氷花
とにかくあっちは問題なさそうだと判断して邪霊が乗っ取った邪教徒を追いかけ元水路に飛び込めば、出迎えるように衝撃弾の乱打が襲いかかってくる。
さすがに発生源に近い分避けられるような密度じゃなかったから『障壁』で防ぎつつ様子を見れば、そんなに奥に行かない辺りで崩落が行き止まりを形成している中、片腕をなくし残りの腕も変な方向にひん曲がった邪教徒の体を立ち上がらせている邪霊。どうやら片足も折れたようで、むしろよく立たせられたなぁなんて感心してしまうほど取り憑きの先の体はボロボロだ。
動きもぎこちなさマシマシで、これならむしろ乗り換えた方がいいんじゃないかと思うけど、運悪く邪霊の飛び込み先にいた先客たちはもうすでに原形を留めていない。まあ、ある意味目の前にいる邪霊の仇だからこうなって当然か。
そんなことよりも、この位置ならボクがここで障壁を張り続ける限り流れ弾の被害は減らせる。さすがに『魔氷』と『障壁』を両立させたままじゃ生成魔力の関係で攻撃頻度が下がるけど、今は証拠品共の回収をする時間稼ぎが優先だ。
なのでルナワイズごとかざした左手の先の『障壁』を定期的に張り替えつつ、時々魔力の壁を迂回する軌道で当てないように『魔氷』を放つ。わざわざ攻撃を迂回させるのは『障壁』が防御越しに一方的な魔力攻撃ができるような都合のいいものじゃないからで、直撃させないのは邪霊が体を乗り捨てて飛び回らないようにするため。
「よし、これでしばらくはぐぇっ!?」
安定した状態を作り出せたと思った瞬間、不意に横からの衝撃を受けてもんどり打って倒れた。そのせいで左手を起点にした追随に設定している『障壁』が明後日の方向を向いてしまい、傷害のなくなった衝撃弾が降り注ぐ。
「あだだだだだだっ!?」
痛覚なんてないから痛いわけじゃないけど間断なく襲ってくる衝撃に思わず声が漏れて、反射的に頭をかばいつつしばらく地面を転がされた後でなんとか体勢を立て直して『障壁』を張り直す。そうすれば衝撃は一旦ピタリと止まったけど、一拍をおいて足下の地面が弾け飛んだ。新品同様になった魔力の壁は健在にもかかわらず。
「ちょ――まさか曲射まで覚えたの!?」
信じられない思いで叫びながら飛び退った瞬間、ついさっきまでボクがいた地点を中心に何度も破砕が巻き起こる。間違いない、あの邪霊衝撃弾の弾道を変えるなんて芸当を身につけている。
おっかしいな、弾道をいじった魔導式での遠隔攻撃は単なる直進弾とは違って狙って命中させるには位置関係を考えた調整が必要だから、一般的な魔導器じゃとうてい実現できないし、特性上自在に魔導回路を組み替えられるマキナ族でもかなりの習熟を必要とするような高等技術なんだけど? それをボクが使ったのを見ただけでこの短時間でものにしたってわけ? チートかっ!?
だけどこれはまずい。まがりなりにも今まで不可視の衝撃弾を捌けていたのは発射の予兆である邪霊の黒くていびつな魔導回路から真っ直ぐしか飛んでこなかったからだ。慣れれば魔導回路の違いから弾道の予測も付けられるだろうけど、目に見えない攻撃の変則的な軌道を見分けるなんてどれだけかかることやら。
とにかく立ち止まっていたら一方的に撃たれるだけだと判断して駆け出した。さっき連続で衝撃弾を受けた時に広場まで押し戻されていたから動き回る空間はあるけど、当初の目的の押さえ込みが難しくなった。
しかも邪霊までボロボロの邪教徒をさらに酷使してフラフラした足取りながらも広場に現れ、その場で一気に大量の衝撃弾をばらまいた。その大半が逃げ回るボクの周辺で弾けたけど、何割かはあらぬ方向を砕いたりしてる。うわ、これ流れ弾の方まで予測困難になってない?
状況はやっかいな方向に展開した。ただ、封じ込めは諦めるしかなさそうだけど衝撃弾自体の対処は簡単で候補はいくつかある。
その中でも最善だと思われる全方位が防御できる魔導式は魔導回路の描画が必要な範囲的に他の高等な攻撃系魔導式との併用は難しい。だから必然的に使うのは次点の手段だ。
なんだか偏差攻撃まで混ざり始めたように思える不可視の衝撃弾をブースト状態のダッシュでなんとかやり過ごしつつ、『魔氷』の魔導回路に手を加える。さっき拡張した部分も含めたかなりの範囲をなんとかやりくりして、肩より首側にあった分の大半を背中側に移動させて必要な描画範囲を確保。
「呼出・周辺精査!」
すかさず術式登録を唱えれば胸からお腹にかけて魔導回路が輝き『探査』の魔導式が起動。周辺――特にこの広場の魔力分布を精査すれば思った通り、不可視の弾丸が飛んでくる軌道がつぶさにわかった。よし、これで回避に関してはなんとかなる!
