脱出
最後の食事が運ばれてきてから数時間。優秀な聴覚機能が扉越しに近づいてくる足音を捕らえた。
「――来たかな? 呼出・周辺精査」
呟いて周辺探査用の魔導式を術式登録で起ち上げる。ガイウスおじさんと初めて会った時にも使ったやつだ。指定範囲の魔力分布や密度、推移なんかを観測する一種のレーダーで、当然壁越しでも余裕で感知できるし動体の探知や地形の把握なんかもお手の物。
それによればこの部屋の扉前には横道のような細い通路が伸びていて、一方は崩落か何かで塞がっているけどもう一方はより大きな通路に繋がっている。どっちもしっかりとした石材で補強してあるのがわかってる。
そしてその通路と横道の境に監視役が一人、たぶん椅子に座って小さい机に向かっているね。ここまでは事前に探知していたのとほとんど変わらない。
けど今は大きい通路の向こう側から近づいてくる反応が四つある。魔力のシルエットからして人系の生物、まあ間違いなく仮定邪教集団の関係者だろうね。
すぐに四人と監視役が合流したのを確認して、術式は維持したままより耳を澄ます。
「――時間か」
「ああ、すでに『儀式』の支度は整った。『使い』の方々も『奉者』も全て集まっている」
「わかった。では『贄』を準備しよう」
聞こえたやりとりの内容に思わず笑みが浮かんだ。そうかそうか、関係者はまるっと全部集まってきてるわけだね。朗報朗報、これで取り逃がす可能性がグッと減った。
「来るよ。用意して」
小声でそれだけ伝えればイスリアを初めとしたみんなが緊張したように身体を固くする。それでもここが一番肝心なことはわかっているようで、全員が息を潜めて見守る体勢になった。ボクもスノウティアを右手に、なるべく静かに扉の前に立ってすぐさま行動できるように構える。
そして『探査』の魔導式の反応から四人に見張りの一人も合流して、たった今扉の前までやってきたのが見えていた。同時に扉に掛けていた鍵―――と言うかかんぬきを外す音がして、目の前の扉が開いていく。
そして先頭にいた覆面が目の前のボクに気づいた瞬間には左手を伸ばしてその頭を鷲掴んで、一気に引き寄せながら勢いのまま床にたたきつけた。
「おい、どうしごふぁっ!?」
鈍い音と共に苦悶の声すらなく動きを止めるのを尻目に姿勢を低くして通路の飛び出し、迂闊に身を乗り出してきた覆面その二にショルダータックルをかまして吹き飛ばすとさらに身を翻す。そして視界に次の標的――突然のことに完全に動きが止まっている覆面その三、四、五を認めると床を蹴った。
跳躍する軌道上にあった覆面その三の頭をスノウティアの柄で殴ってどかし、目標の覆面その四その五へ左の指鉄砲を向けつつ『雷撃』の魔導式を無言で発動。ギリギリまで強めに設定した電撃を受けた二人は声を発する余裕もなく崩れ落ちて、プスプスと煙を上げながらその場で痙攣を繰り返すだけになった。
その上を勢いのまま飛び越え華麗に着地して振り返れば見事に死屍累々。ふっ、我ながら鮮やかな手際に惚れ惚れするね。
さて、『探査』の魔導式によれば今は他に誰も近くにいないし、さっさと次に進もう。
「いいよ、出てきて」
声を掛ければおそるおそるといった様子で部屋から顔をのぞかせるイスリア。その顔が狭い通路に倒れ伏す覆面集団を見て驚愕に染まった。
「……腕っ節には自信があるって言ってたけど、本当だったのね」
うん、言いたいことはわかる。ボクの見た目が邪魔してるんだよね? でもあえて言わせてもらうけどよくそんな相手の提案に乗ったよね、ホント今更だけど。
「そんなことより早く早く。このあとはなるべく素早く動かないと」
とりあえず催促すると、イスリアは一旦部屋に引っ込んだ。たぶん他の人たちを促してるんだろうな。
そう思ってる内にイスリアはちゃっかりカンテラの魔導器を手にして部屋から『贄』仲間たちを引き連れて出てきた。ずっと閉じこめられていた影響か若干足取りがおぼつかない人が多いけど、まあこれくらいならなんとかなるんじゃないかな?
