開始
そんなこんなで観客の熱意に呆れつつもわかってしまう部分もあるからそれ以上うがって考えることをやめて、街門からほどほどに離れた場所へ向かって路地や他の通りを経由しながら移動し始めた。
「あ、そこの坊主達! 喉乾いてないか? 良ければうちのエールを出すぞ!」
「開始までまだまだ時間はあるわよ! うちで軽く腹ごしらえしていかない?」
すると今度はそれぞれの家の玄関口に陣取って、露天商みたいに飲み物や軽食を勧めている人たちを見かけるようになった。見るからに帝都市民のみなさんっぽいけど、ホントどういうことなんだろう。
興味を持ったので鍋から雑炊をよそっている恰幅のいいおばさんに声をかけてみると、この臨時の軽食限定露店は武闘大会一次予選の風物詩らしい。受付自体は朝早くから始まるけど、予選開始は昼前になるから、例えば朝一番で受付を済ませたりなんかしたらかなり時間が空くことになる。第二外壁内の市街にも当然商店はあるものの、予選当日はどこも観戦を優先するためにお休みしているから、自分達で食料を持ち込まなければ待ちぼうけを喰らった上に、下手をすれば空腹状態で予選に臨むことになりかねない。
そこで大会出場者に支援の手をさしのべるべく、有志の市民が炊き出しを行うのが慣例になっているらしい。食べ物や飲み物を用意するための基金すら存在しているらしく、現品限りで当たり外れは大きいものの、大会メダルを見せれば無料で飲み食いできるとのこと。どれだけ武闘大会を楽しみにしてるんだ、帝都市民のみなさん。
ちなみにこの炊き出し、市民の人たちも有名人と話をできたりその年の大会上位入賞者が飲み食いしていったことなんかが一種のステータスになるらしく、毎年余るくらいの有志が集まるらしい。参加者も参加者で毎年出場している常連にもなると、お気に入りの炊き出しに通うようになるんだとか。うん、もう好きにしたらいいんじゃないかな。
さすがに予選が始まる前にはどこも撤収するさと豪快に笑うおばさんにお礼を言い、せっかくだからと揃って大会メダルを見せて雑炊をもらった。食べやすい大きさに切ってある野菜や肉片を麦っぽいのと一緒に煮た特にこれと言った特徴もない普通の雑炊だったけど、具材にスープのだしが染みててけっこうおいしかった。きっとこれが家庭の味ってヤツなんだろうね。
「ごちそうさま、おいしかったよ!」
「そう言ってもらえると嬉しいねぇ。あんたら、良ければ名前を教えてくれないかい? あんたらがいいところまで行ってくれたら、そんな子らに『おいしい』って言ってもらえたって自慢になるからねぇ」
あ、うん、名前か。そうだよね、自慢にするにしても相手が何処の誰だかわからないと意味ないもんね。
「ボクはウルだよ」
「おれはリクス・ルーンです」
「ケレン・オーグナーだ。ま、名乗るほどのもんでもないんだけどな」
「……シェリア。シェリア・ノクエス」
「ふんふん、ウルにリクス、ケレン、シェリアね。ウル、あんたちょいとフードを降ろしてくれないかい? 嫌なら無理強いしたくはないけど、せっかくなんだからちゃんと顔も覚えたいんだよ」
ボクたち四人の顔を見ながらそれぞれの名前を繰り返したおばさんは、ボクの方をもう一度見やってそうお願いしてきた。そう言えば外を歩く時はもうデフォルトでフードを目深被りしてるから特に気にしてなかったけど、確かにこれじゃ見づらいよね。
「いいよ。ほら」
そう言ってけっこう久しぶりに真珠色に輝く頭を太陽の下にさらした途端、目の前のおばさんはあんぐりと口を開けて目も一杯に見開いた。あ、なんかこの反応久しぶりな気がする。一番最近は例の要塞型超大型魔導兵器を潰すために『全力』を出した時かな? あの時は宿で素顔をさらしていたのを見たことのある『永遠の栄光』のアマルとエイミ以外は見事に間抜け面になってたっけ。
「……こいつは驚いたねぇ。まさかこんなべっぴんさんなお嬢ちゃんだったとは思いもしなかったよ。こんな物騒な大会に参加なんかして大丈夫なのかい?」
しばらくして我に返ったおばさんが心配そうな表情でそう聞いてきた。やっぱりこの顔だと頼りなさそうに見えるのかな? まあ確かに威圧感なんかとは無縁の自覚はあるけど、戦うために生まれた種族なのに戦うことを心配されるのはどうかと思うんだ。
「心配しなくても、ボクは強いよ! そこらの人なんかに簡単に負けたりはしないんだからね!」
「本当かい? アタシも帝都で生まれ育ってずっと武闘大会を見てきたけど、あんたみたいに剣を持ったら折れそうな細腕の子なんて初めてだよ」
堂々と胸を張って心配ないことを伝えたつもりだったんだけど、それでおばさんは余計に心配になったらしい。うん、解せる、けど解せない! ああもう! この顔背格好自体はイルナばーちゃんの監修だしすごく気に入ってるんだけど、どうしても強く見てもらえないのがもどかしい!
