観光
「うーん、どこから見て回ろうかな?」
公爵家のお屋敷を出て適当に歩きながら王都レイベアの地図を広げる。出がけに外套を出してくれた侍女の人が一緒に持ってきてくれたものだ。前の世界の程じゃないけど、大きな通りや大まかな区画割りはしっかり描かれている。
ものすごくおおざっぱな円形に広がる街の北寄りにでんとお城。そのまわりを囲むようにして貴族の屋敷が集中している――というか貴族の屋敷しかない『貴族街区』だ。そこを貫くようにお城から一番大きな通りが南に向けて伸びていて、道を中心に挟み込むように『商業街区』が街外れまで広がっている。お城と貴族街区を挟んで真反対側には『工業街区』。このあたりがだいたい街を二分割していて、さらに貴族街区と商業街区の境目から東西に延びる大通りが残った左右の区画をさらに半分ずつにしている。東側が北の方から順に『第一街区』『第三街区』、西側が『第二街区』『第四街区』になっていて、ここまでの区画に入らずに外の方へはみ出しているあたりはまとめて『外周街区』って呼ばれるらしい。そして周辺がわりと安全なおかげか外壁とかはない。あと、工業街区の外れの方に『レイベア駅』って表示がある。たぶん魔導列車の駅なんだろうな。
ちなみに今いるのは当然貴族街区で、その中でもお城に続くグローリス通りっていう大通りだ。ガイウスおじさんの屋敷がそこに面して建っているから、外に出てすぐだと自然とそうなる。
そんな感じでだいたいの配置はわかったけど、観光目的で歩くとするとなると……お城は振り返れば見えるからいいや。さすがに中には入れないだろうしね。お屋敷を外から眺めて喜べる感性もあいにく持ち合わせてないから貴族街区はパスかな。見所がありそうなのは……うーん、商業街区や工業街区なんかは字面から何となくわかるけど、第一街区だの外周街区だのは想像つかないなぁ。駅は興味あるけど反対方向だし、近いところから順番に回っていこう。さいわい時間的余裕はあるんだし。
主要な通りの配置と名称は覚えたから地図を鞄にしまい、外套のフードをしっかりとかぶり直す。顔がいいのは嬉しいんだけど、それが元で変に目立って観光をぶちこわしにされるのも嫌だしね。
とりあえず南の商業街区を目指しながらのんびり大通りを歩いていると、一台の魔動車が向こうから走ってきた。すぐにすれ違っていったけど、高らかにエンジン音を響かせていたことからアクセルベタ踏みの全速力っぽい。前の世界の自動車が記憶にあるからたいした速度に感じないし、ここの通りはあまり人影がないから大丈夫だろうけど、それにしても危ないなぁ。道路交通法どうなってるんだろう。
まあボクが気にしてもしかたないか。運転手の若い人が妙に青ざめた顔をしてて車体には今持ってる巾着袋にあるのと同じ紋章があったけど、ただの居候が興味本位で首を突っ込んだらまずいだろうしね。事故らないことだけ祈っとこ。
気を取り直して南下を続けると、東西の通りと交差する場所に出た。このあたりは広場になっているはずだけど、あまり活気があるようには見えない。おかしいな、商業街区との境なんだから、もう少し賑わいがあってもいいと思うんだけど。
そう思ってまわりを見回して納得した。北側は貴族街区だから無駄にでかいお屋敷があるのはいいとして、南側に立ち並ぶ建物には役所だったり商業や工業などなどの組合だったりといった表札が出ている。どうも行政関係の機関が集中しているらしい。そんな場所に喧噪はあまり合わないだろうなぁ。
大通り同士の交差点ということで馬車や魔動車が時々行き交うけど、あんまりおもしろいところでもないしさらに通りを南に進んだ。
そうするとしばらくして、明らかに人の行き来が増えだした。並ぶ建物もそれぞれ入り口に意匠の懲らした看板が掛かっていて、店の名前が誇らしげに掲げられている。やっと本格的に商店街って感じになってきたみたいだ。
ただ、凝った造りの構えをした店に出入りする人の姿は少なくて、ショーウィンドウに飾られている服や小物なんかをじっくり吟味している感じの人が多い。呼び込みなんかもなくて店自体にちょっと高級感みたいなのがある。この辺はたぶん、商人とか少し奮発した一般市民とか向けなんだろうな。前の世界で例えればブランドもののお店ってところか。その辺の善し悪しはわからないけど、時々凝った造りの商品が飾ってあるからそれを見るのはちょっと楽しいかもしれない。
そういったお店を横目で眺めながら歩く内に、さらに多くの人が行き交うようになった。扱っている物も食べ物だったり日用品だったり普段着だったりになって、建ち並ぶお店はもちろん、露天商もあちこちに陣取ってお客の呼び込みに精を出している。雑多な喧噪が飛び交う様子はまさに『庶民の生活の場』ってところかな。いいねこの感じ。体感するのは初めてだけど、何となく好きだな。
それに、時々だけど獣耳とか鱗とかを持つ人や耳の長い人、小柄でがっしりした髭もじゃの人などなどファンタジーでおなじみの人種を見かけることがあって、そのたびにテンションが上がる。武器を持ってる人もちらほら見かけるな。そろいの制服は衛兵、それ以外は傭兵かな?
