儀式
「うりゃっ!」
ほとんど密着した状態から飛び離れようとした男めがけ、避けられて振り上げたままだったスノウティアを振るう。今度は確かな手応えを感じると同時に元水路の底を蹴って方向転換、体勢を崩す男めがけて右肩からぶち当たった。
血を撒き散らしながら車にはねられたみたいに宙を飛び、壁に跳ね返され地面に倒れ伏す男。ゆっくりと血溜まりが広がる間も動きを見せないことを確かめてから一旦スノウティアを手放し、地面に転がる乾いた音を聞きながらおそるおそる首筋に手を当てた。
……うん、わかってた。さっきの感触からしてわかってたけど、見事にパックリいっちゃってるよこれぇ……。
魔導器があるのはわかってたけど、まさかあんな感じで作動する暗器だとは思わなかった。生身だったら血しぶき吹き出しながら即死コース間違いなしだ。ここに鏡がなくて良かった。大丈夫だとはわかっていても自分の首筋がクパッと口を開けてるのを見るのは精神安定上よろしくないのは確実だ。
「呼出・損傷復元」
ため息を吐きつつ『探査』の魔導式を終了しつつ術式登録を口にすれば、頭からつま先まで全身くまなく覆い尽くす魔導回路が浮かび上がった。それを基準に魔導回路の接続が途切れている箇所――今回は右の首筋辺りの術式を少しいじって形式を整えると、触れたままの指先に首筋での変化が始まったのが伝わってくる。
今使っているのはマキナ族専用の治療用――厳密に言えば『復元』の魔導式。特定の魔力を与えることで増殖する緋白金の特性に働きかけて怪我というか損傷を修復するためのものだ。欠点は生物の細胞分裂みたいな方法だから損傷具合に応じた時間がかかるのと、見てのとおりトップクラスに複雑な魔導回路のせいでこれを起動している間は他の魔導式が使えなくなることだ。しかも魔力を術式の維持と修復とでめちゃくちゃ魔力を喰うから身体の動きが鈍くなるし、なるべく怪我したくないんだよね。
「――馬鹿……な」
今回は首とは言っても単純に切れただけだからそんなに時間もかからないだろうと思ってぼんやり立ちつくしていると、血溜まりに沈む男からかすかな驚愕が聞こえてきた。首を切っても生きているからか全身に幾何学模様を浮かべてるからか、とにかくボクのことを見て目一杯の驚きを顔に浮かべている。
けっこう深く斬ったと思うし見た感じでも死にかけているはずだ。どうせ直るまで動きたくないし、最後のおしゃべりくらい付き合ってやろうかとふと思いついて肩をすくめた。
「びっくりしたけど、特別製だからねこの身体。残念だったね」
「毒……受けた……はず」
「毒まで仕込んでたのその仕込み武器? 凶悪だなぁ。まあ効かない身体だから意味はなかったみたいだけど」
「化け……物、め……」
「あ、ひどいなぁその言い方。ボクとしては気に入ってるんだからね」
ひょっとしたらそうかもとは思ってたけど、改めて指摘されるとけっこう傷ついた。うん、傷ついたぞ!
顔をしかめて男を睨めば、なぜか笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「お前……名前……」
「ボクの名前? ウルだよ。マキナ族のウル」
「ウル……俺、ルカ……ス」
「ルカス? キミの名前?」
「覚え……お……け……」
「覚えておけって? まあ別にいいけど」
なぜか名前を覚えておけと言われて戸惑っていると、男は満足そうな笑みを浮かべたと思ったらフッと全身から力が抜けた。
「……よくわからないけど、さようならルカス。いい旅路を」
心なしか安らかな顔で息絶えた男――ルカスへと簡単だけどこの世界流の冥福を祈っておいた。なんかこいつだけ仮定邪教集団とは雰囲気が違ったし、もしも転生なんかするんだったらもっとまともに生きようね。ワンチャン、マキナ族になるんだったら面倒くらい見てあげてもいいよ。
そうこうしているうちに修復が終わり、首筋に元の柔肌が取り戻されたのを触って確認してからスノウティアを拾い上げた。ごめんね、ちょっと突き刺すには床が硬そうだったから放り出したけど、こういう時に鞘がないのが問題なんだよね。これが終わったら一度良さそうなのを探さなきゃ。
そんなことを決意すると再び奥へと歩き出す。さっきまでと違って元水路をそのまま伝うことになるけど、わざわざ足場に戻り直すこともないだろうし、こびりついた汚れを素足で踏むのも今更だ。どうせ後で綺麗にすれば変わらないんだから気にしない……うん、気にしない。
……くっそう、なんでブーツまで取り上げたかなあの女。変に柔らかい感触がダイレクトに伝わってきて微妙に気持ち悪いんだけど!?
