一幕
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臨険士御用達の宿屋にとってお昼前っていうのは、早朝っていう一番の激戦を乗り越え、戦場の後片付けも終えて一段落してようやくほっとできる、そんな時間帯だ。
一応、一階の食堂で昼食を出すこともできるけれど、立地的に街で暮らす人が足を運ぶにはやや遠い。だから昼のお客は休養を取ってるか仕事にあぶれちゃった臨険士が主になるけど、うちに泊まるような連中はだいたい依頼をこなすために精力的に駆け回ってるから、朝や夜に比べたら楽勝楽勝。
そんなわけで買い出しや仕込みなんかは親に任せて、看板娘のあたしは受付でのんびりするのが今のお仕事だ。特に今日はうちに泊まってる臨険士で休養を取っているパーティは一つだけだから、帳簿の確認をしながら息抜きに買ったばかりの物語を読む優雅な――うん、あたし的にはまあ優雅なひと時。
「――おお、書物をめくる姿がなんとも知的で麗しいですね、イスリアさん!」
そんな中で聞き覚えのある声で呼びかけられて顔を上げれば、もうかなり顔なじみになったうちのお得意様の一人が、客室に置いてあるはずの水差しを片手に笑顔で歩み寄ってくるところだった。
「あら、お上手だこと。嘘でもそう言ってもらえると嬉しいわ」
「いやいや、嘘だなんてとんでもない! その美しさは言わずもがな、さらに俺らみたいな危険に進んで挑む頭のおかしい連中も笑顔で迎える母性。そこに知性まで加わったならもはやそれは――そう、まさしく女神のご降臨に等しい!」
「あらあら、女神だなんて。そんなに崇めてもらっても、宿屋の娘には神霊様みたいにご加護を与えたりなんてできないわよ。ところで何か御用かしら、ケレンさん?」
この手の口説き文句は宿屋の看板娘をしていればあしらい方も慣れたもの。軽く流すと、今宿に残っている唯一のパーティで参謀を自称している少年に用を尋ねた。
「つれないですねえ。いやなに、うちの馬鹿がようやくまともに起きられるようになったんで、水でもらえないかと。できれば冷えたやつを」
やっぱりというか相手も本気じゃなかったみたいで、わざとらしく残念そうな顔をすると、持っていた水差しを指し示しながら素直に用件を口にした。そういえば今朝は一人だけ降りてこなかったのよね。この子達は今まで見てきた臨険士パーティの中でも目立って仲が良くて、うちで食事するときはいつも四人そろってるから珍しかったのよね。まあでも、昨夜のことを考えたら無理もないか。
「予想はしてたけど、やっぱり二日酔いだったのね。ほんと、昨日は大変だったわね」
「あっはっは。いやー、その節はうちの馬鹿が大変なご迷惑をおかけして本当に申し訳なく……」
お客様の要望に応えるため、本を閉じて立ち上がりながら軽く揶揄するように話を振ってみる。そうすれば露骨に視線を逸らしたケレンくんは、乾いた笑い声を上げながら気まずげに頬をかいた。
昨晩はウルとシェリアさんの昇格祝いってことで、うちに来てから初めてかなり豪勢な夕食を頼んでくれていた。ちょうど居合わせた後輩の臨険士も混ざってたみたいだけど、要はパーティでの宴会なわけで、店としてはなかなかありがたかった。ウルの昇格が早すぎる気はしたけど、まああのウルだしってことで特に気にしないことにした。
