吟遊
「――あー、その……なんだ。あの時は悪かったな。ちっと頭に血が上ってな……」
そろそろ混み出す時間帯の中、なんとか席を確保してそれぞれが注文を終えたところを見計らったかのように、前に強引な勧誘を仕掛けてきた相手がバツの悪そうな顔をしながら謝りに来た。確かベイスって名前だっけ、朝に集合した時からボクに対してよそよそしい態度を取ってたんだよね。あんなことがあったんじゃしかたないかと思ってたけど、どうやら謝りに来るタイミングを掴みかねていただけだったみたいだ。ただの暴れん坊かと思ってたけど、そういう気遣いができる面もあるんだね。ちょっと見直したよ。
「もうすんだことだし、気にしてないよ」
「ああ、そう言ってくれると助かる」
「あ、でもまたそっちのパーティに入れっていうのは聞かないからね? どうしてもって言うならまたぶっ飛ばすよ?」
「言わねぇって! もうこりごりだ!」
冗談半分でそう念押ししてみると、ものすごく慌てた様子で首を振って退散していった。なんかだいぶん怯えられてる気がするんだけど、なんでだろう? やっぱり腹パン一つでギャラリーの元まで吹っ飛ばしたのがいけなかったのかな? 無駄に怖がられるのもイヤだし、今度からはもう少し加減するように気をつけよう。
内心でちょっとだけ反省しつつ、今回一緒になった女性臨険士のみんなに粉をかけようと奮闘するケレンと、それをたしなめるリクスを眺めながら届いた料理を楽しむ。うん、さすがベテランがおすすめするだけあっておいしい。ただ、臨険士御用達だけあって一食のボリュームが結構あるのが困りものかな。全部食べようにもボクの身体の分解機能じゃ処理し切れなさそうだ。
「――おっと、始まるか。狙ってはいたが、運がいいな」
食事そっちのけで口説きに走る暴走気味な幼なじみを抑えようと躍起になっているリクスの器にこっそり食べきれない分を移していると、酒場の奥の方を見やったハインツがそんな呟きを漏らしたのが耳に届いた。無事にお裾分けも終わったところなので気になって視線の先を追ってみると、その一画だけが一段高い造りになっていて、そこに設置されている椅子にちょうど誰かが腰掛けるところだった。その男の人は妙に目を引く派手目な服装をしていて、小ぶりなギターに似た楽器らしきものを携えている。
「なに、演奏でも始まるの?」
「そんなところだな。この店は時々流れの吟遊詩人なんかが一芸披露していくことがあるんだ。不定期だし上手い下手もまちまちだが、たまにすごい奴がいたりしてなかなか楽しいんだよな」
もしかしてと思って問いかけてみると、ハインツからは期待を裏切らない答えが返ってきた。なるほどなるほど、それは楽しそうだ。今まで秘境も秘境に研究命のイルナばーちゃんと引きこもってたから、この世界の文化とかにはすごく疎い。娯楽の溢れる前の世界の記憶がある身としては、及ばないだろうとは思いつつもいつかそのうち触れてみたいと常々思っていたところだ。
そんなわけで、これから始まるだろうことに期待を膨らませながら吟遊詩人らしき人を見つめていると、その人は弦楽器――詳しくはないけど、前の世界の記憶にある吟遊詩人の定番からしてリュートかな? その調子を見るように二度三度と弦を弾いて音を出した。それで吟遊詩人の存在に気づいたのか、店の中を満たしていた喧噪がさっきまでより少しだけ静かになる。
そしてそれを見計らったかのようにじゃらんと弦を一掻きすると、吟遊詩人の人は勇ましい旋律を奏でながらおもむろに口を開いた。
「――“彼方の時に在りし者、輝き消えて幾星霜
たゆたう時は等しきに、世界においては塵芥
なれど紡がるその偉業、時に打ち勝つその勇名
称える勇者はランドルフ、今宵も彼の名を紡ぎゆこう“」
少しはマシになっても途切れる気配のない喧噪を貫いて、浪々とした語りが紡がれる。リズムに合わせてはいるものの、楽器の音と言葉の音を完全に合わせて紡ぐ『歌』じゃなくって、楽器の音色をバックミュージックに言葉をつづるいわゆる『弾き語り』ってやつだ。
「――語り部! しかも『勇者ランドルフの冒険』!」
そんな中、顕著な反応を見せたのはリクスだ。ケレンのストッパー役を放り出して席に着くと、身を乗り出す勢いで食い入るように吟遊詩人の人を見つめる。
「リクス、『語り部』って?」
「吟遊詩人の中でも演奏を背景に物語を語る人のことだよ。上手い人だとそれこそ物語の中にいる気にさせてくれるんだ!」
気になったことを尋ねてみれば答えはしてくれたものの、リクスの視線はその語り部にがっちり固定されている。その様子から一言も聞き漏らすまいとする気概がありありとうかがえた。こんなリクスは初めて見るや。『勇者ランドルフの冒険』ってタイトルと概要はエリシェナから聞いたことはあるけど、語り部が語るとそんなに面白いのかな?
