歓迎
教材と言っても、前の世界の記憶にある学校みたいに山ほどの教科書が積み上げられてるわけじゃない。むしろ本的なのは『オーベルド大陸史』っていう歴史の教科書っぽいやつくらいで、他にはちょっとしたドレスやティーカップに化粧道具、算盤みたいな計算機っぽい道具にペンと大量の紙束とファイルっぽいやつなどなどって感じで、ほとんどが実用品だ。
この世界でも製紙技術と活版印刷はある程度普及してるから、本が庶民だと手の出ないような高級品って程でもない。だから教科書くらい配布されてもいいように思うけど、そうでもないのは徒弟制度の方がまだまだ圧倒的現役だからじゃないかな?
この世界基準じゃ知識や技術がそのままアドバンテージになるんだから、本にして不特定多数に知られるようになるのは避けようとするのは当然だろう。イルナばーちゃんですらボクにいろいろ仕込んでくれる時は、そのたびに口頭だったり書き出したりしてたくらいだしね。無造作に知識を拡散できる前の世界の方が特殊なんだと思う今日この頃。
そういえばオーラル学院の授業だけど、システム的には前の世界の知識にある大学に近いようだ。入学したら必ず所属しなくちゃならない教養科を基本として、魔導科や戦技科、調薬科や鍛冶科などなど、学生が身に着けたい専門知識や技能に関係する学科に所属して、それぞれ必要な授業を選んで受けることになるとのこと。内容自体は課題達成型なので、大体一日ごとに受ける学科を回すことになるそうだ。
ちなみにエリシェナは留学中、教養科と社交科、経済科に所属予定とのことで、護衛のボクも同じになっている。加えて留学生待遇ってことで、余裕があるようなら他の学科の授業も体験できるそうだ。そしてエリシェナ自身はいろいろと見て回る気満々みたいだね。
だから教材は所属が確定してる学科で必要な物ってことになるけど……それにしたってドレスとティーカップってどうよ? たぶん社交科のやつなんだろうけど、授業でお茶会でもするのかな?
そんな感じでしげしげと教材を眺めているうちにウィニアさんが戻ってきたので、入れてもらったお茶を飲みながら学院生活への期待を語り合っていると、いい感じに日が傾いてきた。そうすると『探査』にもだんだん人の反応が増えてきて、学生が帰ってきてるんだなってことがなんとなくわかった。
そしてある時を境にオブリビアン寮の住人たちの反応が多目的ホールに向かい始め、しばらくするとほとんどがそこに集まった。すると見計らったかのようなタイミングでウィニアさんが「お嬢様方、そろそろお食事会のお時間です」なんて言って多目的ホールに向かうことを促してくる。どうやら付き人ってことで、荷解きの後に食事会についていろいろ通達されたらしい。うん、メイドさんらしいお仕事だね。
まあグリンディアさんから予告もされてたから、特に否やってわけもなし。ついでにドレスコードは学生なら制服に限るとのことだったので、帽子だけ部屋に置いてから三人で軽く打合せしつつ多目的ホールへと向かった。お食事会ってことだし、今は食堂として使われてるんじゃないかな?