で、お酒の入った宴会となれば酔っ払いが出るのは当たり前。うちでも毎晩何人も見ることになるし、多少騒がしいくらいなら慣れたものだ。度を越せばまだ素面なご贔屓の臨険士達が叩き出してくれるから、そうそう大きな被害を受けることもない。
だから特に気にするほどのことじゃないんだけど、昨日のリクスくんの酔っ払い方はなかなか斬新だったのよね。何を思ったのか彼、いきなり演劇みたいなことをやり始めたんだから。
いやほんと、誰もが知る英雄譚が妙によく通る声で聞こえてきたものだから、流しの吟遊詩人でも来たのかと思ってそっちを見たら、臨険士にしては大人しくて常識的な子が朗々とそらんじてるものだから一瞬目を疑ったわよ。しかもそのまま役者みたいに場面の再現を始めて、配役が足りないと周りにいる誰かを勝手にその役であるみたいに扱いだすんだから。
まあ、うちは比較的気のいいい人が多いし、時間も夕食時で大体のお客はお酒が入ってるもんだから、ほとんどは嬉々として振られた役になり切っていたけどね。誰もが知ってる内容のお話だったっていうのも気軽に応じれた要因かしら。中にはその場面じゃ出てこないはずの人物として乱入するような人もいたけど、発端のリクスくんは不思議なくらいうまく話を繋いで、そこまで破綻のない物語を紡ぎ続けてたわね。
そんな感じで昨夜の食堂は即興劇の舞台みたいになって、即席の参加者も観客も大盛り上がりを見せたものだった。当然、臨険士が本業な彼ら彼女らは大根役者の方が多かったけど、それも囃し立ててさらに盛り上がる材料になるくらいでさ。おかげで昨晩の売り上げがすごいことになったし、見てるあたしもすごく楽しませてもらったわ。
それにしてもリクスくん、本当にすごかったのよね。めちゃくちゃになるのが目に見えてる素人だけの即興劇をそつなく回して、演技や立ち回りもただ一人役者顔負けって感じだったし。臨険士をやってるんだから体を動かすのには慣れてて当たり前だろうけど、それは他の人達も大体同じだったろうし、なんていうか……一人だけ空気が違ったって言うのかな? 最後は酔いが回り切ったのか唐突にぶっ倒れてたけど。
「うちとしてはあれくらい騒ぎのうちにも入らないから、迷惑なんてことはなかったわね。むしろ結構好評だったし、またやってくれてもいいのよ?」
「いやー、逆に喜んでもらえたなら幸いなんですけど、さすがにあれをもう一度は勘弁してください。相棒が醜態さらして穴があったら入りたいくらいだったんですから」
「それは残念ね」
空の水差しを受け取りながら物は試しと冗談半分で打診してみたところ、気障っぽい笑みを引きつらせるケレンくん。実はリクスくんに役を振られて応じなかった数少ないお客の一人だったりするんだけど、普段は軽薄な印象が強いから正直意外だったわね。
むしろ調子よく演じるリクスくんを何とかなだめようと必死になってたけど聞いてもらえず、それどころか巻き込まれそうになって慌てて逃げだしてたっけ。ああいった形でみんなから注目を浴びるのは案外苦手なのかしら?
逆にウルなんて欠片も酔ってなさそうなのに、役を振られる前から嬉々として巻き込まれに行ってたけどね。それどころか後輩の子達も遠慮なく引っ張て来て、大立ち回りの場面なんかリクスくんくらいの熱演で決闘を再現してたくらいだし。最後もぶっ倒れたリクスくんに代わってきれいにお話をまとめてお開きにしてみせたり。あの子、ほんとに何者?