「まあまあ奥さん、確かにこいつはパッと見じゃ頼りなく見える。俺やリクスの方がまだ頼りがいがあるように思えるのは仕方ないと思うぜ」
そんなボクの葛藤を知ってか知らずか、急にケレンがボクの肩に手を回してそんなことを言い始めた。
「だが断言しよう! こいつは俺らの中じゃ間違いなく一番強い! 武闘大会の決勝まで勝ち進むのは確実だ! 奥さん、あんたはついてるぜ? なにせ、古今無双の強者に飯を振る舞ったって確実に自慢できるんだからな!」
はたから聞いたらちょっと大げさなんじゃないかって思えるだろうけど、ほぼ確実に実現する未来をケレンが語るのを聞いたおばさんは、ちょっと目を見張ったかと思うと声高く笑い声を上げた。
「あっはっは! お仲間にそこまで言ってもらえるなんて、お嬢ちゃんはたいしたもんだね! そう言うことならアタシも応援してるから、是非とも頑張っておくれよ!」
「――うん、ありがとう!」
そうしてフードを被り直しながら炊き出しのおばさんに別れを告げると、そこからほど近い通りの真ん中で足を止めた。両脇の建物の屋上には密度は減ったものの観客の姿が、そして通りにはちらほらと他の出場者の姿が見える。街門からまだそれほど離れてもいないし、ボクたちのスタート地点にはちょうど良さそうだ。
「それじゃあ改めて確認するけど、一次予選はパーティで動いておれとシェリアが前衛、ケレンとウルが後衛ってことでいいんだよね?」
緊張の面持ちであらかじめ打ち合わせてあったことを再確認してくるリクス。元から決勝進出、あわよくば優勝を狙っているボクと違って、今回のリクスたちの目的は第一に新しい武器の慣熟、第二に腕試しと実力向上だ。リクスはできれば予選を突破したいようだけど、それはあくまで努力目標。一次予選はパーティとして動いた方が有利なことも合わせて考えれば、ここでボクが無双なんかしたらリクスたちの主目的が達成できない。なら単独で動けばいいって思うかも知れないけど、この大会殺害は厳禁でも戦い自体は真剣を使うんだから、ボクが目を離したせいで仲間が死ぬような目に合うなんてマキナ族の矜持が許さない。
というわけで、メダル集めくらいなら軽くこなせる自信のあるボクは一次予選はサポート役にまわることにして、他の仲間――特に強くなることに熱心なリクスに戦闘経験を積んでもらうことにしたわけだ。少し離れたところから白兵戦を観察できる立ち位置はボクにとってもありがたいから、誰も損をしない見事な陣形になる。
「それで合ってるよ。大丈夫、危ない場面になったらすぐに助けに入るから安心して戦ってね」
「ありがとう、ウル。なるべくそうならないように頑張るよ」
「……まあ、ほどほどにするわ」
ボクの言葉にリクスはグッと拳を固めつつ決意を込めて、シェリアは軽く肩をすくめながら気のない様子で返事をしてくれる。
「おいおいウル、俺を忘れないでくれよな? か弱い魔導器使いの俺が狙われでもしたら、頼りにできるのはお前なんだからよ」
「任せてよ! 守ることはボクたちマキナ族が一番得意なんだから」
情けないセリフとは裏腹な笑みを浮かべるケレンに胸を叩いて請け負う。今回は近接戦闘力の低いケレンの護衛も兼ねてるから、前の二人を抜けてこようが回り込んで挟み撃ちにしようが指一本触れさせやしないさ。だからケレンにはいつも通りせこい――ゲフンゲフン、的確で効果的な支援をしてもらおう。さいわい通りはしっかり固められてはいるものの舗装されてはいないから、長杖にあるくらいの『操土』の術式でも小規模な地形操作は有効だ。
その後もいくつか打ち合わせをしたり雑談をしたり、軽く動いて三人が身体を温めるのに付き合ったりとしながら時間を潰した。そうしている間にもこの通りで見かける出場者が増えていく。多くは単に位置取りのために通り過ぎていっただけみたいだけど、中にはこの通りをスタート地点に選ぶ人もいるようで、通りで待機しているらしい人影が結構増えてきている。これはもしかしたら、この通りから動かなくてもノルマ達成できるんじゃないかな?
