日常編 マヨネーズ
「シオン様、お願いがございます」
「ふぁい」
俺は思わずパンを咥えたまま返事をする。
とある昼下がり、少し遅めの昼食を食べていた俺にアレーナが話しかける。
他の人達はすでに昼食を終えていて、食堂には俺とアレーナだけだ。あ、スーラは勿論肩にいるが。
「それで、お願いってのは何だ?」
口の中を処理して聞いた。
「美味しいものが食べたいです!」
アレーナの目はいたって真剣そのものだ。
「……俺だって食べたいよ」
最近は食事事情も大分変わってきているが、地球から持ってきた物資にも限りがあるため、節約するようにはしている。
米はその最たるもので、収穫できるまでまだ掛かりそうだから普段はパン食が多い。
まぁパンは柔らかくなり、総菜パンや菓子パンなど種類も増えてきている。最近の城のブームはナポリタンを入れたナポリタンドッグだ。
本当は焼きそばパンを広めたかったが、まだソースが貴重品のため諦めることにした。ソースの作り方は本に書いてあるのでそのうち量産できるだろう。
アレーナは毎日のように料理本や調味料の本を読み料理の勉強をしている。毎日のように新しくも懐かしい料理が出てくるのは俺としても有り難いのだが、一体アレーナは何が言いたいのだろうか?
「毒です」
「はぁ?」
さっぱり意味がわからない。
「だから毒なんです。寄生虫なんです! 新しい料理を作ろうとしても、いつもあれにぶち当たるんです!」
「あー、なるほど」
地球では普通に食べてたから気にしなかったが、卵や生魚には寄生虫がいるから気をつけるように言われていて、料理に使わないように言ってるんだった。俺達だけじゃなくシルキーや他の魔族だって食中毒にはなる。大丈夫なのはスライムくらいだ。
「マヨが……私のマヨが!」
アレーナはマヨネーズの魅力に取り憑かれた一人だ。が、マヨネーズを作るのには生卵が必要だ。地球から持ってきた残りもそろそろ切れそうだから節約している。
アレーナは料理本のチキン南蛮のページを開く。
「今朝、美味しそうなロック鳥が手に入ったんです。ですからこのチキン南蛮を作りたいんです。でもタルタルソースが……マヨが……」
アレーナは泣きながら訴えてくる。別に泣くことではないだろう。
タルタルソースは地球から持ってきていない。あの時は定番調味料で頭がいっぱいだったからな。
しかし作ろうとしてもマヨは節約中。贅沢は出来ない。黙って使えばサラダ派やサンドイッチ派に怒られる。
しかし、チキン南蛮は俺も食べたい。鶏じゃなくてロック鳥らしいが。ロック鳥でもチキンって言うのかな? でも確かロックってB級の魔物で、討伐難易度はかなり高かった気がする。
「昨日、このページを見て食べたくなったので、朝一で捕まえてきました! 最初はロードランナーを一匹絞めようかと思ったんですけど、丁度上空を飛んでいたので…」
……ロードランナーは間一髪だったんだな。俺が捕まえたんだけど、何となく愛着が湧いてるから、助かってよかった。
ってか、ロードランナーでチキン南蛮は無理だと思うぞ。あれは肉の質が違うはずだ。それはアレーナも重々承知のはずだが……なるほど、それが分からなくなるくらい食べたいらしい。
「しかしタルタルがないなら諦めるしかないんじゃないのか? 唐揚げで我慢しろよ」
唐揚げだって十分美味しいだろ。
「い や で す! 食べたいんです! だから協力してください」
いつになく頑固だ。
「はぁ俺にどんな協力をしろと? 貴重なマヨを使うのに皆を説得とかは嫌だぞ」
サラダ派とサンドイッチ派が頑固として拒否するだろう。俺はそんなところに関わりたくない。
「そんなことは言いませんよ。私だって彼女らに恨まれたくはありません。じゃなくて、さっきから言ってるじゃないですか! 毒ですよ。シオン様はどうせ毒の処理くらいしか出来ないんですから、ちゃちゃっとこの卵を安全にしてください」
どうせって何だどうせって。最近のアレーナは俺に対して遠慮がなくなってきた。
まぁ要は生卵を使いたいから、卵から毒になりそうなものを魔法で取り出せってことだろう。
「まぁ一個や二個ならそれほど手間じゃないからいいけど」
それくらいでチキン南蛮が食べれるなら安いもんだ。
「じゃあこれから毎日十個程朝食後に持ってきますからお願いしますね」
十個!? しかも毎日て! 俺は調理場へ戻ろうとするアレーナを慌てて引き留める。
「ちょっと待て! 毎日ってどういうことだ!? しかも十個って……」
「これでも遠慮して半分しかお願いしてないんですよ。それに、これで美味しい料理が食べれるようになるならいいじゃないですか」
「よくねーよ! 毎日やってたら面倒じゃないか。断る」
「駄目です。断らせません。断ったら……サクラ様とルーナ様にあのことを言いつけますよ」
その言葉に思わず怯んでしまう。
「なっ卑怯だぞ! ……ってどのことだ? 最近は特に何も悪いことをした記憶はないぞ」
特に思い当たることはない……はず?
