思索
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「――なのに気が付いたら吹っ飛んでたのは二人の方でね! でもウルさんはそんなのあたりまえって感じで涼しい顔しててさ!」
「まあ、それはなんとも」
どこか興奮冷めやらぬ学生の語る内容に驚きを示して見せれば、期待していた反応を得られた彼女は促すまでもなく、つたないながらも仔細を熱心に伝えようとしてくださいます。本日はあの留学生のお二人が戦技科を受講すると聞いていたので、何か目新しいことがあればと思い戦技科に所属する彼女に声をかけたのですが、予想だにしない収穫が得られました。
正直なところ目に負えぬほどの速さで動くだとか、頑丈なはずの木剣が根元から折れるだとか、挙句の果てに人が宙を高々と舞うだとか、耳を疑うような話ばかりです。しかしながら彼女の熱心な語り口調からして、実体験とその感動を伝えようと腐心していることは歴然です。
だとするなら、いくら信じ難いこととはいえまごうことなき事実なのでしょう。武芸に疎いわたくしでは想像も難しいところですが、一流の武人であれば鋼をも容易く切り裂くとも聞きますゆえ、決してありえないことではないのでしょう。
「――それにしても、貴族様って大変なのね。所属科の違う子の様子も知っとかなきゃいけないなんて」
「そんな、大変なことだという認識はありませんわ。新たな朋友が慣れぬ環境に苦慮していらっしゃらないか、それを気にかけないなどわたくしには考えられないことですから」
「あはは、そういうのを当然だって思えること自体がすごいのよ。アタシだったら『勝手にやってるでしょ』って放っておくのが関の山だろうし」
話が一区切りついたところで、他者の動向を第三者を通して窺うという行い対してなにか思うところがったのでしょう、首をかしげる彼女へ耳触りの良い建前を述べます。そうすれば想定通りに感銘を受けたようで、朗らかな笑顔と共にそんなことをおっしゃりました。
「人には性分というものがありますから。あなたの方針も、過度な干渉を控えるという意味では適切でしょう」
「そんなもんなのかな――っとと、もうこんな時間!? うわ、夕食に遅れる!」
「あら、もうそんなに。長々とお引き留めして申し訳ありません」
「ああ、いいのいいの。ついしゃべり過ぎちゃったのはあたしの方だし、お茶菓子おいしかったし」
「こちらもお話をありがとうございます。大変参考になりました」
「それならよかった! じゃあ、あたしは寮に戻るね」
そうして東屋に差し込む陽の光が随分傾いたことに気づいた彼女は、慌てたように席を立って謝辞を述べると風のように駆け去っていきました。聞くところによると、オブリビアン寮以外では好むものを食べるために日々熾烈な争奪戦が繰り広げられているとか。正直なところ理解に苦しむのですが、好物を食べ損ねたという話を知己にする彼ら彼女らは、悔しそうである半面どこか楽しそうにも見えるため、いささか興味があります。
それはそれとして、今回は思った以上に有意義なお話を聞くことができました。
「……ひとまず、ウル様がエリシェナ様の護衛であることは間違いないでしょう」
これまで見聞きしたあの二人の様子と、先ほどの証言から考えられる結論を整理して口にします。これに関しては特に珍しい話でもないでしょう。従者としてでは同行が制限される場合もあることは当たり前ですから、より身近な護衛となれば同じく学生とするのが必然です。わたくしも同様ですし、おそらくフィリプス様とドランツ様の関係も同様でしょう。
もっとも、十全な警備の敷かれた学園では多少の実力不足は問題とならないため、内々への喧伝や務めの一環としての意味合いが強いことも否めませんが。それを思えば護衛本来の役目を全うすることが叶うウル様は特殊な例かもしれません。
しかしながら――いえ、だからこそでしょうか。あのお二人の特異さがより一層浮き彫りになっています。
わたくしも国を代表する立場として、ブレスファク王国で位階の高い貴族とその親族は一通り頭に入れております。それに照らし合わせれば、『エリシェナ』という名の令嬢はレンブルク公爵家に連なる方のみ。聞き及ぶ年頃も一致いたしますし、何よりフィリプス様と幼少より親しくされていたことが明らかなのですから間違いないでしょう。
おそらくは最大の障害となる可能性が高い方ですが、同時にこちらに取り込むことができれば心強い味方となってくれることでしょう。もし彼女だけであったならば、正攻法で挑むことができたはずです。
しかしながら、あのウルという風変わりな令嬢が不確定要素となってしまい、状況を読み切れなくなっているのが問題なのです。
まず、記憶したブレスファク王国貴族の中に名前やそのほかの情報が見当たらないことから、上級の貴族やその直系でないことは確実です。しかしながら、それでは下級の貴族なのかと言えば、そうとも言い切れない理由があります。