そんな風に次第に周囲の空気がぴりぴりしてくるのをなんとなく感じつつ時間を潰していると、ついに太陽が一番高いところまで近づいてきた時に大きな鐘の音が鳴り響いた。リンゴンとうるさいくらいに聞こえるそれは、周囲に鐘楼みたいなのは見あたらないにもかかわらず、なぜか不思議と近くで打ち鳴らされているように思える。
〈――今この瞬間、帝都に集う全ての民草よ。此度もまた、皆が待ち望んだ時がやってきた〉
きっちり十回打ち鳴らされた鐘の音が鳴りやんでから一拍を置いて、今度は渋く深みのある男の人の声が聞こえてきた。ああなるほど、いわゆる放送設備みたいな魔導器で声や音を帝都中に届けてるわけか。上の方から聞こえてくることを考えればどこかの屋上にスピーカーが設置されてるんだろう。ブレスファク王国から輸入したのかな?
〈余はグラフト帝国第二十七代皇帝、シュバイゼルク・オーガス・グラフトである。帝国が求むる強者が互いに競い合う至高の祭典、グラフト大武闘大会に今年も多くの腕に覚えがある者が集ったこと、誠に嬉しく思う!〉
どうやら流れているのは開会の挨拶みたいだけど、まさか皇帝陛下ご本人が喋ってるとは思わなかった。まあ国を挙げて主催する大会の挨拶に出てくるくらいはそんなにおかしなことじゃないか。
でも、これだと挨拶を全然聞かないのって失礼にならないかな? 正直さっさと初めて欲しいところだけど、かといって聞き流したせいで後々面倒ごとになるのは避けたいな。
〈皆がそうであるように、余もこの日を心待ちにしていた。血湧き肉躍る熱き戦いを見ることは余の生涯の楽しみであり、この世界にはまだ見ぬ強者が溢れていることが心を高ぶらせてくれる! 惜しむらくは強者を決定づける祭典にも関わらず、余が集いし強者と競う機会には恵まれないことだが……いや、やはり今からでも遅くはあるまい。今年こそは余も一武人として真の強さを追い求めよう!〉
なんて考えながら一応真面目に話を聞いていたら、なんだか雲行きが怪しくなってきた。え、なにこれまさかの皇帝陛下参戦? いいの?
〈よし、誰ぞ余の具足を持て! 武の帝国に我在りと今こそ世に知らしめ――む、なんだナルファー、止めようとしても無駄で――〉
直後に放送から響き渡る鬨の声。しばらく怒号や殴打音なんかがひっきりなしに聞こえてきたけど、やがて騒動が収まったらしく静かになったところで咳払いが一つ発せられた。
〈グラフト帝国宰相、ナルファーナス・レウン・コーレンスだ。陛下は例の病気により下がられたので、代わってお言葉を伝えよう〉
次に聞こえてきたのはさっきとは違ったダンディボイス。どうやら宰相らしいけど、いいのかな? 明らかに皇帝陛下、盛大にド突き合い繰り広げてなかった?