「おっとそこ行く旅人さん、そろそろお昼だろう? うちのクラム牛の串焼きをどうだい、今なら焼きたてをサービスしとくよ!」
物珍しい物が多くてついついキョロキョロとあちこちを見ながら歩いていると、そんな風に声をかけられた。そっちを見れば今まさに通り過ぎようとしていた屋台から恰幅のいいおばさんが全開の笑顔を向けている。フード付きの外套で全身もれなく隠してせわしなく周囲を見回している不審者を躊躇なく呼び込むなんて肝が据わってるなぁ。それともこれが商売人魂ってやつなのかな? ちなみに商品は今まさに鉄板で焼いている串に刺した肉。さっきの売り文句から察するにクラムっていう牛の肉なんだろうね。一串ごとのボリュームはけっこうあるみたい。
「おいしいの?」
「あったりまえよ! うちで扱ってる肉はどれもこれも捌きたてさ。特にこのクラム牛はノートス牧場からの直送もんだよ! さらにタレはうちの秘伝のレシピで作った特別製さ! 今ここで味わっとかなきゃ大損間違いなしだね!」
立ち止まって顔を伏せ気味に若干失礼なことを聞いてみたけど、おばさんは快活に笑うと商品を全力アピール。流れるような軽快なトークは聞いている相手をその気にさせる不思議な魅力を感じさせた。
うん、ボクは特に食事の必要はない身体だ。だけど少量とはいえせっかく食べて味わえるんだし、さらに観光にグルメは付きもののはずだ。
「じゃ、せっかくだから一本ください」
「まいどあり! クラム牛の串焼き一つで三ルミル二十エキューだよ!」
ん? ちょっと待って今なんか聞いたことない単位が出てきたんだけど!? 何、『えきゅー』って何!?
お、落ち着くんだボク、慌てるようなことじゃない。通貨単位のルミルとセットで出てきたってことはたぶんこれも通貨の単位、扱い方からしてルミルよりは下、たぶん前の世界で言う『ドル』と『セント』、繰り上がってるだろうから一ルミルはおそらく二十一エキュー以上、なら四ルミル出せば差額はおつりとしてもらえるはず!
この間約一秒で結論をはじき出すと、なんでもない風を装って巾着袋を取り出した。ガイウスおじさん家の紋章はなるべく見えないように持って、念のため五ルミル硬貨をつまむ。
「はい、これでお願い」
「あいよ、五ルミルだね! それじゃ一ルミルと八十エキューのおつりだ!」
硬貨を受け取ったおばさんは引き替えに今焼き上がったばかりの串を渡して、手早くおつりを出してくれた。一ルミル銅貨と同じくらいの大きさの青銅でできた硬貨が八枚。全部に十の数字が入っている。
ふぅ、よかった。やっぱり下の単位で合ってたみたいだ。ついでにおつりから逆算すれば一ルミルが百エキューといったところになる。ガイウスおじさんも教えておいてくれればいいのに。それともエキューの単位は貴族の人はあんまり使わないのかな?
