課後の時間になっていたらしい。
「……ああ、そうだな」
答えて、鞄を持って立ち上がる。どうも感覚が頼りない。今朝のことを引きずっているのは明らかだった。どうも俺は精神修行が足りないらしい。反省し、戒めとすることにする。
「どうしたん? なんか元気なさげだけどん?」
「ンだそれ? お前ん中じゃ、語尾に『ん』をつけるのが目下流行最先端中か?」
頭の悪い会話を繰り広げながら、悪友と連れ添って校門を目指す。廊下はぽつぽつとした人通りと言ったところだった。部活もやっておらずかといって趣味もなさげな男女が暇つぶしor出会いを求めて徘徊中、といったところか。まったく青春を謳歌しているようで、羨ましい限りだった。
こっちにゃそんな余裕もないってのに。
「そうでもねー。ただなんとなく? そゆことに意味なんか求めちゃ人生謳歌できねーぜベイベー?」
……なんだか、ちょうどいま現在進行形で考えていたことを突かれて、居心地が悪くなる。別にこの男と一緒に帰ることは義務ではないのだ。用事でも出来たといって離脱しようかと、しばし本気で考える。
まあ結局、意味もないので行動には移さなかったが。




