魔性の誘惑
思考時間は、約2秒ほどだろうか。こういう時は理屈ではなく直感で動くようにしている。それはウダウダどうこうというより、理屈ではそんなに早く決断できないという理屈に起因している。まったく、俺は結局なにが言いたいんだか。
俺は無言で後方の、ドアに向かった。もちろんクラスメイトたちの視線は集まる。これからホームルームが始まるっていうのにひとり出入口に向かっているんだ、それは当然だろう。仕方ないとはいえ、少し億劫になる。人の目につくのは昔から得意ではない。そういうのは相棒の幸人あたりに任せたいところだった。
そして当然、教壇からも声がかかる。
「お? お、おい、白柳。なにしてる、ホームルーム始めるぞ? 席に戻れ!」
制止の声に、僅かな逡巡。出した答えは、
「――すいません。ちょっと頭痛いんで、保健室行ってきます」
トイレという選択肢に勝ったのは、やはり結局は体裁だった。情けない話だとは思うが、修行不足ということで大目に見て欲しいと思う。
「お、おい? 白柳、お前本当に――」
もうあとは、問答無用と言った感じだった。行儀よく並べられた机を横目に、後方の扉から廊下に出た。あとは一応体裁上走るのだけはせずにほとんど早歩きで、階段に向かった。行き先は、一応決めていた。さすがに窓越しに話すつもりはない。
昇降口まで行くと、既に彼女はこちらを待っていたようだった。
「や、元気かなふみっきー? 今日はいー天気だね」
下駄箱の前で、なぜか板の上に体育ずわりして、しゅたっと片手を上げてそして満面の笑みだった。
というかその姿勢はマズかった。なぜなら宮藤は、昨日と同じ制服を着ていたから。
スカートで体育ずわりは、色々とマズい……!
「よ、よぉ。元気っちゃ、元気かな……色々とマズイところが」
「え? なに?」
「な、なんでもねー! ……それで、お前なにしにきたんだ?」
「ん? え、と……なんでだっけ?」
にへら、と表情を崩す。それは反則だ、と思った。そんな無防備な笑みを、元々ハッとするくらい可愛い女子がしてどうかしない男がいるわけがない。
呼吸を長くして、喉を通し肺を通過させへその下にある丹田まで届かせ、気を落ち着かせる。
「――なんで、じゃなくて、それは俺がしてる質問だ。昨日言ったよな? 俺は手伝うって。だけど、今見た感じお前なんか困ってる風じゃないけど、実際はその、敵ってやつと交戦中だったりするのか?」
「そうだね」
たった一言。
だけど断定、肯定したその一言にビリッ、と背筋に電流が流れたようになる。
――いるのか?
吸血鬼が敵だっていう、存在が――?
「くっ……!?」
辺りを見回す。それらしい気配を探るが、発見はできない。嘘かもしれない。だけど油断できる要素はない。目突きすら再生する怪ぶ――もとい、普通じゃない存在なのだ。それが助けを求めるほどというと、それはもう冗談だろうがなんだろうが気をつけ――
「あ、ごめん。うそ」
ピシっ、と自分の中でなにかがヒビ割れたのを感じた。
振り返る。宮藤は愉しげに、廊下で見た時と同じように手なんか振ってやがった。
一歩一歩、踏みしめるように間合いを詰める。向こうはずっと手を振り続けてる。どういうつもりかわからない。そういう理解できない事態は、気に食わない。
しかし武道家として、出来るだけ心は鎮める。
「……なんだそれ? あれか? 俺はピエロか? お前が困ってるっていうから、こっちは無い袖振って時間使って手間を惜しんでこうして来てるっていうのに、どういうつもりか聞かせてもらえるか?」
鎮めようと努めようとしたが、どうも無理だった。こんな風にベラベラベラベラと文句が流れ出る相手なんて、幸人だけだと思っていたのに。
そんな剣幕で目の前まで迫るが、
「え? なんとなく?」
「は? ぇ、――――ッ!」
まったく意味がわからなかった。なにか言葉を振りしぼろうとしたが、それでも出てこないくらい。未だこの相手の性格が掴めない。
とにかく、冷静になろう。
「――――ふぅ」
言い聞かせるように思って瞳を閉じて、目頭を押さえた。どんな未知の難敵であろうと、平常心を失っては対処できるものも対処できない。
一秒に満たない程度そうしたあと、瞳を開ける。今度こそ主導権を握れるような、的確な行動を夢見て。
目の前に、宮藤の顔があった。
「う、っ、く……!?」
それに全速でバックステップして、間合いを開ける。そんな俺を見て宮藤は目を丸くしたあと、ケラケラと笑いだした。
からかわれた。
いい加減、っっったまきたぞ!
「お、お前本当なにがしたいんだよ!? 意味わかんねぇンだよ! 暇ならとっとと、家に帰れ! こっちは授業中で、暇じゃねぇンだよ!!」
怒鳴りまくっても暖簾に腕押し柳に風になることは、目に見えていたのに。
「え? したいこと? んー、そだね。今史と色々なんかしたいかな?」
なんか色々したいという表現は含みがあり過ぎて、しかしたぶんこいつのことだから特に意味なんかないだろうと、胸を落ち着かせる。何度も失敗しているが、だからといってやらない理由もない。
四回目にして、それはようやく成功したようだった。
「……お前の行動パターンは、よくわかった。で、実際今日学校にきたことに、本当に意味はないんだな?」
「ないことも、ないかな」
こちらの温度に呼応するように、宮藤も落ち着いた声でスカートの埃を払って、立ち上がる。それにこちらは、少し緊張した感じになる。
普段静かな奴が怒ると怖いのに似て、普段おちゃらけてるのが真面目だと。
「ないこともって……それって、どういう意味なんだ?」
「ひとつは実際暇だったし」
笑顔で言えばいいってもんじゃねぇぞ。
「ハァ……で、他は?」
「お互いのこと、ぜんっぜん知らないから、教えとこうと思って」
まぁ、そこには一抹の理屈がないこともなかった。