決行
それから作戦決行まで堪え忍ぶ日が続いた。
いやホント酷い毎日だったね。まず地下だから当然時間の流れがわかりづらくて、かろうじて一日二回出される食事で経過が察せられるくらい。その食事も硬いパンに薄めた具のないスープで味もお察しレベルだ。
身体を綺麗にするなんて望めるはずもなく、狭くてろくに動けもしない空間で、排泄は部屋の隅に掘られた穴にしなきゃいけない。いわゆる『ボットン便所』ってやつだね。試しに嗅覚を戻したら下水に入った時よりも酷い臭いで慌てて切り直すハメになった。
こんなところに長い人で半月以上押し込まれててかつそのうち『贄』とかにされるなんて聞かされてたら、そりゃ精神に異常をきたしてもしかたない。まだ小さい子もいるのに可哀想だとか思わないんだろうか。思いもしないんだろうなー……。
もっとも、その辺はボクにとってはたいした問題じゃなかったのは不幸中の幸いかな。ちょっとみんなには申し訳ないけど機工の身体で良かったってしみじみ思ったよ。生身なら二日目くらいで発狂してた自信がある。
ともかくそんな劣悪な環境に耐えてもらって四日目の、情報通りなら『儀式』とやらが行われる当日。ボクがここに放り込まれてから都合八回目の食事が運ばれてきて、世話係の足音が遠ざかっていったのを確かめた。
「――よし。じゃあみんな、準備に移ろうか」
「わかったわ」
扉にひっついて耳を澄ませていた体勢から戻ってそう宣言すると、不自由な手で鍋のスープを器によそって配っていたイスリアが頷いた。ただ、反対に他の六人はそれぞれ大皿に盛られた固パンを取りながら不安そうな様子を見せている。
「まあ準備って言ってもやることがあるのはボクとイスリアだけだからね。他の人たちは少しでもいいからお腹を満たしておいて」
「……おうちにかえれるの?」
あえて気楽な口調でそう言えば、さらわれ仲間でも一番小さい五、六歳の男の子が不安げに尋ねてきた。その目には薄いけど確かに期待の色が見て取れる。
「うん、大丈夫。約束するよ」
それに笑顔で応えながら少しでも安心させられるようにやせ細った身体を優しく引き寄せて、縛られたままの手でフケだらけの頭をそっとなでてあげた。
「ボクが絶対キミを帰してあげるから、だからもう少しだけ頑張ってね」
「……うん」
まだ少し虚ろなところがあるけど、どうやら納得してくれたみたいで確かに頷いてくれた。その様子を見ていた他の人たちも若干不安そうではあるものの、言われたとおり粗末な食事に専念し始める。
「それでウル。本当に食べなくていいの? これからを考えたらあなたこそ一番食べておかなきゃいけないと思うんだけど」
そう心配そうにイスリアが言うのは、ここまでほとんどの食事を他の人に譲ったからだろう。もともと食べなくてもいいしそもそも食べるほどのものじゃなかったからそうしたけど、まあ普通は心配になるよね。ここは適当にごまかしておこう。
「四日くらい食べない程度で動けなくなるような柔な身体してないからね」
「……あなた本当に人なの?」
「種族的に燃費がいいんだ」
代わりに魔力は馬鹿喰いするけどね。まあその辺もイルナばーちゃん謹製の超高性能魔素反応炉のおかげで普段は有り余ってるからまったくもって問題なし。
「さてと、ボクも準備しよっか」
まずは手足の拘束だね。イスリアに解いてもらうこともできたけど、怪しまれないように今までずっとそのままにしている。
順当にいけば改めてイスリアに頼むことになるんだろうけど、ものは試しに今の状態で両手の縄を思いっきり引っ張ってみた。うーん、なんかけっこうミチミチ音がしてるなぁ。意外といけそう?
ならばと思って身体を巡る魔力を意識して両腕に集める。そうすれば集めた魔力に反応して両腕の赤みが急速に増していき――
ブチッっという音と共に両手を縛っていた縄が引きちぎれた。
「思ったより脆いんだね」
なんとなく呟きながら集中させた魔力を戻して残っていた縄を払い落とす。唖然とした表情でこっちを見ているみんなはあえてスルー。
続いて足の方に取りかかる。まあこっちは両手がフリーだから解けばいいだけ――ってちょっとこれ固結びじゃんしかもギュウギュウになるまでこれでもかってくらい締めてやがるし!
ああもう、頑張れば解けないこともなさそうだけど面倒くさいから方針変更!