「……誰も斬ってないように見えるけど、どうして?」
「血みどろだとお子様の教育に悪いかと思って」
こっちに近づきながら覆面の様子を見ていたイスリアの疑問に、ボクは最年少の生け贄仲間に視線をやって答えた。まあ何人か重傷で危険なことになってるかも知れないけど、運良く全員が覆面に加えてローブっぽい服で身体がほとんど隠れてるから見た目じゃわからないしセーフってことで。
それはともかくちゃんと全員が付いてきていることを確認して、横道の先の大きな通路に出た。事前の探査通り両端に一段高い足場があるトンネル状で、いかにも下水道って感じの構造だ。ただどういうわけか本来なら汚水が流れているだろう中央部分は完全に干上がっていて、底や側面に汚れがこびりついているのが見て取れる。
「こっちだね」
下水のはずなのに肝心の水がない疑問は横に置いて、みんなを先導してボクが運び込まれてきた方向へと進んでいく。所々に明かりを放つ魔導器が設置されていて、不十分ながらある程度は視界を確保できそうだ。まあボクの目は暗視機能もついてるからあんまり関係ないけど。
そしてそんなに時間もかからず行き止まりに辿り着いた……うん、まごうことなき行き止まりだね。
ただし、通路全体を石材でがっちり封鎖してあるから本来なら行き止まりなんだろうけど、ちょうど今いる足場の先にはなにやらレバーや歯車なんかを組み合わせた仕掛けが封鎖している石材の一部にひっついているのが見える。
まあ予想はできるね。なにせ仮定邪教集団なんて怪しさ爆発な奴らがアジトにしてる場所だ。入り口を隠し扉にするぐらいは当然だろうね。ボクたちは初めから裏側にいたから丸わかりだけど。
さて、あれをどうにか動かせば入り口が開くんだろうけど、勝手のわからない仕掛けを調べるのは面倒くさいなぁ。
……そうだ、応援の人たちが来るにしてもわかりやすい方がいいよね。
「ちょっとみんな、耳をふさいでてくれる?」
隠し扉から離れた位置で立ち止まってそう伝えれば、みんなは不思議そうに首をかしげながらもおとなしく言われたとおりそれぞれ自分の耳をふさいだ。
それを確認してから胸からお腹にかけて描かれている『探査』用の魔導回路を維持しつつ、左の指鉄砲を無造作に隠し扉の裏側へ向けた。
お察しの通りこれから魔導式を使うためだけど、今思い描いている『爆撃』の魔導回路は手の平だけじゃ収まらない。手の甲まで埋め尽くした上で手首を越え、肘より少し前まで広がってようやく完成した。
「どっかーん」
なんとなく呟くと同時に発射した拳大の光の玉は、そのまま飛んで隠し扉に触れた瞬間閃光を放つ。
轟く大音響と衝撃にボクの背後でみんなが身体をすくめたのを一瞥してから改めて隠し扉を見れば、漂う粉塵の中開いた大穴越しに流れる汚水が見えた。なるほど、ここに水が流れてきてないのは封鎖されてたからか。横道が崩れてたのを考えると、老朽化か何かかな?
「ほら、空いたよ。ここまで来たらもう少しだ」
「……今、何をやったの?」
「ん? 入り口を爆破しただけだけど?」
「いやまあそうなんでしょうけど……いえ、もういいわ。せめて先に言ってほしかったわね」
なぜかイスリアにため息をつかれた。ちゃんと耳ふさいでって言ったのに、解せぬ。
そのまま目を白黒させているみんなを送り出す。『探査』の魔導式の範囲内には出口らしきものはないようだけど、感知できる限りは事前に伝えた順路通りにいけば問題なさそうだ。
「じゃあイスリア、気をつけて。応援の件よろしくね」
「あたし達よりあなたの方がよっぽど気をつけなきゃいけないと思うけど、こんなに派手なことまでして……応援が来るまでに死んだりしたら嫌よ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。むしろ来る頃には終わってるかも知れないからなるべく早くね」
「どこから来るのよその自信。まったく……ありがとう、任せて」
そんな風にお互いに言葉を贈ってからカンテラを掲げて下水を先導していくイスリアを見送った。
――よし、これでボクの縛りはほとんどなし。あとは仮定邪教集団を壊滅させるだけだ。
今さっき空けたばかりの穴へととって返し、来た道をそのまま逆にたどっていく。次に関係者らしき相手が現れても、もうなんの遠慮もしてやらないからね。
そんな決意と共に改めてやつれた被害者たち――特に最年少の男の子の姿がフラッシュバックした。
……あ、思い出したらなんかちょっと殺意が溢れてきた。うおおぉ、静まれ、静まるんだボクの魂! 今ここであっさり終わらすより痛めつけた上で官憲に突き出した方がいいのは分かり切ってるんだから!
