講義
いやー、社交科の講義すごいね。まさかマジでお茶会を実践するとは思わなかったよ。しかも今の能力を見るとかいう理由でエリシェナがホスト役に指名されてさ。
おかげでゲストの一人になる羽目になったボクは、内心冷や汗をダラダラ流しながら必死に愛想笑いを維持していた。イルナばーちゃんの研究所に生まれて現役で臨険士やってる人間に、格式高いお作法とか無茶ぶり過ぎるよ。機工の身体じゃなかったら背中が汗でぐっしょりしてたことだろう。
せっかく貴族の令嬢っぽく見えるようにしてきたのに、早くも馬脚を現すことになるのかと思ったけど、意外というかなんというか、エリシェナの代わりにリュミアーゼがつきっきりでフォローしてくれたおかげで、なんとかギリギリ大失敗をやらかさずに乗り切ることができたのだった。いやホント、怖いくらい親切だったね。
講義の担当教諭だったグリンディアさんがエリシェナに「大変結構です」っていうお褒めの言葉を送ってお開きになった後、お茶会実習第二弾の準備中はエリシェナともども気遣ってくれたしで、ちょっと警戒してるのが申し訳ない気分にもなったよ。
……でもなー。貴族って笑顔の裏で陰謀張り巡らせるような人種でしょ? 前の世界の知識からくる偏見がけっこうあるのは自覚してるけど、公爵閣下とかわりと典型だと思うんだ。そう考えると、今の親し気な態度よりはあの一瞬の目つきの方が本音なんじゃないかって気がしてならないわけで。
そんなボクの心境を知ってか知らずか、お茶会実習が再会したら今度は三人ともゲスト側で、エリシェナもリュミアーゼもこれ以上ないくらい親し気にしてたんだよね。さすがに本人がいる場で『あいつちょっとヤバいんじゃない?』なんて言い出す勇気はなかったので、部屋に戻ってからにすることに決めた。
ちなみにお茶会の方だけど、最初がブレスファク王国式だったため、二回目はグラフト帝国式のを体験することになった。いろいろな国のやり方を知るのは確かに勉強になるだろうけど、お茶会の余興の演武と称してお付きの人がガチにしか見えない決闘やり始めた時は危うくお茶を吹き出すところだったよ。さすが脳筋国家、いい意味でも悪い意味でもブレないね。
それはそれとして、寮に戻ってから予定通りに『ああ見えてリュミアーゼは何か企んでる』って伝えたところ、エリシェナは『この人はなぜそんなに当たり前のことを言っているんだろう』って顔をしながら「ええ、そうですね」って普通に返事して下さった。もうね、ボクの懸念を問題としてすら認識していない感じがね。
そんなあまりの温度差に認識のすり合わせを試みた結果、どうやら貴族の間では友好的に接してくる相手は、腹の内で何か企んでいるのが大前提らしい。
そして自分も笑顔の下に思惑を隠しながら言葉を交わす、見えない戦いこそが社交の神髄だって公爵閣下から教わったそうだ。なにそれ怖い。絶対貴族なんかになりたくないって改めて思ったね。
そんな風に初日を乗り切り、次の日はさっそく教養科の免除試験を申請して、その場で二人仲良くテストを受けた。前の世界の記憶にある大学入試と比べたら簡単すぎるんだから、ボクは当然合格。エリシェナも涼しい顔でパスしたから、これでボクたちも朝から専門コースの講義を受けられるようになったわけだ。やったね!
ちなみにリュミアーゼはとっくの昔に免除資格を獲得して、昨日はわざわざボクたちと接触するために講義を受けていたらしい。だからその日は前日に約束していた通り、お昼ご飯から合流して貴族的に親睦を深めて、そのまま示し合わせて経済科の講義を受けた。講義の内容的には桁の増えた計算と、並べられた数値から推移の未来予測ってとこかな?
周りを見たら教材に混ざってたそろばんっぽいのを使ってたけど、結局四則演算から抜けないから、ボクとしては使い慣れない計算機よりも暗算の方が断然早かったりした。
あと、推移を予測するならグラフにすればいいのにって思ったけど、どうもそういう概念からして存在しない雰囲気だった。そういえばイルナばーちゃんも知らなかったっけ? ボクが教えたら『断然わかりやすくなった!』って大絶賛してたし。うん、前の世界の記憶がこの世界だと大概チートっていうのがよくわかるね。
そして講義三日目。教養科を受けなくてよくなったおかげで朝から専門科に直行は特に問題ないんだけど、メイン科目の社交科か経済科だと思いきや――
「なんで戦技科……なんですか、エリシェナ?」
ワーワーと歓声怒声が入り混じった喧噪をぼんやり聞きながら木剣を受け止め、ゆっくり押し返すと同時にふと今更な言葉がついて出た。いやまあ一度講義を受けてみて問題なさそうだって判断したとのことだから、他の学科にも出入り自由っていう留学生特権を思う存分活用したいのはわかる。けどなぜ真っ先に戦技科? 冒険譚好きが高じて運動がてら剣術を嗜んでるっていうのは聞いてるけど、体を動かしてないと落ち着かないって性格じゃないでしょ?
