第59話 空の旅を楽しもう
「それじゃあ行ってくる」
遂に出発の時間がやってきた。
ホリンには俺とルーナが、ヴィネにはエキドナとトオルがすでに搭乗している。
「ルーナ、落ちないようにしっかりとしがみ付いていろよ。あと、怖かったら薬を出すからな」
前回の反省も踏まえているから、すでに高所恐怖症対策はばっちりだ。
「まぁ、シオン様『俺にしがみつけ』だなんていやらしい」
「違うだろうが!! もういい、落ちても知らないぞ」
せっかく心配したのに損した気分だ。
「ふふ、冗談ですよシオン様。ちゃんと気を付けますのでご安心を」
そう言ってルーナは俺の腰に手を回してくる。……背中にルーナの感触がはっきりと伝わってくる。……これはちょっとヤバいかも。
「あ、あの……ルーナ? 別にそこまでガッツリとしがみつかなくても……俺の服を掴んでいるくらいでいいんだぞ?」
じゃないと俺の理性が……正直控えめに言っても、ルーナはかなりの美人だ。スタイルも整っていて完璧だ。さっきまでは本当に何も意識していなかったが、こうやって密着されると嫌でも意識してしまう。
「まったくシオン様は……。しがみつけと言ったり、離れろと言ったり。はっきりしてくださいませ」
ルーナめ。分かってて揶揄ってやがる。
「もういい、好きにしろ」
「はい。好きにします」
そう言ってルーナは嬉しそうにまた俺にしがみついた。くそっある意味拷問だな。でも……ルーナで良かった。もしこれがラミリアだったら……俺の脳裏に昨日の光景が浮かぶ。あれはデカかったよな。
「シオン様? なに考えてるんですか?」
しがみ付いていたルーナの力が強くなる。
「悪かったって! だからもっと力を……痛い! 痛いってば!」
「謝るってことは、やはり後ろめたいことを考えてたんですね?」
くそっ。謝ったのが失敗だったのか。
「二度目はないですからね」
「はい……」
ようやくルーナは力を緩める。まぁ密着してるのは変わらないんだが。ってか、昨日エキドナにも童貞みたいとか言われたが、確かにこれじゃあ思春期の高校生みたいだ。
でも……恋愛なんてスミレとしかしてないし、スミレともこんな風にベタベタすることは殆どなかった。三年以上も付き合っていたので、何もなかった訳ではないが、やっぱり刺激的なのは仕方ないよな。
「シオン。鼻の下が伸びてるわよ」
姉さんから指摘が入る。
「ちがっ!? そんなことないぞ」
「これから大事な戦いが始まるんだから、そんなことで喜んでないでしっかりしなさいよ」
「ああ、分かってる」
そうだな。気を引き締めないと。うん、出来るだけ後ろは気にしないようにしよう。
「エキドナ様、お気をつけて下さい」
「エキドナ様、お気をつけて。帰られるときまでに、新しい領土の運用方法をまとめておきます」
「うむ、心配は無用じゃ。そなたらは祝賀会の準備をして待っておるがよい」
俺達と違い、エキドナ達は随分と真面目だ。……いや、俺達が変なだけか。
と、ふとラミリアと目が合う。
(シオンさんも気をつけて下さいね)
(大丈夫だ。安心して待ってろ)
いつものようにアイコンタクトで会話する。うん、やる気が出て来たな。
……心なしかルーナの締め付けが、またきつくなった気がする。
「……ルーナさん? また少し力が強くなっているのは気のせいでしょうか? 宜しければもう少し手を緩めては頂けないでしょうか?」
「あら、それは気がつきませんで……でも落ちるといけませんからもっと強くいたしますね」
そう言うとルーナはもっと力を込めた。
「って、マジ痛いから! ギブ、ギブだって!!」
「二度目はないと言いましたよね?」
「いや、今のは別に疚しくなかっただろ! 不可抗力だって!」
俺がそう言うと、ようやくルーナが力を弱めた。
「本当に……さっきまで、私の体で鼻の下を伸ばしておいででしたのに、すぐに他の人に色目を使うからいけないのです」
言い方!! もうちょっと包んで!!
「ったくお主らは……。直前までこれじゃからのう。ほれ、いつまでも夫婦漫才をしてないで、さっさと行くぞ」
そう言うとエキドナ達はさっさと飛び立った。
「おい、待てよ! よし! ホリン行くぞ! おい、ルーナも照れてないで気をつけろよ!」
ったく、エキドナに夫婦漫才って言われただけで照れるんじゃないよ。
《畏まりましたマスター。行きます!!》
ホリンは「グルルゥーー!!」と雄叫びを上げて飛び立つ。
「キャッ!?」
照れていたルーナは慌てて俺にしがみついた。
――――
「にしてもルーナよ。お主…変わったな」
大空を飛びながら、エキドナがルーナへ話しかけてきた。
前回もそうだったが、声は普通に聞こえる。それに風による抵抗も少ない。
これはホリンやヴィネが結界を張っているからだそうだ。
この結界がなかったら風速で乗っていることは出来ないし、声もかき消されているだろう。
これはグリフォンに限らず、ヒポグリフやペガサスのような人を乗せる魔獣には普通のことらしい。
地上でも馬のように動物なら無理だが、竜やユニコーン、ウルフなどにも備わっているらしい。
そういえば以前ロードランナーに乗ったときは……どうだったけ? 速すぎたイメージが強くて、覚えてないな。乗りこなせるようになったら大丈夫なのだろうか?
