家族狂想曲その2
「は……はほっははは、もひひ」
「はっ? なんでごじゃりますか、兄じゃ?」
伝わるわけねー。俺は伝えるのを諦め、勝手に一人立ち上がることにした。というか妹に歯磨きを頼る必要なんて冷静に考えなくても一ミリもない。とっととドアに向かう。
「あ、兄じゃ? ど、どうしたのですじゃ? な、なにかわしに不手際でもあったのじゃ?」
泣きそうな顔で縋りついてきた。気持ちはわからないでも嬉しくないでもないが、でもやっぱりわからないし嬉しくもないし、正直若干鬱陶しかった。
いま言葉、喋れないし。
「あー……ふはふはふは」
「うあ!? あ、兄じゃ、歯磨き粉とんでるのじゃっ」
じゃあ話しかけるなっての。怯んだ水戸の隙をつき、すり抜けドアから外に出る。当然洗面台は一階にある。口に歯ブラシをつっこんだまま、電気をつけて、階段をおりていく。こんな姿、両親に見られたらなんて言われるか。とりあえず手早くうがいしなくては、と居間に続く扉を開けた。
「ハァイっ」
嘘だろ、と思った。
「あら、今史? クディアちゃん、さっきからお待ちかねよ?」
「そうだぞ、今史? 女性を待たせちゃいかんな、それもこんな美しい……」
「ありがとうざいます、おじさまっ」
「…………」
とんでもない光景が広がっていた。居間と食卓は数ある日本の中流家庭がそうであるように、繋がっている。その食卓に、なぜかいつもなら居間のソファーでくつろいでいる両親が着席しており、そして向かいになぜか赤い瞳をした少女がいた。
なんという、場違いな組み合わせ。
唖然としてると、なんだかしょっぱい味が喉を通っていった。
「な、ん、で……」
「え、っとね――」
「て!? うあ、い、いいから言わなくてッ!!」
先回りして、ウダウダ言うのを留める。ああ、もういい。これ以上ループな問答なんて、したくない。だからとにかく、理由だけだ。
「親父、お袋っ! なんでこの子がここにいるんだ?」
「あら、お袋だなんて……そんな野蛮な言い方、この子、いったいどこで……」「ああ、お母さん泣かないで……今史、お前いまなんて言ったッ!」
「ぐふっ!?」
またもや正拳中段逆突き炸・裂、だった。親父の突きはノーモーションでくるから、実に捌きにくい。しかも的確に急所である正中線を狙ってくるから、ダメージも深い。厄介なことこのうえなしだった。
「っ、つづ……な、殴んなよ親父っ!」
「親父じゃないッ!」
「ぐえ!?」
鳩尾に続いて、今度は胸骨のど真ん中のそこは秘中と呼ばれる急所だった。ツッコミにしては、激し過ぎる。だから家族は、嫌なんだ……!
「っ、く、あ……お、」
「お?」
めんどくせぇ!
「と、父さん……少しは空気、読んでくれ!」
「よし、それでこそ我が息子だ」「お父さん……素敵です」
バカ夫婦だった。もう本当どうでもいい。そんなことよりなんでもいいから、とにかくこの赤眼がなんでここにいるのか説明してくれ!
「キャハハハハっ。なんか今史の家族、すごいねっ」
この上なく楽しげだった。なんかこの笑い方、ちょっと癪にさわるのは俺だけか?
「あら、そう? ほら、もっとだし巻き玉子食べなさい?」「いやいい子だねきみは。ほれ、もっと肉巻きごぼう食べなさい」
「わーい、ありがとうございまーすっ」
すっかり可愛がられてた。俺よりよっぽどここの子みたいだった、というかむしろ代わってくれと思った。
「……で、なんでこの状況なんだ?」
「あら? なに言ってるのかしらこの子は。クディアちゃん、今史と待ち合わせしてるって言ってたわよ?」「そうだぞ、今史。女の子を待たせちゃいかんぞ?」
「…………待ち合わせ?」
「うんっ、待ってたよ?」
「どういうことなりか兄じゃどのっ!?」
それに後ろの扉が、バカンっと開け放たれる。
すっかりその存在を忘れていた。
「み、水戸……」
走り寄ってきていつものようにまくし立てるのかと身構えたが、なぜか水戸は俺の前で立ち止まり驚いたようにこちらを見上げ、
「あ、兄じゃ……」
「ど、どうした水戸?」
「歯……歯磨き粉は、どうしたのじゃ?」
「歯磨き粉っ!?」
忘れた。飲んでいた。思いだすと、酸っぱくて気持ちの悪い感覚が込み上げてきた。もう寝るだけだっていうのに、気分最悪……!
「う、ぇえ、え……っ」
「兄じゃ? なんじゃ? 飲んだのか? 飲んでしもうたのか?」
「ゆ、言うな……また、気分悪くなる……!」
「なに? 今史歯磨き粉飲んじゃったの?」
さらに吸血鬼まで話に入ってくる。もう放っておいて欲しい気分だった。なんでこう誰も彼も構ってくるんだ? 本当お前ら暇なのか? ――暇、なんだろうなあ。
「……黙っててくれ。それで、待ち合わせってどういうことなんだよ? そんなもん、聞いてないぞ?」
の、筈だが。
確信は、たぶんないが。
「ん、待ち合わせはないよ。いまから、作るから」
ああ、そうか。俺が勘違いしてた。
こいつに理屈なんて、関係ねえわ。
だって暇なんだもの。
「あらあら、今史モテモテねぇ」「お母さん、わしも昔は結構モテてたんだよ? たとえばそう、高校の文化祭の時――」「どういう話しなのかじっっっくり聞かせてもらいましょうか?」「い、いや母さん落ち着いて話し合おう、な、な……?」
両親は回顧モードからの修羅場モードに入っていた。あの二人はまぁ無視してれば勝手に盛り上がってくれるからある程度被害は抑えられる。
問題は――
「……誰じゃ? 誰なのじゃ、おぬしは?」
俺の後ろにべったり張り付き、Tシャツを引っ張ってる妹。
問いかけに宮藤はニッコリと、100人いたら100人が間違いなく心許すようなお手本のような笑みを作り、
「おねえさんは、クディア=エミリターゼっていいます。この前会ったわよね、水戸ちゃん?」
「うわ、日本語を喋ったのじゃ! 兄じゃ、この御仁英語に日本語も話せるのじゃ、ばいりんがるなのじゃ!」
「そういう言葉をどこで学んでくるんだお前は……まったく」
101人目の例外に当たってしまった宮藤は、不満そうに唇を尖らせていた。しかしその瞳には、どちらかというと残念そうな寂しそうな色を湛えていた。
少し、ほんの少しだが、気にかかった。