第89話 弱音を吐こう
「お帰りなさいませシオン様」
「ああ、ただいま」
今回は予め帰る前に連絡していたので、転移場所でルーナが待っていた。
「今日は慌ただしくて悪かったな。だが、お陰でもう問題はないと思う」
「左様ですか。詳しい話は後程じっくりと聞かせていただきます」
ルーナの目が怪しく光る。絶対に逃がさないといった感じだ。だが今回の俺はちょっと違う。
「いや、すまないが、今日は早く休みたい。例の話はこの中に入っているから、自分で確認してくれ。じゃあな」
「えっちょっシオン様?」
俺はさっきのマチルダとの会話を録音していたので、それをルーナに投げ渡す。せっかく帰ってきたのに、ここでお説教コースで時間を潰すのはごめんだ。
背後から何やらルーナの叫びが聞こえたが、気にせず自室へと戻ることにした。
――――
自室でシャワーを浴びて一息つく。
そういえばスーラも居なくて一人で夜を過ごすのは、こっちに来た初日以来じゃないか? 次の日からはずっとスーラと一緒だった。
スーラと二人でも会話自体はそこまで多くない。会話がなくてもお互い意思疎通ができるくらい一緒にいるからだ。だからか……いないと少し寂しく感じる。
まぁ今日は嫌なことがたくさんあったので、全て忘れるためにやけ酒でも飲んで寝るか。
そう考えていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「お休みのところ申し訳ございません。シオン様、少しよろしいでしょうか?」
ルーナだ。シャワーも浴びて少しは落ち着いたし、スーラもいなくてちょっと寂しかったので、俺は彼女を招き入れた。
「ちょうどよかった。一杯付き合ってくれ」
一人で飲むのも少し味気ない。折角だから付き合ってもらおう。
「あの、わたくしまだ仕事が……」
「城主に付き合うのも仕事の内ってね」
これは嫌な上司の常套句のような気がする。まぁ今日だけは許してもらおう。
「……どうされたのですか? わたくしは追い出される覚悟で来たのに……先程と大違いですよ」
「シャワーを浴びてさっぱりしたからかな。落ち着いたし、一杯飲んで寝る予定だったんた。なら……話し相手が欲しいだろ」
「仕方がありません。一杯だけですよ」
ルーナが付き合ってくれるので、グラスを二つ用意した。やはり、こんな時は部屋に冷蔵庫があって良かったと思う。
「……シオン様? このお酒は少し強くございませんか?」
俺が用意した酒はウイスキー。普段飲むビールや日本酒、焼酎に比べるとアルコール度数は高い。
「ああ、そういえばそうだな。まぁ今日はそういう気分だったんだ」
気にせずグラスに注ぎ、ルーナへと渡す。
「はっまさかシオン様! いつも飲まないような強いお酒でわたくしを酔わせて……」
「違うから。はぁ、まあいいとりあえず乾杯しよう」
「むぅ。ノリが悪いですね。……それ程嫌なことがございましたか?」
俺はルーナとグラスを合わせ乾杯をする。
「そうだな。今日は本当に嫌なものを見た」
「……奴隷市場ですか?」
「そう……だな。それに盗賊のアジトもそうだ。正直、見たくはなかったよ」
アジトや店に入ったときの臭い、怪我も治されず、食べ物も着る物もろくに与えてもらえない。
人を人とも思わない仕打ち。なぜ同じ人間にあんなことが出来るのか?
あの奴隷たちが一体何をしたというんだ? ただ悪人に連れられて、売られただけの人。
中には犯罪者もいたかもしれない。しかし、それでもあの仕打ちはないだろう。
俺だって人をたくさん殺しているから、こんなこと言えた義理じゃない。
ただ……それでもやっぱり嫌なものは嫌だった。
そして、過去に奴隷として捕まったスミレ。助かったから良かったものの、一歩間違えれば、スミレもあんな仕打ちをされていたという事実が重くのしかかる。
ルーナ達魔族だってそうだ。もし魔族が捕まったとしたら、もっと酷い仕打ちをされるだろう。
そう考えただけで全てをぶち壊したくなった。
「シオン様……少し厳しいことを言いますが、現実なんてこんなものです。シオン様は理想を追い求めすぎなのです」
「これが現実……か。確かにそうだな」
確かにこれが現実だと知っていた。地球にいた頃からソータに言われていたし、こっちに来てからも散々言われた。だが、いざそれを目の当たりにすると、衝撃を受けずにはいられなかった。
「この現実が嫌なら、シオン様が頑張って変えてくださいまし。このシクトリーナのように」
俺が変えていく……か。もちろん全てが変えられるとは思わないし、別に無理矢理支配しようとも思わない。
だけど、少しずつ協力していけば……いずれここのようになれるかも知れないな。
「ありがとうルーナ。少し気が紛れたよ」
「いえ、お力になれたなら何よりです」
「それで、ルーナは何しに来たんだ?」
「えっ?」
俺の言葉に大げさに驚く。
「えっ?」
その驚き方に俺の方が驚く。
「えーと、シオン様の様子がおかしかったから、様子を見に来ただけですけど……」
あれ? てっきりさっきの録音の件だと思ってたのに……って心配されるほどだったのか?
「……そんなにおかしかった?」
「いえ、わたくしが何となくそう感じただけです。実際、他のメイドは何も思わなかったようですし」
いつも一緒にいたルーナだから気づけたって所か。あ、もしかしたらスーラも気がついてたかもな。だから何も言わずに一人にさせてくれたのか? ……やっぱり出来た相棒だ。
「そっか。ありがとな。もう大丈夫だ。ルーナはこれから仕事に戻るのか?」
「……折角ですので、ついでにこのまま報告致しますね」
どうやら報告することはあるらしい。
「まず、キンバリーへ遊撃隊を派遣いたしました。サクヤとシグレの二人です。主に過激派と穏健派の状況を伝えるように言っております」
おっ? サクヤが行ったのか。どうやらリンは免れたようだな。
「ってことは、さっき渡した録音は聞いてくれたようだな」
「ええ、過激派というのは……全く用心深いというか、只の被害妄想というか…」
呆れたように言うが本当にそうだと思う。
「シオン様はこれからどうされる予定で?」
「録音にもあったように、マチルダを連れてハンプールへ行く予定だ。そこでバルデス商会と交渉しながら情報を集める」
「関わる予定で?」
「過激派が勝ったら困るから、穏健派の手伝いはしたいが、積極的に関わる気は今のところない」
あくまで当事者の問題だから、俺達が出しゃばったら後々困るだろう。とはいっても、多分関わるんだろうな。
「左様でございますか。ですが、いつどうなるか分かりません。重々お気をつけください」
「分かったよ。じゃあ俺は寝るとしようかな。明日は朝一で戻るから」
俺は話が終わったつもりだったんだが、ルーナは動かない?
「ん? まだあるのか?」
「わたくし強いお酒を飲んでますよ? きっと何があっても明日には忘れてますよ。……襲わないんですか?」
「馬鹿言ってないでサッサと出て行け!」
「ああ、シオン様!? 無理に動かしたら、本当に酔いが回ってしまいます!」
騒ぎ立てるルーナを無理矢理追い出す。
ともあれルーナのお陰で少し吹っ切れた気がする。おかげでゆっくり寝られそうだ。