「ウル様がお嫌いではないかと思いまして」
押し返された木剣をそれなりに素早く引き戻したエリシェナは、返すボクのゆったりした打ち込みを防ぎながらニッコリとほほ笑んだ。戦技科ってことで絶賛訓練中なわけだけど、たしなみ程度のエリシェナが余裕を見せていられるのはこれが型稽古の一種だからだ。一手ごとに攻守を交代しながら互いにゆっくりと木剣を振ってるから、多少体力があれば息も上がらないくらいの運動量しかない。
まあいわゆる準備運動の一つだね。ボクは型を知らないからエリシェナの動きに合わせてるだけだけど、それだけだと面白くないからなるべくきれいに見えるように動きに気を使ってみている。ちょっとした身体制御の練習というわけだ。
公爵家から持ち込んだおそろいの運動着まで着てなんでそんなことやってるかって言えば、普通に講義の一環だ。屋外訓練場で少人数チーム同士による陣取り合戦が今回の講義内容らしいんだけど、実力未知数の留学生にさっそく大乱闘に参加しろっていうのも無茶な話。だから最初は見学がてらウォーミングアップをっていうのが担当教諭の指示だった。
ちなみに他の生徒はほとんどが絶賛バトル中だ。社交科も富裕層の一般学生がいたけど、戦技科は輪をかけて一般学生が多いせいか雰囲気もかなーり荒っぽい。ボクとしては臨険士組合を思い出すから嫌いじゃないけどね、この空気。
「もともと今回はわたしのわがままにお付き合いいただいていることですし、ウル様に少しでも楽しんでもらえればと」
「ボクの方は最初から好きでやってるようなものですから、そんなこと気にしなくていいんですよ」
「それではわたしの気持ちが収まりませんから。それに、本来の目的を考えるならば、多少実力を示しておいた方が牽制にもなってお役に立てるかと考えました」
「なるほど、一理ありますね」
型稽古をしながらそんなもっともらしいことを言ってくれるだけど、僕の目はごまかせないよ? 冒険譚をせがむ時並みにソワソワしてるのを見れば、やけに正当性を主張するのは建前なんだってすぐわかる。
「それで本音は?」
「突如現れた可憐な少女が並み居る実力者を次々に打ち負かすなんて言う物語でしか見ることが叶わないような状況を実際に見ることができるのですから見たいと思うのは当然だと思いませんか?」
「わかる……ります」
軽く聞いてみれば案の定というか、輝かんばかりのいい笑顔で早口にまくし立てられて、その内容に思わず素で返事しちゃったもんだからあわててごまかした。うんうん、物語のテンプレートをリアルで目撃できたら妙にテンション上がるよね! 気の多いボクでさえそうなんだから、生粋の英雄譚愛好家なエリシェナの期待度が知れようというもの。
ボクが当事者っていうのがあれだけど、建前の方の言い分もきっちり筋は通っているし、エリシェナにもぜひそのワクワクを味わってみて欲しいし、ここはいっちょ『突如現れた可憐な少女』として頑張りますか。
そんな感じで密かに決意を固めていると、がっしりした壮年の男の人が近づいてきた。
「おう、留学生。体は十分にほぐれたか? そろそろ実力を見させてもらうぞ!」
教官役の元傭兵ゴドフリーが、見た目まんまの伝法な口調でそう言ってきたので型稽古にキリをつけると、混戦模様のフィールドから離れて端の方に移動する。そうすれば対戦相手を見繕ってきたゴドフリーがすぐにやってきた。
「やあ、エリシェナ嬢。君の相手は私が務めることになったよ」
「そしてあなたの相手は俺です、ウル嬢」
顔見知りの方がやりやすいっていう配慮なのか、連れてこられたのはフィリプスにドランツ。確かに二人とも戦技科所属してたね。昨日の時点で戦技科に顔を出すってエリシェナが伝えてたし、わざわざ合わせてくれたんだろう。
さっそくエリシェナからお手合わせだ。と言ってもエリシェナの剣術は護衛が助けることを前提とした護身がメインの時間稼ぎ用みたいだし、実力的にもカイウスより下くらいに見える。本人は結構頑張ってたようだけど、優雅に攻めてくるフィリプスの剣を捌ききれなくなるのに大して時間はかからなかった。まあ、エリシェナにとって剣術はあくまで趣味の範囲だから仕方ないよね。
「いや、安心したよ。私では手の付けられないお転婆になっていてはたまらないと思っていたところなのだ」
「まあそんな。フィリプス様ほどの方にわたしの細腕で敵うはずがございません」