そう思ったんだけど、観客の人たちから「今年もか」「皇帝陛下も懲りられないことだなぁ」「今年は治まるのが去年よりも少し長かったな」なんてのんきに言い交わしているのを優秀な耳が拾ってきた。どうやら今のは毎年恒例のやりとりらしい。さすが脳筋国家の一番偉い人だ。ボクと同じく初体験のリクスたちは揃って呆れたような顔になっている。
〈強き者たらんと欲する者よ、存分に力を振るえ。その身に野望を抱きし者よ、己の力で掴み取れ。始まりを告げる鐘は間もなく鳴る。諸兄らの健闘を祈る〉
まるでさっきの放送事故はなかったかのように淡々とした口調でそれだけ言い終えると、放送が途切れて静かになった。どうやら開会の挨拶はこれで終わりらしい。短くて良かった。これも脳筋国家だからかな?
「いよいよ始まるみたいだね」
何はともあれ、待ちわびたお祭りの始まりが近づいてきた。自然と笑みが浮かぶのを感じながら装備を最終確認。外套の下にはいつものスノウティアとナイトラフが準備万端で待機しているフォーマルスタイル。もちろん、ナイトラフの弾丸は『衝撃』に設定済みだ。基本は後衛らしくナイトラフで牽制したり狙撃したりして、近づいてくるヤツがいたら銃身やスノウティアの剣の腹で殴り倒す。うん、いたってシンプルだね。
魔素反応炉の出力は『平常』のままだけど、予選ならそれでも大丈夫だろう。必要以上の力を使うのはマキナ族の主義に反するし、一方的に勝つのが今回の目的でもない。まあ、ロヴくらいの相手に当たったらその限りじゃないけどね。ボクが言うのもなんだけど、あのレベルになると人に分類してもいいのか疑問を覚える。
「呼出・周辺精査」
最後にお馴染みの術式登録を使って『探査』を起動させれば、いつものように周囲の様子が直接頭に入ってくる。うん、感度良好。プルストで要塞と戦った時は不調だったから多少心配だったものの、それ以降は特に異常なく使えている。ホント、あれなんだったんだろう?
それはそれとして、これでボクの戦闘準備は良し。みんなはどうかとそっちを見れば、リクスは小盾の持ち手を握りしめながら抜き放った真新しい剣をじっと見つめていて、ケレンは長杖を肩に担いでいつも通りに装おうとしつつも緊張は隠しきれない様子。対してシェリアだけは何かを諦めるかのように一つ大きくため息を吐くと、新しくなった二本の握剣を抜いて気負いなくたたずんでいた。この違いは経験の差なのか気持ちの問題なのか。ともかく全員がすでにちゃんと臨戦態勢だ。
〈――お待たせしました、皆様。わたくし、今大会の進行役という名誉を仰せつかりましたノイアです! 間もなくグラフト武闘大会一次予選の始まりを告げる鐘が鳴ります!〉
再び始まった放送は、今度は若い女の人の声がテンション高くそう告げる。
〈改めて規定を簡単に確認させていただきます! 出場者の皆様は各自に配られている大会メダルを五つ手に入れることで二次予選に進むことができます! 場所は第二外壁から第一外壁の間に広がる市民街区全域! 収拾の手段は問いませんが、建物や非出場者への意図的な攻撃が発覚した次点で出場資格剥奪の上帝都騎士団の捕縛対象となりますので留意してください!〉
試合直前のルール確認に合わせて出場者からは気合いが、観客からは期待が込められたもざわめきが巻き起こる。その間にボクは周辺チェック。開始直後からすぐに交戦しそうなのはそれとあれとあれと……三組九人ってところかな? 内訳は目の前少し離れたところに三人、その少し向こうに四人、そっちとは反対方向の通りの影に二人。よしよし、ドンと来いだ!
〈――それではグラフト大武闘大会一次予選、開幕です!〉
そして司会の人が宣言した直後、天にも届けとばかりにひときわ大きく打ち鳴らされた鐘の音が響き渡った。




