襲来
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「はあっ!!」
渾身の突きが石鎧熊の喉にある甲殻の隙間を穿った。本来なら確実な致命傷に悶えて死に至るはずの大熊は、しかし欠片の怯みも見せずに大口を開いてオレの頭を噛み砕こうと迫る。
「ふっ!」
だがすでにわかり切っていたことであれば対処できる程度には経験を積んできた。槍を手放さず、覆いかぶさる形になる石鎧熊の懐にあえて飛び込みながら身体全体を使って捻りを加えれば、襲い来た勢いも相まってその巨体が宙を泳ぐ。
「セ――くっ!?」
余計な力が加わらない瞬間を利用して穂先の埋まった槍を引き抜き、地響きを立てて倒れ伏した上から改めて首を狙うが、横合いから飛び掛かってきた小鬼や狼などの混成群体にやむなく退避。愛槍を縦横に振るい無秩序に襲い来る連中の手足を切り飛ばす。巨大な体躯を持つ相手よりは対処しやすいが、後から絶えなくとなれば話は違う。
「――クソっ、何がどうなっているんだ!?」
今は少しでも体力を無駄にするべきではない場面とわかっていながら、そう叫ばずにはいられなかった。
突如として発生した異様な異常発生を迎撃する緊急依頼。少なすぎるほどの猶予を経て組み上げられた即席の防衛陣形は、その始まりから暗雲が立ち込めていた。
「気を付けて! あいつら全部、動死体よ」
ほんの数分前、万全の備えなどする暇もなく駆けつけた最前線。どういうわけかいつも以上に初動の早い騎士団が敷いた防衛用陣地の中、迫りくる魔物の波頭を前にして突然発せられたのは、凛としながらも焦りを含んだ声だった。その主はシェリアとかいう赤い髪のよそ者だ。耳にする機会こそ少なかったが、その時の状況からよく記憶に残っていた。
「はあ? あんな数の動死体がいきなり湧いて出るわけねぇだろ!」
そう呆れを隠そうともしない態度で怒鳴り返したのは、オレ達よりも少し前に陣取っていた臨険士の一人だった。組合本部では中堅どころと言った、確かな実績と実力を持つ男。そしてオレが認識する中では最初に犠牲となった人間。
通常の魔物と動死体は似ているようで、倒すべき相手とするなら対処方法が大きく違ってくる。なにせ元は死体だ。被弾を無視して襲い掛かってくるような相手に戦力を削るような立ち回りが通用するはずもなく、一撃一撃で機動力を、攻撃力を、命脈そのものを確実に断つ気構えが必要になる。
だから警告を無視した者や気付かなかった者は戦い方を見誤り、勝手の違う相手に怯んで大きな隙を見せることになった。
それでも敵が単独かそれに近い程度の数なら、彼らはそこから無理なく挽回できていただろう。先達としての確かな実力を目にしていたオレはそう断言できる。
――そんな仮定の話をしたところで今この時は何の慰めにもならないというのに、オレは何を考えているんだろうか。
「クソっ――レア、フィーナ、アルエリ、ココル!!」
押し寄せる圧に耐え切れず簡易的に組まれた迎撃柵の後ろへ転がり込み、接敵の勢いのまま飲み込まれ、姿の見えなくなった仲間の名を呼ぶ。阿鼻叫喚の戦場で届くかどうかは賭けだったが、幸運にも応えが耳に届いた。
そちらを見れば少し離れた簡易迎撃柵が一つ、見慣れた強化の加護に包まれており、その傍で同じく加護を纏い、少しでも動死体を減らそうと奮戦しているレアとフィーナがいた。柵の陰には身を縮めるココルも見える。直前とはいえ動死体を想定するよう指示を出せたことが利いているのだろう。神霊式の中には不死体を滅する効果が特に強いものもある。合流できればまだ対抗できる。
「――ふぅっ!! ココル、オレにも加護を!」
「請い願う。求めるは悲しき想いを祓う願い。この身に宿るを力となし、御身の奇跡を賜らん」
覚悟を決めて再び波濤の中に躍り出て、襲い来る動死体を可能な限り行動不能にしながらなんとか仲間が死守する場にたどり着き、間髪入れない要請にも頼もしい即応が返ってくる。これでオレの愛槍も傷をつけるだけで動死体程度であれば致死となる。
「助かる! ここを頼めるか、一時的にでも退避できる場があれば違う」
「ジュダス、アルエリは?」
「彼女は機動力が命だ。戦場を駆け巡っているに決まっている!」