「エキドナ様、変わったとはどういうことでしょうか? わたくしとしては何も変わった気がしませんが?」
「お主……以前妾と会った時を覚えておるか? シエラがいた頃じゃ」
「何度か城へいらしたときにお会い致しましたよね? プライベートでも、魔王会議でも、お会いしたと存じますが?」
「あの時のお主は一度たりとも笑いはしなかった。いや、笑うだけでない。ただ無表情に自分の仕事をするだけじゃった。最初はゴーレムかと思ったぞ」
「そうですね…あの時のわたくしは自分の仕事をするだけ、シエラ様のお側をお守りするだけ、ただそれだけしか考えてはおりませんでした。まぁシエラ様には『お前は加減が出来ないから戦うな』と口をすっぱくして言われておりましたから、本当に淡々と仕事をこなしておりました。勿論今もそれは変わりません。シオン様を始め、トオル様、サクラ様、ヒカリ様のお世話をすること。それこそがわたくしの生きる使命だと感じております。ですが……」
「じゃが?」
「最近はお世話をするだけじゃなく、時には頼ること、そして甘えることを覚えただけです」
俺達が来た当初は仕事一筋って印象が強かった。そして少しずつ変わっていった。時には教師の真似事をしたりもした。
でも、はっきりと変わったと思ったのは赤の国が冒険者を連れてきたときだ。ルーナが仕事よりも俺の驚く顔が見たいと、わざと報告を怠ってドッキリを仕掛けたのだ。
あれからルーナは変わった。冗談を言うようにもなったし、そして何より隙を見せるようになった。今までは常に完璧にこなしていたのに、どこか残念な感じにもなった。
もちろん仕事の出来は完璧のままだし、部下への教育、指示も完璧だ。だけど、俺たちにだけ油断している。そんな感じだ。
俺はそれが嬉しかった。心を許してくれている気がするから。今のように冗談も言えるし、笑顔も見せてくれるルーナの方が昔より全然いい。
ルーナの言葉に驚いた顔をみせるエキドナ。その一瞬後大きな笑い声をあげる。
「そうかそうか。まさかあのルーナから、甘えるなどと言う言葉が聞けるとは思わなんだ」
「そこまで笑うことはないと思いますが。……以前のわたくしは、そんなにも無表情だったのでしょうか?」
「それはもう……さっきも言ったが、ゴーレムが服着て歩いているようなものじゃった。いや、寧ろゴーレムの方が感情が豊かかもしれんぞ」
「……そこまではないはずです。あの時も笑うことくらいありました」
おっ、ルーナが若干だが拗ねてる。
「ほう例えばどんな時じゃ?」
「確か……あの時はヘンリー卿がシエラ様にちょっかいをかけて、軽くあしらわれていたときのことでございます。へたり込んでいるヘンリー卿を見てこうフッと」
違う! その笑いは笑顔じゃなく、嘲笑だ。しかも今試した顔は相手を心底蔑んだ……まるでゴミクズ以下の存在を見るような目のはずだ。
俺からはルーナは真後ろにいるから、直接は見えないが、雰囲気だけは伝わった。
「そ、そうか。そのようなこともあったやも知れぬの」
ほら、流石のエキドナもこれには引いてるぞ。
「まぁ今の方が良くなったならいいじゃないか。俺も、ルーナに頼られてるって言われて、嬉しかったよ」
俺は正面を向いたままルーナに向かって言った。
「シオン様……。わたくしが頼ってるのはサクラ様やトオル様で、甘えているのはヒカリ様で、断じてシオン様ではないんですが……それでも嬉しいですか?」
「……どうせそんなことだろうと思ったよ」
……泣いてもいいかな?
と、ルーナが少しだけ体を浮かせて、後ろから俺の顔の横まで自分の顔を持ってくる。
「ふふ、冗談です」
耳元で掛けられた言葉にゾクゾクしてしまう。
「ルーナ……」
俺は思わず振り返ってルーナを見る。ルーナは笑ってこう答えた。
「シオン様はわたくしの大切な……おもちゃですから。ちゃんと癒やされてますよ」
その笑顔は悪魔の微笑だった。今度こそ本当に俺は泣いた。
くすくすとルーナの笑い声がいつまでも聞こえた気がした。
(本当は頼りにしてますよ)
笑い声だったのか、本当にそう言ったのか分からない声が聞こえた気がした。
「ラミリアよ……敵はかなりの強敵やもしれぬ」
ルーナの笑い声の中で、エキドナの呟いた一言が、やけに耳に残った。
 