向こうの攻撃が見えるようになったおかげで余裕が戻り、広場の中央付近で回避動作をステップ程度まで控えて、新しく展開した『障壁』も盾代わりに使いながら邪霊の攻撃を捌く。
「衛兵さん! 邪教徒の確保はどうなってるの!?」
そんな中で入り口のある元下水路付近にいる反応を確かめて声を張り上げた。
「すまないが、まだここにいる無事な連中の半分ほどしか……」
それが聞こえた瞬間その辺りにいる人型の反応をカウント。ひぃふぅみぃ……三十四か。衛兵隊は最初見た時二十人くらいだったし、多少前後したとしても十人くらいは確保できてる計算。それだけいれば十分でしょ。
隊長の人が張り上げた声に反応した邪霊の攻撃を『魔氷』で迎撃しつつそう判断して伝えた。
「じゃあもう後は放っておいてそいつらだけ連れて早くここから離れて!」
「いや、しかし衛兵の我々がここで戻るわけには――」
ボクの言葉に周辺の惨状を見回して何か言いかける隊長の人に有無を言わせずたたみかける。
「あいつは『邪霊』だよ! ろくな魔導器も持ってないのにここにいられると邪魔にしかならない!」
腰に剣を装備しているのは見えたけど、あいにく相手はただの物理攻撃じゃ意味がない。『探査』に返ってくる反応からして隊長さんは手の平サイズの魔導器を持ってるようだけど、それが例え攻撃用だとしてもたかが知れてる。
職務に忠実であろうとするのは好感が持てるけど、最低限の邪教徒が確保できたなら被害のでないところまで撤退してくれるのがボクとしては一番嬉しい。それが仕事とはいえ、目の前で衛兵隊の人たちにムダな死傷者が出るのはできれば避けたいところだ。
「な……『邪霊』だと!? まさかそんなものが――」
「信じてくれなくても別にいいけどどっちにしろあいつ魔力攻撃しか効かないよ! 一緒に戦ってくれるならせめてそういう装備を持ってきてからにして!」
「それは……」
提示した妥協案に何とも言い難い顔をした隊長の人。たぶんボク一人にここを任せて行くのに葛藤があるんだろう。ボクの見た目は明らかな子供――それもどうひいき目に考えても頼りになるとは思えない華奢な造りだ。逆の立場ならボクでも同じように感じるに違いない。やっぱりムリかな。
けれど次の瞬間にはその表情を険しくしつつ、邪霊の攻撃を捌いているボクに向かってしっかりと頷いてくれた。
「わかった! すぐに装備を調えて戻る! それまで……無事でいてくれ!」
そしてきびすを返すとあわただしく他の人たちに指示を出し、捕らえた邪教徒を引き連れつつこの場所から素早く撤退していった。よかった、思い切りのいい人で。
「――さて、お待たせ」
やがて『探査』の魔導式の効果範囲から衛兵隊とおまけの反応が離れていったのを確認し、改めて邪霊に向き直る。相手はボクが『魔氷』の直撃を避けていたせいか、広場と元下水路の境目からほとんど動いていない。
これで残っていた懸念事項はもう解消された。取り残されたまだ息のある邪教徒は絶望の表情を浮かべているけど、それはもうどうでもいい。運が良ければ生き残れるよきっと。
だから――
「ここからは、とことん付き合ってあげる!」
宣言すると同時に『障壁』の魔導式を完全に放棄。空いた部分に対称になるような形で『魔氷』の魔導回路を転写して魔導式の両手撃ちを敢行。いくらか迎撃される分を出しつつも面を塗りつぶす勢いの攻勢にボロボロになった体で邪霊が回避できるはずもなく、しばらくぶりに巨大な氷塊と化していく。
そしてその隙間から邪霊の本体が抜け出して、次の瞬間ボクに向かって真っ直ぐ飛んできた。あ、こいつ今度はボクを乗っ取るつもりだな? 確かにそれが一番手っ取り早いもんね。
でもそれは予測できた行動だ。即座に左の『魔氷』を放棄して『障壁』の魔導式に変更、発動。邪霊が到達するより一瞬早く生成された魔力の壁が行く手を遮り、闇色の靄は粘土みたいに音もなく張り付いた。魔力攻撃を遮るための魔導式だ。ほとんどが魔力の塊みたいな存在を阻めないはずがない。
そしてこれを見越して即座に『障壁』の魔導式を改変。平面から球体へと形を変えた魔力の壁が邪霊の本体をすっぽりと覆う。そうすれば捕らえられたことで危険を感じたらしい邪霊が中でやたらめったらに衝撃弾を乱発しだした。
このままじゃすぐにこの『障壁』は許容限界に達するだろうけど、その前にボクは緋色の幾何学模様を浮かべた右手を邪霊へと突きつける。実体に対してはほとんど意味を成さない魔力の壁を突き抜けて指先だけが内部へと侵入。
「避けられないでしょ?」
意地の悪い言葉と共に『魔氷』を連打。限定された空間を一気に魔力の氷が覆い尽くし、魔力の壁も食い破ってさらに成長を始める。
――ギイイ゛イェアァア゛ァア゛アア゛アァッ!?
