開戦
――そして十三秒後、この場に立っているのはボクだけになった。周囲には斬られて撃たれて倒れて血を流しながらうめき声を上げている屍累々。別に誰も死んでるわけじゃないけどさ……うん、たぶん死んでないはず。
無双と言うのもおこがましいほど一方的な蹂躙劇の結果、逃げるそぶりを見せる暇もなくさっきここにいた中で無事な奴はいない。あとは来るはずの応援部隊にこいつらを引き渡せば終わりだ。……ホントに来る前に終わっちゃったなぁ。
「さてと……これどうしよう」
思案するのは目の前にある不気味な壺のこと。これでも趣味で魔導式の開発や改造をやってるボクだ。壺や祭壇に刻まれている魔導回路のわかる部分から推察するに、悪魔にするための負の感情にまみれた魔素を集めておく役割を持ってることはわかった。
つまりは一種の封印具なわけで、こういったものは壊れでもしたら中のものが溢れ出してしまう。かといって負の感情に染まった魔素の取り扱いなんて専門外だからどうしようもない。こういったものの浄化とかは神官とかのイメージがあるけど、この世界じゃどうなんだろう。
「とりあえず専門家の人がいればそっちに預ける方向で――」
そうして取り扱いを見知らぬ誰かに丸投げすることを決めたところで後ろからなにやらごそごそと音がした。
根性のある奴が逃げだそうとでもしてるのかと思って振り向けば、誰かの下から這い出して身体を起こし、ボクに向かって何かを振り上げた体勢の一人がいた。倒れた時にでも外れたんだろう素顔をさらした、イヤって言うほど見覚えのある女の顔。
「――死ねっ!!」
叫びと共に投げつけられたのはヒビの入った瓶。もともと口が緩んでいたのか飛んでくる最中に中身らしき白濁色の液体を振りまきながらボクに迫る。
でも頑張って不意を突いたつもりなんだろうけど、死ねとか言いながら投げつければそれがヤバイものなんだろうなってことくらい簡単に想像はつくわけで――
ヒョイと身体を傾けるだけで瓶も液体もボクに当たることなく通り過ぎていく。
「残念――」
もう呆れしか感じなくてそう言いかけ、女の顔に壮絶な笑みが浮かんでいるのを見て嫌な予感を覚えた。
――シュワッ。
次の瞬間聞こえてきたそんな音に反射的に振り返って愕然となる。
ボクを外れて瓶の中身が降りかかった先は、封印の術式が施されている不気味な壺。その壺が白濁色の液体を浴びた部分から解け落ちていた……当然のごとく刻まれている魔導回路ごと。
そこでようやく女の狙いを悟った。最初から狙いはこっちで直接ボクに当たればそれでもよし、避けられても位置的に壺の封印は壊せる。
そして留めるものがなくなり、負の感情に染まった魔素が一気に吹き出した。よっぽどのことがない限り可視化するはずのないほどの高密度で大量の魔素、しかも黒色とかそういう次元を通り越した闇とか混沌とか、そんな形容詞しか浮かばない異様な色彩に慌てて数歩分後ずさる。
「――っの、余計なことしてくれて!」
一瞬呆然としたものの、事態を一気にややこしくしてくれた大馬鹿のことを思い出して背後を見やれば、片腕をかばいながら全力で遁走している女の後ろ姿。チッ、逃げられる程度の軽傷で動けないフリをして機をうかがってたってわけだね!
ためらう理由もないし即座にその背中にナイトラフの銃口を向けて――
――ィイイイ゛イアァア゛アァア゛ア゛アアッ!!
ガラスを金属でひっかくよりも数倍身の毛がよだつような音と共に衝撃が襲いかかり、踏ん張る間もなく吹き飛ばされて地面に転がった。さすがにそんな状態で撃った弾が命中するはずもなく、光弾は逃げる女をかすめて通路の先に消えていった。くそっ、タイミングの悪い!
