魔法使い
「なんだそりゃ? お前って、暇なのか?」
「だから言ったじゃん、暇だって」
なんだか、単なるニートの暇つぶしの戯言に付き合わされてる気がしてきた。とことん頭が痛い事態だった。つくづく軽はずみな行動が悔やまれるところだった。
今の宮藤には、まったく最初の印象など消え失せているというのに。
「ハァ……まったく、つくづく不運だよな」
「え? なに、どうしたの?」
「いや、ただの独り事さ。じゃあお前が普段暮らしてるのは、どういう――」
なにげなく昼下がりの街に踏み出し、そして宮藤に振り返った。
なぜかそこに、宮藤の姿はなかった。
「…………」
振れそうになる気持ちを、とどめる。これは間違いなく、不測の事態だった。周りの動きに、変化はない。だがほんの一瞬前まで話していた相手が消えるなど、まずありえないしあってはならない事態だった。
最初にすべきことは、平常心を取り戻すこと。
次に気をつけるべきは、最初の行動を慎重に、かつ迅速に選択すること。
「――上か?」
人の視界は、180度を越えてだいたい200度くらいまである。そして武道家はそのすべてを瞬間的に察する能力に秀でている。つまり正面左右は既に可能性が無い。そして背後に関しては、常に気配を探っている。決定的な死角だからだ。残るは、ひとつ。
パッと見ただけでは、そこに異変は見つけられなかった。電線と、電柱と高いビル群と、青い空と白い雲が広がるだけだ。
しかしその隅に。
なんというか、ゆらぎのような解釈できないなにかを見つけた。
確信はなかった。
だが直感的に、あれだろうと信じられた。
手早くしゃがみ、手ごろな石を探すが見つけられずその代わりのように空き缶を拾い、それを宙に向かって、投げつける。
手ごたえ。
二つの影が、地上に降り立った。
「――っハァ、ビックリしたあ」
ひとつは、宮藤だった。胸を押さえ、今まで呼吸でも止めていたかのように酸素を貪り吸っている。
そして、その隣。
頭のてっぺんからつま先まで真っ黒なフードのコートに身を包んだ奇妙な人物が、そこには立っていた。
「――――」
自然、俺は構えていた。無駄口を叩く余裕もない。つもりもない。それくらい相手は、擬態すらしないくらいの異様を辺りに醸し出していた。
見た目は、正直女性か男性かすら判別しづらい容姿だった。肩のあたりで揃えられたパッツンの黒髪に、怖いほどに整えられた白く美しく繊細な顔立ち。そして小学生といっても通用しそうなほどの、低身長。コートにズボンだが、それが少年なのか男装した少女なのかそれとも若く見える小さな大人なのか、その一切がわからない在り方だった。
そしてまるで人形のような、無表情。
意図が、狙いが、まったくこれっぽっちも読めない。
「――――」
どくん、どくん、と心臓が脈打つ。相手はこちらの"方角"を眺めるだけで、なにも語らない。出方がわからず、動くに動けない。距離は、3メートル。
間に一人、吸血鬼を挟んで。
「……っと、あらら。これはこれは、きみはどこの誰かな?」
隣にいる存在に気づいた宮藤はスゥ、と目を細める。その存在感は、最初に出会った時に近い。
だがそれは、明確な悪意に近かかった。
「知ル必要ハナイナ、キュウケツキ」
さすがに少し、驚いた。
耳に届いたその言葉は、まるで機械で作られた合成音声だった。
「へぇ、知る必要はないんだ。じゃあきみの目的は、ただボクを排除するだけなのかな?」
「ソレモ少シ違ウ。タダワタシハ、オ前ヲトアル場所ニ連レテ行ク、タダ、ソレダケダ」
そのコートが膝をつき、手が、地面に触れた。
同時にバカっ、と。
地面が、割れた。
「っ…………!?」
コンクリートで舗装されたそれが、いきなりコートが手を触れた個所から放射線状に砕け散った。それに咄嗟に重心を縦横に移動させることで、なんとかバランスを保つ。破壊は周囲半径五メートル近くに及んでおり、遠くで買い物かごを持つ主婦とビジネスバッグを持つサラリーマンが巻き込まれ、尻もちをついていた。
とにかく、冷静に現状を見てみる。まずこんな機械声はテレビで匿名希望の人物の時にしか聞いたことがない。可能性としては、なにか声を変える機械を仕込んでいるかあらかじめ録音しておいたものを流している、か。
次に、コンクリートが割れたことに関して。そんなことは、工事現場やテレビでなんらかの爆発が起きた時くらいしかない。そのどちらかである可能性はかなり低い、か。
厳しいな。突発的な状況に、理屈で理解しようとするのは。
なら今なすべきことは、考えることじゃない。
「うわ、きゃ、きゃっ」
宮藤は波打つ地面の上、楽しそうにバランスを崩していた。手を振りまわして、ヨタヨタと後ろに下がっていく。
そちらへコートが、手を伸ばす。
途端にガン、と宮藤のアゴが跳ね上がる。まるで拳で、殴られたかのように。
「っ……! や、やってくれるぅ」
顔を前に戻し、ニヤリと笑う。その口元からは、血が一滴垂れていた。それがどこか、吸血鬼というイメージと合致していた。
それを手で、拭った。
途端に思い切り、足をとられていた。
「バッ……!」
「わ……」
思わず声をかけるが、宮藤はそのまま瓦礫となったコンクリートの地面に、後頭部をぶつけていた。
ガツン、という音がこちらまで聞こえそうだった。尖った先が、頭にかけた衝撃は相当なものだろう。
「あ、り……?」
というか、完全に目を回していた。仰向けに倒れ、目の焦点が合っておらず、所在なさげに手をふらふらと天に向けている。
そこにゆっくりと、コートが歩み寄る。