訪問
=============
あれからおよそ十五年。
ブレスファク王国の王都レイベアにあるレンブルク公爵家の大邸宅。
ボクは今、ある知らせを持ってここに来た。
きっちりと閉じた立派な門の脇にある大きめのひさしの下には、これ見よがしに不動の姿勢をとっている腰に剣を提げた制服姿の中年男性。たぶん門番なんだろう。そう当りをつけて用件をその人に告げるとうさんくさげな表情を隠しもしないまま、それでもちゃんと取り付けられた呼び鈴と伝声管で取り次いでくれた。最悪門前払いもあるかなと考えてたから、ちゃんと仕事をしてくれてるだけでボクとしては十分だ。
しかめっ面でこっちを見据えてくる門番の人は気にせず待つことしばらく、格子状になってる門の隙間から、見るからに執事って格好をした五十歳くらいの人が屋敷の中から出て来るのが見えた。白い髪を綺麗に撫でつけたナイスミドルだ。
その人は生け垣メインで噴水なしの前庭を急ぎ足で進んできて通用門をくぐると、門番の人と二言三言言葉を交わしてから静かな視線でこっちを上から下までじっくりと観察する。
つられて自分の身体を見下ろしてみると、少し汚れてはいるもののまだ新しいと言っていい状態の焦げ茶の外套。前をぴっちりと閉じているので中は見えず、露出しているのはおろしたてに近い頑丈そうなブーツのみ。ちなみにフード付きでそれもしっかりかぶっているため、真正面からじゃないと顔も見えないことだろう。
ただし、旅につきものの荷物の入った背嚢や鞄といったものは見える範囲にはない、まるで街の中を歩くだけのような気軽な装備。そこまで身長が高いわけじゃないから、ぱっと見じゃ近所の若者が旅人っぽい格好をしている感じになるかもしれない。少なくとも辺境からやってきたと伝えてそのまま鵜呑みにするのは無理がある。
総合評価、うさんくさい。
改めて自分の格好を見てそう批評する。必要ないからってめんどくさがらず擬装用にバックパックの一つでも持っておけばよかったかな。せめて今からでも外套を脱ごうか。
そんな風に思案していると、唐突に執事の人は口を開いた。
「魔導師イルナ様は」
「大天才」
聞き覚えのあるフレーズに対して条件反射で応じる。
「機工師イルナ様は」
「神職人」
「至高の魔導機工技匠に」
「不可能はなし」
執事の人とテンポよく交わす一つながりの台詞は、非常に気分が高揚した時にイルナばーちゃんがよく口にした決め台詞だ。最初の頃はちょっと痛々しいなぁと思ってたけど、毎回毎回清々しいほどのドヤ顔を見ている内にいつの間にか慣れていた。
ボクが詰まることなく答えきると執事の人は一つうなずき、恭しく頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。大旦那様がお会いになるそうですので、こちらへどうぞ」
いきなりなんだろうと思ってたけど、ひょっとして合い言葉代わりだった? わりとしょっちゅう言ってたけど、そんな限られた人しか知らないような台詞だったんだ。まあ、冷静に考えれば赤の他人に聞かせるには恥ずかしいよね。
一人で納得して執事の人に続いて通用門をくぐる。その時ちらっと門番の人を見てみれば、ボクの視線に気づいたらしく軽く黙礼してから再び門の脇で不動の姿勢に戻った。自分の仕事はきっちりこなし、それ以外の領分には深入りしないプロフェッショナルといった風情だ。この人、なかなか格好いい人だなぁ。
心の中で門番の人に好感度をプラスしながら、執事の人の斜め後ろを歩く。ちなみに真後ろじゃないのは何か意味があるわけじゃなく、普通に歩いてたら執事の人が自然に前を空けたため。試しに真後ろに付こうとしたらスッとずれて同じポジションをキープする。ならばとばかりに脇の生け垣まで追い詰めてみると、今度は反対側にスッと避けてやっぱり斜め前に。その間、一切後ろを振り返っていない。むむむ、この人、できる。
そんな感じでちょっと遊んでいる内に屋敷の玄関まで到着。執事の人に続いて入れば豪華なシャンデリアを備えた吹き抜けのホールが出迎えてくれた。
「わお……」
初めて目にするいかにも『お金持ちの家』といった様子に感激して思わず声が漏れる。
「お客様、外套をお預かりします」
キョロキョロと内装を見回していると女の人の声で呼びかけられたのでそっちを向いた。その先にはあらかじめ待機していたらしい侍女らしき人が人当たりのいい笑みを浮かべていた。ちなみになかなかの美人さんでおそらく十代後半、服装はメイド服、それも古式ゆかしいロングスカートタイプだ。ミニスカートも悪くはないと思うけど、ボクの好みとしては長い方がいいと思う。
まあそれはともかく、預かると言われてもわざわざそうしてもらう必要もないのにと内心首をかしげる。けどすぐに記憶の中に思い当たるものがあった。確かお高いお店とかじゃお客のコートや上着を預かってから入店してもらうことがあった。外の汚れをあまり持ち込まないようにするためだったっけ。連鎖的に近代を舞台にした映画やドラマでも、貴族の家に訪れた登場人物が自分のコートを召使いに預ける場面を見た記憶も出てきた。