まだ射程内だから追撃しても良かったけど、今はそんなことよりも優先しなきゃならないことがある。忌々しく思いながら暗がりに紛れていく背中を睨み付け、それでも急いで立ち上がると横槍の原因を見据えた。
祭壇の上でわだかまる闇色をした靄のようなもの。不気味に蠢動するそれは不快音と衝撃波を撒き散らしはしたものの、それ以上の大きな動きはまだ見せていない。
けど、対峙するボクの身体が――いや違う、核にある魂自体が告げてくる。あれは相当にヤバイって。
こんなもの放っておくなんて選択肢は、少なくともボクは取れない――取っちゃいけない。そう望まれて、そう決めたんだから。
「……けど、どうしろって言うんだよ」
改めて決意はしたものの思わずそうぼやいてしまった。悪魔とか、記録を見る限り国が――それも大国が複数は連携して対処しなければならないようなまごうことなき災害だ。全力を出してもいいならボクだけでもなんとか対処できると思うけど、地下とはいえここは街のど真ん中。そんなことしようものなら最悪王都が壊滅する。
なんせいろいろできるとはいえ、マキナ族の制作コンセプト自体が『自由意志を持つ兵器』だ。当然一番の得意は戦闘なわけで、そんなものが全力を出そうものなら周辺被害は推して知るべし。
……そもそも条件がそろってないから今はまだ全力を出したくても出せない状況なんだけど。
そんな風に対処法を模索していると、ふと違和感を覚えた。時を経るにつれ闇色の靄は収束するように集まって今は大人の身長ほどの直径をした球状になってるわけだけど、しばらく様子を見てもそこからの変化がない。
……おかしいな、イルナばーちゃんの研究資料によれば、悪魔は一度顕現すると何かしらの実体を形成するはず。元になった魔素から変じた魔力を練り固めたそれは生物としてはあり得ないような、非常にグロテスクな外見になることが多いようだけど、それがないってことは――
「……ひょっとして、まだ『邪霊』の段階?」
思わず期待を込めた言葉が漏れた。そういえばイスリアが聞き集めた話によればあと何回かの『儀式』で『降臨』するとか言う話があったっけ。つまり、逆に言えばあと数回しなきゃ造り出す悪魔は完成しなかったってことになる。それに加えて肝心な『悪魔錬成』の魔導式はおそらく劣化版だ。正規の手順を踏んだって本物の『悪魔』ができたかどうかも怪しい。
となると目の前の靄は前段階の『邪霊』である可能性が高い。まあ怨嗟の限りを尽くして破壊を振りまくような相手を悪魔になり損ねた存在ととるか、それとも普通の不死体の数百倍やっかいな存在ととるかはそれぞれだろうけど、ボクとしてはできる中で一番現実的な対処法として『力尽きるまで適度な攻撃を加える』くらいしか思いつかないような相手は少しでもやっかい度が低い方がいい。
……それでも過去に発生した邪霊は一つ二つ都市を壊滅させた事例もあるから、はた迷惑なのには変わりないんだよね。
「王都が吹っ飛ぶようなことにならないといいんだけど。まだ観光も終わってないのに――」
あまり想像したくない未来が頭をよぎってなんとはなしに呟いた時。
――……ァアァア゛ア……ニク、イ……
耳じゃなくて直接心に――魂に突き刺さるような重く暗い想いが届いてきた。どうやら考えるような時間はなくなったみたいだね。
――ニクイ……ニクイニクイニクイニクイ――
声なき怨嗟の声を聞きながら素早く周囲を確認する。そこら辺で倒れてうめいていた邪教集団の奴らは最初の衝撃波でほとんどが壁際まで吹き飛ばされている。一、二ピスカ程度とはいえ超過重量のボクが吹き飛ばされたほどだ、そうなるのも当然だろう。おかげで邪霊のまわりは適度な空白地帯になっている。
それでも戦闘の規模によっては被害を受けるだろうけど、そんなことまで気を回してる暇はないだろうし回す気もない。せいぜい巻き込まれないよう『神様』に――そうだね、ちょうど目の前に崇める相手がいるんだし、そいつに祈りながらガタブルしてればいい。
――ニクイニクイニグイニグイニグイニグイィィィィイィッ!!
魂の叫びと共にいびつな黒い光条が靄の周囲を走り、次の瞬間またあの衝撃波が振りまかれた。
さすがに構えているところへ正面からだったのでその場でなんとか耐えしのぐ。それでも少し押されて数フェルくらい足が滑ったのを見ればその威力がうかがい知れる。壁際の邪教の奴らなんて、一瞬轢かれた蛙みたいな体勢で壁に押しつけられて悲鳴を上げているほどだ。
なんにせよ、始まったのならボクは最善を尽くすのみだ。
邪霊に向かって銃撃を重ねながら吶喊。着弾点をずらして被害の様子を観察しつつ間合いに入ったところで跳躍してスノウティアを一文字に振り抜くと、勢いのままに闇色の靄へと突っ込んだ。
途端に魂を直接襲うような言い知れない悪寒を感じ、それでも瞬く間に反対側へと突き抜けて無事着地。即座に地面を蹴って距離をとりつつ身を翻して右手を向け、スノウティアの柄は離さないままに指鉄砲を形作ると『火球』の魔導式を起動。靄の塊めがけて飛んでいった拳大の火の玉が衝突して小さな花火が燃え上がるのを確かめながら再び邪霊に対峙する。
――アアアァア゛アァッ!?