そのまま恨みを溜めながらぺたぺたと元水路の底を歩いてほどなく、たぶん目的地なんだろう場所へと辿り着いた。今は『探査』の魔導式は切ったままだけど、切る前にはもうここの様子は探知範囲に入ってて大まかな様子自体は取得済みだ。
どうやら元は水路が合流する場所だったらしく、八つの水路が囲んでいるその空間はそれなりの広さがあった。
もちろんいまだに汚水が流れてれば話は違ったんだろうけど、完全に干上がっているおかげでガイウスおじさんの屋敷の玄関ホールくらいはあった。ボクが通ってきた箇所以外は広場からそう行かないところで崩れていて、事実上の袋小路になっている。
その中央付近、なにやら祭壇みたいなものの上に立っている人物を中心にした黒覆面ローブ姿の奴らが、二、三十人くらいの集団で一心になにやらブツブツ唱えているという非常にシュールな光景が広がっていた。
加えて演出なのか、まわりでいくつか篝火が焚かれていて、幾重にも重なった影を周囲の壁にゆらゆらと不気味に移しだしている。不意打ちでこんな光景に遭遇したら夢に見そうだ。この身体じゃそもそも寝れないからいいんだけどさ。
「こんばんは」
まだこっちに気づいてなさそうだったから奇襲をかけても良かったけど、そんな程度じゃ釣り合わないと思って声をかけた。そうすると思ったよりも響いた声に反応して覆面集団全員が一斉に振り返る。うわ恐っ!
「何者だ」
あまりの光景に内心でおののいていると、祭壇でたたずんでいた人がそう応じた。するとまるでそれを合図にしたかのようにボクとその人の直線上にいた覆面立ちがスススッと動いて視界を空ける。その人モーゼか何かかな?
「わかりやすく言えば『贄』その八かな。自分たちで捕まえておいて忘れたの?」
返事をしながら遮るものがなくなったおかげでよく見えるようになった祭壇を見た。この怪しすぎる集団の中心人物と思われるその人の隣には精緻な幾何学模様を彫り込まれた不気味な装飾の壺が置かれていて、それを囲むようにして祭壇の床に八芒星を基本にしたこれまた複雑な幾何学模様が刻まれていた。
おそらくだけど、どっちも儀式的な要素を取り込んだ上で組み上げられた、何かしらの魔導式を発動させるための魔導回路。それはまだいい。術式次第で様々な超常現象が発動される魔導式を宗教に利用するならご自由にってところだ。
ボクが問題にしたいのは祭壇の魔導回路、そのちょうど八芒星の頂点部分にこびりついたおびただしい量の赤黒いシミと、壺の周りを飾り立てるように積み上げられた骨――明らかに人の頭蓋骨の山。数人、十数人なんて量じゃない。数十人、下手をすれば百人以上。
……うんまあ、『贄』とか聞いた時点で予想はしてたよ。いくらガイウスおじさんが街から出る人の流れに目を光らせても手がかりがつかめなくて当然だ。そもそも出てすらいないんだからさ。嫌な地産地消もあったもんだ。
「『贄』か……迎えが行ったはずだが、自らこの場に来るとは何とも殊勝な――」
「黙れ」
確定邪教集団のたぶんトップが垂れ流す口上を遮ったのは、自分で思っていたよりもずっと、ずっとずっと底冷えのする声だった。
「……一応聞いておくよ。なんのためにこんなことしてるのかな?」
一転してなるべく穏やかに尋ねてみれば、ボクに気圧されたかのように黙ったトップの人が気を取り直したように再び口を開く。
「知れたことを……全ては我らが救済を求めんがために、いと高き御方に御降臨いただき、その人智ならざる神通力を以て我らの望む世界を招き給い、またその崇高なる御業を世に知らしめんがため!」
無駄に大仰な物言いにまわりの覆面共も我が意を得たりとばかりに頷いている。
あー……装飾過多でわかりづらいけど、直訳すると『自分たちの望みを叶えてもらうため』かな?