わざわざ屋敷の中を汚すのも失礼だろうと納得して外套の下から腕を出し、フードを払ってから留め具を外す。
「お願いします」
そう言いながら脱いだ外套を侍女の人に渡そうとしたら、なぜかその人はボクを凝視したまま固まっていた。
首をかしげて何か変なところでもあったのかと思って服装をチェック。丈夫な生地で作った長袖の白いシャツにポケットの付いた革のベスト、幌布で作ったゆったり目のズボンを黒革製のベルトで留めている。手に着けた薄手の革手袋と書類もすっぽりサイズの斜めがけ革製肩掛け鞄が少し浮いてるかもだけど、この国では一般的な庶民が着ているような服――のはず。でも今までずっと田舎というか辺境というかもはや秘境といってもいい場所に引きこもって生活していたから、都会の普通に関してはまったくと言っていいほど自信がない。
うん、これからのことも考えればここは素直に聞いといた方がいいだろう。
「ボクの格好、どこか変なところがありますか?」
「――え、あ、いえ、その……」
なるべく気にしてないよーということを伝えるために微笑みを浮かべながら侍女の人に尋ねると、なぜだか急に顔を真っ赤にしてしどろもどろになる。解せぬ。
それでもよく見れば彼女の視線が頭部に集中してることに気づいてようやく納得がいった。
「ああ、ひょっとしてこの髪ですか? やっぱりこんな色合いの人って普通はいないもんなんですか?」
自分の後ろでくくっただけの無駄に真珠色に輝くロングヘアーな髪の毛をつまみながら確認してみるけど、侍女の人は動揺醒めやらぬらしく要領を得ない。仕方なく待ってくれている執事の人の方を向けば、なぜかこちらも軽く目を見張った様子で微動だにしない。ていうかこの人息してる? 呼吸音が聞き取れないくらい小さいんですけど?
「あのー……」
「――失礼いたしました」
心配になってもう一度声をかければ、執事の人は文字通り息を吹き返して頭を下げた。
「確かに、非常に珍しい――というよりも初めて見る御髪の色です。長年様々な方を見て参りましたが、そのような美しい御髪をお持ちの方にはついぞ覚えがありません」
一拍を置いて出てきたのは聞いてる方が恥ずかしくなるほどのベタ褒めだった。
「やっぱり、そうですか」
恥ずかしくはあるけど、やっぱり誇りある特徴を褒めてもらえるのは悪くない気分だ。ただし良くも悪くも目立つだろうことだけは再認識しておく。まあ、これからのことを考えるとわかりやすい目印になってくれるだろう。
執事の人に活を入れられた侍女の人に外套を預かってもらって先へと進む。玄関ホールの階段を上って二階へ上がると、そのまま廊下をたどって屋敷の奥の方、奥の方へ。
やがて一つの部屋の前で執事の人は足を止めた。同じく立ち止まって目的地らしい部屋の扉を見る。どっしりとした両開きの扉は派手な装飾こそないものの、うっすらと緻密な彫刻が施されている。絶対確実に値打ちものだろう。
執事の人が二度のノックの後、部屋の中に声をかけた。
「大旦那様、お客様をお連れいたしました。シュルノーム様に縁のある方と見受けられます」
扉から見てそうじゃないかなーって思ってたけど、やっぱり直接大旦那様の所まで連れてこられたらしい。こういうのって一旦応接間とかに待たすのがセオリーじゃなかったっけ、話が早くて助かるけどさ。
「入れ」
深みのある低音で返事があったのを確認した執事の人に促されて一緒に部屋へと入る。正面の壁にある窓のそばには重厚な机、両側の壁を覆う本棚とぎっしり詰まった本、脇には簡単ながら応接用らしいテーブルとソファ。見た感じザ・書斎とでも言うべき立派な部屋の主は、目の前のテーブルの向こう側に悠然と腰を下ろしていた。
年齢の割りに豊かな白い髪は艶を失っていない。深い皺の入った顔は五十代に見える。仕立ての良さそうな服を着た身体はあまり筋肉が付いてないようでスラリとしているけど、弱さは一切感じられない。貴族って聞いてまるまる肥え太った人を想像してたから予想外だ。
その人はボクの姿を見てやっぱり目を見張ったものの、すぐに我に返ったようで咳払いを一つ。
「よく来たな、イルヴェアナの子を名乗る者よ。私はヒュメル族、ブレスファク王国がレンブルク公爵家前当主、ガイウス・メラ・レンブルクである」
その自己紹介に事前情報と食い違う所があったので首をかしげる。
「『前当主』ですか?」
「そうだ、家督は七年前に息子に譲った。今は一線を退いた身だ」
それじゃ引きこもってたイルナばーちゃんが知るわけないか。納得したのでこっちも合わせて正式に名乗ろう。
「えーっと、初めまして閣下、でいいのかな。ボクはマキナ族、イルヴェアナ・シュルノームの子、ウルデウス・エクス・マキナです」
言いながらぺこりとお辞儀。この世界の人達はたいてい自分の種族のことを誇りにしているらしい。なので正式に名乗るときはまず自分の種族を示し、次いで大切にしている肩書きを述べてからフルネームを続けるという形式をとっているらしい。
「今日はイルナばーちゃんの遺言を届けに来ました」
そしてできるだけなんでもないように続けたけど、やっぱりというかその場に沈黙が訪れた。