そうして再び玄関ホールまでやってきたところで、多目的ホールの入り口にグリンディアさんが待ち構えていた。すぐ横にある扉の向こうからはガヤガヤと、たくさんの人が発するざわめきが騒々しくないレベルで漏れ聞こえてきている。
「よくぞおいでなさいました。旅の疲れは和らぎましたか?」
「お気遣い、ありがたく存じます。お陰様で心安らぐひと時を過ごすことができました。この度はお食事会とのことでしたので、心待ちにしておりました」
「ご期待に沿えれば幸いです。ご実家に比べればささやかな物でしょうが、住人一同より心からの歓迎を示すものです。どうぞお楽しみください」
そんなやり取りを交わしたグリンディアさんは、どこからかベルのような物を取り出すと軽く振る。そうすればリィンと澄んだ音が意外な大きさで鳴り響き、それが聞こえたのか聞こえていたざわめきがピタリと止んだ。
「では、参りましょう。事前に説明されたかと思いますが、名乗りの作法にはくれぐれも注意してください」
そしてグリンディアさんが言い終えると同時に目の前の扉が独りでに開きだした。単純にドアマン役の人が開けてくれてるだけなのが『探査』の反応からわかってるんだけど、自分の手で開けないでいいっていうのはなんとなく貴族仕様っぽいね。
静々と多目的ホールに入場していくグリンディアさんに続きながら、視線だけ動かしてざっと中の様子を確認した。広々とした空間にきれいに盛り付けられた料理を載せたテーブルが規則的に並んでいるんだけど、椅子とかは壁際にひっそりと設置されている。当然ながらホールに散らばる寮生たちは全員が姿勢よく立っている状態だ。これもう食堂じゃなくて完全にパーティー会場だね、立食形式のヤツ。
見た感じだと直前まで仲のいい人同士で談笑してたような立ち位置のグループがいくつかあるんだけど、扉から一番奥にあるテーブルにかけて不自然なくらい一直線に拓けていて、グリンディアさんはそこを当然のように進んで行く。後に続くボクたちは自然とそこを通るわけで、通り道の脇を固める寮生たちから好奇心に満ちた視線を一身に浴びることになった。世界が変わっても転入生が注目を浴びるのは変わらないらしいね。
そんなことを考えながらエリシェナの真似をしてしずしずと歩いているうちに奥のテーブルまでたどり着くと、スッと脇に避けたグリンディアさんからしぐさで振り返るように促されたので今来た方へ向き直る。そうすればいつの間にか通路だった場所も埋めた寮生たちとご対面だ。
基本的に学生一人につき付き人が一人って感じなので、男女差はあってもおおよそおそろいの制服姿が半分、細かいバリエーションが様々な執事侍女姿が半分といったところかな? 制服姿は十代から二十代前半ってくらいだけど、付き人の人は同年代くらいから老練って感じのナイスミドルまで様々だ。
ちなみに寮生ほぼヒュメル族が占めていて、付き人にアナイマ族がちらほら混じっているね。あ、猫耳メイドさんと犬耳執事さんがいる!
「本日は新たに皆様と机を並べる方を迎えました。ご本人に紹介していただきましょう」
ファンタジーの定番を見つけてちょっと興奮していると、グリンディアさんの簡単な紹介があった。そしてそれを合図にエリシェナが一歩進み出て、惚れ惚れするようなカーテシーを披露する。
「ブレスファク王国より短期留学生として参りました、エリシェナと申します。社交科及び経済科に所属となります」
ここで自己紹介の内容が肩書どころか種族も家名も名乗らない変則的な形になっているのは、事前にそうするように通知があったからだ。いわく、『種や身分に囚われることなく、ただ純粋に必要な学を修める』っていう学院の方針を体現してるそうだ。そして肩書代わりにどの学科で勉強するのかを告げることになる。教養科が抜けてるのは、学生ならもれなく所属必須が当たり前なので基本省略するとのこと。
まあ貴族寮なんて区別がある時点で建前臭い気がするけど、学生に擬態してるボクにとっては都合がいいから特に文句もない。
「同じくブレスファク王国からの短期留学生、ウルです。エリシェナ同様、社交科と経済科に所属します」
「二月と限られた時の内ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