リクスの様子を見て更に期待を募らせつつ、リュートの音色をバックミュージックにしたほどよい低音の語りに耳を傾ける。
ある日、平和な王国に災厄が舞い降りた。見上げる体躯は剣を弾く赤い鱗に覆われて、盾を切り裂く爪と鎧を砕く牙を持ち、空を覆うような翼で天を駆ける凶悪な赤竜――今も最強の魔物と言われている竜の一匹だ。
赤竜はいくつもの街を焼き払い、家畜や人を襲っては食料にしていった。そのたびに何度も王国の軍隊が立ち向かったけど、傷一つ与えることもできずに返り討ちにされてしまう。誰も赤竜を止めることができないまま時間だけが過ぎていき、このままじゃ王国は滅んでしまうというところまで追い詰められる。
そんな時に、赤竜が暴れている話を聞きつけた一人の青年が王国を訪れた。その青年の名前はランドルフ。
ランドルフは赤竜の襲撃に誰もが悲鳴を上げて逃げ惑う中、たった一人で立ち向かっていく。激闘の末にランドルフの剣は赤竜の片眼を潰し、傷を負った赤竜はねぐらへと逃げ帰った。王国の人々は初めて赤竜が撃退されたことに驚喜したけど、ランドルフだけは悔しげにしていた。腕に覚えのあった彼は、けれども自分一人では赤竜を仕留めることができないとわかったのだ。
だから彼は王国の人に呼びかけた。赤竜はまたやってくるだろう。自分だけじゃ倒しきれない、共に戦ってくれる人はいないかと。けれど赤竜の恐ろしさを身に染みて知っている王国の人たちの中から名乗り出る人はいなかった。
それでもランドルフがもう一度呼びかければ、王国の人たちの中から一人の少女が進み出た。慣れない手つきで剣を持ち、まだ幼さの残る顔に涙を浮かべて彼女は叫んだ。父も母も兄も姉も、みんな赤竜に喰われてしまった。もうわたしには何もない。死んでしまってもいいから、せめて赤竜に一矢報いてやる、と。
そんな少女の悲痛な叫びを聞いて、ついに王国の人たちも覚悟を決めた。王国に忠誠を誓う騎士が、駆け回る山野を焼かれた狩人が、衰えを感じて引退していた戦士が、人々の行く末を憂いていた神官が、赤竜に恐れおののいていた魔法使いが、少しでも力になれればと進み出る。
彼ら彼女らの覚悟を受け取ったランドルフは力強く頷くと、最初に進み出た少女の手からは剣だけを受け取った。少女の想いの籠もった剣で必ず赤竜を貫いてみせると誓って、仲間と共に赤竜のねぐらへと旅立った。
いくつもの困難を乗り越えて赤竜のねぐらに辿り着いたランドルフたちは、傷を癒していた赤竜と対峙する。隻眼になっても衰えない暴威にすくむ仲間を叱咤激励しつつ、ランドルフは三日三晩に渡って戦い続けた。時に仲間を助け、時に仲間に助けられ、命を削る死闘の末にとうとうランドルフの剣が赤竜の残った眼に突き立てられた。
両目を失い怒り狂う赤竜は、自身の両目を奪いつつも武器を手放してしまったランドルフを一飲みにしようと迫る。そんな赤竜に対してランドルフは自分から飛び込んでいくと、その顎が閉じられるよりも前に隠し持っていた少女の剣で内側から赤竜の頭を刺し貫いた。
とうとう赤竜を討ち果たしたランドルフは、迎える歓声の中であの少女に歩み寄るとあの剣でとどめを刺したことを伝えた。涙を流して感謝しながらも、もう生きていく意味がないと嘆く少女にランドルフは笑って言った。ないものは探せばいい。この世界には誰も知らないようなことが驚くほどたくさんあるのだから。
そして竜殺しの英雄は共に死闘をくぐり抜けた仲間と別れ、ふらりと王国を旅立った。彼の言うまだ知らないものを求めて、共に行くことを願った少女を連れて。
「――”かくて勇者の名は轟き、世界に驚き満ち溢れん
なれどこれぞ始まりにしかず、語らる偉業の一欠片
継がれし勲詩その数幾多、全てを語るに時は足りず
ゆえに今宵はこれにて終い、いずれ語らんその足跡“」
そう語り部の人が紡いで最後に一掻きリュートを鳴らせば、いつの間にか静かになっていた酒場に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