くっ、このままじゃちょっと収まりがつかなくなりそうだ! しかたない、ここは――
「呼出・虚空格納――武装変更・魔銃士」
一旦立ち止まると続けて術式登録を唱え、左手にわだかまった空間の歪みから目的の武装を取り出した。
姿を現したのはほとんどが緋白金で造られた一丁の白い魔導銃。前の世界で第二次世界大戦頃に使われていた軍用ライフルに近い形状だけど、銃身はやや短めで機関部に回転弾倉と同じ形状の機構があって、それに加えていくつかレバーやスイッチを備えている。ストックの一部に刻み込んだ呼び出し用の魔導回路がちょっとした紋章みたいだ。
これぞお気に入り武装その二の『ナイトラフ』。魔力を弾へと変換して打ち出すのは普通の魔導銃と変わらないけど、組み込まれた魔導回路に対応する特性を持った一種類の弾しか射てない一般的な魔導銃と違い、ナイトラフは弾倉部分を回すことによって接続する魔導回路が切り替わって六種類の弾を撃ち分けることができる優れもの。
しかも普段は取り回しのいい短銃身だけど、レバーやスイッチを切り替えれば銃身を伸ばして遠距離狙撃にも対応できるという素敵ギミックを搭載している。あと、銃身を含めてパーツの大半が剛性緋白金でできているから、いざって時には本体に魔力を流して棍棒代わりにもできる。
……自由に魔導式が使えるのにこんな武器がいるのかって? 確かに即興で魔導式を発動できるのは便利だけど、それでも遠距離から狙おうとすればそれなりに複雑な魔導回路を組まないといけない。けどナイトラフ――だけじゃなくて魔導銃はもともと遠距離を狙うための魔導器として機能を特化されていて、発動も魔力があれば引き金を引くだけと実にお手軽。わざわざ自前で魔導回路を組み上げるより断然早いし楽だ。
別にどっちの方が優秀ってわけじゃなくてそれが魔導器っていうものだし、だからこそ多種多様に発展してきたわけで、状況に応じてより適切なものを使わないと損ってものだ。
それはそれとして、こっちも久しぶりに出すわけだし一応機能点検。回転弾倉型の術式選択機構を回し、レバーやスイッチをいじって銃身を伸ばして縮め、安全装置を外して意図的に魔力を渡さず引き金を引いて空撃ち。……機械的故障はなさそうだね。
「よしよし――」
相変わらずの機能美を誇る愛銃に満足してちょっと適当な構えを取ってみる。右手に長剣のスノウティア、左手に魔導銃のナイトラフ。両手にお気に入りの武装を握りしめたボクのフォーマルスタイルだ。またの名をビジュアル重視モードとも言う。かっこいいは正義。
……そういえば戦闘民族のおっさんも長剣に魔導銃って装備をしてたっけ。あの厳つい傷だらけの顔にニヒルな笑みを浮かべて無造作に立ちながら、片手で長剣を肩に担いでもう一方で魔導銃を突きつけるように構える。
あらやだものすごく絵になるんじゃないかな? かっこいいって言うよりはハードボイルド系だけど。
そんな感じで内心ニヤニヤしている内に溢れた殺意が静まった。よし、これで平常運転。さあ気を取り直して仮定邪教集団を殲滅だ!
そうして改めて歩き出そうとしたところで『探査』に反応が引っかかった。動体三、シルエットは人型、方向は目の前真っ直ぐ、位置は閉じこめられてた部屋のある横道よりも向こう側。さっきの爆音が何か見に来たのか、はたまた『贄』がなかなかこないと痺れを切らしたのか。
どっちにしろわざわざ戦力を分散してくれてるんだ。潰していかない理由はないね。
「覚悟して――ね!」
うっすらと笑みを浮かべながらその場から駆け出す。マキナ族の並外れた脚力にすぐ横の壁がものすごい速度で後ろへと流れていく。