これまでと比べものにならない邪霊の音のない悲鳴がこだました。
それを聞きつつも『障壁』が意味を成さなくなった時点で魔導回路を放棄し、距離を取って再び両腕に『魔氷』を展開、追加でどんどん魔導式を打ち込んでいく。着弾のたびに氷の成長が加速度的に増していき、やがて広場の一角に巨大な氷の柱が形成された。
「……やったかな?」
一旦手を止めしばらく様子を見ていて変化がなかったので思わずそう呟いた瞬間、氷の柱全体が振動を始めたかと思うと急速に亀裂が広がり、甲高い破砕音と共に邪霊が逃れるように空中へ飛び出してくる。あちゃあ、フラグになったか。
それでも今のは相当効いたようで、今目の前に浮かんでいる靄の塊は見るからにその分量を減らしていた。だいたい最初の七割くらいかな?
「この調子でどんどんいこうか」
その呟きを合図にしたかのように再び衝撃弾をばらまく邪霊。それに応戦しながらボクも決定打を入れるべく地面を蹴った。こっちは体力魔力無尽蔵な機工の身体だ。最後の最後まで本気でお相手するよ!
それからどれくらいの攻防を重ねただろうか。
広場を縦横無尽に駆け回り、数え切れないくらいの衝撃弾を避けて防いで撃ち落とし、同じくらいの勢いで『魔氷』の魔導式をたたき込む。時に乗っ取りの瞬間にできる隙へ集中砲火を浴びせ、至近まで近づいて捕縛からのコンボを狙い、時間経過と共に精度と多様性の増す攻撃をかいくぐった。
そうする内に、この戦いはようやく収束へと向かっていく。
「――やっとここまで来たか。キミってホントにタフだね。もうこれラスボスクラスじゃないかな?」
しばらくぶりに足を止めたボクは、そんな風にぼやきながら邪霊を見据えた。
目の前に漂うその本体である闇色の靄は、今や片手でつかめそうなくらいまで小さくなっている。底が知れなかった魔力の量も残りほんのわずかなのは『探査』の魔導式から察知している。うん、頑張った。ボクめちゃくちゃ頑張った。
――ニク、イ……
「うん、そう言いたいのもわかる。ボクが言うのもなんだけど、あんな目に遭わされたら誰だってそうなるよね」
そんなになってもまだ発せられる怨嗟の思念に魂の底から同情した。
なんせある日いきなりさらわれて得体の知れない儀式のために殺されたんだ。みんながみんな聖人君子でもあるまいし、恨み言の一つ二つ、呪詛の三つ四つは吐きたくなるに違いない。
「ホントならそう言う恨みとか未練とかを解消できればよかったんだけど、ボクはそこまでできた人間じゃなくってね。せいぜい憂さ晴らしで暴れ回るのに付き合ってあげることしかできなかったんだ、ゴメンね」
この世界の理屈で言えば、目の前にいる邪霊とそれを生み出すために殺された人たちの魂はまったく別物ということになる。それくらいはわかっている。
それでも、誰にも知られず泣いてもらえもせず狂気の中で殺された人たちが、少しでもいいから報われてほしい。そう思って語りかけた。
「でも、キミは放っておけば同じような理不尽を振りまくようなことになってたはずだ。それは悲しすぎると思ったから、だからボクが――救いをもたらす者がこの身の誓いに基づき、せめてキミの悲しみを終わらせる」
宣言して右の指鉄砲を邪霊に向けた。そして一旦全部の魔導式を破棄して『魔氷』の魔導回路をルナワイズから再転写。それをベースに術式の至る所を改変し、即興で魔改造を行っていく。
うっすらとした緋色の幾何学模様がボクの身体の上を徐々に広がって行く中、恨めしげに漂う邪霊は動きを見せない。その本体を構成する魔力が底をつきかけているんだからそれも当然だ。
やがて身体の大半を緋色の輝きが覆い尽くし、この場限りの即席魔導式が完成する。
「こんなことしかできなくてゴメンね。せめてキミの――キミたちの旅路が安らかなることを願い、果てに新たな喜びが待ち受けていることを祈るよ」