「私が知らないとでも思ってるんですか? シオン様が夜にコソッとマヨネーズを自作して一人で食べてるのを。ご自身で釣った魚を捌いてお刺身を食べてるのを。料理番である私が気がつかないとでも思っていましたか?」
しまった! まさかバレているとは……。
俺は自身が取り込んだ毒は、魔法で無効化出来るので、食中毒の心配もなく気軽に作って食べることが出来る。ただそれを言うと周りがうるさいだろう。だからスーラと二人でコソッと食べていたのだが……。
「調理器具を使用すれば、いくら洗っても分かりますよ。ですから厨房を張っていたら、先日の夜中に忍び込んでいるシオン様を目撃しましたので……卵の殻やゴミをスーラさんに食べてもらって証拠隠滅しても、在庫数と照らし合わせたら何をしていたか一目瞭然でしたよ」
くそっ、たくさんあったから一個や二個なくなってもバレないと思ったのに……。あの時は休憩時間に、フィーアスの川で釣りをしていたら鮭みたいな魚が釣れたから、コソッと持って帰ってカルパッチョにして食べたんだった。うん、あれは美味しかった。
「もし、一人だけ生魚や自家製のマヨネーズを作って食べたなんて知ったら、サクラ様とルーナ様はどうなるかなー?」
いかん、姉さんの怒った顔が目に浮かぶ。
「それに、シオン様が毎日毒を抜いてくれたら、きっと皆さんに感謝されますよ!」
そうか。皆も食べられるようになれば、今後はコソコソとしなくもいいし、最近落ち気味になってた俺の株も上げることが出来る。しかし、流石に毎日は繰り返しやるのは面倒だ。何か他に方法はないものか……。要は俺が毎回しなくても、自動で出来るようにすればいいんじゃないか?
「要は卵や他の食材から毒がなくなればいいんだよな?」
「ええ、そうですが? だからお願いしているのです」
アレーナは何を言ってるんだこいつって目で俺を見てる。
「まぁ任せろ」
そう言って俺は自信たっぷりで調理場へと向かった。
――――
「料理する場所はここだろ? だからここに寄生虫のように人体に影響のあるものが見つかったら、自動的に排除してしまう魔法の結界を張る。どうだ? これなら俺がいなくても大丈夫だろう」
俺は笑いながらドヤ顔で説明した。
「おお、素晴らしいです! 流石シオン様やるときはやりますね」
「そうだろそうだろ。もっと褒めてもいいぞ!」
俺は調子に乗って早速魔法を唱えようとした。
《シオンちゃん待って!》
魔力を集め始めた俺をスーラが肩で飛び跳ねながら止める。
「ん? どうしたスーラ?」
《あのね、初めての魔法だから、ちゃんと実験してからにするの! 失敗して食材が台無しになったら困るの!》
多分大丈夫だろうが、スーラの言うことにも一理ある。
「よし、じゃあまず実験してみるか。このテーブルの上に結界を発動させるので、何もなってない食材と寄生虫がいる食材を用意してくれ。この中に入れた後でスーラに食べてもらって、問題があるかどうか確かめてみよう」
「畏まりました。少しお待ちください。準備をいたします」
アレーナが急いで厨房へと戻って行った。待つこと数分。アレーナは卵と魚と野菜を持ってきた。新鮮なのと少し古くなったの、明らかに消費期限を過ぎた三種を準備してきたようだ。
「流石に腐ったのまでは元に戻らないと思うぞ?」
「ですが、食べられるようになりましたら何かの役に立つかと思いまして。今まではお腹を壊さないシオン様の料理にだけ使ってたのですが他にも使い道があるかもしれません」
おいちょっと待て、今聞き捨てならないことを言わなかったか? 俺はアレーナをジッと睨む。
「……冗談です」
アレーナは苦笑気味に言う。少し間もあったし……本当に冗談だろうな?