ちなみに、シェリアさんはリクスくんが酔っ払い始めたあたりで早々に距離を取って観客に徹していたわね。それでもしっかり最後まで見届けたのは仲の良さを思わせてくれる。
そんな風に昨夜の様子を思い返しながら店の裏手に回って井戸水をくみ上げる。もちろん厨房には水を出す魔導器があるけど、あれは基本的に暖かくもなく冷たくもないってくらいの水しか出せないから、特に冷えた水をって言われたら少し手間だけどこっちの方が早いのよね。お客でしかもウルの仲間なんだから、これくらいならやってあげて当然だ。
「はい、お待たせ」
「助かりますよ! いやー、イスリアさんはほんと素敵な――」
「あ、ケレン、また口説いてるの?」
よく冷えた井戸水を手早く水差しに移し替えて戻ると、懲りずに言い寄ろうとしてくるケレンくんの背中に声がかかる。聞き覚えのある声の主は当然、たった今入り口をくぐったウルだ。しばらく前に組合に行くって言って出かけてたけど、どうやらちょうど戻ってきたところみたいね。
「おう、戻ったのか、ウル、シェリア。昨日言ってた依頼はちゃんと受けれたのか?」
「まあね。詳しい話はあとでまとめてするけど、予定通りボク個人への指名依頼だよ」
「なら俺らの部屋に行っててくれ。リクスの馬鹿がようやく多少ましになったみたいだから、話聞くくらいはできるだろ。部屋の水差し空にしちまいやがったから、こうしてお代わり頼む羽目になってるがな」
「そのついでにイスリアをナンパしてたの? 忙しいところを邪魔しちゃだめだよ?」
「おい、間違えるなよ、ウル。イスリアさんへ愛をささやくことを片手間みたいに言うな! むしろ水差しの補充の方が口実だ!」
気心の知れたやり取り交わしながら受付まで来たウルは、堂々と誇らしげに胸を張るケレンくんへあからさまに呆れた顔を向けている。
「よくそこまで白々しいこと言えるね。逆に感心するよ。ケレンが迷惑かけたらバッサリ斬り捨ててくれていいからね、イスリア? むしろ言ってくれたらボクがお仕置きしておくから」
「大丈夫よ。今の時間は手が空いてるし、ケレンさんくらいの口説き文句ならそれこそ聞き飽きてるから気にもならないわ」
「イスリアさん、そんな殺生な!! あなたへの俺の愛がそこいらにいる男どもと同じだって言うんですか!?」
お言葉に甘えて駄目出ししてあげれば、ケレンくんは大げさなぐらいの身振りでさも心外だってことを主張してくる。うん、そういうのよ、ケレンくん。セリフも含めてどこか演技臭いから女の子に相手されないのよ。
「かくなる上はイスリアさん! 俺が本気だってことを証明しますんで今夜お部屋でお待ちごふぉ!?」
「はい、その辺にしとこうねー」
さすがにそこまで踏み込むのは許容できなかったらしく、ウルの肘鉄が容赦なくケレンくんの脇腹に突き刺さった。あたしから見たら軽く小突いただけのようなのに、やられた方はあっという間に崩れ落ちて悶絶し始める。相変わらず、見た目とは裏腹な怪力みたいね。前に一度だけ質の悪い酔っ払いが絡んだことがあったけど、この子の一撃で嘘みたいに吹っ飛んだのを見た時は目玉が飛び出るかと思ったわ。
「まったくもう……あ、水差しはボクが持っていくね、イスリア」
「はいはい。ところでもう依頼を受けたみたいだけど、また遠出になりそうなの?」
「うん。出発するのはもう少し先だけどね」
「昇格したてでも忙しいのね、さすがウル。頑張って」
「ありがと、イスリア!」
そうしてウルは渡した水差し片手に、撃沈したケレンくんを放ったまま部屋へ戻っていった。ずっと無言だったシェリアさんは、軽く会釈をしてから当然のようにそのあとに続いていく。
「……おー、痛い。あいつ、イスリアさんの前なのに容赦ないったら」
「自業自得よ、ケレンさん。仮にも女の子に対してあんなふうに迫るのは駄目」
「はあ、イスリアさんのお言葉なら肝に銘じておきますか。旗色も悪いし、今日のところは引き下がりますよ」
少しして復活したケレンくんに釘を刺すと、肩をすくめて思ったよりもあっさりと受け入れるケレンくん。こういうところは評価できるんだけどね。しつこく言い寄ってくるお馬鹿な連中にも見習わせたいくらいだ。
「ところで、ウルの受けた依頼って個人の指名依頼なの? だとしたら、しばらくは三人だけになるのかしら?」
そしてさっきのやり取りを聞いて気になったことを尋ねてみれば、気を取り直したらしいケレンくんがどこか苦笑気味に口を開く。
「いや、たぶん……ほぼ確実に俺らもしばらく空けることになると思いますんで」
「あら、そうなの?」
「ウルのやつ、ああ見えて寂しがり屋なところありますしね。で、リクスはそういうのに関してだけは呆れるくらい勘がいいんで。じゃ、名残惜しいですけど俺も部屋に戻りますね。またの機会に愛を語りましょう!」
そう言って気障ったらしくお辞儀をしてからウル達のあとを追うケレンさんに、気安く手を振り返しながら思う。うん、やっぱりあの子達、本当に仲がいいわよね。