進展
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フードを目深に被ったその後ろ姿が組合の入り口を出て視界から消えたところで、オレはようやく我に返った。
「……まさか中身があんなお嬢ちゃんだとはな」
そう口に出して苦笑した。まさかいつも被ったままなフードの中身があんな超絶美少女だとはこれっぽっちも思いもしなかった。
話しかけるたびに邪険に扱われてはいたが、ムリもねぇか。あんな見たこともねぇくらいの美形なら、見ず知らずのムサい男が近寄って来た時点で警戒して当然だ。むしろ嫌そうにとはいえ一応は会話をしてくれただけでもマシな方か。
「――あの、ロヴさん」
益体もねぇことを考えていると、おそるおそると言わんばかりの声がかけられた。
そっちの方を見やれば、以前世話を焼いたことのある駆け出しの男が腰の引けた様子で立っていた。確かアレクって言ったっけか。
「おう、お前か。悪ぃなこんなとこで威圧なんてしちまって」
「あ、はい。正直生きた心地がしませんでしたけど……そんなことより、良かったんですか? あんな子供にあそこまで言わせて」
そう尋ねてくる顔はあからさまに不満げだ。まあムリもねぇか。前に面と向かって『尊敬してます!』って言ってきたこともあるヤツだ。
オレのことを買ってくれてるってことは嬉しいんだが、そんな尊敬対象にぽっと出の新人なんかが不遜すぎる態度を取るのがムカつくんだろう。まあオレも昔は似たようなとこがあったからわからんでもねぇんだが。
「なんならいっそ、俺の方から一度ガツンと言ってやって――」
「やめとけやめとけ。そう言ってくれるのは嬉しいが、あいつにゃいくら凄んだところでなんの意味もねぇだろうよ」
勢い込んで口走るのを遮って釘を刺しておく。あのウルって新人はなよっちぃガキにしか見えねぇが、当てる気はなかったとはいえそれなりに力を込めて振り抜いた拳が目の前を通り過ぎても微動だにしなかった上、『危ないじゃないか』なんてすぐさま文句を言ってくるようなヤツだ。
あまつさえこのオレがかなり本気で不意打ち気味に威圧したってぇのに欠片もビビる様子がなかった。そんな肝っ玉に関しちゃ文句なしどころか並外れてさえいるヤツが、今更駆け出しにちっとばかり毛が生えたような相手に脅しかけられたとして、春のそよ風ほども気に留めやしねぇだろう。
「けど、いくらなんでも礼儀ってものがなってませんよ。早い内に教育しとかないといろいろ面倒なことになりますよ」
「ちょっと前のお前みてぇにか?」
「ぐ……」
なおも食い下がってくるのにからかいを込めて言い返すと言葉に詰まって視線を逸らした。そもそもこいつの世話を見てやることになったのも負けん気が強かったせいでトラブルになりかけてたところにたまたま出くわしたからだ。
こいつがここまで言うのも似たような状況の後輩に同じ轍を踏ませたくないってところか。あれからそれなりに経ったが、ちょっと見ねぇ間にずいぶんと丸くなったみてぇじゃなねぇか。
「どうしてもっつうんならオレも止めやしねぇよ。お前もそろそろいっぱしの臨険士だ。オレがあれこれ口出すのも筋違いってもんだしな。ただし――」
そう区切って間をおいてから、アレクのその顔を真っ正面から見据えて伝える。
「半端に手ぇ出したら、痛い目見るのはお前の方かもしれねぇぞ?」
「……冗談ですよね?」
「正直オレもよくわからねぇ」
見習い程度――それもあんなガキんちょに遅れを取るかもなんて言ったせいで疑わしげに聞き返してくるが、それがオレの正直な感想だ。
フード付きの外套をすっぽり被ってるなんてあからさまに目につく格好のくせに、妙に気配が薄いせいで視界に入らなきゃ気に留まりすらしない。体格の割に大人の男以上の重い足音をさせてるところを考えれば相当――いや、アホみてぇに鍛え抜いた身体なんじゃねぇかと思わせる。そして胆力は一級どころか特級品だ。
それだけ挙げりゃあの年頃にして武術の一つでも極めてんのかと疑うところ、そのくせ足捌きや身のこなしなんかは素人くさいしロクに気を張っているようにゃ見えねぇ。たぶん死角からの不意打ちとかあっさり通るだろう。オレが声かけたって話がなけりゃまず間違いなく侮られて絡まれてたにちげぇねぇ。