「それに『贄』とかいうのは必要なの?」
「笑止! いと高き御方が御降臨なさるには対価となるべき潤沢なる魂が必要不可欠である! 幾多もの悲哀と絶望によりてこそ天の座所に我らが救いを求む声も届き、しかして初めてそのお姿を汚れ多き地上に現わし給いて、崇高なる神通力にて救いをもたらし給えるのだ!!」
喋っている内に段々エキサイトしていったらしく身振り手振りまで交えて声高らかにそんな妄言をほざく。要は『喚び出すのに大量の魂を生け贄にする』ってことだよね。
奇遇だね。そんなことして喚び出す――ううん、造り出す存在についてイルナばーちゃんの研究資料に書いてあったのをちょうど知ってるんだ。嘆き、憎しみ、絶望――そんな負の感情を凝縮した魂に染み込ませて生まれる存在。そしてそれを行うための外法。
「『悪魔錬成』かぁ……」
この世界に生まれてからこれ以上ないってくらいに顔をしかめさせて呟いた。同時に思い出すのは意志持つ機工を創り出すためにイルナばーちゃんが過去に行っていた魂に関する研究資料の一部分だ。
この世界の『悪魔』は前の世界の記憶にある悪魔とは少し毛色が違う。そっちが『儀式によって別の世界から召還されて魂を対価に契約者の望みを叶える』のに対して、この世界ではどちらかというと『突然現れて邪悪の限りを尽くす』存在として記録に残っているらしい。出現場所はたいてい大きな戦場跡とか過去に規模の大きい凄惨な事件が発生した場所とか。
そしてそういった場所はほとんど動死体とか幽霊とかの『不死体』――いわゆるアンデッド系の魔物の温床でもある。
そう、この世界の悪魔は不死体の最上位種として位置づけられているんだ。
発生原理としては、まずこの世界には常に何者でもない魂が無数に漂っていると考えられている。それらの無垢な魂は新しい命が生まれるとその身体に入り込み、そこで初めて生物としての誕生を迎えるそうだ。そのタイミングが産まれる前か後かで学説が分かれてるらしいけど今はどうでもいい。
こういった考えが一般的なおかげでこの世界の死生観はいわゆる『輪廻転生』が基本になってるそうなんだけど、そこに不確定ながらも作用を及ぼすものが同時に存在している。それが意志に応じて様々な変容を見せる魔素であり魔力だ。
意志――それは明確であったり強烈であったりする生命の証だ。それはしばしば発した本人がいなくなっても周囲の魔素に残滓のように残り漂い、それに惹かれた無垢な魂が混ざり合って新たな存在として確立される。これが『精霊体』や『不死体』の誕生原理とされている。そして負の感情から生まれた不死体がそのまま漂えば幽霊や怨霊、その辺の死体やなんかに結びつけば動死体や屍喰鬼になる。
そして誕生時の、あるいは誕生してから集めた魔力の負の感情が濃ければ濃いほど醜悪な存在になる。それが『邪霊』であり『悪魔』なのだ。
この辺りのことはここ百年くらいで周知されてきた話らしいけど、理屈がわかれば悪用しようと考える奴が出てくるのが世の常だ。
意図的に悪魔を生み出して敵対国を滅ぼそうとして、肝心の悪魔を制御できず逆に周囲数カ国を巻き込んで滅亡していった歴史的大惨事。その時に開発されたとされる禁忌指定の魔導式が『悪魔錬成』。現物なんか見たことないし話に聞くより圧倒的に小規模だけど、今目の前にあるのはたぶん縮小版――と言うか劣化版なんだろうな。
「我らが崇め奉るいと高き御方を汚らわしき悪魔などと同じくするなあああぁっ!!」
ボクの呟きが気にくわなかったらしい邪教のトップがなんかキレて喚きだしたけど知ったことじゃない。
「もういい黙りなよ」
それだけ吐き捨てて武器を構えた。聞きたいことは聞けたからもうこれ以上茶番に付き合う必要もその気もさらさらない。
こんなところで世界に対する憎しみが強すぎて、一周回って理知的にあらゆる手段を使ってまわりに破滅をもたらすような存在を生み出されたりしたらたまらない。そんなことのために理不尽な犠牲にされた人たちが可哀想過ぎる。
「お前らはここでボクが、終わり告げる機械の神の名に誓ってぶっ潰す。生きてる間にちょっとでも悔やめ」
告げた瞬間ナイトラフを四連射、いまだに何か喚いている邪教のトップの両手両脚を的確に撃ち抜く。そして上がる悲鳴を確かめる前に地面を蹴って突っ込んでいった。




