憂鬱な夜明け
考えて、ベッドに横になる。今日は本当に、色々あった。疲れた。もうこのまま、眠りについてしまおうかと軽く本気で考えてしまうくらいに。もちろんそんなことダメだ。晩御飯も食べていないし、風呂にも入っていないし、歯も磨いていないのだから。そんなことしたら水戸が飛んできて、父の蹴りが飛んできて、母さんが笑うだろう。なんか母さんだけ普通なのに、とても恐いのはなぜだろうと思った。
息をひとつはいて、俺は今日の残った作業を片づけに、階下に向かった。
夜、眠る。静かな夜だった。何の音もしない。当然だが、それに心安らぐ。なにか今日はなにかあるたびあの吸血鬼――宮藤愛里菜に待ち伏せされてた気がしたから。
夜に考えごとをするのは、悪い癖だとは理解していた。夜ひとは、極端にネガティブになるらしい。具体的には、将来の不安ばかりが脳裏に浮かぶらしい。
だがどうしても、夜に考えごとをしてしまう。理由は、真に一人で考えごとが出来る時間が、この時ぐらいしかないというのが大きいと思う。学校では授業に幸人に同級生に忙しいし、道場に行けば道場生と激しい稽古だし、家に帰ってもなお両親と主に水戸に構われる始末。
寝る前ぐらいしか、考えごとが出来ない。で、次の日寝起きが悪い。結果、機嫌が悪い。
悪循環だった。なんて考えてるうちに、ネガティブだった。まったくろくでもない。どうしたものかと、疲れきって指一本動かない身体で思っていた。
明日はどうしようか。
宮藤には、手伝うといってしまった。実際それだけの迷惑というか失態を喫してしまったのだから、それはいいというか仕方ない。武人としてというか人として、義を。だが、具体的になにをどう手伝えばいいのかわからない。
それが手伝うのを憚れるような内容だったら、どうしようか?
今さら断られるか! という気持ちもあるが、しかし信条に外れるようなことはしたくもない。その場合、俺はどうしたらいいのか?
悩ましかった。というか女性相手に、ただ手伝うだけで詫びは足りるだろうか? 茶菓子とか持っていった方がいいんだろうか? 服も、気を遣った方がいいのか? ていうか待ち合わせ場所は?
まったく俺はなんてどうしようもない心配をしてたんだろうと、まともに気がつくのは学校について鞄をおいて寝不足の目を擦る辺りだった。
「ふぁ……あ、あー」
「おー、今日もいつにもまして眠そうだなーふみっきー」
さくっ、とインターセプトしてくる自称親友中身空っぽの幸人。今日はいつにもまして相手にする気が起きず、黙って着席して、伏せる。ホームルームまで7,8分。その間寝ておこうと、決め込む。
「くぁ」
「っておいふみっきー、今日はいつにもまして寂しいリアクションだなー」
「そうだなー、ねーゆっきー」
う・そ・だ・ろ?
バッ、と顔を上げた。そこには?マークを浮かべている幸人、ただ一人だった。ほっ、とする。自分の聞き違いだったか。そうだよな、まさか学校の教室に昼間っから現れたりしないよな、うん、それくらいの常識はあるよ――
瞬間。
二つのことに俺は、電撃にうたれたような衝撃を味わった。
まず、未だ腕を組んで頭を傾げている銀髪君の遥か向こうの教室の窓を越えて廊下さえ過ぎた中庭を映す窓から、見知った青っぽいサラサラ髪の――赤眼の女生徒が、こちらに手を振っていたこと。
さらその女生徒との会話の中で――そういえばあいつは常識も何もあったものじゃないやつだったと、思い返していたこと。
――窓のへりに、立ってやがるのか?
「あ、あ……」
「ん? どしたんふみっきー?」
不覚にも僅かに声を漏らしてしまったことを恥じ、気を取り直して体勢を整え、
「い、いやなんでもないっていうか、変な声聞こえなかったか?」
「ああ、確かに聞こえたっていうか昨日のあの子だろ?」
さすがに長年連れ添った相棒、呆けていても気配はキッチリ察していたか。しかしそう考えれば、昨日の後遺症は気になるところだった。
「――で、あれから異常無いのか?」
「とりあえずは? まぁだいたい実際どうなのかわかんねーからググったけど、でもなおよくわかんねーけど」
ググってそういうこと調べる辺りがアレだが、まぁしかし経験談なんてそうそうあるものじゃないだろう。となると、信じられるのは自分の感覚だけになるか。
「ところで相談だが、俺はあの子をどう扱えばいいと思う?」
「オレに任せろと言いたいとこだが、ちょっとパスかな? あそこまで弾けてると、オレの手には負えねーってかめんどくせーわ」
本音が飛び出してきやがった。それに俺は視線や硬直した身体は変えず動かさず、苦悩する。建前本音、義理人情、体裁常識、様々な案件な条件や思惑が交錯して、うまくひとつにまとまらなかった。
そしてそんな時間すら、神は与えてはくれなかった。
気がつけば、前方のドアから担任教師が教室に入ってくるところだった。
「うわ、やべ。阿比留のやつ今日早すぎだろ」
それに目の前の薄情な友人は、とっとと目の前から退散していく。残された俺はたったひとりで二者択一に挑まなければならない。
確かに無視するのは、簡単だった。流してしまえば、迷惑掛けたとか言ったあの子のことだ、たぶん無理にこちらに詰めかけてきたりはしないだろう。
だが、それでいいのだろうか?
見れば、宮藤は未だこちらに笑みを向けていた。さすがに手は振っていないが、それはこちらに何かを期待する眼差しだった。その内容はわからない。いや本当にわからないのか? 自問自答だった。とりあえずハッキリしていることは、ここで一人ウダウダ考えていても埒が明かないということだった。
選択は素早く、的確に。先生の教えだった。俺が数少なく守りたいと思っている教えだった。
「――――」