その存在と様子があまりにもちぐはぐで、そんなヤツが街のチンピラ連中を叩きのめしてるって話を聞いたときは耳を疑ったもんだ。さっきほんの数秒とはいえあの素顔を見た後じゃなおさらそう思う。
けど、オレの勘はこう告げていた。あいつは――ウルはただもんじゃねぇ。
「『こういうことのために生まれたんだから』――か」
なんとかなだめて仲間の元に戻るアレクを見送りながら、ヤツが最後に残した一言をなんとなく口にする。あの口ぶりからしておそらくは何か訳ありなんだろう。それがあのよくわからない、とてもじゃねぇが石ころなんて十把一絡げにできない何とも不思議な存在感の理由か。
「――ま、臨険士にゃ珍しくもねぇ話だな」
それだけ言って気分を切り替える。まああんだけ自信満々だったんだ、お手並み拝見といこうじゃねぇか。
――翌日、ここ数日毎日のように現れていたフード姿を見つけられなかった。
その日はまるまる結局組合でダベってたにも関わらず、ついに見かけることなく一日が終わった。そしてその翌日も、そのまた翌日も同様だった。
……あんにゃろう、言ったそばから下手こきやがったか?
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「……さすがにあれは意味不明だよね」
組合を出た足で宿へと向かいながらなんはなしにポツリと呟いた。予備知識もなにもなしにあんなこと言われたら誰だってポカンとするに違いない。あの人自身は信用しても良さそうだけど、あれだけ周りに人がいたんじゃそうそう広まるとやっかいなことになる話を口にできるわけがない。
まあ機会があったらボクのことも教えてあげてもいいかな。一度ガイウスおじさんと相談してみよう。
……そういえばあの人なんて名前なんだろう。今まで何度も顔を合わせてるのに名乗られた覚えがないや。そっちは今度会ったら聞いてみようか。
――そんな風につらつら考えながら歩いていると、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。反射的に立ち止まって周囲を見渡しても人影はない。あえてそういう道を選んでるから当然だけど……方向からしてそこの路地の奥かな? 何が起こったかはさっぱりだけど、トラブルには違いない。
ひょっとしたら人さらいの現場かもしれないな。そうしたらわざわざさらわれるのを待たなくてもアジトがわかるかも。これは見逃せないね。
声のした方へと急げば、途中で路地から飛び出してくる人影があった。その人は必死な様子で左右を確かめて、思わず立ち止まったボクに気づくと大急ぎで駆け寄ってくる。
「――人さらいです、助けてください!」
縁の太い眼鏡をかけた女の人がそう叫んだ途端、たった今その人が出てきた道から体格のいい厳つい男の人が三人四人と現れる。どうやら大当たりらしい。ならとりあえずあいつらを倒して締め上げて――ん? でもなにか違和感が……。
そう思ってもう目の前にまで迫ってきている女の人を見た。あんな大人の男に追われている状態で、明らかに子供の体格なボクになんの躊躇いもなく助けを求めた女の人。
改めて見たその顔が、ようやく記憶のものと一致した。
「あ――」
驚きの声を上げようとしたところで、勢いを緩めることなく正面から突っ込んできた女の人がいつの間にか手に握っていた棒きれで身体の真ん中を突いた。おうふ、こう来たか。
力を抜いた身体が崩れ落ちていく中、一仕事終えたとばかりに眼鏡を外す女の人。その顔がエリシェナの証言で描かれた人相書きと同じなのを確かめてから目を閉じる。
予定通りと言えば予定通りなんだけど……ごめんねエリシェナ、今日はお話できそうにないや。
「――あークソッ! このガキなんでこんなに重てぇんだよ!」
そんな悪態と共に一瞬の浮遊感、次いで全身に衝撃を感じてうっすらと目を開けた。
「むぐっ……」
猿ぐつわをされた口でそれっぽいうめき声を上げながらかたわらを見上げれば、ものすごく疲労困憊した様子の厳つい大男。さっきの誘拐犯一味の中にいた顔だ。
どうもお疲れ様、こんなナリだけどそのほとんどが金属――しかも比重の重い白金がベースなせいで軽く大の大人の倍以上の体重があるからね、ボク。でもそれにしても扱い酷くない? 今の完全に荷物みたいに投げ捨てくれたよね? ほら、木製の床がちょっとへこんでるよ?