「呼出・虚空格納」
口にしたキーワードに反応して登録した魔導回路が活性化。ちょうど胸の前の空間が大人の頭くらいの範囲で歪んだ。
これぞマキナ族奥義――なんて言うほどでもないけど特性を生かした技、その名もずばり『術式登録』だ。
体表で自在に魔導回路を描けるのがボクたちの特性で、簡単なものなら慣れればそれこそ一瞬で発動まで持って行ける。けどそれも魔導回路が複雑になればなるほどどうしてもタイムラグが発生するし、その分集中力を必要とする。何もない場合ならともかく、咄嗟の時にそれは致命的になるほどだ。そしてこのことはマキナ族のあるべき姿としては望ましくない。
そこでボクが考案したのがこの『術式登録』で、簡単な理屈としては『刷り込みと反射』だ。何度もキーワードを唱えながら繰り返し魔導回路を描き、最終的にはキーワードを唱えるだけで魔導回路の描画と術式の起動を行えるようにするのが目的。
最初はできればいいなぁくらいの気持ちで始めたけど、これが機工の身体と上手いこと噛み合って思った以上に効果を発揮したのだ。今やマキナ族の必須技能と言っても過言じゃない。
まあこの刷り込み作業がけっこうめんど――大変だから、ボクは使用頻度が高そうかつ必要な魔導回路がかなり複雑な術式しか登録してないんだけど。
で、今使ったのが指定の範囲を亜空間につなげるための術式。ここで亜空間に放り込んだ物体はいつでもどこでも取り出せるようになるっていう便利な魔導式だ。前の世界で言えば擬似的なゲームのアイテムボックスだね。服の下でうっすら光ってるのからわかるとおり、胴体および両肘両膝まで針先ほど緻密な魔導回路が走っている。
……なんで『擬似的』って付くのかって? それはこの亜空間に放り込んだ物は呼び出し用の術式に対応した魔導回路をあらかじめ組み込んでおかないと取り出せなくなるから。ちなみに何もせずに放り込んだ物体がその後どうなるのかはまだ解明されてない。
まあそれはともかく、この魔導式の性質上これ自体は目的のための前段階に過ぎない。
「武装変更・舞険士」
続けて右腕を意識しながら発した言葉に肘から先に追加で複雑な魔導回路が浮かぶ。特に隠す物のない手は明らかな緋色の煌めきに包まれた。それに導かれるように胸の前でわだかまっていた空間のゆがみが移動し、右手の先にまとわりつく。
そして手の平に触れた感触を握りしめて一息に引き抜いた。
歪みの中から滲み出るように姿を現したのは一振りの剣。パッと見たところ長剣に分類される、一般的な剣らしい剣。けれどボクの腕より少し長い刀身は一番広いところで幅が指三本程度とやや細めで、刃先から根本まで一直線かと思えば鍔の部分で急にくびれている。
両手でも片手でも持てる柄は目印になる魔導回路が刻まれた拳覆いで覆われていて、全体的な印象としては長剣と軍刀の合いの子といったところかな。銘は『スノウティア』。
「――うん、問題なし」
魔導回路への魔力供給を止めながら久しぶりに出したお気に入り武装その一を眺めた。総剛性緋白金製の刀身はカンテラの魔導器の明かりを反射して白い金属光沢を放っていて、柄に巻かれた軟性緋白金は相変わらずいい感じのグリップ力を返してくれている。何度見ても我ながらいいデザインだ。シンプルイズベスト。
「よっと」
一通り観賞して満足したので当初の目的に沿って足を縛っている縄にスノウティアを突き立てれば、文字通り快刀乱麻に拘束が解ける。よしよし、これで晴れて自由の身だ。
「じゃあ、食べ終わった人からこっちに来て。順番に縄を切って――」
そう言いながらみんなの様子を見ると思わず途中で言葉が途切れた。なぜかみなさんボクのことを見つめたまま固まっていらっしゃる。ホワイ?
