寄宿
そのまま何事もなかったかのように車を降りる公爵閣下に続きながら気持ちを切り替える。今回は周りに護衛だって思われないようにしなきゃだから、キャラ作らないとなんだよね。
「あ、お父様、ウル様。お話はお済ですか?」
「うむ、大事無い」
「コホン――はい、大丈夫ですよ、エリシェナ」
魔導車から降りてきたことに気づいたエリシェナの何気ない確認にそう応えた瞬間、この場にいるほとんどの人たちから何とも言えない視線がボクに集中した。
「……ウル様がそんなお話の仕方をされると、なんだかとても新鮮ですね」
「まっとうに話せるならば、普段からそうすればよいものを……」
そんな親子の言葉が心を代弁していたのか、思わずといった様子で頷くお付きの人たち。別に敬語が使えないってわけじゃないのに、失敬な。仲のいい相手とはなるべく素で話したいって思うのが人情じゃないか。この口調だって必要だからそうしてるだけなんだぞ!
いや、だって考えて欲しい。エリシェナは公爵家のご令嬢で、公爵って言ったら貴族でも王族の次に偉い。しかもレンブルク公爵家って国外にも筆頭ってことが大々的に知られてる名門中の名門で、貴族の格としてはそうそう他に並ぶ相手がいないわけだ。
そんな相手と一緒に留学してきて対等に口を利く――しかもエリシェナの方はちゃんとした言葉遣いなのに対して、ボクの方はまごうことなきタメ口と来た日には、周りが『こいつ何者!?』ってなること請け合いだ。
そんな調子じゃ下手をしなくても王族だと勘違いされかねないにも関わらず、立場としてはボクがエリシェナを護衛する形になるんだから、もうわけわかんない状態になるよね。怪しいってレベルじゃない。
――ってことを公爵閣下から注意されたボクは、せめて丁寧な言葉遣いにすることで、身分としては同程度くらいの立場に見えるよう偽装することにしたわけだ。
一応、グラフト帝国のお偉いさんから王様認定されてるから、意外と権力構造的には違和感が少ないんだけど、進んで話すようなことでもないからややこしくない方がいいよね。まあ、ロールプレイの一種と思えば別に苦じゃないしむしろ楽しいから何の問題もない。
「今の役割に合わせているだけですよ。いつもこんな風だと息が詰まります」
「……まあよい。では二人とも、よく励むように」
「はい、お父様。行ってまいります」
「任せてください」
そうして最後の挨拶を交わし、公爵閣下とお付きの人たちが乗り込みなおした魔導車が来た道を引き返していくのを見送った。後に残ったボクとエリシェナ、ウィニアさんは、それぞれ自分用のトランクを持つとお屋敷みたいな建物へと向かう。と言ってもガイウスおじさん家みたいに前庭があるわけじゃないから、目の前が玄関なんだけどね。
「こんにちはー」
護衛で体力的にも超余裕なボクが両開きの立派な扉を開ければ、ガイウスおじさん家のよりも広々とした玄関ホールで一人の女の人が待ち受けていた。
「ようこそ、学び舎の安息地へ。オブリビアン寮を代表して歓迎しましょう」
ひっつめの髪に細いレンズの眼鏡をした身長高めの、いかにも厳しい女教師って雰囲気を前面に押し出したその人は、ピシッと背筋を伸ばしたままお堅い感じでそう言った。うん、たぶん嘘はないんだろうけど、微塵も歓迎されてる気がしない。イントネーションってすごく大事なんだなって改めて思い知ったよ。
「ごきげんよう。わたしはヒュメル族、ブレスファク王国レンブルク公爵家が総領、エリシェナ・ルス・レンブルクと申します。こちらはわたしの友人と、付き人です」
「初めまして。マキナ族のウルデウス・エクス・マキナです」
「ヒュメル族、ウィニア・ソーンと申します。お見知りおきください」
「この度はわたし達を受け入れてください、誠にありがたく存じます」
そう順繰りに名乗った後で一同を代表するようにエリシェナがきれいなカーテシーを決め、ボクも当然のようにそれをマネる。ウィニアさんは使用人なので普通にお辞儀だ。この流れはあらかじめ打ち合わせてあった通りで、エリシェナが代表者として三人の中で一番立場が上ってことを端的に表すポジショニングだ。
ついでにボクの名乗りが簡易式なのも、こういう場合だと『大仰に名乗るほどの者ではない』ってことで脇役アピールになるらしい。いわゆる上流階級のタシナミってやつだ。もちろんカモフラージュの一環で、こんな機会じゃないとたぶんもう使わないだろう。