まあそれはともかく現状の再確認だ。今いるのはさっきの襲撃現場にほど近い空き家の一室で、ボクは猿ぐつわの他に両手首と両足首をしっかりと縄で縛られていて、あと外套と小剣と皮胸当て、それとなぜか手袋とブーツを取られた状態だ。
――なんで起きたばかりでそこまで詳しく把握してるのかって? 気絶はおろか毒麻痺眠りに病気混乱などなど、一般的ないわゆる状態異常を完全無効化する素敵ボディをナメないでもらいたいね。なんせ機工なんだし。
その代わりに夜になっても眠れないんだけど、そこはまるまる趣味の時間に充てることで充実した生活を送ってます。文字通り二十四時間戦えるのがマキナ族のいいところだ。
そんなわけで気絶したフリをしてただけだからほとんど状況は把握できてるんだけど……なんていうか、実は意識がある状態なのに赤の他人――それも『悪人』ってわかってる相手に身体を縛られたりまさぐられたりするのって思ってたよりキツイものがあった。迂闊に動こうものならせっかくの作戦が失敗しかねなかったからなんとか我慢したけど、できればもうやりたくないなぁこれ。
「――目が覚めたようですね。見た目よりもずいぶんと丈夫なようで何よりです」
するとボクが起きた――厳密に言うと違うけどまあ起きたことに気づいたらしく女の声が聞こえた。床に転がったままそっちの方に視線を向ければ、みぞおち付近を思いっきり突いてくれた相手とバッチリご対面。
「どこから私達のことを知ったのかはわかりませんが、たった一度私達の妨害に成功したからといって調子に乗りすぎたようですね」
うっすらと微笑みを浮かべながらも淡々と告げるその目には、ちょっと恐くなるくらいなんの感情も浮かんでなかった。あれだ、『養豚場の豚を見る目』から哀れみとか同情とかそんな成分を除いたらこんな感じの目になるんじゃないかな?
せいぜい物に向かって『自分たちの役には立てよ』って思ってる程度。少なくとも人を見るような目じゃないね。いや確かにボクは機工だけどさ。むこうは知らないだろうけど。
それ以上は特に何も言うことはなかったのか、ろくに動けないボクに興味を失ったかのように男の一人に向き直って革袋を差し出した。
「まもなくこちらの手の者が参りますので、それまで少々お願いいたします。くれぐれも余計な手出しは行わないように。こちらが今回の件の対価です」
受け取った男がその場で口を開いて中身を確認している。じゃらじゃら音がすることからも考えればたっぷりとお金が詰まってるんだろうな。
「へへっ、確かに受け取ったぜ。さっき引っぺがしたこいつの装備はどうする?」
「想定していた物品は確認できませんでしたので、そちらで処分してもらって構いません」
あ、こらちょっと待て! 小剣と皮胸当ては擬装用にって適当な安物買っただけだから別にいいけど、外套と手袋とブーツはマキナ族のみんなが用意してくれたボクの一張羅なんだからね! そんな簡単に処分するとか言わないでよ!
「おいおい、いくら暴れてもムダだぜ?」
猿ぐつわを噛まされてるせいでむーむーとしか言えないボクに、近くにいた別の男がこれ見よがしに奪った小剣をもてあそびながら薄ら笑いを浮かべている。いやそっちはどうでもいいから。そんなものよりもっと外套とかの方が大事だから。くっそぅ作戦があるから今は暴れたくても暴れられないっ!!
……よし、その汚い顔は覚えたからね? この作戦が終わって一段落したら絶対取り返しに来てやる!