一見エリシェナ様が常に前へと立ち、ウル様は位階の低いがごとく後ろに控えています。ですが、注意してお二人のやり取りを見れば、エリシェナ様の言葉の端々からは滲み出る親しみと憧憬が、ウル様の言動からは親しくも庇護すべき者へ向ける友愛が見て取れます。仮にウル様の出自が下級の貴族とすれば、上位の者への不敬と取られかねない態度をなすはずがありませんし、エリシェナ様も寛容に許しを与えることはあっても、表立っての憧れを向けるようなことはなさらないはずです。
おそらくではありますが、今の立ち位置は必要あって演じているのでしょう。本来の立場は逆か、少なくとも対等に近いものと考えるのが妥当です。ですが、それでは上級貴族に該当者がいない点と矛盾します。
「――となれば、外部の?」
貴族であるという前提が矛盾をもたらすならば、まずはそちらを疑ってかかるべきでしょう。オブリビアン寮は主に貴族層の学生が利用していますが、だからと言って貴族専用というわけではないのです。単純に貴族の生活様式に沿う形で過ごせるように用意されているのがオブリビアン寮というだけであり、一般の寮よりも高額な費用を継続的に支払えるなら、市民であっても入寮は可能なのです。もっとも、そんな資金をかけてまで慣れぬ貴族様式の生活を送りたいという方は極めて稀なのですが。
それはそれとして、貴族でないとすれば……やはり真っ先に候補に挙がるのは臨険士でしょうか。容姿から推察される年齢に目をつむれば、常識外れな武人の代名詞と言っても過言ではありませんから。
そして臨険士ならば符合する点もあります。戦闘能力に関して、聞くところによれば護衛依頼を受領できるシルバーランクの臨険士の実力は、騎士で例えるならばおおむね正騎士相当とされています。ウル様がそれ以上とするならば、従騎士であるドランツ様を容易く下すほどの武力も当然でしょう。
そして事前に耳にした話では留学生は一人のはずでしたが、そこへ急遽学生だけが一名追加されたとのことでした。高位の臨険士ならば一所に留まらない方が多いと聞きますし、そう言った方と間際になって都合をつけられたとすれば辻褄は合います。貴族ならば必ず一人は付くはずの従者を伴わないのも、雑事を腹心に任せるという習慣がなく、全てを自身の手でこなすのが当たり前であるならば頷けます。
何より、高位の臨険士はどの国でも貴族と同等に扱われる場合がほとんどです。最上位ともなれば王にすら意見を通せるほどなのですから、公爵家であっても無碍にできるものではないでしょう。
あとは見た目がそぐわないという問題は残りますが、臨険士だとすれば長命であったり、老化の緩やかな種族である可能性も高くなります。
……しかしながら、これでも解せない点が一つ。
「――そうでありながら、どのようにしてあれほどの教養を……」
学園には現役の高位の臨険士が何らかの事情によって入学する例も、多くはありませんが存在します。しかしながらそういった方々も、教養科の講義に頭を抱えて唸り出すことがほとんどだと聞き及んでいます。おそらく、そういった方は書面上の複雑なやり取りなどは組合に一任されているのでしょう。
そんな学園の求める水準を揶揄する例え話になるほどの講義を、ウル様は何でもないようにこなしていらっしゃいました。さらには二日目にして免除試験を受け、問題なく通過してしまっています。
加えて経済科という、おそらく臨険士の方には最も縁遠い講義に関しても完全に理解していらっしゃるようでした。それどころか、わたくしの目が確かならばどこか物足りなそうな様子さえ見受けられました。
教養や知識などはそれを習うことのできる環境があれば身に着けることはできるでしょう。しかしながら高位の貴族にも勝る水準で、しかも類稀なる武力と併せてあの年頃で身に着けることができるかとなれば、誰にでも叶うことではないでしょう。それこそ天賦の才が無ければ。
若くして武に秀で、知においても貴族に劣ることなく、あまつさえ公爵令嬢に並び立って勝るほど際立って容姿端麗。
「――まるで絵に描いたような『英傑』ですね」
まるでそうあるべしと創り出されたかのようなありように、ふと英雄譚の一場面が思い浮かびました。が、すぐに何を馬鹿なと益体のない考えを振り払って思考を戻します。
ともかくとして、ウル様は高位の臨険士である――これが最も辻褄の合う可能性に思えますが、安易な断定は避けるべきでしょう。他に考えられる可能性としては……高位の貴族であるが、わたくしでは知りえなかった。つまるところ落胤である場合。それが何らかの事情により本来の身分として取り立てられたとすれば。
そうであるならばわたくしが知らぬのも無理のない話ですが、当人の間ではその限りでもないでしょう。推測したお二人の関係とレンブルク公爵家の序列からして、当の公爵家か王族の血筋に限定されます。
……少々苦しいですね。どちらもヒュメル族の家系であり、数世代にさかのぼっても他種族と婚姻を結んだという話はないはずです。ならばウル様もヒュメル族となりますが、そうなればあの年齢であれほど傑出している理由がわからなくなります。本人の才があったとしても、同等の環境を与えられるのであれば、フィリプス様やエリシェナ様ならば今よりももっと高みに居られることでしょう。