「ありがとう」
「こっちこそ! 気に入ったんならまた寄ってちょうだい!」
無事に買い物を終えて内心ほっとしながらお礼を言えば、リピートの要望を忘れないおばさんのしたたかさに思わず笑みが浮かんだ。
「そうだね、覚えとくよ」
伏せていた顔を上げてしっかりとおばさんの顔を見る。ややふっくらとした顔立ちに日に焼けた艶のいい肌色、ひっつめの茶色い髪に気が強そうな茶色の目、だけど笑っている顔はすごく愛嬌がある。
うん、覚えた。これで次に会ってもちゃんと見分けられる。
「それじゃあね」
目を見開いて固まったおばさんを尻目にそれだけ言い置いて屋台を離れた。歩きながら初めて買った串焼き肉を眺める。こんがり焼けた表面にタレの独特な照り返しがついていて実においしそうだ。匂いを嗅げば焼きたての香ばしい匂いが感じられる。生身なら絶対に食欲をそそられてたにちがいない。その辺はこの身体不便なんだよね。まあ生まれつきのことを嘆いてもしかたないか。この身体は気に入ってるし、何よりイルナばーちゃんの最高傑作だしね。
気を取り直して串焼き肉にそっと歯を立てる。かりっとした表面を破ると弾力のある中身がお出迎え、さらには閉じこめられていた肉汁が溢れてきた。汁がこぼれないようにすすりながらひと思いに噛みちぎり、ゆっくりと咀嚼しながら風味を味わう。自慢してた通りに肉の質自体がいいみたいで、溢れる肉汁と絡んだ甘辛いタレが絶妙に合っている。これはなかなかの物じゃないかな? こっちで初めて食べたのがこれで良かったかもしれない。後でゆっくり他のお店とかを回って比べてみよう。
そんな風に手にした串焼き肉をもきゅもきゅしながら屋台やお店を眺めて歩く。屋台の方は食べ物関係が多いかな。雑炊、カットフルーツ、スープにパン、クレープみたいなやつ。さっきみたいな串焼きも肉の種類が色々ある。おっと、あれはサンドイッチかな?
他には様々な露天商。小ぶりの宝石やアクセサリーがあったりナイフの実演販売をしていたり、土産物っぽいものを雑多な感じで並べていたりなどなど。意外と掘り出し物なんかがありそうだ。
お店の方も食事処に酒場、服屋に靴屋、花屋、雑貨屋なんかが並んでいる。そして普通のお店に混じって時々武器屋や防具屋なんかがあったりするのもこの世界ならでは、なんてところかな。
……ところでさ、さっきから見かける売り物の値段なんだけど、食べ物が一品だいたい一から十ルミルくらいなんだけど。お手頃価格とか言ってたアクセサリーが二十ルミル前後で、今まで見つけた中で一番高かったやつがやっと百ルミルくらいなんですけど。今まさに食べてる串焼きもこれだけで満腹になりそうなボリュームだけど、一食って百五十ルミルくらいじゃないの? 相変わらず物価がわからない。
「――おっと」
内心で首をかしげながら歩いていると、気になるお店を発見。その名もずばり《シュルノーム魔導器工房》。並んで建っているお店よりも一回りほど大きな構えだ。窓からはいろいろな魔導器が並んでいるのが見えて、人の入りもまずまずといった感じ。
まさかイルナばーちゃんのファミリーネームを冠するお店があるなんて思いもしなかった。けど、考えてみればばーちゃんの出身はこの街って聞いてるし、家族とか弟子とかの関係者がいても不思議じゃないか。
そうだ、一般に出回ってる魔導器を見るのにもいい機会かもしれない。ちょっと市場調査としゃれ込もう。どんなのが売ってるんだろう、楽しみだな。
興味を引かれて店の前まで来て、ふと手にまだ半分残ってる串焼きに目がいった。前の世界で言う家電量販店みたいな店に入るのに食べ物を手にしたままなのはいかがなものか。うん、ちょっとまずいよね。
考えるまでもない結論にいたって大急ぎでかじりつき残りを口の中に押し込む。そうすると思ってた以上に残ってたみたいで、頬をぱんぱんにふくらませてもうっかりすると溢れそうになる。さすがにこぼしてしまうのはお肉にも屋台のおばさんにも悪いしもったいない。
とりあえず対策として片手で口元を覆いつつ、残った串は近くの屋台に設置されてるくず入れにこっそりと放り込んでおくことにした。――うん、ナイスシュート。
綺麗にくず入れに吸い込まれた串を見送って片手で小さくガッツポーズ。口の中身の処理を継続しながらお店の扉をくぐった。