「――やっぱり『始まりの赤竜殺し』はいいな! これこそ英雄にふさわしい話だ!」
大仰な仕種で例をする語り部の人にボクも惜しみなく拍手を送りつつ、隣で誰よりも熱心に手を叩いているリクスが興奮冷めやらぬ様子で何度も頷く。確かに英雄譚としてはわりとオーソドックスだったけど、あの語り部の人が上手いのかボクもすごく楽しめた。抑揚はもちろん声の強弱や間の取り方なんかが絶妙で、知らないうちに物語に引き込まれた感じだ。バックミュージックも場面に合わせて時に勇ましく、時にもの悲しく、的確に雰囲気を盛り上げる弾き方をしていた。前の世界の記憶にあるテレビや映画とはまた違った、独特の臨場感が実に心地いい。
「今回はまた大当たりだったな」
同じく拍手をしながら満足げにハインツが呟いた。どうやら今の語り部の人は腕のいい部類らしい。そこになにやら籠を持った酒場の従業員らしき人がやってきた。籠の中にはいくつもの硬貨が入れられていて、ハインツたちも次々にその中に銅貨や銀貨を入れていく。察するに、おひねりの回収係ってところかな? 吟遊詩人はこれで食べていくんだろうけど、さすがにこの酒場にいる全員が本人のところに押しかけたりしたら回収どころの騒ぎじゃないだろう。それを配慮してのサービスってことだね。
そういうことならとボクもおひねりを投げ込んだ。初めての『語り部』の芸にものすごく楽しませてもらって気分がよかったから、奮発して五百ルミル金貨だ。
「……おい、ウル。五百ルミルをポンと出すとかお前馬鹿じゃないか?」
投げ込まれた穴あき金貨に回収係の人が驚いた顔をしつつ次のテーブルに向かうのを見送っていると、アマルの撃退チョップを喰らった顔を押さえつつ呆れた様子でケレンがそう言った。
「別にいいじゃん。ものすごく楽しませてもらえたし、お金は余ってるしね」
「普通吟遊詩人への報酬なんて銀貨がせいぜいだっていうのに、なんかこう……器の違いを見せつけられた気分だぜ」
思うところを率直に述べただけなのに、なぜか諦めたような口調でげんなりされた。解せぬ。
「そうだぞケレン、今のは金貨を払ってもいいぐらいの出来だぞ。今まで聞いた中で最高の『勇者ランドルフの冒険』だった! おれだって手持ちにあったら払ってるのに……」
「ここにも馬鹿がいたよ……」
心底悔しそうに言うリクスに、処置なしとばかりに呆れた視線を送るケレン。ちなみにリクスは百ルミル銀貨を投入していた。普段の買い物の様子からして、たぶん今の手持ちの最高金額硬貨だ。籠の中がだいたい銅貨で占められていたことを考えればリクスも奮発した方だろう。
「……実際楽しめたし、本人が満足ならいいんじゃない?」
そこに淡々とした様子でシェリアがもっともな意見を口にする。ただ、外から見た感じは普段通りなんだけど、よく聞けばその声がどこか弾んでいるのがわかる。パッと見じゃわかりづらいけど、どうやら言葉通り彼女も楽しんだみたいだ。雰囲気的にこういったのには興味がなさそうだと思ってたから意外な気もする。
「――失礼、少し宜しいでしょうか」
余韻に浸りながら残りの料理を食べつつ今の吟遊について感想を言い合っていると、不意によく通る声が割り込んできた。知り合いの誰かのものじゃなかったけど、ついさっきまで響き渡っていたそれを聞き間違えるはずもない。
そう思って声のした方を見れば案の定、さっきまですごい語りを披露していた語り部の人がリュートを抱えてたたずんでいた。
「こちらのテーブルに、私のつたない芸に金貨の価値を付けてくださった方がいらっしゃると聞き及びまして、無上の感激をお伝えしたく参上した次第です。伝わる身なりにそちらのあなたとお見受けいたしますが、相違ありませんでしょうか?」
ポロンポロンと台詞に合わせてリュートの弦を弾きつつ、もってまわった言い回しでボクへと視線を向けてきた。どうやら観客の一人にわざわざお礼を言いに来たらしい。律儀な人だなー。




