少年とお葬式
「なんだてぇねぇ〜。ばぁちゃんも長生きしたもんだてぇ。」
落ち着いた色合いの、使い古された割烹着を着た中年の女性が、同じ年代くらいの黒いスーツを着た女性に話掛けている。
「まぁ、よっぱらんなったんでねぇの?あれだもん。」
黒いスーツの女性が、ちらっと視線を送った先には、無精髭を生やした、彼女達より少し上の年代の男性が、静かにうつむいて座っている。
「じいちゃんが亡くなったあと、ばあちゃん一人で頑張ってたけどな。結局、帰ってこんかったけぇな。」
はぁ〜っと女性は大きなため息をついた。
「長男だってぇのに。」
その日、もう少しで雪解けを迎えるであろうその小さな村で、ひっそりと葬儀が行われた。
瓦にほんのりと雪を散らしたその家には、十数人の人々が集まり、小さな葬儀が滞りなく行われるよう、各々の役割に従事していた。ある者は集まった人たちにお茶を出し、ある者はただ座って静かに頭を下げていた。
「そろそろ行きますか?」
少年は横に座っている老婆に声を掛けた。
老婆は反応しなかった。開いているかも分からない弛んだ皮膚に埋もれたその目は、ただ一点を見つめていた。
「このまま、お葬式、見て行くんですか?辛くなりますよ…」
老婆は、もう他には動く所がないかのように口を動かし始めた。
「そりゃ、あんたは辛かったろねぇ。」
「僕のこと、気づいてたんですね。さっきから無視されてたから、気づいてないのかと思ってました。」
苦笑いを浮かべて少年が言った。
少年は首から下げたメモ帳を持ち上げると、ふぅっと一つ、息を吐いて続けた。
「樫木トヨさん、91歳。2015年1月20日、心臓発作により死亡、で間違いないですか?」
「…………んだな。」
小さな、小さな声で老婆は答えた。
「僕に付いて来て下さい。そうすれば、迷わずあの世に行けますから。」
そう言うと、少年は笑顔で老婆に手を差し出した。
「むけぇは、先に逝ったじいさんか、あんにゃかと思っとったけどなぁ。」
「すいません…。いろいろとあるんですよ。きっと、向こうで会えるんじゃないですかねぇ。」
「んだなぁ。でも、もうちっと待ってくんねぇかぁ。この式が終わんまでよぉ。」
老婆はそう言うと、しわしわの両手で少年の手を包み込んだ。
「自分の葬式なんて、見るもんじゃないですよ。」
「そうかいな?別にいいでねぇけ?」
「みんな…悲しんでる。」
「んだぁなぁ。有り難えこっだ。」
老婆はそう言うと、少しだけ微笑んだ。
反対に、少年は少しだけ悲しそうな顔をした。
「有り難い…ですか?そうですね。自分の為に泣いてくれてるんですからね。でも…ずっと見ていると、本当に、辛くなるんですよ。」
祭壇の隣で、肩を震わせ下を向き、ブツブツと、何か呟きながら泣いている男性に、少年が視線を向けた。
「まぁ、おめぇさんの葬式は辛かったろうよ。そんげ若えなりして死んじまったんならなぁ。親や友達も、みんな大泣きしとったろう。」
老婆も少年の手を握りながら、自分の息子の姿を見つめた。
「あいつは、うちの長男でなぁ。阿呆な息子でなぁ。せっかくいい嫁さん貰ったってぇのに、他に女こさえてなぁ。嫁も孫も出ていっちまった。ほんでずうっとこの婆と二人でくらしとったけど、こっからぁ一人だぁな。」
「なんか、嬉しそうですね。お婆さん。」
「これでもう、あいつの負担にならんですむ。」
老婆は少年の顔を見上げて言った。
「もうすぐ式も終る。あの坊主に経を上げて貰ったらいくけぇ。ちぃっと待っとってくれ。」
少年はため息を一つついて言った。
「…わかりました。じゃあ、外で待ってます。」
少年には老婆の息子に対する思いがいまいちわからなかった。阿呆な息子と言いながら、息子の負担が軽くなることを喜んでいる。泣いている息子を嬉しそうに見ていた。
お婆さんがいなくなったら、あの息子は一人になっちゃうんじゃないの?心配じゃないの?あの息子のせいで、お嫁さんとお孫さんが出て行っちゃったんじゃないの?
「まあ、僕に分かるわけないか。」
この家の庭には椿の木があった。朝方降った雪が被り、紅く美しいその花は、他に咲くもののないこの季節に、誇らしげに咲いていた。
少年にとっては、この老婆は二人目のお迎えだった。
現世で罪を侵したものは、その罪の重さに応じて、亡くなった人のお迎えの役をしなければならなかった。少年は三人。一人目は病死した中年男性だった。物凄く短気な人で、少年が迎えに行った時には、すごくイライラしていて、早く連れていけと怒鳴られた。ほとんど会話をする事もなくあの世に送って行った。
次はこの老婆。心臓発作だが、死ぬべくして死んだと言ってもいい。91歳。死ぬ直前まで台所で野菜を洗っていた。
少年が迎えに来たときには、家の玄関に立ち、葬儀の参列者に一人一人挨拶をしていた。だがもちろん、参列者の誰もがその老婆に気づくものはいなかった。
そんな様子をしばらく観ていた少年は、とても悲しくなり、老婆を早く連れて逝ってあげたかった。少年は老婆に声を掛けたが、無視されて、家の中に入られてしまったのだった。
「これで二人目かぁ。」
少年はつぶやいた。
家の中からはリズムよく経が聞こえてきた。
少年の胸がザワザワと息苦しくなる。
この老婆のお葬式は、自分の時とは全然違っていた。
泣き叫ぶ、同級生たちの声。
嗚咽する姉と弟。
あの老婆の息子のように、うつむき、かたを震わせる父。
そして、母の姿は無かった…。
あの日、少年の死によって、世界が終るかのような、重々しく悲惨な空気が流れていた。
それが、自分の責任だと思うと、とても見ていられるものではなかった。
椿の花が、雪の重みでポトリと落ちた。
「またしたなぁ。死神さんや。さぁ、行こうかの。」
少年が振り返ると、そこには満足そうな顔をした老婆がいた。
「僕……死神?」