「どうしたの?」
「……普通何もないところからいきなり剣が出てきたら驚くと思うんだけど」
首をかしげて尋ねると、なんとか復活したらしいイスリアがそう言った。まあそういうことならわからなくもないけど……。
「ボク、ちゃんと先に言ってたよね? 特技を使って武器を出すって」
「いやそうだけど、それ聞いてそんな立派な剣を出せるなんて思わないわよ普通! せいぜいベルトに仕込んだナイフとかかと思ってたわ!」
言っておいたはずなのにと思って確認したらなぜかイスリアに逆ギレされた。解せぬ。
「まあこんな感じでいろいろ仕込んであるから、戦力的には安心してくれていいよ」
「……そうね、そんな立派な武器が出せるなら大丈夫そうね。でも腕の方は信用してもいいの?」
「故郷じゃしょっちゅう魔物と戯れてたから問題ないよ」
マキナ族の集落は秘境まっただ中なおかげで頻繁に魔物が遊びに来たものだ。おかげで訓練相手には事欠かなかったし、何より退屈しなくてすんだんだよね。……そういえばそろそろジョン君が来る時期かな? 元気にしてるかなぁ。
――おっといけない、今は目の前のことに集中しないと。
なんとか立ち直ったみんなを食事が終わった順に戒めから解放していく。どうやら久しぶりに手足が自由に動かせることが嬉しいようで、全員にいくらか元気が戻ってきた様子だ。
「――あとはイスリアだけだね」
「そうしたいのは山々だけど、あたしのは鎖よ? さすがに無理でしょ」
そう言いながらジャラリと音のする鎖を見やる。確かに細いとはいえ真新しい鎖と鍵は生半可な刃物じゃせいぜい傷を付けるくらいしかできなさそうだ。
だがしかし、ボクのスノウティアをそんじょそこらの剣と一緒にしてもらっちゃ困るね。
「大丈夫だから。先に手の方を出して」
そう指示を出しながら腕を通してスノウティアに魔力を流す。魔力に比例して朱く輝き出す刀身をイスリアの手を縛る鎖に突き刺した。
もともと並の鋼よりよっぽど硬い剛性緋白金。さらには溜まる魔力が増えるほど硬度が増す特性に加えて緋白金自体の熱を帯びる特性も健在。つまりは一種の熱断剣と化した刃にただの鉄ごときが耐えられるはずもなく、思っていた以上にあっさりと切断できた。そのまま足の鎖もほとんど抵抗なくぶった斬る。
「ほらできた」
「なんていうか……ウル、あなたいろいろ規格外ね。ちょっと熱かったけど……ありがとう」
一瞬なんだか達観したような様子を見せたけど、自由になった手足を振って具合を確かめながらお礼を言うイスリア。そんなにたいしたことしたわけじゃないんだけどなぁ。
「まだ助かってないんだからお礼は早いよ。それじゃ、最終確認をしよう」
そう言ってみんなを促し円になって座った。
「イスリアが聞いた話によれば、今日は『儀式』とかで関係のある人たちが集まる日らしい。ボクはそれを一網打尽にしたくて、そのためにイスリアに応援を呼んでもらいたいんだ。だからまずはみんなをここから脱出させる」
これがボクの作戦――と言うにはちょっとおおざっぱだと思うけど、ともかく仮定邪教集団壊滅の計画だ。本来ならボク一人の予定だったから殲滅したあとに応援を呼ぶつもりだったけど、イスリアのおかげでボクが暴れている間に応援を呼ぶことができるようになったわけだ。
「とりあえずみんなは逃げることに専念してくれれば後はボクが何とかするよ。それでここは下水だってことはいいよね?」
「ええ、順路もちゃんと覚えたけど……これ本当に合ってるの?」
ボクの言葉にイスリアが不安そうに確認してくるけど、それも気絶したフリして運ばれた時の感覚が根拠だって言われたらしかたないか。
伝えた下水の順路はボク的にはそこそこ自信はある。ただ視界が利かなかったから角を曲がったのはわかっても、分かれ道を直進されてたりしたらさすがにお手上げだ。
「大丈夫だと思うけど、もともとそんなに距離がなかったから最悪近くの出口を探してもらうことになるかも」
「……まあそれくらいならなんとかなるでしょう。確か昨日衛生局下が臨険士に依頼する下水の定期掃討があったはずだし、危ない生き物は少ないはずだから」
ああそう言えばあったねそんな依頼。何ともタイミングがいいことだ。
……いや、むしろ仮定邪教集団もそれを狙って『儀式』とかをやってるんだろうか。いくら下水に入ってそんなに歩かなかったとはいえ、少しでも危険を減らしたいならそうするよね。
でもイスリアその依頼のことよく知ってたね。ひょっとして仕事って臨険士関係なのかな。この騒動が終わって落ち着いたら聞いてみよう。
「あとは街に出たら近くの衛兵の詰め所に駆け込んで。それで合い言葉を伝えたら応援をよこしてくれる手はずになってるから。そっちも大丈夫だよね?」
「『機工の砲声、狼を放て』でしょ、大丈夫よ」
これはもとからガイウスおじさんと打ち合わせしていたことだ。
ボクみたいな一見か弱い相手が裏組織のアジトを見つけたから来てほしいなんて言ったところで、簡単に信じてもらえるなんて思ってなかった。だからガイウスおじさんが個人的な繋がりから手を回して、この合い言葉を伝えた相手に全面協力するように要請してくれてるはずだ。
「でも衛兵を動かせるなんて……ウル、あなたどういう繋がりを持ってるの?」
「聞きたい?」
「……やめておくわ。世の中知らないことがいい方もあるって言うし」
ちょっと考えた様子だったけど、結局イスリアは首を横に振った。そっか、残念。ガイウスおじさんとのことは別にもう秘密にするようなことでもないんだけどね。
「それじゃ、あと少しだけ。『儀式』とやらが始まるまでの辛抱だよ」
最後にそう締めくくると、イスリアを含めた『贄』仲間のみんなは少し不安を残しながらもそれぞれ頷いた。
さて、これでこっちの準備はだいたいオッケーだ。いつでも来るといいよ、仮定邪教集団の皆々様。ボクがキミたちに引導を渡してあげるから。




