遺書
そこまでのやりとりが終わった時、タイミングよく扉がノックされた。ガイウスおじさんが入るように促すと、ティーセットの乗ったカートを押した侍女の人が部屋に入ってくる。ちなみに侍女の人は玄関で外套を預けた人とは別人で二十代くらい。
侍女の人はそのまま手早くお茶の準備をすませておじさんとボクの前にそれぞれカップを置く。
「ありがとう」
そう言って侍女の人ににっこりと笑ってみせれば、目が合った途端に顔を真っ赤にして硬直してしまった。あれ、またこの反応だよ。なんで?
「そうむやみに我が家の使用人達を誘惑しないでもらいたいものだが」
いぶかるボクに向かって苦笑気味なおじさんの声が飛んできた。
「誘惑?」
「自覚がないのか、末恐ろしいな……。お前のような眉目秀麗の若者に笑顔を向けられれば、よほど枯れた者でもない限り胸が騒ぐだろう」
ああなるほど、外套を預けた侍女の人もそういうわけだったのか。
ぺたぺたと改めて自分の顔を触って確かめながら聞いてみた。
「やっぱりこの顔、美形なんだ」
「十人が十人見惚れるだろうな」
真顔で太鼓判まで押されてしまった。いやまあ、この顔になってから『ひょっとしていい線行ってるんじゃないか?』なんて思ってはいたけど記憶にある前の世界基準だし、比較しようにも周りにはイルナばーちゃんとマキナ族のみんなしかいなかったからこの世界の美形基準なんて知りようもなかったし。
「ばーちゃんの趣味かな?」
「造形を手がけたのが婆さまなら間違いないだろう。あれはこだわるところはとことんまで突き詰めるたちであったからな」
そりゃそうか、自分で作れるんだったらわざわざ酷い見た目にするより綺麗に作りたいもんね、普通。
「美形は得だって言うからお得だね。イルナばーちゃん、ありがとう」
「一概には言えんがな。しかし親子そろって見事に我が道を往くな……」
とりあえず、たぶん天国とかにいるだろうばーちゃんに感謝を捧げておこう。ガイウスおじさんの呟きはスルーの方向で。
再起動した侍女の人は赤い顔のまま退室していったので、せっかくだからお茶に口をつけてみる。うん、イルナばーちゃん謹製の味覚と嗅覚は、ちゃんと紅茶の香りと味を拾ってくれている。善し悪しまではわからないけど、ちゃんとおいしいと思えた。
たぶん高級なんだろうお茶を味わっていると、廊下の方からガタガタといった感じの音が聞こえてきた。
「――ふむ、来たか」
同じくお茶を楽しんでいたおじさんも遅れて気づいたようで、カップは持ったまま部屋の扉へと視線を向けた。つられてそっちを見ればちょうどノックの音が響き、執事の人の声が目的の物を持ってきたことを告げる。
「お待たせいたしました、大旦那様」
「――ブフッ!?」
入室を許可された執事の人の傍らにあった物体を見た瞬間、ちょうど口に運んでいたお茶を危うく吹き出すところだった。
執事の人に続いて入ってきた若手の侍従の人四人が力を合わせて運び込んできたのは、アップライト式のピアノみたいな機械。大きさもだいたい同じくらいでたぶん重さもそれなり。間違っても気軽に持ってきてくれなんて頼めるような物体じゃない。
「……でっかい」
「ふむ、それを見てやはり大きいと言うか」
キャスターも付いていない大質量物体を苦労しながら運び込んでいる侍従の人たちを見て思わず漏れた呟きに、ガイウスおじさんはしたり顔で頷いていた。
「参考までに、あの婆さまの元にはどの程度の大きさの記写述機があったのだ?」
「えーっと、図面を広げる用のはさすがに部屋置きだったけど、文章の読み書きする程度ならこれくらい」
答えながら大きめのブラウン管テレビくらいのサイズを手で示して見せた。イメージとしてはそのままブラウン管テレビみたいな箱に一体化したキーボードがくっついてる感じだ。ボクとしてはそれを想像してたから、予想以上の大きさにびっくりだ。
「そこまでか……これでも小型で新しい方なのだがな」
そうですか、ピアノサイズで小型ですか。じゃあ普通だったらどれだけ大きいんだろう。うん、確かにこれじゃおいそれと個人所有なんてできないね。
そうこうしている間に一般的には小型な記写述機の運び込みが終わり、侍従の人たちは汗をぬぐいながら部屋を出て行った。これで残ったのはボクとガイウスおじさん、それにジュナスって呼ばれた執事の人だけ。
「ご苦労だったなジュナス。おそらくだろうが遺書の内容を考えると、迂闊にレンドルのいる執務室で読み取るわけにはいかなかったのだ」