「……銃撃が貫通した様子はなし。物理攻撃の手応えなし。火球は無事着弾して効果を発揮――」
まるで悲鳴のような思念を聞き流しながら今の交錯で得た情報を整理する。
「――反応からしてダメージはある……のかな。あと一瞬ならともかく、長時間触れるのは危なそう。そうなると……セオリー通り遠距離からの魔力攻撃がベストかな?」
聞きかじった対非実体系不死体との戦い方を思い出しつつそう結論づけた。時を同じくして邪霊が黒い光でいびつな幾何学模様を描くのを見て横っ飛びに移動する。直後についさっきまでいたところに何かしら不可視の攻撃が弾けて地面の舗装を割り砕いた。
「……やっぱり魔力攻撃だね。さっきとは魔導回路も違ったし、撃ち分けも可能と」
ある程度高位の非実体系不死体になると魔導式を使うってホントなんだ。いや、空間に直接描いてるから分類としてはどっちかというと古代魔法に入るのかな? さすが存在自体が魔力の塊なだけあるや。
どうやらボクのことを明確に敵だと認識したらしく、邪霊は不可視の衝撃波をやたらめったらにばらまき始めた。収束した分一発の威力は高いしみたいだし狙いも付けずに乱射してるのが鬱陶しいけど、幸い描かれた魔導回路の方向にしか飛んでこないみたいだからボクなら見てからでも避けられる。流れ弾が何発か壁際まで飛んでいってそのたびに悲鳴が上がるけどそんなもの無視無視。
「呼出・虚空格納」
邪霊の攻撃を避けながらこっちも必要な準備を始める。術式登録で呼び出された亜空間への入り口に、今回はあまり有効打にならなさそうなスノウティアとナイトラフを突っ込んで収納。お疲れ様、また今度よろしくね。
「武装変更・魔法士」
すぐさま空いた左手に意識を集中しつつ空間のひずみから目的の武装を取り出した。
その形状は図鑑サイズの閉じた分厚い本のよう。緋白金系列の金属で構成された外装は魔導書チックな装飾がされていて、ちょうど表紙に刻まれている目印用魔導回路が本の格式を高める紋章のようにも見える。
そして背表紙にあたる部分の一端から伸びた魔銀製の細いチェーンは、腕を伸ばしても余裕が出るほどの長さを保って同じ材質の首輪へと繋がっている。
一見そんな風には見えないけど、実はこれマキナ族の使用を前提とした特殊な携行型記写述機で、さらにはボク専用に調整された一品。その名も『ルナワイズ』。
乱打される衝撃弾を片手間に避けつつ首輪を装着すれば、確立された接続から魔導書型の本体に納められている記録晶板の情報が頭に直接流れ込んできた。書き起こした料理のレシピや途中で飽きた研究、気まぐれに書いた日記もどきからただのメモ書きなど溢れる情報に意識的にフィルタをかければ、今必要としているボクが知る限りの魔導式だけがズラリと表示される。……ムダに手間かかっちゃったな。今度整理しとこ。
さらに絞って局所戦闘に利用できるものだけリストアップして準備完了。ここまで接続してから半秒ほど。
そのまま右の指鉄砲を邪霊に向け、頭の中のリストから『爆撃』を選んで記録されている魔導回路を転写。隠し扉を破壊するために使ったものと同じ魔導式は、けれどあの時とは違って一瞬で必要な魔導回路を描画すると同時に拳大の光弾が飛んでいき、見事直撃した結果あの時のように爆音が轟く。
――イイ゛イアァア゛アァッ!?
「……やっぱり魔力攻撃が有効みたいだね」
苦鳴の思念が響き渡ると共にただでさえ雑だった衝撃弾の狙いがめちゃくちゃになって四方八方へ撒き散らされる中、手応えを感じて安堵の息を漏らした。
前の世界で例えれば外付けハードディスクとも言えるルナワイズを戦闘利用する最大の利点がこれ、『記録した魔導回路の転写による魔導式の起動時間短縮』。
それこそ接続さえしていればほとんど全ての魔導式を術式登録ばりのスピードで使える、マキナ族の特性を最大限利用した花形装備と言ってもいい代物だ。ボクが術式登録を最低限しか用意してない理由の一つでもある。感覚的にはいちいち思い描くよりもすでにあるものをコピペする方が断然早いのと似てるかな。ついでに検索、フィルタ機能付きで思考速度で読み込みができる優れもの。難点はいちいち首輪型の端子を装着して接続を確立しないといけないこととマキナ族しか使えないことくらいだ。
それはともかく、こうして準備も整ったしおおかたの検証もできた。いくら過去の同種が甚大な被害をもたらしたとはいえ、目の前の存在の本質は非実体系の不死体なんだと考えても良さそうだ。それならその魂を維持するために集まっている魔素をどうにかこうにかして散らしてしまえば消滅するはず。うん、やることがはっきりしてきた。
……残った問題はその量だ。不死体の一種なのにわざわざ別の名前でカテゴライズされるだけあってその底が見えない。さっきの『爆撃』だって理論上幽霊に代表されるような低位の非実体系不死体なら一撃で消し飛ばせるはずなのに、ダメージはあっても減少が確認できるほどじゃない。
それに非実体系の存在は自身の維持や強化のために周囲の魔素を集める能力もあると聞く。魔素の量がそのまま体力とイコールなことを考えればリジェネ機能完備ってところだ。うん、完全にボス戦だよねこれ。しかも本来なら複数人で挑む規模の。
……まあ、それでもここまでわかれば話は早い。