本来ならば荒事が苦手なココルには酷であることを承知で無理を言い、代わりのように返ってきた焦燥が滲む疑問には、自身の希望的観測をさも事実のように言ってのけてから再び飛び出した。初手を誤ったことですでに最前線の戦力が崩壊寸前なのは少し周りを見れば察せられる。そんな場面、自前で有効打を用意できる『白天の明星』が踏みとどまらなくてどうするというのか。
……だが、ここでオレ達だけが奮闘したところでどれほどのものになる? 確かに向かってくる一部はどうにか処理できているが、それよりも圧倒的な数が手の届かないところを抜けていく。未だ立て直しがうまくいっていないんだろう、後ろを振り返る余裕などないが、飛び交う怒号は少しずつ離れて行っているように思える。即席の防衛線は街に近いが、下がったところでこんな大群もろともでは街壁の中に退避することもできないだろう。
しかし大半の戦力が下がりつつあるのは事実だろう。このままでは遠くないうちに孤立することは確実だ。そうなればいかに対抗手段を持っていたとしても、終わりの見えない大群に磨り潰されるのは明らか。だが今この場を離れて後退するにも危険が大きい。神霊式によって加護を受けた迎撃柵が今のオレ達の生命線だ。わずかな時間でも退避ができ、息を整える間にココルから癒しを受けられるからこそ耐えられているのが現状。後続の戦力と合流できればある程度加護を行き渡らせることもできるが、オレ達だけでその間を無事に抜けられるか? ここにいないアルエリはどうなる? だが時間が過ぎればより合流が困難になる。
――だめだ、こうも途切れなく死を恐れない敵が押し寄せてきていては、まともに考える余裕もない。だがオレは『白天の明星』のリーダーだ。考えるのをやめるな、決断を下せ! ここに至って最善は何だ? オレを信じてついてきてくれた彼女達のためにできることは――
「レア、フィーナ! ココルを連れて後ろの連中に合流しろ! 殿はオレが――」
「『聞け、勇士達よ! お前達の役目は圧倒的な力を前にただ震えることか?』」
最良を掴み取る決断の途中、死体が発する不死体の怨嗟と戦場の喧騒が周囲に満ちているはずなのに、その声は不思議とオレの耳に届いた。
「『振り返れ、勇士達よ! 我らが背に守るは容易く諦められるものか?』」
少々気にくわない奴がまるで自分を鼓舞するかのように紡ぐ、妙に仰々しいその台詞には覚えがあった。臨険士を生業と志す者なら幾度となく耳にしただろう、吟遊詩人の定番となっている英雄譚『勇者ランドルフの冒険』。その一つである『亡国の死霊王』でも山場となる場面で放たれた言葉だ。
「『思い出せ、勇士達よ! 我らが使命は一人の英雄に全てを任せることか?』」
無尽蔵に生み出される不死体を断つべく、滅びた国に巣くう死霊王を討たんと仲間と共に向かったが、入れ替わるように死霊の軍団が隣国へと押し寄せた。
「『仮にそう問われたなら私は答えよう! 断じて否! この身は敵を打ち倒す刃なり! 無辜の民を守る大盾なり! 守護に捧げた戦士なり!』」
間に合わなかったと兵達が皆絶望に突き落とされる中、ランドルフ達を信じて己の職務を果たさんとした将軍の激励。
「『我らこそが最後の砦! いかな相手であろうとも、戦わずして負けを認めるなどあるはずもなし! 守るべきものを背に多くの友と並び立ちながら臆したとあらば、悪鬼蔓延る地へわずかな戦友と果敢に切り込んだ勇者殿にも申し訳が立たぬ!』」
その響き渡る戦士の雄叫びに、使命と覚悟を思い出した兵たちは奮い立つ。
「『剣を取れ! 鬨の声を上げよ! 我らは今を生きる民の守護者にして、未来を切り拓く戦士なり! 数のみが取り柄の過去の亡霊共に、我らが覚悟を刻み込め! だが急げよ、勇者殿がことを成す迄の短き付き合いゆえな!』」
それは物語の中の一幕、けれど応じるように轟いた鬨の声は現実の物。それはあたかも英雄譚の一節が現実に顕現したかのような錯覚をもたらした。
普通なら一人の英雄をこそ称えるのが英雄譚。だが『勇者ランドルフの冒険』では、かかわる人々までがまるでかの英雄に触発されるかのように、自らも英雄足らんと立ち上がり謳われる。
だからこそだろう、誰もが英雄足りえると背を押してくれるような物語に心動かされ、憧れた末にこの場にいるような者なら、まるで自分が物語に入り込んだようなこの状況で奮い立たないわけがない。なにせオレでさえそうなのだから。