そしてこんな時でも忘れないに貴族スマイルとトークを聞いてから立ち位置を交代。ドランツは貴族と言っても武闘派のようで、身長的にはフィリプスより少し高いくらいだけど、鍛えられてるせいで横幅が倍くらい違う。小柄なボクからすればなかなかの威圧感があるけど、人懐っこそうな笑顔がそれを和らげてる感じがするね。
「さてと、エリシェナ嬢はあまり戦技科に向いていないようだが、君はどうだい、ウル嬢?」
「まあ、問題ないと思います。なんせ一番の特技ですから」
「はは、それはいい。ならお手並み拝見としよう。好きに打ちかかってきてくれ」
そんなことを聞かれて肩をすくめつつ応えると、快活に笑ったドランツは木剣を両手に握って構えた。サイズ的には長剣サイズだから片手でも扱えるだろうけど、しっかりと両手持ちにするのは騎士剣術によくあるスタイルだね。ガイウスおじさん家の騎士の人たちは大体このタイプだ。
余裕ありげな態度に反してしっかりとボクの出方をうかがってるところを見れば意外と隙のない性格なのかもしれないけど……さて、どんなものだろうか。
「じゃあ遠慮なく」
エリシェナからのオーダーもあったし、わざわざくれた有利を捨てるなんてもったいないことをするつもりはない。木剣は片手に持って自然体にしたままで軽く本気を出して踏み込めば、一歩目が地面に着くころにはドランツが触れ合える距離にいる。
肝心のドランツはと言えば、予想外って感じで目を見開きつつも反射的に木剣を振り始めていた。この前の後輩君たちに比べたらかなりマシなようだけど、この距離でいまさらそんな反応しても遅い。こっちの木剣を下から打ち合わせてやれば、当然のように威力を受けきれず腕ごと跳ねあがった。
それでもたたらを踏むだけで尻もちをつかないところはさすがに鍛えてあるなって感心できたけど、ボクからしたら隙だらけなのには変わりない。空いてる手でがら空きのお腹を軽く押してあげれば、ケレンお墨付きの馬鹿力に耐え切れなくなって背中から地面に倒れこむ。
「満足してもらえましたか?」
とっさに受け身を取ってそのまま起き上がろうとしたみたいだけど、それよりも先に喉元に木剣を突き付けてニッコリ笑ってみる。チラッと見ればエリシェナが目を輝かせてるから、お望みの強者感は出せたみたいだね。
「……参ったな。降参だよ」
思わぬ結果が受け止められなかったのかしばらく呆然としてたドランツは、けれどわりとあっさり負けを認めると木剣を手放して両手を上げて見せた。こういうポーズも世界が変わっても変わらないんだね。
「すごいな、ウル嬢は。俺はこれでも戦技科では上から数えたほうが早いくらいの実力を持っているつもりだったのだが、まるで型なしだ」
「まあ、先手を譲られましたから」
「謙遜することはない。仮にこちらが先手だとしても、まるで勝てる気がしないぞ」
これ以上突き付ける意味のない木剣を引くと、立ち上がりながら称賛を向けてくるドランツ。かなり鍛えてわざわざ戦技科にまで所属してるんだから、やっぱり強さに一角ならぬ思いがあるんだろう、その目がまるで憧れの英雄に出会った少年のように輝いている。ガンブレードを受け取ったどっかのプラチナランクみたい……いや、この精悍な好青年をあの山賊フェイスと比べるのはかわいそうか。
「ウル嬢。負けた身で恐縮だが、叶うならもう一勝負願えないだろうか?」
「? 先に仕掛けられても負けるってわかっているんですよね?」
とりあえず実力は示せただろうと思ってエリシェナの元まで戻ろうとしたら、ドランツからそんな提案を受けた。まさか痛めつけられるのが好きなんて特殊性癖の持ち主かと心持ち身を引いたけど、そんな疑惑を知ってか知らずか熱く訴えるドランツ。
「ああ、今の俺程度では完膚なきまでに負けるだろう。だがたまさか巡り合うことのできた強者と立ち合える機会だ。君さえよければ可能な限り糧にしたい!」
負けること前提で、それでも強くなるためになんて、まるでどこかのリクスみたいだね。ある意味別ベクトルでのドMだけど、その心意気は嫌いじゃないよ。
「そういうことならボクはいいですけど……えーっとゴドフリー先生、いいんですか?」
「ああ、存分にやってくれて構わん! むしろぜひオレもお前の戦いを見てみたいものだ!」
一応この場の責任者に確認を入れたところ、むしろいい笑顔でサムズアップをくれた。その表現もあるんだね。エリシェナにも視線をやってみたところ、両手をグッとして期待に満ちた目を向けてくれている。『探査』の魔導式は常駐してるから護衛に関しても問題はないし……オーケー、いっちょ期待に応えるとしますか。