遺言
しばらくして前公爵閣下が静かに口を開いた。
「……お前はあの婆さまの縁者とは思えない程度には礼儀正しいのだな」
知人の訃報を聞いた第一声がそれですか。でもまあ、イルナばーちゃん、無礼講を地でいく人だったからなぁ、言いたくなる気持ちはわからなくもない。王様にだってタメ口叩いてる姿が容易に想像できるし、しかたないね。
「それで、遺言と言ったな。そう言うからにはあの婆さまは亡くなったということで間違いはないのだな?」
「うん――はい。先日、正確には二十日前の明け方に息を引き取りました」
前公爵閣下の念押しに、うっかり口調を間違えながらも事実を伝える。
「そうか、殺しても死にそうにない婆さまだったのだがな」
そんな風に憎まれ口を叩いているけど、虚空に向けられた前公爵閣下の目は少し寂しそうだった。ボクとしても今際の数日前まで元気はつらつだった姿を見ているから同感だったけど、急に体調を崩したと思ったらぽっくりだった。まあ、人が死ぬって言うのはえてしてそういうものなんだろうな。
「――性格はともかく、惜しい才を持つ者を亡くしたものだ。その旅路が安らかなことを祈ろう。そして子であるお前には悔やみを述べさせてもらう」
「あ、どうも」
「詳しい話を聞かせてもらいたい。そちらにかけてくれ」
応接セットのソファを示して言われたので、お言葉に甘えさせてもおう。
「まずは遺言とやらを聞かせてもらおう」
前公爵閣下はテーブルを挟んだ向かい側に腰掛けると早速切り出した。
促されたのでボクは遺言を――おっとそうだ。
「えっと、先に断っておくけど、これから話すのはイルナばーちゃんが言ったことそのまま一言一句違わないから、そのつもりで聞いてください」
「む? よかろう」
先に一言言っておくと前公爵閣下は怪訝そうな顔をしながらも頷いてくれた。よし、これでたぶん大丈夫なはず。咳払いを一つしてっと。
「『ガイ坊、これを聞いてるんならあたしの死に様を見れなくて残念だったね。積年の屈辱を晴らすはずだったのに、結局できずに今どんな気分だい? もうとっくにくたばってたならすぐにそっち行って指さして笑ってあげるよ』」
「――あのくそババア」
眉間に青筋浮かべて貴族らしからぬ悪態を漏らした前公爵閣下。でもまあ、この場合はそう言いたくなる気持ちはわかる。遺言のくせしてのっけからこの調子はどうなのって聞いててボクでも思ったけど、『一言一句違えずに伝えるんだよ』なんて念押しもされてるからシカタナイヨネ。
「『どうしようもない腐れ縁だったけど、今思えばそれがあんたでよかったって思えるよ。さんざん好き勝手して振り回してあげくほっぽっていったのに、文句言いながらも世話してくれたお人好しのあんたでさ』」
「……自覚があったとは」
ぽつりと普通なら聞き取れない寂しそうな呟きは、前公爵閣下の名誉のためにも聞かなかったことにしよう。
「『だから約束通り、あたしが遺したものはあんたに託すよ。まあ、あの時言ったとは思うけどあたしが大丈夫だろうって判断したやつだけだけどね。詳しい内容はウルに持たせる記録晶板に書き込んどいたからそれを見な。現物はあんたが用意してくれたあたしの城にあるからそっちで取りに来るように。それ以上が欲しいってんなら――言わなくてもわかるね? 何年、何十年経っててもいい、あんた自身じゃなくてもかまわない。辿り着けたならあたしの子が教えてくれる。だから励みな、男に二言はないんだろう?』」
「……当然だ」
静かに目を閉じ、小さいながらも強い声を漏らす前公爵閣下。
「『……最後に一つ、あたしのかわいいウルとその一族をよろしく頼みたい。言っとくけど保護して至れり尽くせりなんてするんじゃないよ。あの子らの行く末を見守ってくれるだけでいいんだよ。そんで危なっかしい初めのうちだけちょっと手助けしてやってくれればそれでいい。素直ないい子らばっかりだから、そうしてくれればあんたの力にもなってくれるだろうさ』」
「……」
もはや何も言わずにじっと耳を傾ける前公爵閣下を前に、ボクは遺言の最後を紡いだ。
「『あたしは先に旅立つけど、あんたはしばらく来るんじゃないよ、ガイ坊。すぐに追っかけてきたら叩き返してやるから覚悟しときな。心配することはない、この稀代の大天才イルナ様の魂だよ。旅路の先でも上手くやるに決まってる。……長々と喋って疲れたね。最後になるだろうからこれだけは言っとくよ……ありがとう、愛してるよ』」