「――撤回! あと少し、ここで踏みとどまるぞ!」
それは全体から見れば一部だろう、けれどそれで構わない。隣にいる者が勇猛を振るえば、我もと続くのが戦士の性。重なる連鎖は、崩壊しかけた戦線を必ず立て直してくれるだろう。
「ココル、銃を上空に向かって撃て! 間隔を開けて蓄魔具一つ分!」
「いいの?」
「今はそれが一番の使い道だ!」
なら、戦う者がここにいるぞと示せば、それはきっと標となるはず。この状況では効果の薄い銃でも、光弾を狼煙代わりに使えば有効だ。
そうして仲間と共に槍を振るい続ければ、徐々に押し上げられてきた戦線はやがてオレ達の元までたどり着いた。
「まっただ中に残ってる馬鹿がいるかと思ったら、『白天の明星』かよ! こんなところで孤軍奮闘とはね、ジュダス!」
「来るのが遅いぞ! たかだか動死体に崩されかけるとは、そろって引退時じゃないのか!?」
「抜かせ! てめぇみたいな腹の立つガキにばっかいいかっこさせるかよ! 交代だおらぁ!」
「待て、行くならココルから加護を――」
「あいにくこちとらお前みたいに恵まれてねぇんでな! 不死体相手だろうとやり様ってのはいくらでもあるんだよ!」
駆けつけた馴染みの先達に発破をかけられついいつも通りに言い返したが、止める間もなくさらに前へと踏み出すその姿が何故か常になくまぶしく見えた。
「――あ、ジュダスさん! さっき打ち上がった魔力弾は『白天の明星』ですか?」
「……お前か、『よそ者』」
図らずもようやくまともな休息を取る隙が得られたところへ、忌々しくも今ばかりは頼もしさを感じる声に振り返る。そうすればそこには若手のカッパーランクでありながら戦線を持ち直させた功労者、リクスとかいう凡人にしか思えない少年の姿。二人の仲間を引きつれたその顔には、数日前に決闘騒ぎまで発展した競争相手を揶揄するようなものはなく、決死の戦場で知人の無事を確かめることができた安堵だけが浮かんでいた。
「お前のことは色々と気にくわないが、あの場面で崩れかけた士気を立て直すとはな。それだけはよくやったと言ってやろう」
「え――あ。き、聞こえてたんですか!?」
「この状況で『亡国の死霊王』の国土防衛場面を吟じるとは考えたものじゃないか。なかなかの役者だったぞ」
「あ、いや、なんというか、状況が似てるなって思ったからルーレッド将軍の覚悟にあやかりたくなって、自分を勇気づけるためのつもりだったんですけど、気が付いたらなぜかみんなああなってて……」
気にくわなくとも功績は功績として称賛してみれば、まるでできの悪い言い訳のように口ごもりながら落ち着かなげに視線を逸らす。その様子を見れば、どうやら本気で意図していなかった効果が発揮されたらしい。本当に、こいつと話していると妙に調子が狂う。
「……まあ過ぎたことはもういい。前線を張る気ならココルの神霊式を受けていけ。防御が主体のお前には必要だろう」
「え? それだと彼女に負担が――」
「いい。まだいける」
明らかに攻撃力が不足している点を解消するために提案すれば、なぜか難色を示した。さっきの連中といい、なぜ人の配慮を蹴ろうとするのか。受けられる支援を受けずに屍を晒しては意味がないではないか。
しかしためらいを見せるリクスに対して、当のココルが言葉少ないながらに力強く遮った。ここまで食い気味に反応するのは珍しい。何か琴線に触れることでもあっただろうか?
「でも、さすがに――」
「おーい、リクス。さすがにこの状況だぜ? 本人もいいって言ってんだし、神霊式くらい大人しく受けとけよ。俺らの実力からしてどう考えてもそっちの方が生存率高いだろう」
それでもなお誇示しようとする奴を、後ろからしゃしゃり出てきたもう一人がたしなめた。確かケレンと言ったか? 活躍の割に態度の大きすぎる奴だとは思っていたが、意外にも最も臨険士らしい感覚を持っているようだ。
「こんなところでのんきに問答をしている時間もないだろう。黙って受けておけ」
念のためもう一度促しておいてから体の具合を確かめた。さすがに小休止で回復しきることはないが、この程度ならまだ問題なく戦える。
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