「大変結構です。わたくしはヒュメル族、オーラル専修学院社交科主席教諭、グリンディア・オーダムです。ここオブリビアン寮の寮監も兼任しています」
そんなささやかなイメージ戦略が功を奏したのか、ボクの種族のところでピクリと眉を跳ねさせた以外は表情を変えなかった女の人改め寮監のグリンディアさん。
そう、このお屋敷、実は学生寮なのだ。他国から時間をかけてはるばるやってくる人もいるということで、そんな相手に到着して即授業に出ろっていうのも酷な話になる。だから、遠方からの入学者はまずこれから暮らすことになる寮へ案内されるのが通例らしい。
で、ここオブリビアン寮は学院に複数ある寮の中でも、特に上級の貴族階級出身の学生が寝泊まりしているとのことだ。うん、貴族寮の管理人としてはイメージピッタリの人だね、グリンディアさん。
そんな風に思っていたら、グリンディアさんは引き締めていた表情をフッと緩めて微笑みを浮かべた。そうすると厳格な印象が和らいで、思いがけないくらい優しい顔になる。
「長旅だったことでしょう。まずはあなた方のお部屋へ案内しますので、ゆっくりと荷解きをするとよいでしょう」
その言葉もさっきまでの屹然とした声音とは打って変わって柔らかくなっていて、ボクたちに向ける視線もまるで我が子を見るかのような親しみが込められていた。驚きの変わり身だ。ちょっと気を抜いたらうっかり『お母さん』とか呼んじゃいそうなくらい。
「お気遣い、ありがたく存じます。お言葉に甘えさせていただきたいと思います」
「では、こちらへ」
そうして先に立って歩きだしたグリンディアさんに続く形で、ボクたちは寮の中を進んでいった。
「それにしても、さすがは名高いオーラル学院ですね。自身の未熟を改めて思い知らされました」
「まあ、謙遜を。あなたの立ち振る舞いを見ていれば、これまでも素晴らしい教育を受けていらしたことが自ずとわかりましょう」
「グリンディア様のような方にそう言っていただけるなんて、とてもありがたく存じます。お眼鏡にかないますよう、精一杯努めさせていただきます」
「こちらこそ、あなたのような方に教えられるなんて願ってもないことです」
そんなエリシェナとグリンディアさんの和やかな会話を聞くともなしに聞きながら、護衛の本分を全うするために一応起動している『探査』の反応と合わせて、寮の様子を観察していく。
反応を見る限り、建物全体は変則的なヨの字型をしてるね。横棒三つを繋ぐ縦棒部分中央がちょうど玄関で、真ん中の横棒の幅が上下の二倍くらいある代わりに二階くらいの高さになってる。どうやら吹き抜け構造のようで、仕切りもほぼない状態だからホールとか食堂とかそんな感じかな? あ、今まさに基本食堂な多目的ホールって紹介された。
外から正面を見ただけだとレンブルク公爵家のお屋敷くらいに見えたけど、奥行きはさらに倍以上は取られてるみたいで、床面積だけ考えたら単純に倍以上になりそうだ。対して一部屋の間取りは小さめに作られているようで、結果的には部屋数は比べ物にならないくらい多くなっている。
日中ってことで学生はまだ学院の方に行っているんだろう、ほとんどの部屋は誰もいないみたいだね。だけど、いくつかの部屋からは人型の反応が返ってきている。授業が休みなのかな? ああ、貴族寮だし付き人枠の人がルームメイク中って可能性もあるね。
「――こちらが女子棟となっております。反対側は男子棟で、それぞれ一階が付き人の部屋ですね。行き来は玄関ホールを経由してのみ可能となっておりますので、殿方が不用意に淑女の部屋を訪れることはまずないでしょう」
左右対称な建物の一方に進みながら、寮の施設を簡単に紹介してくれるグリンディアさん。浴場や寮監の自室などなど、説明されるたびに『探査』で構築してある脳内マップに名称を割り振っていくうちに、二階のとある部屋の前で立ち止まった。
「こちらがあなた方の居室となります。公爵様より同じ部屋をと仰せつかっておりましたので一部屋に二人分の用意をさせていただいておりますが、問題ありませんね?」
「はい、お父様より伺っております」
「大丈夫です」
事前に聞いていた通り、ボクとエリシェナは相部屋になっているみたいだ。さすが公爵閣下、急遽増えた人員ってこともあるんだろうけど、やること徹底してるなぁ……。