伝えるべきことを伝え終えてほっと一息。うん、大丈夫。記憶にある通り一言一句間違いなし。さすがやればできる子ってイルナばーちゃんから評判のボクだ。
自分の仕事ぶりに満足して一つうなずき、聞き終わってから身じろぎ一つしない前公爵閣下の様子をうかがう。遺言とはいえかなりの暴言を口にした自覚があるから機嫌を損ねたかも知れない。イルナばーちゃんの言い分だと大丈夫だろうけど、万が一に備えてちょっぴりだけ身構えておくことにしよう。
「――結局、あの婆さまは最後まで婆さまだったということか」
やがて重々しい言葉がため息みたいにはき出された。その目尻にかすかに光る何かが見えたけど、きっと気のせいだろう。そういうことにしておいた方が良さそうだ。
「死んでまで私に面倒を押しつけるとはな。清々したと思っていたが、当分は気も抜けそうにないか」
大きく吸った息をゆっくりと吐き出した前公爵閣下はようやく目を開け、ボクと正面から目を合わせた。
「遺言、確かに聞き届けた。先ほどは遺書と言っていたが、話の中にあった記録晶板のことか?」
「はい。えーっと……これです」
そう言いながら鞄の口を開き、目的の物を取り出した。掌サイズの平らな石版を六枚。どれも綺麗な八角形で厚みは小指の幅くらいで、本来なら透明なそれは相当量の書き込みがされている証に内側が中で無数の傷をつけられたみたいに白く不透明になっている。
「ふむ、ここまで密な書き込みの物が五枚もとは、何をどれだけ書き込んだのか。ジュナス、すまんがレンドルから記写述機を借りてきてくれ」
「かしこまりました、大旦那様」
前公爵閣下の指示にずっと静かに控えていた執事の人が部屋を出て行った。今持ち出した『記録晶板』は前の世界の記憶で言えばDVDとかの記録媒体、『記写述機』はパソコンとかの読み書き用ハードウェアだ。まだまだ一般には普及しきってないって聞いてたけど、さすが貴族様、ちゃんと持ってたみたいだ。
「ご苦労だった。喉も渇いたろう、今茶を運ばせる」
「あ、えっと、お構いなく」
「よい。私もちょうど喉が渇いているのだ」
喉が渇くなんてこともないから遠慮したけど、前公爵閣下はそう言って応接テーブルの端に置いてあったベルを鳴らした。高く澄んだ音だけど、さすがに屋敷中に響くほどでもない。たぶん、その辺のどこかに伝声管みたいなしかけが隠してあるんだろうな。
それから前公爵閣下は改めてボクに話しかけてきた。
「ウルデウス、だったな」
「あ、ボクのことはウルでいいですよ、閣下。さっきのはよそ行きの名前というか、ちょっと格好をつけるための名前だから」
「そうか。ならば私のことも名で呼ぶがよい。無理にかしこまる必要もない」
「え、いいんですか?」
「かまわん。あの婆さまの子にへりくだられるのも心地が悪い。婆さまには例えようのないほど面倒を被ったが、それでも受けた恩の方がわずかばかり多い。お前のことを頼まれた手前もある」
「うん、わかったよ。ガイウスおじさん」
「ふ、やはりさすがは子と言ったところだな」
言われた通りにいつもの口調で受け答えしてみると、実に満足そうな笑みを浮かべる前公爵閣下改めガイウスおじさん。
「それでお前の一族――マキナ族、と言ったか。すまないが初めて聞く名だ。あのあたりには何者もおらんとばかり思っていたが、今まで秘境の奥にでも暮らしていて知られていなかったのだろうか?」
そうガイウスおじさんが興味を持った様子で尋ねてくるけど、まあ聞いたことがなくても当然だろうね。都合よくおじさん以外誰もいないし、先にぶっちゃけとこう。
「ううん。ボクたちマキナ族は新しい種族だよ。イルナばーちゃんが創り出したんだ」
軽い調子でそう事実を伝えておいた。まあ今もばーちゃんの研究所がある秘境で細々と繁栄し始めてるからおじさんの発言もあながち間違っちゃいないけど。
「な――!?」
それでもガイウスおじさんにはかなりの衝撃をもたらしたらしく、テーブルに身を乗り出して絶句してしまった。まあそういう反応になるよね。なんせ神様のまねごとやらかしちゃったわけだし、信じられないのも無理はない。