終わりを迎え、この世界を旅立つ相手への決まり文句を紡いで魔導式を起動。一抱え以上はある大きな薄青い光の塊が放たれて邪霊に触れた。
次の瞬間込められた術式に従って氷が瞬く間に成長。一本の立派な木をかたどると、その枝先に一斉に小さな花を咲き誇らせた。
――この魔導式に名前を付けるとしたら『氷花葬送』かな。半透明の氷で形作ったのは術式構築の時にイメージした通り満開の桜。こっちの世界に同じものがあるかはわからないけど、前の世界の記憶で卒業から入学の時期に咲くこの花が、別れと未来の出会いにふさわしい気がしたんだ。
「……もしよかったらマキナ族に生まれ変わってきてね。ちょっと不便なところもあるけど、きっと楽しい毎日が送れるはずだから」
邪霊の姿が消えているのを確かめて、魔導式の維持を放棄してからなんとなく頭上を仰いだ。あいにく地下だからなんのおもしろみもない石材で組まれた天井が見えるだけだけど、なぜか無性に空が見たくなった。たぶんここしばらくずっと地下に閉じこめられてたせいだ。時間感覚も怪しいし。今はまだ夜なのかな?
「……出力変更・通常水準」
そう口頭鍵を呟けばずっと活発に稼働していた魔素反応炉がゆっくりと出力を落としていき、生成される魔力の減少に合わせて身体から朱色が抜けていって、やがていつも通りに落ち着く。
「呼出・虚空格納」
続けてルナワイズに接続するための首輪を外しながら術式登録を起動。目の前に現れた亜空間へ繋がるひずみへ今回大活躍した武装を収納した。邪霊の攻撃がルナワイズに直撃することはなかったけど、あれだけ振り回したんだ。後で忘れずにしっかり点検しておかなくちゃね。
「疲れたなぁ……」
そこまでこなしたところで小さく言葉を漏らして大きく息を吐いた。もちろん機工の身体が肉体的に疲れるはずもなく精神的――いや構造からしたら魂的? そんな雰囲気でどこか圧迫感がある気がする。生身なら一眠りすれば解消しそうだけど、この身体じゃ時間経過に任せるしかなさそうだ。こういうところは不便だよね、この身体。
そうして立ちつくしていると複数の足音が聞こえてきた。たぶん衛兵隊の人たちだ。そこそこ前からそれぞれが魔導器らしい反応を抱えてすぐそこまで戻ってきていたのを『探査』の魔導式で感知していたけど、広場との境目付近まで来た辺りでずっと動かなかったんだよね。ボクと邪霊の応酬が激しすぎて加勢しようにもできなかったのかな?
まあしかたないって言えばしかたないか。もともとボクだけで何とかするつもりだったし、下手に動かれて足を引っ張られるよりはずっといい。
「――その、少しいいか?」
「何?」
聞き覚えのある声に話しかけられて振り返れば、そこには予想通りさっきの隊長らしき人が困惑顔で立っていた。
「改めて確認させてもらうが、君がウルか? イスリアという女性から怪しげな集団を壊滅させるために残ったと聞いてるんだが……」
「うん合ってるよ」
「そ、そうか。見ていた限りすでに君の言う『邪霊』は倒したようだが……できれば詳しい話が聞きたいから詰め所まで来てほしいんだが」
そう言いながら周囲に視線を巡らしたのに釣られ、ボクも改めてここの惨状を見回した。
壁や床を問わず見渡す限りが粉砕されるかうっすらと霜を張り付かせていて、いたるところに大小様々な氷塊が転がっている。中央に鎮座していた祭壇がかろうじてだけど形を留めているのが何かの奇跡に思える有様だ。加えて言うならすぐそこにたたずむ幻想的な桜の木がものすごく浮いて見える。
そして壁際の所々に邪教徒のなれの果てが散乱して、原形を留めているのがちらほらと。他の衛兵の人が駆け寄って調べているけど、どうやら何人かはまだ息があるらしい。悪運の強い奴らだ。
……うん、あれだね。どんなに控えめに見たところで事情徴収は時間かかるだろうね。
あまり楽しくない未来を予感してため息を吐きつつ、善良な市民の一人として承諾の意志を伝えた。