「まぁいいや、じゃあまずは新鮮な生卵と魚を入れてみてくれ」
今ここで追及してもはぐらかされるだけだ。今度料理をしっかり確認することにして今はこっちに集中しよう。アレーナが皿の上に卵と魚を載せてテーブルの上に置く。すると……皿の上から卵と魚が消失した。残ったのは皿だけだ。
「あれ?」
「シオン様の馬鹿ー!! 毒ごと全部消えてるじゃないですか!!!」
そう言いながらアレーナが俺の頭めがけてハリセンを振り下ろす。スパーンと小気味いい音が響く。
「いた……くはないけど、ビックリするじゃないか。ってかハリセンなんてどうしたんだ?」
「サクラ様に作って頂きました。『ツッコミならこれよー!』と言ってましたが。もしかしてと思い、籠の下に隠しておりました」
もしかしてって何だよ。どうやら調理室から持ってきた食材と一緒に準備したようだ。それにしても……やっぱり姉さんか。
この間の小説の件といい、ハリセンといい、アレーナは姉さんによってどんどん現代文化に染まってきているような気がする。というか、姉さんはこの世界をどうしたいんだ?
「しかし、まさか卵ごとなくなるとは……いやー失敗失敗。てへっ……って、ごめんって!? 俺が悪かったから振りかぶらないで!」
てへって言った瞬間にハリセンを振り上げるアレーナ。
「今回の失敗は消滅するイメージが食材そのものだったからだ。今度は寄生虫や毒性分そのものだけ消し去るイメージで……よし! 今度こそ大丈夫だ。じゃあ次いくぞ」
再度魔法を発動させ、テーブルの上が結界に包まれる。
アレーナは胡散臭そうな目をして俺を一瞥する。どうやら一回の失敗で信用を失ったみたいだ。
だけど、一応実験を続ける気はあるみたいなので、さっきと同様に皿の上に卵と魚を準備してテーブルに載せる。……もう少し信用してくれてもいいと思う。
しばらく待ったが、テーブルの上に置いた食材が消える気配がない。どうやら成功したみたいだ。
「ほら、今度は成功した」
「いえ、まだです。スーラさん確かめてもらってもよろしいでしょうか?」
ったく疑り深いなl。アレーナはテーブルの食材を持ってスーラの前、つまり俺の肩まで持って行く。
《分かったの。ちょっと待つの。……えっとね、特に危ないものはいないみたいなの。味もちゃんとするの》
スーラは俺の肩から動かずに、ぐにーっと体が伸びてアレーナの手の食材を食べる。さすがスライム。器用だな。因みにアレーナは翻訳飴を食べているためスーラの念話は聞こえている。
どうやら本当に成功したみたいだ。
「一応こちらも食べてもらっていいですか?」
アレーナは結界に入ってない食材をさっきと同様スーラに渡す。
《……こっちはダメなの。これそのまま食べちゃうと、お腹壊しちゃうの》
今食べたのには食中毒になる何かがあるようだ。
「そうですか。では次はこちらをいいですか」
アレーナは籠の中から茸を二本用意し、片方を結界の中へ潜らせた。
《えっとね。片方は毒キノコだったけど、もう片方は毒がないの。でも味もなくなっちゃったの》
どうやら結界の中で毒と一緒に味もなくなったのか。
「なるほど……ならこちらはどうでしょう?」
今度は別の茸を同じように片方だけ結界の中へ入れた。
《今度はどっちにも毒はないし味もあるの》
「つまり毒茸は毒はなくなるけど、味もなくなる。毒がない普通の茸なら入れても味はなくならない。毒成分に味があるのでしょうか? どのみち毒茸を食用には出来なさそうですね」
「どうだ? 問題ないだろう?」
ふふん、とドヤ顔でアレーナを見つめる。
「ええ、素晴らしいです。これならマヨを作ることが出来そうです。でも最後に念のためもう一つ確認を……」
そう言ってアレーナは醤油とお酒を結界に入れた。
《えっとね。両方とも味がない只のお水なの》
スパーンと再度小気味のいい音が鳴り響く。
「醤油とお酒まで毒扱いになってるじゃないですか!?」
「……どうやら発酵の際の菌が毒扱いになったのかもな。失敗失敗」
俺は痛くはない頭をなでながら笑って誤魔化した。
こいつ、使えねーな。アレーナの目がそう言っている気がする。
いかん、このままでは俺の評価がどん底まで落ちてしまいそうだ。
――――
その後も何度か試行錯誤を重ねる。ちゃんと完成した頃にはもう夕方になっていた。
アレーナはあの後さっさと卵だけ無害化して厨房へ戻って行った。どうやらマヨ作りをしていたようだ。
本日の夕食はアレーナ特製のタルタルソース付きチキン南蛮だった。そして今後はマヨネーズや生卵、生魚が食べられると聞いて皆が喜んでいた。
だが、皆が感謝したのはアレーナに対してのみで、俺には一切なかった。
なお、夕食は食材を無駄にした罰で、俺だけ唐揚げだった。しかも今日の午後の訓練をサボったのでルーナに散々怒られた。解せぬ。
あ、唐揚げは美味しかったです。