どうでもいい話だけど、愛娘を他人と一つ屋根どころか同じ部屋に押し込むことについては、「男でも女でもなく、子種を残すこともできないのであれば警戒する必要もない」とのことだった。客観的に見て割り切り方が極端というか、ある意味すごいと思う。
「教材を始めとして学業に必要なものは、すでに一そろい運び込んでおります。文机の上に一覧を記載した書類と合わせて用意しておりますから、確認の上、万一不足があればわたくしに申し出ていただければ対応いたします」
そんな言葉と共に開かれた扉の先には、思っていた以上に質素な部屋が待ち受けていた。シングルサイズのベッドと簡単な造りの書斎机、備え付けのクローゼットがそれぞれ二つずつに、応接室にあるようなイスとテーブルのワンセットが並べられていても狭さを感じさせないくらいには広いけど、どれもがシンプルで実用重視って感じの品だ。貴族用の部屋ってことで無駄に絢爛豪華なのを覚悟してたから、これについてはちょっと拍子抜けしたくらい。
まあ、よく考えたら寮なんて住人の入れ代わり前提な施設で無駄にお金かけても仕方ないか。
「付き人の部屋は七号室が割り当てられていますから、後程確認してください。それと、今夜はあなた方の歓迎を兼ねて、ささやかながら食事会となります」
「承知いたしました。ご配慮痛み入ります」
「我が寮での慣例ですから、大したものではありませんよ。では、わたくしはこれで失礼します」
そうして役目は終えたとばかりにくるりと踵を返して来た道を戻っていくグリンディアさん。それを見送ったボクたちは、おすすめ通りひとまず荷解きを始めた。と言ってもウィニアさんの部屋は別に用意されてるから、解くのはボクとエリシェナの分だけだけどね。
少ない私物を手早く片づけたら、エリシェナが興味深そうに勉強キットをチェックし始めたのを横目に確認しつつ、扉とは反対の壁にある窓から外を覗いてみた。護衛なら周囲の地形の確認とかはやってしかるべきだよね。
ちょうど寮の外周を向いてるおかげでそこそこ眺めはよくて、すぐ横にある公園みたいなスペースと、少し離れたところにちょっとしたマンションみたいな建物がいくつか見える。あれが一般寮かな?
窓を開けて身を乗り出せば、貴族寮の入り口方向のさらに先にいろいろなタイプの建物。位置関係的にあっちが校舎だろうね。反対側はちょっとした森になっていて、そのまま近くの山まで続いているみたいだ。裏山的な感じかな?
「どうやら不足はないようですよ、ウル様」
たまたま通りかかったらしい同じ制服姿の子と目が合ったからにこやかに手を振りつつ、こういう時の定番として狙撃ポイントを割り出している間にリストのチェックが終わったらしい。ついでにボクの分はウィニアさんがチェックしてくれたみたいだ。
「わざわざありがとうございます、エリシェナ、ウィニアさん」
「……ウル様、ずっとそのお話し方で過ごされるのですか? 他に人がいなければ、いつものようにお話されても大丈夫だと思いますけれど」
油断せず役どころに沿った調子でお礼を返したら、それを聞いてどこか苦笑気味に提案してくるエリシェナ。どうにも敬語を駆使するボクっていうのに違和感をぬぐえないみたいだ。
「ん~……そうだね。他に誰もいない時はいつも通りにしよっか」
そこまで言われたらボクとしてもそっちの方が楽だし楽しいし、断る理由はないんだよね。部屋の壁はしっかりと厚みがあるから大丈夫だろうし、もし聞き耳たててるような人がいても『探査』の魔導式は常時展開予定だからすぐにわかるしね。
「それではお嬢様、私も一度あてがわれた部屋へ向かわせていただきます。荷解きを済ませ次第戻りますので、今しばらくお待ちください」
「わかりました。この後は夕食までこちらにいるつもりですので、急ぐ必要はありませんよ」
「かしこまりました。お茶の支度をしてから戻ります」
荷解きと教材チェックが終わったところで、いったんウィニアさんが付き人用の部屋に荷物を置いてくることに。どうやらお茶を入れてきてくれるみたいだから、その間教材でも見て暇をつぶそうか。
そう決めると、机の上に用意されている教材の方に視線を向けた。一度ウィニアさんがチェックしたはずなのに、ほぼ最初の状態に戻されているところはさすがのメイドさん。
そんなところへ無駄に感心しつつ、興味深げに自分の教材を矯めつ眇めつ眺めているエリシェナに倣って教材を手に取った。