同じく進み出て見よう見まねのカーテシーをしながら名乗れば、エリシェナが引き継いで紹介の締めだ。今回は学生枠だけの挨拶なので、付き人のウィニアさんは名乗らないでいいらしい。学生がメインなんだから当然と言えば当然か。
そしてボクたちが名乗り終えたタイミングを見計らって、寮生の中から一人が数歩進み出る。こっちの名乗りの後は代表生からの歓迎って流れは聞いてたから、十中八九学生代表的な立場なんだろう。
年齢的には二十歳前後かな? スラリとした長身にスキっとした金髪のさわやか系イケメンだ。目立つところに出た彼を見る周囲の女子学生たちの視線が心持ち熱っぽい気がするね。男子諸君からはやっかみで爆ぜろとか言われそう。
そんな風に笑顔を浮かべたまま内心で感想を考えていると、すぐ隣のエリシェナがかすかに居住まいを正した感じがした。なんとなく対面して緊張しているように思えるんだけど、基本的に誰に対しても自然体なエリシェナにしては珍しい。イケメンか? イケメンだからか? 虫除けとしては警戒対象になりそう。
「ようこそ、エリシェナ、ウル。私はフィリプス、社交科、経済科、戦技科に所属している。オブリビアン寮に暮らす者、ひいてはオーラル学院に籍を置く者達を代表して、君達を新たなる同輩として歓迎しよう。共に学ぶ時間は短いとはいえ、お互いに悔いのないよう存分に学び語ろう」
見た目を裏切らない美声でフィリプスがそう歓迎の言葉を言い終えるのに合わせて、寮生たちから温かい拍手が向けられた。みんな笑顔でボクたちのことを見てるし、貴族のための寮って聞いてたお堅いイメージがいい方向に裏切られたよ。ただでさえ普段と違う言葉遣いしてるのに、さらにアウェーな雰囲気だったら絶対疲れるもん、精神的に。
「歓迎してくださり、大変ありがたく存じます。皆様のお心に応えられますよう、精一杯励ませていただきます」
そんな言葉と共に優雅なしぐさで礼を取るエリシェナに倣って礼を返すと、ひとまず全体の顔合わせは終了だ。この辺りでグリンディアさんはさりげなく離れていったけど、 この後は食事をとりがてら歓談が始まるとのことだ。
実際寮生たちは思い思いに散らばって、互いにおしゃべりしながら自分の付き人が取った料理を食べ始めている。事前に聞いた流れでも挨拶が終わればお腹を満たすように言われてたから、ボクたちも遠慮なくすぐ後ろにあるテーブルの料理に向かった。と言っても、お嬢様らしくするためにウィニアさんがお皿によそってくれてからじゃないと食べられないんだけどね。
そんな風にお嬢様らしく見えるように気を付けながら他愛ない話でエリシェナと盛り上がっていると、『探査』にこっちへ近づいてくる反応があった。数は五人だ。
「オブリビアン寮の食事は口に合うかな?」
とりあえず反応を気にしながら何でもない風におしゃべりを続けていると、さっき聞いたばかりの美声が投げかけられた。それに対してエリシェナはすぐに会話を打ち切って振り向くと、わかっていましたと言わんばかりの態度でにっこりと笑顔を浮かべた。
「はい、フィリプス様。見慣れたものだけでなく、初めて見るようなお料理もすべて大変おいしゅうございます」
「それはよかった。そちらのテーブルにはブレスファク王国の料理が多く用意されているのだ。故郷を離れた君達が心安らげるようにとされているが、実は他のテーブルにはまた趣を変えた料理があるのだよ」
そう言って在校生代表のフィリプスは、周りにいる制服姿の四人に同意を求めるように視線を向けた。それに応じるようにどのテーブルにどんな料理が用意されているかを次々と報告すれば、エリシェナがおしとやかな態度を崩さないまま興味を示してみせる。
「まあ、なんて素敵なことでしょう。できることならばいろいろと味わってみたいものです」
「ならば、先達たる私達が案内しよう。新たな仲間として、学院に集う多様な料理を是非とも堪能してもらいたい」
「喜んで」
そんな誘い文句に笑顔で応じたエリシェナは、ボクたちを促すと先導するフィリプス達の後に続いた。実のところ事前に教わった食事会の流れは食べ始めるところまでだから、フィリプスの行動は取り巻きを連れてのナンパに見えなくもない。
だけどこの場が交流会も兼ねてるだろうことを考えたら、バッサリ切り捨てるのもまずいと思うんだよね。お誘いも口説き文句って感じじゃなかったし、エリシェナからSOSのサインも来てないし、少し様子見しようか。
