三本貫手
空気は、冷たかった。こんな感覚は過去、味わったことがない。
殺気や怒気とも、また違う。
異様という感じが、一番近い。
「――――」
足をどけ、一歩離れる。軽く腰を落とし、半身を切り、両手は拳を作る。
「へぇ、カラテカ?」
すく、と女生徒は立ち上がる。何事もなかったかのように、普通に、平然に、当たり前に。
その両目が"あった"場所から、血の涙を垂らしながら。
「カラテカってあんま知らないけど、なんかすごいんだね。いきなり目突くし、女の子を蹴っ飛ばすし。ようしゃなーい」
キャッキャ笑っている。その挙動に不審さはあれ、不都合さは見つけられなかった。両足と頭部のダメージは、判断できない。
「そうか?」
軽く受け答えしながら、出方を窺う。なにしろ間合いが、読みにくい。見た目だけで判断するなら、極めて女性的な女性にしか見えないのだから。
その歩き方も、ただ無造作に踏み出しているようにしか見えない。
「ねえ、きみさ――」
その踏み込みに合わせ、こちらも踏み込む。
「ありゃ?」
「――シッ」
女生徒は思っていた位置に足を置くことは出来たがそこに突然大股で入りこんできたこちらの身体に驚き、バランスが後ろに崩れる。
そこに真下から、下突きを叩きこむ。
顎が、砕ける感触が拳に伝わる。
「ありゃりゃ?」
そのまま逆の肘を、こめかみにブチ込む。衝撃は間違いなく、脳を突きぬけたはずだ。
「ありゃりゃりゃ?」
女生徒は脳震盪を起こし、フラフラして地面に片膝をついた。
その顔面に膝を、鋭角に、突き刺した。
「あっぷ」
間抜けな声をあげて女生徒は大の字に、仰向けに、倒れ込む。そこに鼻血の噴水があがった。それにこちらは一歩間合いをあけ、様子を見る。
女生徒はまるで鼻をドアにでもぶつけたかのような感じで、当たり前に、上半身を起こした。
「いったーい、やだはなぢ出てるー」
少し、愕然とする。
いつの間にかだが、溢れ零れていた血の涙は既に止まっており、空洞になっていたスペースに過去在ったその瞳が――再生していた。
「……すごいな」
「え、そう?」
思わず漏れた感想に、耳ざとく反応がきた。拒否する理由もない。少し、会話を交わすことにした。狙いも知りたいし、微かにだが興味のようなものも湧いていた。
これだけの攻撃を叩きこんでもなお、まったく応えていないというのはさすがに少しプライドも傷ついていたし。
「ああ、すごいな。そんな風に身体が再生する人間、初めて会った。どうなってるんだ、お前?」
「てか、人間じゃないよ?」
トンデモ発言だった。ますます興味がそそられる。構えは崩さずに俺は、
「じゃあ、なんなんだ?」
「吸血鬼だよ」
「へぇ、吸血鬼ってすごいんだな」
期せずして、返答が被った。初対面で、初耳の単語を称賛し合う。滑稽だった。
実に、自分らしい。
「そうでもないよ」
ゴキンっ、というこちらまで響く、凄まじい音。顎を、手で、ズラしていた。どうやら砕いた顎を元の位置に戻したらしい。なかなかにシュールな光景だった。
そしてすくっ、と立ち上がる。ローのダメージも、ほぼ無いらしい。鼻血も止まっているし、脳震盪も抜けているか。常識はまったく通用しない相手らしい。
こんな相手が、いるなんてな。
女生徒はニコニコとニヤニヤを足して二で割ったような笑みをふわふわと浮かべ、右手の指ををなぜか下向きに軽く振りながら、
「こんなことしか、できないし」
目の前に――間合いを一瞬で、詰められた。
女生徒の場違いに無邪気な笑顔が、眼前に迫る。
真下から、女生徒の手が振り上げられる。その指が、軽く鉤ヅメのように曲げられている。その爪は、シザーマンのように鋭く伸びていた。
それを咄嗟に、手首の部分を押さえることで止め――られず、突き出した右腕ごと持っていかれる。通常では考え難い、それは圧倒的な膂力だった。
迫る、爪。それを俺は――咄嗟に身体を翻し、躱す。
右頬をかすめ、血が噴き出す。それを俺は反射的に、舐めとっていた。
そのまま身体で巻き込むように回転し、遠心力を目いっぱい使って、
「――セァアアッ!!」
気合い一閃の、上段廻し蹴り。
「きゃ……!」
ガシャン、という金属音。ほとんど悲鳴を出す暇もなく、女生徒は屋上に張り巡らされているフェンスまで、吹き飛んでいた。脛には頭がい骨を完全に叩いた感触が残る。会心の一撃といって差し支えなかった。
「……ふぅ」
残心。拳を倒した相手に、突き出す動作。もし今の一撃でなおダメージがなければ、その時は考えなければならない。
じっと、女生徒が吹き飛んだ一番奥のフェンスを見つめた。出口となる鉄扉はそれとは反対側の、自分の背中の位置にある。距離は、10メートルは稼いだ。まぁなんとかなるだろう。
3秒。女生徒は倒れ沈黙していた。大会なら一本勝ちが宣告される長さ。
だがそののち、女生徒は立ち上がった。まるで今起床し、これから学校にでも向かうかのように。俯き加減に蹴られた後頭部をさすりながら、少しぼんやりとした様子だった。
「……うぁ、すっご」
一人呟くような様子に、警戒心がもたげる。効いているか? わからない。判断しづらい。間合いを詰めてくるようなら、即撤退だ。これ以上の交戦は危険極まりない。こちらはだいたい打ち止めと言ったところだ。一旦体勢を整える必要がある。
「つおいんだね、きみ」
ほわほわした感じで、女生徒が顔を上げる。それに少し、呆気にとられる。先ほどと、気の感じが違っている。言葉で表すのは難しいが――なんというか、少し人間味を持ったというか?
「気に入ったよ」
笑った――と思った時には、目の前にいた。先ほどと、同じ状況。
反応が遅れたのは、殺気が無かったから。
「……なにがだ?」
声が不機嫌になったのは、そんな自分が不甲斐なかったから。
「きみ、ボクと、付き合ってくんない?」
「……は?」
間抜けな声をあげたのは、そんな言葉を投げかけられたのが、初めてだったから。
その血濡れ笑顔は、しかし何故か無邪気で、可愛く映った。というか見れば間違いなく美人だった。珍しい青味がかったサラサラの髪、パッチリ開いた瞳、柔らかそうな頬。すらっとした身体に、健康的な美脚。感心すらした。ただ唯一、真っ平らなその胸だけ逆に気にかかったが。
「――付き合うって、どういうことだ?」
「てゆーか、どこ見てんの?」
視線に気づいたか、と僅かに動揺し、その心の裡を抑えるように顔を逸らし、
「あー……その、なんでもない。で、さっきの――」
「え、なに?」
「いや、付き合うって……」
「あー、うん。ふつーに、恋人になってってこと」
恋人、か。
吸血鬼と、ね。
「なんでだ?」
「守ってもらうため」
これだけ強いっていうのに、か。
「なにからだ?」
「敵から」
「どんな敵がいるんだ?」
「ボクたちを目の仇みたいにしてる、おっかないの」
目の仇じゃなく、目の仇"みたいに"してる、ね。
「勝てないのか?」
「負けないけど、勝ちにくいんだ」
「へえ」