あとは新興の上級貴族家――家格からしてレンブルク公爵家に劣るのは間違いありませんし、ブレスファク王国のそれであればわたくしの耳にも入るはずです。他国の王侯貴族――他の大国でもその名はありませんし、小国では王族でなければ格が足りず、そもそもあれほどの逸材を自国でなくブレスファク王国からとする理由がありません。
「――やはり臨険士でしょうか」
思索の末、結局その結論に辿り着きます。それもおそらくはどこかの高位貴族家から出奔された。ない話ではありませんし、それを恥として隠匿されてしまっては、自国ならともかくとして他国のものでは知りようがありません。故に、これが最も可能性が高い話となります。
もちろん推測の域を出ていないことは承知していますが、それを前提として接することを心掛けたほうが用意でしょう。なにせ臨険士とは貴族とは異なる価値観を持つ人種です。ましてや高位のそれともなれば、普段のように振舞うだけではいらぬ誤解や反感を買う恐れすらあります。
「――『竜を討ちたくば先ず翼を破れ』、ですね」
何事にも手順といったものは重要です。エリシェナ様を取り込むには、まずウル様からでしょう。しかも天の配剤か、社交科での様子を見る限り貴族のそれに疎いご様子。おそらくはその辺りも出奔された一因なのでしょう。
疎い故に直接的な駆け引きがあまり効果を見込めないのは残念ですが、講義での実践を口実に守り導くことで信頼を得ることは難しくないと考えられます。
そしてエリシェナ様も、寝室という貴族であるなら唯一自身をさらけ出せる場で、共に寝起きすることを許されるほどの方からの言葉であれば、例え敵となる者からのものであったとしても無碍にはなされないでしょう。
「姫様」
強敵と目される方の調略に光明が見えたことに知らず笑みを浮かべた時、傍らで控えていたフランカから声がかかり、視線を上げました。そうすれば目的の人物が二人、そろってこちらの方へと歩いてきているのが目に留まります。やはり、まだ校舎に残っていらっしゃいましたか。
今わたくしがいる東屋は、オブリビアン寮へ向かう際に必ず通らなければならない道に面しているのです。時間を考えればまだお戻りになっていないと踏み、わざわざここを選んで待ち受けていた甲斐がありました。
「ありがとうございます、フランカ。ですが、ここでその呼称はいけませんよ」
「申し訳ございません、姫様」
感謝と合わせて苦言を伝えますが、どうやら悪びれる様子のないところからして改める気はないようです。それを仕方がないと苦笑で済ませてしまうあたり、気心の知れた従者というものも少々考え物でしょうか。
何はともあれ、待ちわびた機会に相違はありません。頃合いを見計らって席を立つと、自然に合流できるよう東屋を出ます。
「あら、リュミアーゼ様。ごきげんよう」
「まあ、エリシェナ様。ごきげんよう。本日は武芸科での講義とお聞きしていましたが、いかがでしたか?」
「はい、幼少より抱いていた夢の一つが思わぬ形で叶うという機会に恵まれ、非常に有意義でした」
「それはそれは――」
いずれ雌雄を決さねばならないお相手ではありますが、今はまだ攻め時ではないと逸る気持ちを抑え、当たり障りなく挨拶を交わします。ですが、そんなわたくしにウル様からの視線が突き刺さるように感じます。
同じものはわたくしが東屋で立ち上がってから感じておりました。おそらくはわたくしがお二人に気づいた時点で、すでにウル様はわたくしの存在を認知していらっしゃったのでしょう。こんなところで類い稀なる武人らしさを見せつけられるとは思いませんでした。
少々目元が険しいのは、わたくしのことを警戒していらっしゃるのでしょう。おそらくこれまでで何かしら、ウル様にとっての粗相をしてしまっていたからと考えられます。なかなか難しい状態ですが、だからと言って挑む前から諦めるという選択肢はありません。
「――時に、エリシェナ様。明日は学院の休養日となっておりますが、どのように過ごされるおつもりでしょう?」
「そうですね。このような機会はそうそうないことですので、街を散策してみようかと考えております。不慣れな場所ではありますが、何か心躍るものが見つかれば良いと期待しております」
自然にオブリビアン寮への帰路を同道しながら、その途中で何気なく本題を切り出しました。それに対して返ってきた答えは予想通りのものです。そして、これこそが今回のわたくしの目的でもあります。
休養日ともなれば、学生の多くは街へ繰り出し英気を養うのが常です。ご本人も案内人をお望みのようですし、例えるなら今はまだ前哨戦の段階。お二人と親交を深める絶好の機会を逃す手はありません。わたくしの次の言葉は決まっているようなものです。
「まあ、それはとても素敵に思えます。もしよろしければ、わたくしもご一緒させてくださいませんか?」
いつものごとく優雅な笑みを浮かべ、望む未来への一手を打ちます。これまで少しずつ積み重ねてきたわたくしの計画、この程度で水泡に帰してたまるものですか。