というわけで大人しく付き従ったところ、予想通り他の寮生への挨拶回りも兼ねていたようだ。おおよそ出身地ごとに国単位でテーブルへついていて、それぞれの故郷の料理がメインに盛り付けられている感じだね。
基本的には待ち構えていた寮生が名乗って、出身地グループの代表者が歓迎の言葉を添えてから料理を勧めるっていうのが繰り返された。必然的にそれなりの量を食べることになったけど、たぶんそれを見越してだろう一口サイズの料理ばかりだったおかげで、途中なのにお腹いっぱいなんて事態にはならなくて済んだよ。
いやまあ、身体構造の関係でエリシェナよりも小食だからちょっとギリギリを超えてた気がするけど、腹痛って概念がないから何とか詰め込めた。もちろんちゃんと味わっているから何も問題はない。食べ物を粗末にする、ダメ絶対。
それはそれとして、一通り回って大陸の主要国家はほぼ制覇したはずだけど、一国だけ紹介がなかったんだよね。というか、ひょっとしなくても――
「ところで不躾になるのだが、少々尋ねたいことがある」
「いかがなさいましたか、フィリプス様?」
最初のテーブルに戻りながら学院での生活なんかをエリシェナとフィリプスが取りとめもなく話していたんだけど、話題に区切りがついたところで思い出したようにフィリプスが疑問を発した。
「そちらのウル嬢について紹介いただけないだろうか、エリシェナ嬢。国元から離れて少々経つことは確かなのだが、これほど華のある令嬢がいらしたことなど寡聞ながら耳にした覚えがないのだ」
そう言ってフィリプスが興味深そうにボクへ視線を注ぐと、他の四人も好奇心に輝く目を向けてくる。ぶっちゃけあいさつ回り中もさりげないしぐさでチラチラとボクの方を見てたのには気づいてたから、相当気にされてるんだろうなって思ってたよ。たぶん貴族階級出身の子達じゃなかったら取り囲んでの質問攻めにあってただろうね。
「フィリプス様がご存じないのも無理はないことです。ウル様とはお爺さまの古い縁で友誼を結ぶことと相成りましたが、それからまだ一年と経っておりません。伺ったお話によれば、それまでは他との交流がほとんどない辺境で過ごされていたそうですので」
「なるほど。そうであるなら我々が知らずとも不思議はないか。となれば、こちらも改めて名乗る方がよいだろう。改めて、私はフィリプスだ。よろしく頼むよ、ウル嬢」
「お初にお目にかかります、ウル嬢。クレノーレと申します。社交科、魔導科、工芸科に所属しております」
「ドランツです。自分は社交科、戦技科、収録科に所属しています」
「僕はノックスと言います。所属は社交科、魔導科、鍛冶科です」
「社交科、経済科、工芸科、歴史科および調薬科に所属しています、アレイヴィアです。以後お見知りおきください」
エリシェナの話を聞いたフィリプスが目配せをすれば、取り巻きの四人が次々と名乗ってくれた。なんか一人だけ所属科数がおかしかった気がするけど、きっと優等生なんだろうな。
「エリシェナ嬢には言う迄もないことであるが、我々は皆ブレスファク王国の生まれ育ちなのだ。今は私が代表を務めているので、学院の生活で何かあれば喜んで相談に乗ろう」
そして最後にフィリプスが締めを結んだことで疑問が完全に氷解した。うん、紹介になかった国っていうのがまさかのブレスファク王国だったんだよね。まあ自己紹介もろくになかったはずなのにエリシェナが親し気にしてたから、ある程度察せれたんだけど。そりゃ顔見知り程度でも知ってる人に案内してもらった方が気楽だよね。
「よろしくお願いします。あまり慣れていないので知らないうちに失礼なことをしてしまうかもしれませんけど、田舎者と思って許してもらえれば嬉しいです」
とりあえず、挨拶がてら付け焼刃なお嬢様モードのボロが出た時に備えて予防線を張っておく。同郷の貴族出身ってことは、明らかにエリシェナが仲良く過ごす時間が一番多いだろうし。
そのあとは最初のテーブル付近でしばらく同郷勢と歓談して自然とお開きになった。テーブルにはかなり料理が余ってたからもったいないなーって思ってたら、それが顔に出てたのかフィリプスが残りは付き人の食事になるって教えてくれたんだよね。そういえばウィニアさんとかいつの間にか合流してた同郷勢の付き人の人たちとか、給仕ばっかりで何も食べてなかったや。ぜひともゆっくり堪能してほしいよ。
さて、明日からは学生生活が本格的にスタートだ。楽しみで眠れそうにないや。まあもともと体の構造的に寝れないんだけどね!