「心中お察しいたします。シュルノーム様の遺されたものであるならば、まずは我々だけで吟味する必要があるでしょう」
ガイウスおじさんから五枚組の記録晶板を手渡された執事の人は、記写述機を起動させるとキーボード部分横にある読み取り機構の蓋を開けて一枚をはめ込んだ。蓋を閉じて待つことしばらく、ピアノなら譜面台にあたる部分にずらりと細かな文字列が表示された。執事の人の操作に従って流れる画面を追えば、どうやら遺書っていうよりは遺産の目録とそれぞれの詳細説明っぽい。
五分ほど画面の高速スクロールを続けて、執事の人がため息混じりに報告した。
「……大旦那様、ここまででおそらく半分も到達していないものかと」
「……で、それが五枚か。気が遠くなりそうだな」
応じるガイウスおじさんもどこか遠い目をしている。たぶんあれ、イルナばーちゃんが作った記録晶板の中でも特に容量が大きいやつだと思う。ずっと前に書き込みたいことが多すぎて晶板がかさばった時に、一枚に書き込める最大容量を突き詰めたとか。
ただ、作ったはいいものの書き込んだ内容の検索に時間がかかりすぎるってことであえなくお蔵入りしたらしい。わざわざそれを使うなんて、運ぶボクへの配慮か読む相手への嫌がらせかちょっと判断に迷うところだ。
余談だけど、記録の方は最終的に一般的な容量のやつに項目ごとに小分けして書き込む方式に落ち着いていた。残すだけならともかく、参考にする場合はそっちの方が便利だったそうだ。当然の帰結だね。
一応保存の方は大丈夫だってことは伝えておこう。
「不変硬化処理はしてあるって言ってたから、なくさない限り消えたり壊れたりはしないよ」
「……そういう技術系の配慮ができるなら内容自体を絞るくらいはして――いや、言うだけ無駄だったな。まあいい、そちらは合間を見つけてわずかずつでも確認していくとしよう」
ひときわ大きなため息を吐いたガイウスおじさんは首を振ると、改めてボクに向き直った。
「さしあたっての問題として、見守る対象について無知であるわけにもいくまい。マキナ族のウルよ。おそらくは遺書の中にも詳細はあるのだろうが、とりあえずの所お前の口から種のことに関して、簡単でいい、教えてくれまいか?」
「えっと……」
「ジュナスのことなら安心しろ。私の腹心であり、同じように成人前からあの婆さまに振り回された腐れ縁の被害者だ。共に聞かせてほしい」
ちらっとまだ部屋の中で控えている執事の人に視線をやって躊躇っていると、心配いらないとばかりにガイウスおじさんは保証してくれた。どうやらさっきおじさんが口にしてた腹心の一人らしい。
でもおじさんと同じで腐れ縁なんて言う割に、イルナばーちゃんがたまにしてくれた昔話にジュナスなんて人は出てこなかった。ガイ坊=ガイウスおじさんと同じくらい親しいって言うならやっぱり同じくらいの頻度で名前が出てこないなんて――あ、ひょっとして。
「……ジュン坊?」
もしやと思って頻出してたその名前を出してみれば、執事の人は表情をゆるめて笑みを見せた。
「懐かしいことです。シュルノーム様――いえ、イルナ様はいつも私のことをそう呼んでいらっしゃいました」
イルナばーちゃん、人をあだ名で呼ぶときは二文字に省略したがる癖があったからもしやと思えば大当たりだったらしい。
どうでもいいとは思いつつも気になったので、執事の人改めジュナスさんに尋ねてみた。
「そこは普通ジュナ坊じゃないかな?」
「そちらは発音しにくいとのことでした」
ああうん、イルナばーちゃんらしいや。
そういうことなら大丈夫だろうけど、念には念を入れてっと。
「呼出・周辺精査」
キーワードを口にして記憶領域から登録しておいた魔導回路を瞬時に転写して起動。術式に従って発動した魔力の波が屋敷一帯を覆ってその内部の動きを伝えてくる。
……うん、この部屋周辺にこれ以上の人はいないね。しばらくは近づいてきそうな人もなしっと。
「――今、魔導式を使ったか?」
おや、ガイウスおじさんは気づいたらしい。この術式は相手に悟らせないタイプなのを考えると、何か魔導式の発動を検知できる魔導器を身につけてるんだろうな。きっと偉い貴族の人には必須なんだろう、世知辛いね。
「ちょっと周りに余計な人がいないか確認したんだ。今のところ話を聞けるのはおじさんとジュナスさんだけだから安心していいよ」
「なるほどな、しかしそれらしいものを身につけているようには見えないが、魔導器はどこに?」
「それも含めて今からボクたち――マキナ族について教えるよ」